3話
ジェットは寝台の上で目を覚ました。
見覚えのない部屋の風景に戸惑うが、窓の外を見ればフォレッタの中であることは推測がついた。
一通り血や泥を清められていることや服を着替えさせられていること、そして何より、寝台の傍らに簡素な食事と、ジェットの荷物一式、剣、ナイフ……そういったものが並べてあるのを見て、特に危険な状況ではないことを察した。
未だ、頭の芯を揺らすような吐き気と目眩は残っていたが、体は一通り『復元され』、動くようになっている。ジェットの記憶では最後、魔虫が蓄えていた魔力が尽き、周囲の魔力をちびちび吸収しては体を再生するしかない有様になっていたが、その再生作業も無事、終わったらしい。
つくづく、再生し終えるまで目覚めなくてよかった。
ジェットは安堵のため息を吐きつつ装備を一通り整えると、食事を摂り、そして部屋の外に出た。
部屋を出てすぐ、この場所が存外大きな建物であったことに気づく。長い廊下の両脇に部屋が並ぶ様子を見る限り、ジェットが部屋を取っている宿よりも大きな建物であろうと予想された。
フォレッタで宿以上に大きな建物と言えば、領主の邸宅か、教会か……フォレッタの兵や、他の戦士達が利用するための、兵舎か。
領主の邸宅にしては室内の調度品は素朴なものであったし、教会にしては人の気配が忙しない。となれば、ここは兵舎か。
そこまで考えたジェットの推測を裏付けるように、廊下の角の向こうから、鎧の音と密やかな話し声が聞こえてきた。
「……の言う通り、オーガスはもうダメだ。あんな得体の知れない化物、運び込むなんて正気じゃない」
「ま、所詮は貴族の四男坊風情、ってわけだ。自力で手柄がとれないなら怪物頼み、か」
「どうすんだかな、あの怪物。あんな不気味な奴、まさか戦力として使うわけじゃあるまいし」
「というかあれ、どういう仕組みなんだ?何らかの魔術なんだろうが……本当にあれが人間なのかも怪しいよな」
廊下の角から現れたのは、案の定、2人組の兵士だった。
不運にも彼らは廊下を曲がってすぐ、話の種にしていたジェットの姿を認める。そして凍りつくように歩を止め、口を噤んだ。
「すまないが」
ジェットが近づく間、2人の兵士は哀れなほどに青ざめ、しかし逃げることはしなかった。
「ここの責任者と話がしたい。案内してくれないか」
兵士2人ははじめ、ジェットの言葉の意味を理解できないとでもいうように固まったままであったが、ジェットが特に何もせず、じっと返事を待っていると、やがて2人は顔を見合わせ、頷いた。
「わ、分かった。ついてこい」
「助かる」
ぎこちないながらもそう言い、歩き始めた兵士達の後をついて、ジェットも歩き始めた。
尤も、兵士2人があまりにも背後を警戒するので、それなりに距離を取ってついていくことになったが。
兵士の1人がドアをノックしドアの向こうに何かを言付ける。その様子をぼんやりと見ていたジェットは、やがて促されて部屋の中へと入った。
部屋の中、書物机越しに向かい合うこととなったのは、如何にも貴族然とした男であった。
眩い金の髪に、夜明けを思わせる紫の瞳。白銀の鎧を纏う凛々しい姿は、町娘達が憧れる騎士そのものである。
だが、眼差しがあまりにも鋭い。何よりその視線には、警戒だけではなく嫌悪も存分に含まれている。
兵士達が部屋を出ていくと、ようやく、男は声を発した。
「お前が例の化け物か」
身も蓋も無い言い様である。無礼極まりない。ジェットとしても、思うところが無いわけではない。
「ジェット・ガーランドだ」
だが、ジェットは名乗るだけに留めた。文句の1つも言う気力が無い。薬の副作用で未だ、頭はぼんやりとしている。
「ではガーランド。突然で悪いが、貴様の身柄はこの私、オーガス・エメルドが引き受けている。貴様が慎みを持っているのであれば、今暫くの間、それほど不自由の無い生活を保障してやろう」
「……俺は捕虜か何かか?」
流石にジェットも、これ以上ぼんやりとしてはいられない。皮肉交じりに不平を漏らせば、オーガスは鼻で笑って答えた。
「化け物の処遇としては十分だろう。枷が欲しいならくれてやるが」
ジェットは諦め混じりに嘆息した。オーガスの態度は腹立たしいが、確かに『化け物の処遇としては十分』だ。
ジェットは過去に、これより余程酷い待遇をされたこともある。そして今回は、『身柄を引き受けている』とはいえ、剣も荷物も没収されていない。そう、剣も、だ。
ある種、ジェットを理性ある1個人として見ているが故の対応であろう。『化け物』ではなく。
そう納得したジェットは、待遇についての不平を言うことは無かった。
……だが。
『化け物』扱いされた方が余程良いこともある。
ジェットが最も好まないのは、ジェットを『牙の抜かれた獣』として扱おうとする手合いである。
要は、『舐められたら困る』。
それはジェットがこれまでの人生で学んだ処世術であり、そしてジェット自身の矜持でもあった。
「枷か。付けたきゃ付けてくれても構わないが、無駄だからな」
ジェットは薄く笑みを浮かべさえしながら、オーガスに1つ、『忠告』してやることにした。
「簡単に外せる。手足を切り落として枷を外せばいいだけだ」
ジェットの言葉に、流石のオーガスも目を剥いた。
「手足を切り落とせば……だと?」
「ああ」
正気とは思えん、とオーガスが零せば、ジェットはますます暗い笑みを深めた。
それを見て、ふと、オーガスは真剣な表情を浮かべる。
そして、腰に佩いた剣を抜いた。
一閃。
オーガスはジェットの腕を狙って剣を振り、そしてジェットはそれを避けることもしなかった。
ぼとり、と、右手が落ちる。
だが。
「……おぞましいな。これは、何だ」
オーガスが苦い顔をする前で、ジェットの手が再生されていた。
切断面から骨が生え、肉が盛り上がり、皮膚を纏って元の形へと収まっていった。
「見ての通りだ」
「見て分からぬから聞いている」
「俺は死なない。手足が切り落とされようが、頭を潰されようが、死なないんだ。すぐに再生する」
「……呪いか?」
オーガスの表情には恐れよりも嫌悪の色が強い。だが、特に騒ぎ立てることも無く、質問を重ねる。
「似たようなもんだ」
ジェットの返答に納得したのかしないのか、曖昧な表情を浮かべたまま、オーガスは剣の血を手布で拭うと鞘に納める。
そして再び、椅子に深く身を沈めた。
「成程、道理で魔物の軍勢に1人で立ち向かえる訳だな。所詮は死なない体なのだから惜しくもあるまい」
「理解が速くて助かる」
皮肉めいたやり取りをしつつ、オーガスは考える。
こいつは使える。
不死身の兵だ。単なる戦闘力としても期待できるが、それ以上の使い方だってできる。
例えば、単身敵地へ乗り込むこととて、不死身の兵にとっては無謀でも何でもない行為だ。
或いは、人柱を必要とする場面でも、不死身の兵が居れば犠牲無しに切り抜けることができる。
罠の仕掛けられた道を先に歩かせるのにも都合がいい。
……試す価値はある。
オーガスは、ジェットに恐怖と嫌悪を感じる自分自身を抑えつけ、利を取ることにした。
「ジェット・ガーランド。貴様の不死はおぞましい代物だが、価値はそれを補って余りある程に有る。そこで、だ。貴様に提案がある」
オーガスは一呼吸置くと、ジェットの目を見て切り出した。
「我が騎士団と……いや、私と組まないか」
「フォレッタの北にある丘陵地帯は知っているか」
「ああ」
机上に広げられた地図を指先で追いながら、オーガスは説明を続ける。
「では、丘陵地帯の中央近辺にある古城は」
「随分前だが、行ったことがある。中には調べられる限りでは特に何もなかったが」
ジェットが答えると、オーガスは明らかに顔を顰めた。
「……あの古城は古の魔術を封じている場所だ。周囲にも破壊の魔術結界が施されている。危険なために立ち入り禁止となっているはずだが」
「ああ、多分その魔術結界とやらで何度か粉微塵になったな」
オーガスは早速、不死の人間との感覚の違いに参りかけてきたが、気を取り直して続けた。
「それなら話は早い。貴様にはもう一度粉微塵になってもらいたい」
今度はジェットが顔を顰める番だった。
「できれば遠慮したい。確かに俺は不死身だが、自ら進んで自分の体を挽肉にする趣味は無いんでね」
「だろうな。だがまあ聞け。我々は此度のフォレッタ侵攻について、疑問を持った。何故、急に魔物が現れたのか。第一陣で魔物をほぼ全滅させておきながら、何故すぐに第二陣を送ってこられたのか」
声のトーンを落として、オーガスは続けた。
「原因は古城にあった。あれは古い魔術を封じていると言ったがな、どうやらその封印が解けたらしい」
「それは『解けた』のか?」
「解かれた、と言った方がいいだろうな。そして解いた者は誰かといえば、もう貴様にも見当が付いているだろうが……」
「……魔物か、或いは魔物に与する人間」
「分かっているならいい。問題は、封印されていた魔術だ。古い文献を漁ってみたところによれば、その魔術はどうやら、魔物を生み出す術らしい」
「信じがたいな。何故そんな重要な情報をお前が知っている?」
ジェットの反応にオーガスは、さも当然、とでもいうように答えた。
「私はエメルド家の者だ。平民には知り得ないことも貴族には明かされることがある」
エメルド、の名はジェットも聞いたことがあった。エリオドールに属する貴族の中の一つだ。尤も、関わりを持ったことはない。ジェットはオーガスが言うところの『平民』であったし、そもそも貴族連中に興味はなかった。
「それもおかしな話だな。他の貴族は何をしている?貴族の中でもエメルド家にだけ情報がもたらされたとでも?」
「それは貴様が気にすることではない。貴様が考えればいいのはこの後の話だ」
ジェットは情報の信憑性を確かめたくもあったが、ひとまず続きを聞くことにした。
「だが、問題の魔術は城内に有る。そして城内に侵入しようにも、例の破壊の結界がある。人間には近づけん。そこで、だ」
「貴様には結界内部へ侵入し、内より結界を破ってほしい」
「一つ、確認したい」
ジェットが言うと、オーガスは黙って続きを促した。
「その話に俺が乗って、俺に何の得がある?」
ジェットの問いに、オーガスは『なんだそんなことか』とでも言いたげに、面倒そうに答える。
「成功の暁には褒賞を与えよう。何なら希望の額をくれてやるが」
「悪いが金にはそんなに困っていない」
だがジェットは言葉通り、金にはそう困らない。
ジェットは傭兵として各地を渡り歩き、そこで一定以上の戦果を納め、そして決して死ぬことがない。
そして金を使うことがあるとすれば、消耗品扱いのナイフを買い足すか、薬の類を買うか、或いは食堂でひたすら食うか程度でしかない。
豪遊する趣味は無い。装備のこだわりもそれほどない。何なら、食わずとも死にはしないし、そこらの獣を狩って捌いて食えばいい。
勝手気ままな不死身の一人旅に金がかかるわけがない。よって、ジェットはそうそう、金には困らないのだ。
「そうか。ならば何を望む?名誉か?地位か?」
いよいよ面倒だ、と思いつつオーガスは問う。するとジェットは、その瞳に自棄でも諦めでもない色……憎悪か、はたまた狂気か。そういったものをチラリと表しつつ、答えた。
「魔物の殲滅」
ジェットの答えにオーガスは一瞬、ぽかん、としたが、続いて笑いだした。
「なるほどな、貴様は根からの戦闘狂というわけか!ならばあの戦い方にも納得がいく!」
オーガスは笑いを収め、しかし笑いの残滓の残る表情の中、口元を歪めた。
「……或いは、復讐か?」
ジェットの無言を肯定と見て、オーガスはより一層満足げに目を細める。
「そうか。随分と安上がりな奴だ。無論、貴様の望みがそうであっても褒賞は出すが」
満足げなオーガスとは対照的に、ジェットは笑みではない形に目を細めた。
「なら分かっただろう。俺はお前と組む利が無い。俺一人でも十分、古城への侵入は果たせる」
「そして魔物を1人で殺せば事足りる、と?……ならば貴様に大切なことを教えてやろう。『貴様1人では魔物の親玉を殺せない』とな」
ジェットは何を問うでもなく、黙ってオーガスを見続けた。ジェットの睨むような眼差しをせせら笑って、オーガスは続ける。
「貴様は先程、古城について、『中には調べられる限りでは特に何もなかった』と言っていたな」
「ああ」
ジェットは記憶を辿りつつ、答える。
確かあの時はふらり、と古城の中に入り(その過程で数度、『粉微塵』になっているが)、野営場所として古城を使うとともに、一通り、城内を探索した。
勿論、城内に不審なものは無かったし、魔物など気配すら無かった。多少、魔物の存在を期待していたジェットはがっかりしたものだ。
「あのような古の時代の産物には、魔術による隠し扉があるものだ。貴様はそれを見つけられなかった、ということだろう」
ジェットは少しばかり気分を害したが、ジェットに魔術の才覚が碌に無いということは本人が最もよく知るところである。
そんなジェットの様子を見て、オーガスは笑みを深めた。
「私はある程度、魔術の心得がある。破壊の結界を破ることはできずとも、魔術による隠し扉を破るくらいはできるだろう。ジェット・ガーランドよ。魔物を殲滅したいというのならば、私と組め。貴様一人では古城に侵入したところで何も成せまい?」
自信に裏付けされた尊大な笑みに、ジェットはより一層表情の温度をなくしながらも……。
「ああ、分かった。手を組もう」
……一つ、確かに頷いたのだった。
「決まったな。ならばガーランド。もう今日は休め。明日の昼、出発する。それまで精々骨を休めておくがいい」
オーガスは立ち上がると、話は終わり、とばかりに、パン、と手を打った。
「兵舎の設備は自由に使ってくれて構わない。食事は食堂で好きなだけ摂れ。眠るなら貴様が寝ていた部屋を使え。……ああ、そうだ。貴様のことは他の兵に連絡しておく。いいな?」
ドアノブに手を掛けていたジェットは振り返ると……にやり、と笑った。
「連絡は好きにしてくれて構わないが。1つ、いいか」
「……何だ」
ジェットの表情の変化を訝しむ様子を見せながらも、オーガスは一応、といった体で聞く。
「好きなだけ、食うぞ。いいんだな?」
数時間後。
オーガス・エメルド率いる騎士団の団員全員に、ジェット・ガーランドについての情報が共有された。
即ち、不死身であることと、今回の作戦に協力すること、の2点について。
兵士達は『化け物』が味方に付いた、という状況に恐怖し、嫌悪しはしても、歓迎はしなかった。無論、ジェットがどのように作戦に協力するのかが明かされれば、渋々、といった様子で納得したが。
……それから。
騎士団員達は皆、ジェット・ガーランドについて、もう1つ、知ることとなる。
「……まさか胃袋まで化物とは、な……」
食堂に来たオーガスは、ジェットの様子を見て、顔を引き攣らせた。
騎士団員……オーガスも含めて全員が、知った。
ジェット・ガーランドは、怪異的な大食いである、と。
食堂で1人、ジェットだけが涼しい顔で、ただひたすらに食っていた。