21話
探索し尽した城塞。
下り階段どころか、地下室らしい空間の存在すら見当たらない床下。
なのに、地面の下から感じられる、気配。
ジェットは疼く左手を握りしめると、床を睨み。
床を、殴りつけた。
化け物のそれと化した左腕は、石材を砕くまでの力を持っている。
ガーゴイルやストーンパペットの手足や首を砕いてきたジェットの左手は、城塞の床をもまた、破壊せしめた。
「お、おい、何やって……」
突然のジェットの行動に戸惑うリリアナは、しかし、魔術の才を持つ故に、気づいた。
ジェットが再び殴りつけようとしているのは、割れ砕けた石材のその先。
地面でしかないそこに、何か、途方もなく大きな気配を感じる。
「……まさか」
リリアナは顔を引き攣らせて、ジェットの拳の先を、注視する。
殴りつけられた地面が、蠢いた。
その時、3人は見た。割れ砕けた床材の下から、ぎょろり、と瞳が覗いたのを。
「なっ……何だこれは!」
オーガスはありえない光景を前に混乱しながらも剣を抜き、構えた。
だが。
「う、うわー……やばいぞやばいぞ、これ……魔力が城塞全体に行き渡り始めてる!」
最早、手遅れであった。
「駄目だ!逃げるぞ!」
床に、壁に、あらゆる箇所にぎょろり、と現れた瞳を見るや否や、3人は駆け出した。
「嘘だろ嘘だろ嘘だろおっ!?こんなんアリかよお!城塞全体が魔物だなんてっ!」
リリアナは情けない声を上げながらも、結界を絶やさない。走って移動しながらそれに合わせて結界を張り続けるのはそれなりに難しいことであるが、最後の砦ともなる結界を途切れさせる訳にはいかない。
「石の魔物ばかりだとは思っていたが、まさか、城塞自体も魔物だとは、な……!」
「なるほど、たしかにこれは貴様の同類だな、ジェット!正に化け物だ!」
飛んでくる石礫を払い、倒れてくる柱を切り崩し、狭まる通路は斬り開き。
生き物のように動き、3人を攻撃してくる城塞の中を、3人は必死に駆け抜けた。
……石の魔物は存在する。また、形もそれぞれだ。ジェットがアマーレンの大聖堂で戦ったストーンパペットは神の像の姿をしていたし、ゴーレムなどはそもそも、特定の形や大きさが明確に決まっているわけではない。
だが、それにしても、大きすぎる。城塞丸ごと1つが魔物であるなど、聞いたこともなかった。
そしてこの魔物の恐ろしさは、その頑健さ、その大きさではない。
……3人が、既に魔物の体内に居る、ということなのだ。
廊下が大きくうねり、3人はそれぞれに弾き飛ばされ、或いは転倒する。
そこへ襲いかかるのは、柱であったり、押し寄せる壁であったり。
「リリアナ!俺はいい!あんたとオーガスを!」
「ああくそ!わーってらあ!」
地形全てが1つの敵である今、真っ当に戦うことすら難しい。リリアナも結界を維持することが難しく、苦渋の決断として、ジェットを守る結界は諦め、自らとオーガスとを守るのみに力を絞った。
そうして、オーガスとリリアナを守る結界に石壁がぶつかって砕ける一方、ジェットは床と壁とに押しつぶされる。
まるで獲物を咀嚼するように蠢く石壁と、その間から漏れる血液。
更に、石壁の間から血に塗れた腕が覗き、壁の咀嚼に合わせてびくびくと動く。
あまりにも残酷な光景を前に、リリアナは魔法で石壁を破壊しようと、杖を構える。
「やめておけ」
だが、同じく石壁に咀嚼されるジェットを見ながらも涼しい顔をしたオーガスに、止められる。
「貴様の仕事は私と貴様を守ることだ。あれは守られずとも死なん」
リリアナは何か言い返そうとして、しかし、やめた。
「……ああ、分かってるよ!」
代わりに集中し、結界をより強固なものへと変えていく。
「それで。あんたはあんたの仕事、きっちり果たすんだろうね?」
リリアナが睨むようにオーガスを見やれば、オーガスは余裕の笑みすら浮かべつつ、答えた。
「当然だ」
結界に守られながら、オーガスは剣を構え、じっと石壁を睨んでいる。
「合図で一瞬だけ、結界を解け」
そうしてリリアナにそう言ったが、随分と無茶な注文だ。高度な結界を、一瞬で解き、その一瞬後には再び張り直すなど。
「了解。好きにやんな」
だが、リリアナはその無茶な注文を受け入れた。
石壁に咀嚼されるという無茶を実行している者や、その石壁を一瞬で斬り開こうという無茶を実行しようとしている者に、応えるべく。
「では、いくぞ。3、2、1……」
石壁が蠢き、床が波打ち、2人をも飲み込もうとした、その時。
「今だ!」
結界が解かれ、魔法剣が、飛ぶ。
オーガスが見ていたのは、石壁ではなかった。石壁からはみ出した、ジェットの腕だったのである。
ジェットの腕は、体をすり潰される衝撃に跳ねながらも、床を……否、『下』を、指していた。
魔法剣は床を切り裂いて更に深く伸びた。その先で何を斬ったのかは分からない。だが1つ言えることがあるとすれば、石壁も床も、動きを止めたということだけである。
動きを止めた石壁の隙間から、ずるり、とジェットが這い出してきたのを引っ掴み、ひとまず、オーガスとリリアナは城塞の外に向けて走り出した。
半ば引きずられるようにして運ばれていたジェットもそのうちまともに動けるようになり、3人は何とか、城塞の外に出た。
「な、なんとか……逃げ切れた、か?」
「それはどうだろうな」
3人の視線の先で、城塞は逃げた獲物を探すように、蠢いている。石造りの巨大な建物が動いているのだ。不気味以外の何ものでもない。
「くそ、これ、アマーレンを襲った奴の手によるものか?それとも、封印されてる悪魔の……」
「大方、前者だろうよ。こいつの『同類』だな」
オーガスはジェットを見やる。ジェットは左腕を押さえて、じっと、動く城塞を睨んでいた。
「おい、ジェット。あれは貴様の左腕と同類か?」
ジェットはじっと考え込むように黙り、答えない。
「……虫の方か?」
「分からない」
いくら自分の体の事とはいえ、分からないものは分からないらしい。
ジェットの返答にオーガスは小さく舌打ちして、剣を構える。
「……まあ、相手が何であろうと、向かってくるならば倒すのみだ」
「そうだな」
動く城塞は、それが1つの巨人めいた姿へと変貌していき……やがて最も高い塔の覗き窓から、ぎょろり、と、目が現れて3人を睨みつける。
そして次の瞬間、城塞の巨人は、3人目がけて巨大な腕を振り下ろした。
「こういう時こそ私の出番、ってなあ!」
真っ先に動いたのは、リリアナだった。どうやら、ジェットとオーガスが会話している間に既に準備を整えていたらしい。
掲げた杖に光が集まり、リリアナの顔を明るく照らす。
「ぶっ飛べ!」
そして杖から放たれたのは、一条の光線。
眩く熱く輝くそれは、巨人の腕へと届くや否や、じゅ、と音を立てて巨人の腕を溶かし……そして、爆発した。
凄まじい衝撃、遅れて轟音と、熱波。
それらが3人を襲うが、そんなものは気にならないような光景が、目の前にあった。
城塞の巨人は、家1軒をも超える程の太さの腕を、爆発によって失っていたのである。
重い音を立てて崩れ、地面に落ちていく石材と、城塞の巨人の低い叫び声。大規模かつ派手な光景に、ジェットとオーガスは目を円くした。
「ひゃーっはっはっは!どーだ!見たかよ!これが聖女様の攻撃だぜ!狭い部屋の中じゃ使えねえけど、外でああいうデカブツ相手にするんなら、もってこいだよなあ!」
片腕をすっかり失い、それにとどまらず、肩口からぼろぼろと石材の塊を零し続けている城塞の巨人を前に、リリアナは悪党じみた高笑いを上げる。
「成程、確かに貴様は邪道聖女だ」
「違いないな」
2人はそんなリリアナに正当な評価を下しつつ、改めて、『聖女』の魔術の威力に舌を巻く。
癒しの魔術は得意ではない、結界は使えるが、それよりも攻撃が得意だ。そう言ったリリアナの言葉に、間違いはなかったらしい。
「よっしゃ!次行くぞ!次は腕なんて狙わねえ。一発でドタマぶち抜いてやるよ!」
リリアナは再び杖を構えて集中し始めた。
だが、威勢のいい台詞とは裏腹に、その額には汗が滲んでいる。あれほどの魔術を用いたのだ、消耗しない訳がない。結界を張る余力は無さそうだ。
そんなリリアナを見て、オーガスもジェットも、武器を手にそれぞれリリアナの前に出る。
……城塞の巨人の大きさを見て、真っ向からやり合う気は失せている。あの大きさのものと剣や拳で渡り合うなど、正気の沙汰ではない。ならば、リリアナの大規模な魔術で、一気に片を付けてしまった方が、まだ現実的だろう。
「……ということは、俺達があんたの援護か」
「立場が逆転したな」
よって、2人の仕事は、リリアナを守る事だ。




