2話
ジェット・ガーランドは不死身である。故に、死ぬ心配は必要無い。
だが逆に言えば、ジェットは不死身であるだけだ。
痛みには怯む。闘志を保てなくなる。そして何より、ジェットには才能が無かった。
魔力は人並みよりも少ない。
魔術の才には恵まれなかった。
人生の半分以上をかけた剣の腕も、所詮は凡人のものでしかない。
起死回生の戦術を生み出す頭脳など持ち合わせてはおらず、英雄達のように神の加護がある訳でもない。
……よって、『負けはしない』が、『勝てるとは限らない』。
ジェットの技量を遥かに超える相手と戦うならば、ジェットは再生の追いつかない速度で嬲られ続け、文字通り手も足も出ないまま永遠の苦痛を味わうのみとなるだろう。
それはジェット自身が一番よく知っている。
だが。
文字通り手も足も出ない相手、というのは少ない。
腕の一本、足の一本、何なら指の一本でもいい。
相手に僅かながら傷を負わせることができたなら……それはジェットにとって、勝利への布石となる。
積み重なる小さな傷。時間とともにすり減っていく相手の集中力。そうしている間に見えてくる相手の弱点。
ジェットはそれらを起点として、消耗戦に勝つことができる。
痛みによって体が動かなくなるのなら、麻薬めいた痛み止めを飲んでおけばいい。
闘志を保てないのであれば興奮剤を。
そして魔物を足止めするための結界。
……これだけあれば、1人で永遠に魔物と戦っていられる。
命を存分に粗末に扱う、彼にしかできない戦い方。
泥仕合も泥仕合。見目の華やかさも美しさも無く、洗練とは対極の戦い方。
それこそが、それだけが、ジェットに許された戦い方なのだ。
魔物と対面してすぐ、ジェットは結界を張った。
本来ならば魔物を寄せ付けないために使われるそれを、魔物を逃さないために使う。
自分と魔物達を閉じ込めるが、それほど多くの魔物は閉じ込められない。ジェットはつくづく、魔術の才には恵まれていないのだ。張れる結界の範囲もそれほど大きくはなかった。
だが、それでも十分。
味方の一部が結界に閉じ込められたとなれば、魔物は警戒し、進軍を止める。
そしてその隙に。
思う存分に。思う以上に。殺し。そして殺されれば良い。
『相手を殺した』という事実は、最大の隙を生む。
今回の魔物もそうだった。
魔物の群れの中へと捨て身で飛び込んだジェットは、オーク1体の首を斬り、なりふり構わず剣を振り回して手あたり次第に傷を負わせる。
無論、そこまでだ。ジェットは『殺される』。
オークが振るう槍に腹を刺し貫かれ、血を吐き、倒れる。
地に倒れ伏したジェットの体から、ずるり、と槍が抜かれた。
しっとりと血に濡れて赤い刃を確認し、オークはそのままジェットの死体を乗り越えて先へ進もうとする。
その刹那。
死体が動く。
『殺した』と誰もが思ったその隙を嘲笑うかのように、ジェットは剣を振るった。
倒れ伏した体勢から薙げば、剣は魔物の脚の腱を面白いように切り裂いていく。
そのまま返す刀で下から切り上げ、ジェットはつい数秒前に自分を『殺した』オークを殺すのだ。
アンデッドなる部類の魔物も存在してはいるが、殺したはずの『人間』が、それも、神の加護を受けた訳でもない、ただの凡庸なはずの『人間』が死してなお動くなど、魔物の常識でもあり得ない。
仲間を殺された魔物が一瞬でも怯めば、それはジェットにとって十分すぎる時間になる。
抵抗される前に、殺す。
抵抗されても、殺す。
殺されても、殺す。
剣を握った腕が切り落とされたならば、すぐさま切断面から骨と肉が伸び、剣を握り直す。その隙に左手に握られたナイフが、魔物の腹を切り裂いた。
汚泥から伸びる腕とも足ともつかないものが魔物の脚を引っ掛けて転倒させ、そこに折れたナイフが突き立てられる。
自らが血と肉と骨の塊のようになっても、ジェットは攻撃をやめない。たとえ100撃受けても1撃は返す。余程、再生能力に長けた相手でもなければ、こうしていればいつかは勝てる。
結界はいつの間にか破られていたが、もう一度張り直せばいいだけのこと。
都合のいい事に、結界の外に居た魔物も、仲間の死に反応して応援に駆けつけてくる。
そこで再び結界を張れば、新たな魔物を閉じ込めることができるのだ。
また、潰し、潰され、裂き、裂かれ、斬り、斬られて、殺し、殺される。
そして、再生される。
無限に続く地獄。
痛み止めがあるとはいえ、とうの昔に発狂していてもおかしくない。
それでもジェットは狂わない。
理由などいくらでもつけようがあるだろう。憎悪。執念。はたまた、正義感かもしれない。
だが強いて1つ、ジェット・ガーランドが狂わない理由を挙げるならば……『既に狂っているから』だろう。
+
フォレッタに馬の蹄の音が轟いた。
兵らによって掲げられた旗は、上流貴族、エメルド家の紋章である。
先頭をきってやってくるのは、白馬を駆る騎士。戦場よりも社交場が似合いそうな風貌の男であったが、鍛えられた体躯や鋭い眼光は、戦場に身を置く者のそれだ。
オーガス・エメルド。
エメルド家の第三騎士団を率いて魔物を狩り、名声を轟かせんとする、貴族出身の騎士である。
「……フォレッタは魔物の『軍』に襲われたと聞いたが。まだ滅んでいなかったとはな」
オーガスはフォレッタの様子を見て、そう零した。聞くものが聞けば激怒しそうな言葉ではあったが、状況の一部を知る者の感想としてはそう的外れでもない。
フォレッタの隣町、ハシューラに滞在していたエメルド家第三騎士団のもとへ届いた救助要請によれば、フォレッタは一昨日の夜、魔物の『軍』の襲撃に遭っているはずである。
小さな町のことだ、そう長く持ちこたえられるとも思えなかった。少なくとも、オーガス率いる騎士団が到着する頃には既にフォレッタは廃墟となっていてもおかしくはなく、むしろ、オーガスはその覚悟をしてフォレッタへと馬を飛ばしたのである。
……だが、オーガスの目の前に広がる光景は、予想とは大きく異なるものだった。
フォレッタの町は依然としてそこに在り、そして。
「持ちこたえた、というよりは、第二陣に襲われた、といったところか」
魔物の『軍』が、フォレッタを襲わんとしていた。
「行くぞ」
オーガスは口元に笑みを浮かべると、兵を率いて戦闘の気配のする方へと急いだ。
オーガス・エメルドが自らの率いる騎士団と共にフォレッタ防衛戦の前線へと到着した時、そこには奇妙な光景があった。
「これは一体何事だ!」
魔物が迫っている様子は見えるのに、フォレッタの兵士達はそれぞれ、魔物の群れを見ているばかりであった。
兵士達は皆、傷つき、負傷を抱えながらの参戦である。だが、それにしても兵士としての矜持は無いのか。
魔物へ向かっていかない兵士達を叱咤しながらオーガスは剣を抜き、魔物の群れを見て……。
「……何だ、あれは。あれは……化け物か?」
魔物の群れの中、一際異形の怪物の姿を捉えた。
決して体躯は大きくない。人間と同程度の大きさだ。だがそれは、地を這い、腕のようなものを伸ばして、魔物の脚を掴み、引きずり倒し、噛みつき、時には戦場に落ちていたのであろう剣を使って魔物を斬り殺す。
その怪物の最も恐ろしいところは、魔物が如何なる反撃を行っても死なないということだ。
踏み潰され、引き裂かれ、時には焼かれようとも。
その肉塊とも血溜まりともつかぬ異形の怪物は、攻撃を受ける度にその体を破壊されながら、しかし瞬時にその体を再生させた。
ここまで見れば、何故兵士達が動かないのかが分かった。
そう、『動かない』のだ。『動けない』のではなく。
その必要がない。魔物の群れは怪物1体によって食い止められており、時折、怪物の攻撃を免れた魔物だけ、フォレッタへ入る前に屠ればよい。まばらに分断された魔物程度、兵士数名で囲めば大した敵でもないのだ。
むしろ、あの泥仕合の中へ入っていけば無意味に命を落とすことになりかねない。
そして何より。
「何と、おぞましい」
オーガスは意せずして、そう呟いた。
この場にいる兵士達もまた、同じように思っているだろう。
おぞましい。正に、そうとしか言いようが無かった。
オーガスはそう呟きながら、目の前の光景を凝視し……背筋を走る寒気に身を震わせた。
『あれが真に怪物であるなら、どれほど良かったか』と。
「あれが報告にあった……此度の戦いの、英雄か」
おぞましい怪物は、漆黒の瞳に、自棄よりも諦めよりも深く暗い……執念を燃やして、魔物だけを見ていた。
+
ジェット・ガーランドが魔物を大方屠り終えたのは、深夜であった。
高く登った月に照らされる魔物の死体を眺め、その上に倒れ伏す。
ズキリ、と鈍い痛みを遠くに感じて、ジェットは顔を顰めた。
どうやら痛み止めが切れたらしい。
ジェットが常用している痛み止めは、痛み止めの範疇を超えた代物である。痛みを和らげるどころか、一切感じなくさせる。一種の麻薬のようなものだ。
当然ながら、副作用もまた大きい。既に緩く襲ってき始めている吐き気と目眩に耐えながら、ジェットは懐を漁って、水薬の小瓶を取り出した。
しかし瓶は魔物との戦いで割れたらしい。薬は瓶の底に僅かに残るのみとなっていた。
ジェットは舌打ちすると、懐からもう2、3本、同じような小瓶を取り出す。割れてしまっている瓶もあるが、残っている分を適当に足せば1本分にはなるだろう。
それらの睡眠薬、それもまた過度に強力なものをまとめて口内に流し込むと、ジェットは仰向けになり、空を見上げた。
濃紺の絹に銀砂を撒いたような満天の星だった。
ジェットは空を見、見ながらやがて、夢も見ぬほどの深い眠りに落ちていった。
オーガスは1つ、舌打ちした。
『英雄』はある意味期待以上の傑物であり、それと同時に期待外れの怪物でもあった。
あれをどう扱うべきか。
考えれば考えるほど、思考は苛立ちを生んだ。
……簡単だ。利用してやれば良い。
否。何所の誰かも分からぬどころか、人間かどうかすら怪しい者と手を組むなど。
だが、あの怪物は利用するだけの価値がある。
しかし怪物は怪物だ、利用するにも危険が過ぎる。
ではあの怪物を利用する以外に、『あいつら』を出し抜く方法があるとでも?
……オーガスは堂々巡りの思考に苛立ち、丁度良く眼前に迫った魔物を苛立ち紛れの一刀の下に切り捨てる。
ギャ、と醜く響く魔物の叫びがいっそ耳に心地良い。返り血を浴びれば、多少、頭も冷えた。
「おい」
「はっ」
オーガスは騎士団の団員に声を掛けると、ジェットを指し示した。
「あれを兵舎に運んでおけ。見張りはつけなくていい」
「は、しかし……」
命じられた団員は明らかに戸惑う様子であった。ジェットの化け物じみた戦いぶりを見ればそれも当然かもしれない。
そんな部下の様子を見たオーガスはため息を吐くと、少しばかり、語調を和らげて言葉を重ねた。
「如何に化け物じみた事をしていようが、理性が無いようにも見えん。恐れるな」
作業を促せば、部下達は釈然としない様子ながらもおっかなびっくりジェットに近づいて、その体を持ち上げた。
「……うわあ、随分と……」
「片脚がねえぞ……」
ずるり、と持ち上げられた体は、いっそ死体だと言われた方が余程納得のいくものであった。
全身に打撲や切り傷、火傷の痕が残り、己の血と魔物の返り血と泥に塗れ、片脚が無く、死んだように眠って動かない。
極僅か、呼吸をする度に上下する胸と、ごく弱く脈打つ心臓とが、唯一ジェットを生者たらしめていた。
運ばれていくジェットを見て、オーガスは深くため息を吐いた。
……さて、あの化け物をどうしたものか、と。




