9話
リリアナ、とだけ名乗った女に対して、オーガスは多少、不審に思わないでもなかった。
姓を名乗れない事情でもあるのか、或いはそもそも、姓を持たない者なのか。
アマーレンは聖都だ。孤児が神官達に育てられ、大聖堂を守る術師や騎士になる事もそう珍しくはないと聞くが。
「俺はジェット・ガーランド」
「オーガス・エメルドだ」
「了解。ジェットにオーガスね。覚えた。よろしくな」
「馴れ馴れしいぞ、女」
「そっちもリリアナって呼んでくれて良いぜ」
リリアナの振る舞い方を見る限り、大聖堂で育ったようにはとても思えない。宿場の酒場でも酒を飲んでいたようだったし、今日も酒を飲んでいた様子が見受けられる。
……神官の類では無いのだろうか。
ジェットもオーガスも、それぞれリリアナの素性を今一つ掴みきれなかった。
馬を走らせる傍ら、ジェットはふと、尋ねる。
「ところで、リリアナ」
「おう」
アマーレンの大聖堂はもうとっくに見えている。尤も、見えるだけで、未だ遥か遠くではあるのだが。
「俺は魔術に明るくない。あんたが魔術を使うなら、何が必要なのか教えてほしい」
尋ねられたリリアナは、きょとん、としてからにっかりと笑った。
「あー……そいつぁ駄目だ」
「ほう、駄目、とはどういう事だ?」
「そりゃ、手の内明かすことになるからだよ。そっちだって隠したいことはあるだろ?」
どうやらそういうものらしい。
確かに、魔術とは素養であるが、それ以上に教養である。そして彼らにとって、教養、知識といったものこそが武器となるのだ。
更に、上級者ともなれば、それぞれ己の持つ特性、才能といったものに合わせて魔術を組み換え、編み直して使う者もある。杖などの魔術を使う道具とて、戦術の一端。当然、明かすわけにはいかない、ということなのだろう。
だが、ジェット達としては、それでは困るのだ。
「それはいいが。あんた、例えばアマーレンに着いた途端に戦闘になるとしたらそうも言ってられないんじゃないのか」
「……おい、ちょいと待て?アマーレンに着いた途端に戦闘?どういうことだ?」
「その可能性があるというだけだ」
リリアナはジェットに鋭い視線を向けるが、ジェットは適当にはぐらかす。
……だが、リリアナも、その可能性には気づいていた。
「ま、私がわざわざ狙われたんだからな、アマーレンが狙われる可能性も高い、か……そりゃそうだ。それに可能性ってだけなら、何でもそうだし」
リリアナはため息を吐くと首筋を掻きつつ視線を斜め上の方に彷徨わせ……自らを納得させるように1つ、頷いた。
「よおし。分かった。助けてもらった分は返すって言ったばっかだしな。なんかあったら本当にヤバいし……とりあえず、杖があるのが一番だ。当然だけど、いい物の方がいい。安物だとすぐ駄目になっちまう」
「杖にも良し悪しがあるのか」
ジェットが尋ねると、リリアナは大きく頷いた。
「当然。使ってる石とか、金属とか、細工とか……刻んである呪文とか、仕込んである諸々とか。色々あるんだ。相性も当然あるけどな、やっぱり高い奴はそれなりに強い」
そうか、と言って、ジェットは自らの記憶を辿る。
ジェットは杖を使わないので、杖をよく見た事もあまり無いが、それでも、武器屋の類で見かけた事なら数度ある。
そしてそれらは、大抵がそこらの剣より余程高価な代物なのである。魔術を使う連中は大変だな、などと思ったくらいだ。
「相性はどうだ?術師と杖の相性によっては、使えないものもあると聞くが?」
「ああ、それなら心配ご無用。大抵の杖は使える。そんなに杖を選ぶ術師じゃあない。勿論、選べるんならとことん選びたいけどね、その場しのぎなら適当な杖1本で事足りるさ」
「そうか」
話を聞いて、ジェットは思う。
もし本当にアマーレンに着いてすぐ戦闘することになったとしても、適当な杖が1本あれば、ひとまずの戦力にはなりそうだ。
例えば、『ジェットを』閉じ込める結界を作るくらいなら。
「ああ、そうだ。それから、『アマーレンに着いてすぐに交戦』なーんてことになっちまったら……」
ふと、前方を見据えたリリアナは言った。
「門抜けた先、真っ直ぐ街道進んだとこ、パン屋の右にある杖屋に連れてってくれ。ああ、ついでにドアをぶち破ってくれるとありがたいな。この時間だとあそこのオヤジ、まだ寝てるだろうし」
「そんなことは自分でやれ。私は御免被るぞ」
「それが残念。私、魔術使えないと只のカヨワイ女の子なんだわ、これが」
けらけら笑うリリアナは、しかし、前方を睨むように見据えて、顔を引き攣らせた。
「……で。あんた達、もしかしてホントに疫病神かなんかなの?」
「疫病神はあっちだ。私ではない」
朝日に照らされるアマーレンの大聖堂は、赤く明るく……燃えていた。
「と、止まれーっ!」
アマーレンの街門前で、律儀に兵士が槍を構える。だが、既に燃えている大聖堂の塔が見えているのだ、止まる訳にはいかない。
「悪いが通るぞ!」
馬の脇腹をしめ、オーガスとジェットはそれぞれに馬を駆り立てる。人を乗せてここまで走った馬だが、まだまだ十分に動いてくれた。
全く止まる意思の無い馬2頭と、人3人。
兵士達は門を守る事よりも、馬に撥ねられないように逃げることを優先した。
「ったく、なんだって町の結界の中に魔物が入り込んでるんだよ!聖堂の連中は何やってやがる!」
門を超えて町の中に入れば、既に逃げまどう人々の姿と魔物の姿が見受けられた。
また、魔物達を相手に戦う、聖騎士達の姿も。
「……出遅れたな、くそ」
舌打ちするオーガスは、当然のように町の被害より、自らの手柄の事を考えている。
「いーや!まだ諦めるのは早い!まだまだイケる!」
だが、リリアナは少々別の事を考えていたらしい。
「私なら、この町の結界を張り直せる!一発デカいのブチかましてやれば、中の魔物もかなり無力化できる!だから……」
「分かっている!パン屋の右だったな!」
そして両者共に、結果こそ違えど、次の行動は合致していたのであった。
「精々働いてもらおうか!お前を助け出したことを私に後悔させるな!」
「へーへー。ま、見てなって!」
馬の走る先に、パン屋の看板が見えてくる。そして、その隣にある、杖の絵柄の看板も、また。
素早く馬を停めると、オーガスは扉を叩いた。
「おい!開けろ!」
だが、扉の奥は静まり返っている。
「だーから!無駄だって!ここのオヤジ、寝坊助なんだ!まだ起きちゃいねえって!あんたの剣でやっちまってくれ!」
「魔法剣でか!?その奥に店主が居たら店主まで斬れるぞ!?」
「……貸せ」
2人のやり取りに割って入ったのはジェットだった。
ため息を吐きつつ外套を脱ぐと、露わになった左腕を振りかぶり……ドアを殴り抜いた。
バキリ、と鈍い音がして、見事、化け物の拳がドアを貫く。
そのままジェットは腕を突っ込み、内側からドアの鍵を開けた。
「開いたぞ」
「おう!……おい、オヤジー!邪魔するよー!」
ドアを開けば、ドアを殴り壊した音よりも遥かにけたたましく声を上げながら、リリアナは店内へとずかずか入っていく。
「お、おおおお!?嬢ちゃん、なんだってここに」
「るっせ、話は後だ、後!おいオヤジ、これとこれ貰ってくよ!金はツケといてくれ!」
「は、はあ!?いくらあんたでもそりゃ」
「ありがとな!もう寝てていいぞ!」
「おい!おい!ちょっといくらなんでも酷くねえか!?おい!」
店主の声を振り切るように出てきたリリアナにつられて、ジェットとオーガスも走り出す。
強盗の仲間という、不名誉から逃れるため。
「何故我々が強盗の片棒を担がねばならない!?」
「ちょっと優しく借りるだけだって!」
「完全に強盗だ……」
「あー!金も後で払うって!そんなことより!」
走りながら、リリアナは大聖堂を指さす。
「とりあえず大聖堂だ!あそこが町の中心だし、何より一番高い!あそこで結界、張り直すぞ!」
オーガスは何か言おうと、口を開いた。だが、それより先に、リリアナの笑顔と言葉が遮る。
「あんた達の仕事は、結界を張る私の護衛だ。大丈夫、損はさせない。私を助けた価値はあったって、しっかり思わせてやるよ。……あんた達だけじゃなくて、周りの連中にも、ね」
「……ほう。分かっているではないか」
オーガスもまた、口元をほころばせて剣を抜いた。
「ならばいい。しっかり貴様の身は守ってやろう!」
見据える大聖堂までの道には、逃げまどう人々と……数体のガーゴイル、そして、1体の石巨人の姿がある。
「私はゴーレムをやる。ジェット、お前はガーゴイルを1匹も逃がすな。こっちの片がつき次第、加勢してやる」
「あんたが来る前に終わらせたいがね。……なあ、リリアナ」
「おう!分かってる、あんた達の援護は任せろ!」
「いや、違う」
早速、ゴーレムに向かっていったオーガスを追いつつ、ジェットはリリアナに、言った。
「小規模な結界でいい。俺とガーゴイルを閉じ込めておいてくれ」




