23話
ジェットが知らない間に、ソルティナには新しい買取屋が増えていた。
店のドアを開けると、軋むような音と共に、割と新しいらしいベルがカラリ、と鳴った。
その音に目を覚ましたのだろう、カウンターに突っ伏していた男がむくり、と上体を起こしてジェットを見た。
「……いらっしゃい。買い取りかい?」
「ああ」
とりあえず、といった様子で発された言葉に答え、ジェットはカウンターへ近づく。
カウンターの男もまた、すっかり目を覚まして、商売道具を取り出し始めた。
取り出された箱には、針やナイフがしまわれている。古びて使い込まれてはいるが、丁寧に手入れしてあることもまた、分かった。
「じゃあ、何を売ってくれる?血か?」
「今、高く売れるのは何だ」
だが店主は、ジェットの問いに、ぴたり、と動きを止めた。
「……あんた、余程訳ありかい?」
「まあ、訳はあるが」
ジェットの様子に何を思ったのか、店主はため息を吐いた。恐らく、憐憫の思いを込めて。
「……今高く売れるのは目玉だね。なんでも、どこぞのお貴族様用に大規模な結界を張るのに目玉が必要らしくてね。『とりたて』なら、そうさね……金貨10枚は出せるよ」
「随分と足元を見るんだな」
「困った事を言ってくれるなよ、兄ちゃん。こっちだって危ない橋渡ってんだ。もっと高く買ってほしいなら他所行きな」
店主はにべもなくそう言うが、道具の準備はやめない。分かっているのだ。ジェットは絶対に何かを売る、と。
こんな場所に来る時点で、その人間は切羽詰まっている。金が無ければ、体よりも大切な何かを失う。ここは、そういった人間だけが来る場所なのだから。
ジェットは少し考えてから、結論を出した。
「分かった。それでいい。ついでに血と、他に高く売れそうな内臓があったらそれも売りたい。それから、手か脚も」
「正気とは思えないね、あんた」
流石にこれには、店主も驚いたらしい。目を見開いて、正直な感想を漏らした。
「……余程金に困ってるのか。まあ、俺の知ったこっちゃないがね」
「買い取ってもらえるか」
店主は溜息交じりにそろばんを弾くと、さらさらと紙に何事か書きつけて、ジェットの前に出した。
「なら、目玉片方と血を大瓶に1本、腎臓と左腕。これで金貨36枚。どうだい」
「悪くない」
ジェットは差し出された紙……契約書にサインする。
そして、店主の案内に従って、店の奥へと、足を踏み入れたのだった。
1時間程度で、作業は終了した。
「約束の金だ」
じゃらり、と鳴る金袋を手渡され、ジェットは右手でそれを受け取った。
「毎度。二度と来るなよ」
「ああ。また来るかもな」
そして包帯を巻いた顔に笑みを浮かべて、ジェットは意気揚々と店を後にしたのだった。
……包帯を巻かれた眼窩には、既に目玉が再生している。内臓も同様であったし、左腕に関しても、包帯を解けばすぐに再生が終了した。やはり、食事を大量に摂った後は再生具合がとてもいい。
ジェットはまたしてものんびりと、ソルティナの裏通りを歩き始めるのだった。
そうしてジェットが、ソルティナ中の人体買取店をハシゴしている頃。
オーガスは悠々と遅い朝の時刻まで眠り、それから近くの店で簡単に軽食を摂り、店を回って、今後の旅に必要そうな物を買い集めた。
何せ、ほとんどの荷物を失った状態から始まった2人旅だ。ジェットにしても、必要最低限をやや下回る程度の物品しか持ち合わせていないのだ。このままだと何かと不便である。
着替えや携帯食料(当然のようにジェットの分は考慮していない)を一通り買い揃えたところで、約束の正午に近い時刻になった。
一度宿に戻って荷物を置き、身支度を整え、再び宿を出る。
向かう先は、ソルティナの表通り。
そこにあるのは、裏通りのような刹那的で虚ろな華やぎではない。
ただひたすらに明るく、華やかで、平和。
発展と豊かさを感じられる大通りは、見渡せばそれなりに上流階級の人間も多く行き交っている。
王都イスメリアや聖都アマーレンもそうだが、ここソルティナも、貴族の人気が高い。何せ、娯楽の町なので。
だが、オーガスはそれほどこのソルティナに来たことはない。騎士としての任務中に数度、訪れただけだ。
他の兄弟たちは幼少の頃から折に触れて、母に付いてここに来ていたようだが。
……だが、そんなオーガスも、兄ユリアスが宿泊している宿の事は知っていた。
ソルティナで最も値段の高い宿だ。言わずもがなの貴族御用達、むしろ、貴族専門と言ってもよい宿である。
大通りでも目立つその建物の前に立ったオーガスは、これから始まる愉快ではないであろう兄との会話を想像し、少々渋い顔をしながら宿の扉を開いたのだった。
「どうぞ。こちらがユリアス・エメルド様のお部屋でございます」
オーガスを案内した女中は、宮中に仕えているとしても何らおかしくない所作で完璧に一礼すると、これまた優雅に去っていった。
オーガスは女中が廊下の角を曲がった事を見届けてから、重厚感のある樫の扉をノックした。
「入れ」
中からぞんざいな返事が聞こえてから数拍分の間を置いて、ドアを開ける。
室内は豪華絢爛であった。部屋の広さや調度は貴族の屋敷のそれと言われても何ら違和感がなく、部屋の隅に兵士や女中が控えていることもまた、それらしさに貢献していた。
兵士は無論、ユリアスが率いるエメルド家第二騎士団の兵士なのだろうが、女中はこの宿の者だ。
流石は貴族御用達の宿である。この宿では、専門に面倒を見てもらう女中を数名付けられる。ユリアスは追加の金も払っていると見えて、室内に控える女中はそれなりの数が居た。
……そして、部屋の中央。
磨き上げられた樫のテーブルの向こう側に、不機嫌そうに座る人物こそが、エメルド家三男にしてオーガスの兄。ユリアス・エメルドである。
オーガスはユリアスの不機嫌そうな顔を見ると、いっそ上機嫌なまでの笑みを浮かべて、大股でユリアスへと近づいていった。
「久しいな、兄上」
そして座ったままのユリアスを見下ろすようにしながら、如何にも親し気に声を掛ける。
「先日は、フォレッタで、どうも」
オーガスとユリアスはよく似ている。ユリアスに限らず、上2人の兄とも、互いによく似ていた。
眩い金の髪もそうだが、顔立ちもまた、血が繋がっている事を証明するに十分な程、よく似ていた。造形は少々、オーガスの方が良くできているだろうか。(少なくともオーガスはそう思っている。)
……だが、瞳だけは、違った。
「フォレッタで?一体何のことだ?」
しらばっくれるユリアスは、エメラルドの如き緑の瞳をより一層不機嫌そうに細める。
「とぼけるなよ。貴様のところの兵卒が情報を吐いてくれた」
オーガスは紫色の瞳に憎悪を燃やし、ユリアスを睨みつけた。
ユリアスは何を聞いてもしらばっくれるつもりだろう。オーガスがユリアスの立場だったとしてもそうする。
……オーガス自身が非常に嫌っている事だが、2人はよく似ていた。外見だけではなく、その内面までも。だからオーガスは、何を言えばユリアスが情報を漏らす気になるか、なんとなく分かる。
「単刀直入に言うが。私としては、最早貴様の事などどうでもいいのだよ、兄上」
「……なんだと?」
「今や私は、古代種のドラゴンを殺した竜殺しだ。片や、兄上。そちらはどうだ?何か功績を残せたか?……私の足元にも及ばない者の事など、どうでもいい。そういうことだ」
ここまで言えば、平静を保とうとしているユリアスも、流石に頭に血が上ったらしい。より一層、不機嫌を表情に表しながら、しかし、オーガスの言葉を鼻で笑った。
「さぁて、どうだかな。ところで弟よ。先程、フォレッタの話をしていたが。お前の軍は何所に行った?フォレッタへは私も行こうと思っていたが……まさか、兵士達を全滅させた訳じゃあないだろうな?」
ユリアスはそう言って嘲笑う。だが、オーガスがそれに激昂することはなかった。
「ああ。全滅した」
静かに凪いだ海のような、いっそ恐ろしいまでに穏やかな笑みを浮かべながらあっさりと、肯定したのである。
ユリアスは多少、面食らったようだった。ユリアスの知るオーガスは、このような穏やかな笑みなど、浮かべない。きっと侮辱されたことに怒って理性を失うだろうと予想していたのだ。
「はは、そうかそうか。エメルド家から預かった兵士達を、そんなにあっさり」
「本来なら死ぬのは私だったのだろうがな、まあ、私は生き残ったさ。だが、貴様の差し金で私を裏切った兵士達は皆、死んだ。死に方も壮絶なもので……」
オーガスはユリアスの言葉を遮って話し続ける。
穏やかに凪いだ笑みは次第に深くなり、次第に目だけが爛々と輝く。
「……聞きたいか?いや、聞きたいだろうな?間接的とはいえ、貴様が手に掛けた兵士達の末路だ。さぞ気になるだろうな?」
オーガスは、激昂しなかった。
何故ならこれは激昂した程度で収まる怒りではないから。深すぎる怒りと置いた時間とが楔となって、オーガスの理性を繋ぎ留めているのだ。
「よく聞くがいい、ユリアス・エメルド。貴様の愚かさが引き起こした災いを、私が如何にして潜り抜けたのか。そして、兵士達が如何にして、殺されたのか。全て、話してやる」
そして何より、オーガスは死線を潜り抜けた。その重みが、ユリアスを圧倒する。
「私が話し終わったら、貴様の番だ。全て、話してもらう」
ユリアスの目の前に居るのは、ユリアスの知る弟ではなかった。
ユリアスの知らない、1人の戦士がここに居る。
「貴様は大方、古城の仕組みを知らなかったのだろうな。密偵の女から私を殺すよい機会だと持ち掛けられただけなのだろう。詳細は何も知らなかった。違うか?」
ユリアスはオーガスを睨みながら口を噤んだままだったが、オーガスは気にせず続けた。
「私は兵士達に裏切られ、古城の一室に閉じ込められた。そこに居たのは、恐ろしいまでに統率された魔物の軍だった」
「……魔物の?」
「ああ。そうだ。私はそいつらを皆殺しにして、先へ進んだ。……すると、な。先へ続く隠し扉があり、その先に……血の池があった」
今も鮮明に思い出せる。
濃く血生臭さの漂う空気。血を浴びて笑う、狂った女。そして。
「見るもおぞましい光景だったよ。その血の池の中央で、貴様に計画を持ち掛けた女密偵が血を浴びては狂ったように笑っていた。そして血の池には……私を裏切った兵士達が、気が狂った状態で、浮き沈みしていた」
何より、自分と共に戦い、自分を守るはずだった兵士達が、自由も正気も人間としての誇りさえも失って、傀儡となって襲い掛かってきた。
「あの女密偵が、魔物や私の兵士達の正気を奪い、操っていたのだ。……私は気が狂った兵士を何人も殺した。ああ、間接的に兵を殺したのは貴様だが、直接殺したのは私なのかもしれないな。だが悪いことをしたとは思わん。結局、兵士達が正気を取り戻すことはなかったからな」
思い出すに、おぞましい。兵士を斬り殺した時の感覚は、未だ、オーガスの記憶に生々しく残っている。
そして、狂気の女密偵をジェットが殺し、それでも、正気には戻らなかった兵士達を見て感じた、あの絶望感も。
オーガスは目の前で息を呑むユリアスを見て、言った。
「……さて。ここまで話せばもういいな?兄上。貴様が組んだ相手は、魔物と繋がりのある連中だったのだ。さあ、相手が誰だったのか、吐け。今ここで吐かないのなら、貴様を魔物の手先と見做し、ここで斬り殺す」
ひゅ、と風を切る音が響くと、ユリアスの首筋にオーガスの剣が添えられていた。
「さあ、話せ。手遅れになる前に」
「女密偵自身は魔物使いだと言っていたが、上の者についてはよく分からない。女密偵の上の者と会ったのは、一度きりだ。詳しいことはお互い知らない方が身のためだからな、聞かなかった」
……結局、ユリアスは、話した。
要は、屈したのだ。
自分が犯した過ちの重さに。これから起こるかもしれない惨事への恐怖に。そして、オーガスの凪いだ怒りに。
「それからは女密偵とやり取りをした。なんでも、フォレッタの古城には古い魔法の結界や、魔物を生み出す術式が眠っているらしい、と。到底、魔術師も無しに攻略できる場所ではない、と聞いて……お前にフォレッタの古城の情報を流すように指示をしたんだ」
オーガスは多少、引っ掛かりを感じていた。
結界はともかく、『魔物を生み出す術式』。そんなものは、古城には無かった。
無論、女密偵のでまかせだったのだろうが……。
「報酬として金貨100枚と、欲しがった宝石をくれてやった。個人的に興味がある、と言っていたから、図書室を見せてやったか。……それから、魔物を結構な数、殺した。女が使役する魔物、ということだったが。我が軍の訓練がてら、丁度いいと思ったんでな。しかし、今思うとあの数の魔物をどうやって調達して……おい、どうした?」
……ふと、オーガスの脳裏に、古城の光景が蘇る。
恐ろしい数の魔物達。
あれは一体、どうやって調達していた?外から運び込んだのか?
そして、血の海。
あれは吸血鬼か何かの為に、血の海を生み出すような仕掛けが城に施してあるのだろう、などと考えたが……もしや、アレは。
オーガスは恐ろしい想像をした。
……フォレッタ防衛戦も。古城での戦いも。そして、今回、ソルティナに攻めてきたドラゴンも。全ては、前哨戦だったのではないか、と。
「そうか。他には」
オーガスは嫌な予感を振り払うように、ユリアスを問い詰める。
「他はそれほど多くない。女密偵とのやり取りだってそれほどの回数は重ねなかったんだからな。途中で連絡もつかなくなって……いや、それはお前に殺されたからか……」
ユリアスはそう言ってから、オーガスの手前、そして自分の首筋にあてがわれたままの刃の手前、言うべきではなかった、と後悔した。だが、オーガスは特に動く様子はない。
「それだけか?」
「いや……」
更に尋ねられ、ユリアスは言い淀んだ。だが、睥睨されると続きを話す。
「……貴様がフォレッタへ発った翌々日に……素晴らしい能力を手にする方法がある、と、持ちかけられた。誰をも出し抜ける能力だ、望みを叶える能力だ、勇者すら殺せるほどの力だ、と。……他の貴族にも、声を掛けている、とも」
オーガスは直感した。
ユリアスの言う『素晴らしい能力』とは魔虫の事だ、と。
結局、他にユリアスからまともな情報は出てこなかった。
元々がオーガスを殺せればどうでもよかったのだろう。まさか自分が謀られていると思わないあたり、流石に血は争えない。兄に過去の自分自身の姿を見たような気がして、オーガスは顔を顰めた。
そして、剣を持つ手に力を籠め……剣をユリアスの首筋から外すと、鞘に収め、席を立つ。
……あのまま、剣を振り抜いてやってもよかった。
幼少期から敵対していて、今回は自分を殺そうと魔物と手を組み、結局はそれにすら失敗した愚かな兄。憎むべき敵。殺した方が自分にとって利になる相手。こんな人間、殺したっていい。同族嫌悪以上の親しみなど何所にも存在していない。
だが、悲しいかな、こんな人間でも兄は兄だ。血の繋がった家族、互いに尊い血の流れる者同士。
ここでは人目もある。ここでユリアスを殺せば、オーガスは生涯、兄殺しの汚名を着せられて生きていくことになるのだ。
だから、オーガスは剣を収めた。だが決して、嫌悪と憎悪を収めた訳ではない、と、自分自身に言い聞かせながら。
「ではな。二度と私を謀ろうなどとしないことだ。次は無いぞ」
唖然とするユリアスにそう言うと、オーガスは部屋のドアへと向かう。
「……1つ、聞かせろ」
だが、背後から掛けられた声に、振り返った。
「どうぞ、兄上」
見れば、ユリアスは未だ混乱したような様子であった。何せ、自分が殺そうとした弟が生きていて、更に、恨まれているにも関わらず、特に何もされなかったのだから。今回のオーガスの行動は、ユリアスの理解を超えていた。
だがユリアスは、オーガスへの質問を間違えなかった。即ち、今後、自分の糧とすべく、尋ねたのだ。
「オーガス。お前は、一体どうやって、フォレッタの古城を生き延びた」
オーガスは冷たい目でユリアスを見ると、冷笑を口元に浮かべた。
「なに。1人では何もできない哀れな悪魔と手を組んだだけの事だ」
それだけ言うとオーガスは部屋を出て、後にはぽかん、としたユリアスだけが取り残されたのだった。
オーガスは宿への道を急いだ。
最悪の事態が起きた時の為、対策しなくては。そしてそれを、ジェットにも伝えなければなるまい。
……非常に、腹立たしい事だが。




