うつろより
1、悪魔の子
闇に向かって少年は立つ。
* * *
僕の心は死んでいる。本当だ。受け合ってもいい、紙に書いて誓ってもいい、たとえこの体が死に直面する痛苦にさいなまれたとしても僕の心は動かず、荒れた砂地に横たわっている。
誰かがこう言うのを聞いたことがある、世の中はうつろだ、どこにいっても悟りを得られず、誰に聞いても錯誤からまぬがれられない、この世で確かなことといえばそれは自分の心臓が脈動しているということ、愛する女がそばにいるときに感じられる血の巡りだけである、と。
僕はこう反論しよう。そう感じている自分自身がすでにうつろだと。空っぽで、皮膚のしたには空虚があるのだと。まるで生きながらにしてミイラにされたようだ、見せかけだけのカラカラの皮膚、枯れて空虚になりうせた魂、醜い衣服のきれはしをひきずって往来を歩いている幾千万の屍たち。
それは僕だ、この僕がその屍なのだ。
生まれながらにしてこうだったのか? ああ、僕は見たことがあるのだ、生まれたばかりの右も左もわからない乳児を。起きいていても意識のはっきりしないつぶらな瞳、いまだ思考を回す術はなく、空の鳥を喜んでいる。詐欺を弄する舌はなく、母親の声で安心している。悪事を企てる腕はなく、大人の胸をゆりかごにして眠っている。
僕はここに、何か言葉では言い表せない特別な高貴を見た。母親に抱かれた赤子、父親に守られた赤子、腕の中で鎮まった赤子、この近づきがたい造形、永遠のフォルム! 生命にかこわれた生命、連鎖する生命の終わりなき循環、まさしくここには生きた命の炎がある。
この光景を、僕はいたるところで見せつけられた。街中ではいつも見た、海辺に行った時もだ、もちろん家の中にいてさえも外から親子の親しげな会話が聞こえてくることもある。そうなると、僕の心は悲しみに沈む。それと、イライラしてしようがない。彼らは生命に富み、僕は酸欠の金魚のように欠乏してあえいでいる。
あえいでいるだって? 僕の心は死んでいながら、生命を求めていたのか? それではまだこの僕にも望みはあるということか? ああ、それならば、その最後の可能性さえも枯れさせて死なせるものがある。僕は親子像を見るのが嫌いだが、特に母親が嫌いだ。そうだ、天上の光に包まれていようとも子どもならばまだ耐えることもできる、むしろ彼らを哀れにおもうこともある。だが、母親の方に目を向けると、僕は嫌悪の情によって歯噛みするのだ。母親、ああ、これこそ憎むべき仇。これのせいで、僕はいつまでたってもみじめな気持ちでいっぱいなのだ。
僕にもあの頃があったのだろうか? あのやわやわとした頬にはさまれて、つぶつぶの白い歯を生えさせ、舌足らずの声を上げていたそんな頃が。信じられない、むしろ僕ひとりだけの感覚から言わせてもらえれば、僕にはそんな時代はなかったのだ。僕はこの世に生を受けたまさにその時から、こんな性格だったのだ、こんなことを言う人間だったのだ、死んでいたのだ。いや、さらにこう言おう。死んでいるのは僕だけではない。すべての人がそうなのだ。あの生命の象徴ともいうべき幼い炎もまた虚偽なのだ、錯覚なのだ、人間の自尊心から発するいまわしい錯誤に他ならず、人間の真の姿は虫のようなものなのだ。
証拠? あなたは証拠を欲しているのか? それならば、僕を見ればよい。この僕に聞けばよい。身を切り裂く空虚に生み出され、寒風のふきすさぶ空虚を通り来たり、深海よりも暗く冷たい空虚へ今まさに還ろうとしているこの僕のことを。
母さん、おい母さん。僕の言葉を聞いているのか? 僕の姿を見ているのか? この体ではないぞ、僕の魂を見ているのかと聞いているんだ。あなたは僕にどうしてこれほどの苦しみを与えたのだ。何か恨みでもあったのか、いやいや、そうでなければ説明がつかない。僕を形づくったのは、あなたの怨恨だ、怒りだ、獣性だ、恥辱だ。これらが僕の血管に流れ、臓器に浸潤し、骨格をかため、筋肉をつなぎ合せているのだ。
黙っているつもりか、何も言わないのか。自分について語る言葉をひとつも持たないのか、それとも息子のことなど忘れてしまったとでもいうのか。まあ、それもいい、自然なことだ、どこまでもな! ああ、僕が語ってやろう。
ゆりかごに寝させられた赤子がうらやましい、一度として味わったことがないからだ。こんな言葉で始めたからには、それがどういう状況か、察せられようものだが。
さあ、思い描いてみてくれ。
ひとつの小さな家がある、木の組み上げでなった三角屋根のいなかの家だ。季節は冬のまっただなか、曇った空からは雪も降らず、骨の髄にまで達する針のような冬風が恐ろしいうなりをあげて吹いている。葉を一枚も残さず落としてしまった老いさらばえた木々をさらに責めている残酷な風がその家にも吹きつけている。家人はなく、ひっそりと静まり返り、山の中に捨て置かれた廃屋のようである。その中から無辜の赤子の泣き声が聞こえる。いつまでも泣き止まない、風の音にかき消されてはいるが、その痛々しい声音を隠すには風には命がなさすぎた。地の精はたしかに、あらゆる音の底からたしかに響くその声を聞いた。
家の中に子どもが、この寒い季節に誰もいない家の中に幼い生命がいる!
だが、状況はさらに悲惨だ。家の中をのぞいてみると、何という荒れ方だ。まるで嵐が家の中をも吹き飛ばしたとでもいうようだ。家具は倒れ、皿はことごとく割れ、衣類はひきさかれている。それらの中で赤子が泣いていた、ひとりで泣いていた、寒さのために泣いていた。事実、冬の冷気は建物の木材のわずかなつなぎ目からこっそりと入り込んでいたし、煙突があけっぱなしの暖炉からはもっと大きな冷気が侵入してきていて家中を這いずり回っていた。
赤子はどこに寝ていると思う? ベッドの上? それとも散らばった衣類の中? そうではなかった。赤子は床に投げ捨てられていた、血まみれで!
そこには生命の輝きなどいっさい見受けられない、美しさなどあまりの悲惨さに尻尾を巻いて逃げ出してしまったかのようだ。これには(そこにいたのはまさしく「これ」と名づけられるにふさわしいものだ)まだへその緒がついていた、中ほどで断ち切られてはいたが、腹部に吸いついたヒルのようにつながっていた。これが着ていたのは血という赤い衣、それも母親の血だ、それ以外にこれの裸体を守るものはなく、あまりにすべてが無防備にさらけ出されていて、してみるとこれは出産されてすぐに捨てられたのだ。
何という皮肉!
これを最初に受け止めたのはあたたかいやわらかい人の腕ではなく、つめたいかたい木の床なのだ。これは人に愛さられるためにではなく、建物の床のように人に踏みつけられるために生まれてきたのだ。
僕はこの像を明瞭に頭の中で描き出せる。絵に描いたことだってある。何度か文章にもした。だって、そこには特別な意味があった。捨てられたこの生命は、まさしく捨てられた生命そのものだったからだ。この絵のように、これは死んだ、今でも死んでいる。この生命を捨てた親もまた、死んだ。その人たちは生命を捨て、己をも殺したのだ。
これこそ、僕だ。人間だ。
この話はあなたにしているのだ、僕のたったひとりのお母さん! やっと会えたね。
でも、やっぱり僕の考えは間違っていなかった。あなたも死んでいるのだ。その醜い姿が何よりも雄弁に僕の主張を弁護してくれる。だが、それは何の慰めにもならない。あなたを恨み、糾弾したところで何の得も利益もない。むしろそれらはむなしい枯れ葉になって、風に巻かれ僕に返ってくるだけなのだから。お母さん、僕らは死んでいるのだ。
僕は今日まで生きていた。息を吸い、食べ物を食べ、足を動かしてきた。何のためだろう? 僕にはわからないんだ。心の死より出発してきたのに肉体の死を恐れると思うかい。もしも僕に銃を渡して「殺したい奴を殺せ」と言う者があったらまっさきにふっとぶのは僕の頭さ。
僕を生かした者は誰だろう。わからない。誰の意思があの日、家の中で息絶えようとしていた僕を通りすがりの人に保護させたのか。誰が僕を遠縁の親戚に預けさせたのか。誰が僕に人並みの生活を送らせ、学校で学問を修めさせたのか。僕にとってこの世は住みづらい場所だった。どの方角を向いても悪霊がひしめいている。人の面の中に隠しがたい罪悪を認めてしまう。優しい言葉さえビリヤードのように心を弾き飛ばす。それにも関わらず、こうして生きてきた、元気に、栄養にも恵まれて、肥え太った!
でも、これ以上の拷問はない。そうやってこの地上ですごす時間は増えるほど魂に刻まれる傷が多くなる。
この世は大きな舞踏会場だ。みんな仮面をかぶり、着飾って、音楽に合わせてダンスをする。誰もがテンポに合わせ、足並みそろえ、充実した時間を過ごす。彼らは誰かの手をとり、あるいは二人、あるいは三人、また大集団でくるくると踊る。その中でひとりだけ見たこともないダンスをする者がいる。誰も彼を見ないが、音楽に合わないのでよく誰かとぶつかる。ぶつかった者は邪魔者を押しのけるようにイライラと面も合わせず突き飛ばす。こうして彼はこっけいな動作を足がもつれて転ぶまで続けざるをえないのだ。
さあ、言ってくれ。今度はあなたが言う番だ。あなたは僕を呼んだのだろう? それはどうして? でも、言わなくても何となく理解した気がする。理解した気がするが、はっきりと言葉にして教えてくれ。沈黙を破ってこの僕に対して話しておくれ。あなたの求めは僕の願望にかなうことかもしれない。
結局、繋がれあった鎖は視覚外の深淵に端を発する強固な因縁なのだ。
僕らはしばし離れていたけれど、それぞれがそれぞれのダンスをしている間に、目に見えぬ則が宿命へと運び、入り組んだ袋小路をかきわけて、ついに僕らが手を取り合う時に至らせたのだ。
まさか、あなたは僕に自身の要求を拒絶されるのではと恐れていたわけではないよね? とんでもない。僕はとっくの昔に望みを失っていたんだ。それに今さら、そんな善い母親のマネゴトなど不要だろう。あなたは僕を殺したのだ、ならば最後まで徹底的に、殺しきれなかった肉体にまでカタをつけてもらいたいものだ。
とはいえ、心配は無用だ。あなたような人にさえ心痛を負わすのは僕の意ではない。これは僕自身が求めたこととしよう。遺言にもそう残そう。
もう地上には帰らないのだから。
2、悪魔にのまれた女
闇のなかより女はささやく。
* * *
子供のころから思っていたことがある。
どうして私の生まれた村の人たちは、日々、畑を耕すとか、田んぼに苗を植えるとか、木の世話をするとかして、耐えることができるのだろう、と。
どうしてこの人たちは、金づちをふりあげ釘をうちこみ、独創性のとぼしい型にはまった形のもの、たとえば椅子とかテーブルとか、またはどれも大同小異な家屋なんかを造る毎日が楽しいなどと妄言できるのだろう、と。
あの人たち、季節ごとに彩りにあふれるがしょせんは食べてしまえば跡形も残らない野菜やお肉やお魚を売っている市場の商人たちは、業者に卸してもらいお客に売りさばき、その絶え間のない川の流れのような物流のさなかに身を投じて泳いでいるわずかな金銭をビクにひきあげて、昼のうちに稼いだそれら捕獲物を夜のうちに平らげ、また次の日には同じようにして獲物をとらえにいくのだ。
その単調さ、その芸術性のいっさい介さない実際さ。私は見ていてはななだ退屈だった、それだけでなく苦痛でさえあった。
楽しいことなどひとつもなく、心踊る冒険などまるで無用物として除外され、この魂を燃やし尽くす情熱を見出すことさえ不可能なのだ。そんな毎日がいやでいやでたまらなかった。
私は幼い頃からすでに遠くを見ていた。村の外、山の向こう、私を取り囲み、とじこめる退屈な人間たちを踏み越えたその先にある未知、秘密の霧に隠されたドキドキするような得がたい宝をこの手にしたいと望んでいた。
こんなわけだから、私には友達と呼べる相手はいたためしがない。同世代の子らが原っぱを駆け回り、鬼ごっこやお歌遊びでむじゃきに笑い転げている間、私の心の慰めは絵を描くことだった。
夜が明けると、小さな子らは朝食もそこそこに家を飛び出し、一番仲のよい友達の住んでいる家の扉をすごい勢いで叩きのめし、ドアを開けてくれたお父さんなりお母さんの前で家の子供の名前を大声で呼ばわる。すると、穏やかな微笑みを浮かべている親が最初のひとことを口にするよりも先に、家の中ではすばやくダッダッダッという騒音が起こり、朝の清々しさには不釣合いな熱い友情が玄関先で結ばれる。あいさつをすませると友達ふたりは手をつなぎあって(このふたりの友情に比べたら、恋に駆られた男女の結びつきなど嘘だ!)新しい一日を呼び起こした太陽と同様に晴れやかに笑って通りへと走っていくのだ。
すると、彼らを待っているのは同じように通りへ出てきた二人、三人、もしくは一人の子供たちだ。彼らは合流し、一つの塊となり、遊び場へとなだれのように動いていく。村中に子供たちの歓声が湧き上がり、大空を満たす。美しい声音を有する小鳥達でさえもこの子らの鳴き声の前では逆にその口を閉じ、耳を澄ます。一時として形をとどめない雲は子らの声に研磨されてまるで子らに似るように、ちっちゃくかわいらしい千切れ雲となる。
彼らの声は通りを抜け、川にかかった橋を渡り、山々に登っていく。そこには広い草原が、涼しい沼地が、家よりも大きな巨木が、彼らを待ち、いっしょに遊ぼうとすばらしい環境を用意しているのだ。こうして彼らはつかれてトロトロになる夕方まで遊びつくすのだ。
だが、私はといえば、それらを尻目にひとりはなれ、静かな場所でスケッチブックに鉛筆を走らせてばかりいた。
何を描いていたと思う? 私に描く物があったのかしら?
絵にできるものといえばせいぜい、川原の草の上に座ってそこから見える川と橋と家々と並木の風景や、大きな家の人に頼み込んで描かせてもらったそこの花壇の花、少し遠くまで探検して深い林の向こう側で見つけた野原や花畑や湖の景色。雨が降って外に行けない日には家の中で見つかるものを対象にしたわ。テーブルの上に置いた果物やスプーンなどの食器、本の上で足を休めているバッタ、火をつけたランプやそこに集まる虫たち。私にとっては昆虫はよい絵のモデルだった。風景や静物の次に描くのが好きだった。いろんな虫を描いたわ。バッタ、カマキリ、クモ、カマドウマ、ムカデ、モンシロチョウ、ハエ、トンボ、カブトムシ…。
村の子供たちは男子も女子も虫が嫌いだったし、大人たちでさえ虫は避けていた。特に若い女たちは嫌悪感を如実にして虫を叩き殺したり、逃げたりしていた。私はそういう人の顔を見るのが嫌いだった。好きな虫をいじめられるのを見るのは忍びなかったけれど、それ以上に癇に障ったのはそれら人間の嫌悪という感情が表に出ているその瞬間だった。
醜悪、そのひとことに尽きた。人間は、なんと醜い顔をしていることかと、そういう時に悟った。
その醜さは八つの眼をもつクモにも勝り、百本の足でうごめくムカデをもしのぎ、万の大群をつくるアリでもかなわないと感じた。
私は虫の中に美を見つけ、それを紙上に描きとめようとした。静物にはその時間の停止した感じにひきつけられた。風景画は私の意識をはるかな地平線にまで連れて行った。
ところが、私が最後まで人物画には手をつけず、興味すらわかなかった。私にとって人間とは絵にする価値すらない存在だったから。
私はよくお寺に行った。でも、勘違いはしないで。神様を拝みに行ったわけじゃない。お寺には本がたくさんあったからよ。ひところは有名な画家のいろんな画集を見るのが楽しみだった。もちろん彼らのように炎の手と七色の筆と精霊の才よりなる絵を描こうとは思わなかったけれど、見るのは好きだった。その他にはちょっと難しい学問の本を開いたりもしてみた。わからない所はお寺の人たちから習った。私は村中から嫌われていたけれど、お寺の人たちはそんな私に対しても他の子と同じようにやさしく接してくれた。私が安心していられる場所は誰もいない草原か、お寺かのどちらかしかなかった。二十歳になるころには、私もけっこう難しい言葉を覚えて、賢くもなっていたのよ。
成長するにつれ、村から出たい、外の世界を直接この目で見たいという思いがどんどん強くなった。でも、一方で私は恐れてもいた。たくさんの本を読み、ちょっとは知識もついたけれど、それだけに、外にあるものがきれいな物ばかりでなく、村の中では想像もできないとても多くの危険が身を潜めていることを知った。
それに私は生まれの村での生活しか知らない。他の村や町では人間はどうやって暮らしているのか予想もできない。そんな中で絵しか描けない小娘が無謀な旅に出て、道半ばで息絶えでもしたらどうなるだろう。そこは知り合いの誰もいない異国の地。私の体は見知らぬ人たちに運ばれ、ゴミでも捨てるように見知らぬ土地に埋められ、あとはそれきり!
こういう考えにとらわれて、私は臆病になり、どうしても思うとおりに行動できなかった。
逡巡したのは間違いだったわ。迷いに迷ったあげく、私はとうとう村の男と結婚してしまったのよ。彼のことが特別好きだったわけじゃないわ。猛烈に言い寄られたから物のはずみで承諾してしまっただけ。
それでも、父と母はこの世の春とばかりに喜んでくれたわ。それまでは暗く沈みがちだった家庭が(主に私のせいだわ)花が咲いたみたいに元気づいた。それだけでなく、これまで腫れ物のように扱っていた村中が私の婚姻を喜んでくれた。道を歩けば通りがかりの人が気さくに声をかけてきて祝福の辞を述べる、いる物を買うために店にいけばそこの店主だけでなく偶然いあわせたお客らまで声をそろえて私の幸福を望んでくれた。婚姻の日には村中の若い人も老いた人もみんんな参列してとてもにぎやかな式になった。
私は思ったわ。自分は敗北したのだと。だってこの結婚は、敗北以外の何なの?
私はこれまで戦ってきた。村の風習や人間の気軽な習慣を軽蔑して、もっと崇高なもの、美学にかなうものを求めてきた。本来なら私は未来の災難などはねのけて、この崇高なる美におのれの体も魂も捧げつくすべきであったの。
しかし、私は結婚した。
いやしんできた人間の風俗の世界に堕ちてきてしまった。このために村は喜んだのよ。ふそんにも村の法則に逆らい続ける女がついに己の信念を捨て、村に帰伏した。
おお、私は負け、彼らは勝った。あの結婚式はそういう意味なのだ!
私は憎んだ、激しく憎悪した。狂乱して暴れ狂ったわけじゃない。魂の奥底から静かに、しかし決定的に私は憎んだ。この村、この世界、人間たち、私の生れ落ちた境遇、そのすべて。そして何よりも臆病な自分を!
それからの生活は、単調だったわ。夫となった人はリンゴ園で生活を営んでいた。私も自然とリンゴの木の世話をするようになった。夫婦生活に入ってからはもう絵を描かなくなっていた。自分の敗北を強烈に感じたあの日から、私は絵を捨てた。
もはや私は冬になるとはるか南に旅立つツバメではなく、重荷をせおって日々を費やす商人の牛馬となってしまったのだから、絵という翼は不要になったの。
気づけは私は、軽蔑していたその辺の若い主婦とひとつのちがう所のない女になっていた。鏡に映った自分の顔が、自分の物とは思えなかった。これはこの前、通りかかった畑でナスを収穫していた女の顔だ。それとも、お肉屋で大きな牛肉を買っていた女の顔だ。そして、広場でたくさんの子供たちと遊んでいた女の顔だ。つまり、私はもはや私の物ではなく、みんなと同じものになったのだ、この村を飾る人間の一つとなったのだ。涙が出てきたわ。
こんな心理状態だったから、あれがおきてしまったのね。
ある時、村にどこか遠い町からひとりの男性がきた。彼は、聞けば無学な人でさえも恐れ入るという有名な大学の教授だったの。でも、そんな人が来ているなんて私はちっとも知らなかった。
彼と出会ったのは偶然だったの。
買い物に出かけるために道を歩いていたら、向こう側から歩いてくる彼と行き逢って、道を聞かれたの。彼が行きたがっていたのは村の人でも少数しか行き方を知らない山の中の沼地だった。そして、私はそこへ行く道を知っていたので、自分が急ぐ用事でもなかったのを幸い、道案内することを申し出たの。
村で見かけない男と人声の絶える山中に二人だけで行くのは常識に反しているけれど、生活に飽き飽きしていた私は彼の新鮮さに引かれたの。少しは面白いことになるかもしれない、とね。
実際は面白いの範疇を超えていた。
道々、彼は気さくにいろいろな話をしてくれた。それで私は、彼が教授の職についていること、昆虫学者であること、村には珍種の昆虫の標本をとるために来ていて、これから行く場所には目的の昆虫が生息しているはずだと言っていた。
私はすっかり彼の話に夢中になり、沼に案内し終わってからも彼のそばを離れなかった。家に帰った頃にはもう宵の口だった。夫はちょっと不機嫌だったけれど、うまく言いくるめた。純朴な男だったからね。
でも、それからは私は頻繁に、こっそりと彼と会うようになった。合うたびに彼は、面白い話、興味深い話をたくさん聞かせてくれた。本にも載っていないような奇怪千万な、しかも事実だと確証された話は私の中で眠っていた探究心を呼び起こした。
私は、ここに出口がある、と強く感じた。
彼こそは、天命によって遣わされた私の救いなのだ。私の翼はもがれてしまったけれど、鷹のような彼の翼にのってあの夢にまで見た彼方へと行けるのではないか、と浮き立つ思いに駆られた。
私は日増しに彼を恋い慕った。彼もまた私の燃えるような情熱を感じ取ってくれていた。やがて、私達は人の見ていない秘密の場所で…………ああ! でもその後のことを思えば!
だって、彼は突然、私の前から姿を消したんだもの。彼がどこに行ってしまったのか、私には知る術もなかった。しかし、たとえ知れたとしてもやはり私にはどうすることもできないことには変わりない。彼の後を追いかけることなんてできるはずがない、彼が教授をしているという大学のある町がどの方角にあるかさえ定かでないのに!
最初は悲しくて、悔しくて、高熱を出したのだけれど、しだいに落ち着いていったわ。敗北の屈辱に甘んじたのだもの、貞操の屈辱にだって甘んじてやると妙な自信をも抱いてね。
時間がたつと私のお腹は膨らんできた(まるで機械のようね!)。何も知らない夫は喜んでくれた。これまで子供が出来にくかったからやっと自分達夫婦にもさずかり物の番が来た、と手を叩いていた。私はずっと秘密は秘密のままでいてくれるように望んだ。もはや、私は遠くを望むまい、このささやかな人間的幸福をもって足れりとしようとようやく決心した。
しかし、秘密は青虫と同じだった。葉っぱの裏では満足できず、必ず蝶になって花々を飛び回らなくてはすまないものだ。
お腹の子が臨月を迎えた矢先、誰の意図かは知らないが、夫の耳に私のいまわしい秘密が吹き込まれてしまった。
なんて最悪のタイミング! どんな悪意ある悪人のしわざか!
夫は怒り狂った。おとなしさでは人後に落ちない農民の夫が、スペインの闘牛みたいに暴れたのだ。私を打ちのめし、家具を引き倒し、周りにあるものを手当たりしだいにぶち壊した。その時の衝撃が祟ったのね。私はほとんど産みの苦しみを経過せずに赤ん坊を吐き出していた。
それを見て、夫はまるでお化けにでも遭遇したみたいに叫び、家を飛び出していった。私もまた、床に落ちたそれを見てたまらない嫌悪に襲われ、夫と同じく家を飛び出し、だけれど、夫とは反対向きに進路をとって走っていった。
冬の、寒い夜だった。
私は村を出て、かねての望みどおり遠くに行った。夫のことも、産み捨てた子供のことも、死ぬ気で忘れようとし、そして、忘れていた。それからの数十年は、あなたの言葉にしたがえば、「舞踏会場でダンスを踊り」まくっていたのよ。
3、神の娘
少年の手をとり少女は叫ぶ。
* * *
待って! あなたはどこへ行こうというの? 何をするつもりなのよ! やめて! お願いよ! どうしてそんな風に自暴自棄になれるの!
いいえ、それはきっとあなたのせいではないのだわ。あなた自身はそんなのことをちっとも望んでいないのだけれど、あなたの妙な考えに惑わされて何をするのが善い道なのか判断がつかなくなってしまっているのだわ。
かわいそうな人! どうしてあなたを責められるの? もしやあなたは、恐れているのね。私が、あなたのウサギのように傷つきやすい弱った魂に打撃を加えでもしないものかと。
ああ、そう考えるのも無理はないわ。私があなたを傷つけない保証はどこにないものね! 私だって人間だもの、間違いを犯して誰かを悲しませたことは数限りないし、これからだってきっとそうなる。
この世に関していえば、たぶんあなたの言うことは正しいわ。みんな自分のことだけで手一杯で、顔と顔を合わせている大事な友達にさえコップ一杯の水を与えることもしぶるのよ。あの「世界はみんな友達」というフレーズを聞いたことがある? あんなのは嘘よ! 欺瞞よ! 悪い人たちがあなたのような心の弱った人をさらに苦しめるために打ち立てたスローガンに過ぎないの。
でも、それでもね、信じてちょうだい。あなたがそうやって蔑視し、敵視し、軽視する世の中には、私のことも入っているの? いいえ、私のことなんてどうでもいいわ。ねえ、お願い、聞いてちょうだい、私の言葉を聞いて、理解するように努力してほしいの。ね、ちょっとでもいいから。全部、聞いて、その後に最後の判断を下したらいい。遅くはないわ、全然!
真実っていうのは、あらゆる宝よりも貴重な宝よね。だってそれは、お店では売っていないし、その辺に転がっているわけではない、ある時には世界に存在さえしていない!
それでも、私たちは真実の存在を信じている。それが目に見えず、たしかな実感として感じられないうちにでも、たとえひとりの偉い人が「真実はない。虚偽はない」と提唱したって、真実の架空を受け入れたりしないわ。それは実在し、私はそれを信じているのだもの。
幸福の所在はどこ? 真実の中だわ。虚偽には不幸がついて回る。どこに逃げてもそれが離れることがない。虚偽は蜂のようなもの。一度その巣をつつけば、そこから飛び出した無数の虚偽はどこまでもその人を追いかけていゆき、やがてその身をすみずみまで攻撃し、ついには命まで奪う。
あなたは虚偽を吸いすぎたのね。その吹きすさぶ暴風の中で生まれたあなたは、行く先々で人間が虚偽に瀰漫しているのを目にした。あなたは誰よりもその罪の性質を感じとれた。あなた自身がその病気を先天的に有していたから。感じやすいあなたはみんながその過ちに慣れて容易につかっているのに耐えられなかった、何より自分が汚れていることを自覚していた。普通の人は気づけないその汚れをあなたは知っていた。
そして、あなたはそれを受け入れていたの? 汚れをそのままにして、その汚れにかなう汚れた生活をしていたの?
ちがう! そうじゃないでしょう! 私には分っているわ。あなたは苦悩している、自分の汚れのために!
あなたは一度として自分を甘やかし、みんなが行なっているように虚偽の安逸に走ったりはしなかったわ。できなかったの! あなたは自分がこうむった様々な不幸と苦労から推してそれがいかに邪悪でいかに悪魔的かをよくよく察していた。だからあなたは今、自分の命を捨てようとしている。虚偽に幻惑された人間にはとてもとれないやり方だわ。罪を知っているあなただからこそ、(よく聞いて)潔白であるあなただからこそ自分を殺したいと思ってしまうのだわ。
でも、それはいけない! 絶対にいけない! あなたはまだ何一つとして分っていない幼い子供なのよ。年齢のことじゃないわ、知能のことでもない。魂のことよ!
ああ、あなたはまるで暗やみの中をひとりで取り残され、迷い、泣いて誰かを呼んでいる子供のようだわ! だから一気にケリをつけてしまおうなんて思い切った手段に出られるの。誰かが手をとってあげさえしたら! こうして(彼女は少年の手をさらに強くにぎる)!
ねえ、真実を求めましょう。そこに答えはあるわ。あなたはこれまで一度としてそれを見つけたことはないの。だってもし見つけていたらここにはいないはずだわ。それを手放せるはずはないもの。真実は宝、最高の宝! ダイヤモンドなんかゴミよ! 私も役に立ってみせる。今回だけは、あなたの考えを捨てて。私の言うことを聞いて欲しいの。
ダメ? ダメなの? いけないわ!
辛いのはよくわかる。笑わないでよ! 今の言葉が、お決まりの同情の言葉か表面だけをナデナデするおためごかしかとでも受け取られたのなら、訂正する。自分のことのようによくわかるって。
そうよ、私は孤児なの、あなたと同じように。私は十歳の時に父親から引き離された。お父さんは、ひどい人だった。乱暴者で、何か気に食わないことがあるといつもお母さんに当り散らしていた。多くの家庭では、夫が妻を打ちすえることがあると聞くわ。それが常識なのかどうかは分らないけれど(もし常識だとしたら、それこそ全然理解できないわ!)、うちの状態が病的であることは論を待たないことだった。
お父さんは酔っ払いでもなかったし、阿片飲みでもなかった、タバコもしなかった、博打にも狂わなかった。大きな会社に務めていて、すらりと背が高くて、自慢のお父さんだった。でも、たったひとつだけ、そして決して無視できない大きすぎる欠点が、この家庭内暴力だった。ああ、もしお父さんの欠点がお酒だったらよかった! それならまだ耐えられただろう。もしそれが賭博だったらよかった! それだって我慢はできただろう。暴力のふるわれる場所は、地獄だ!
お父さんは、傲慢な人だった。少なくとも私達が普段から見るお父さんという人はひどく人を見下す性格だった。偉そうで、自分の教養をひけらかして、他人に意見されることをまるでナイフでも突きつけられたみたいに忌み嫌い、激昂するの。お母さんや私には自分への絶対的服従を命じ、思う通りにいかなければ簡単に鉄拳制裁を行なった。それはまるで理不尽な理由からだった。
ある時は、お母さんが買い物で遅くなりお父さんの帰宅に合わせて夕食を用意できなかったという理由で、殴った。ある時は、トイレの掃除が不徹底だという理由で、殴った。また、ある時は、私の学校での成績が良くないという理由で私ばかりか、お母さんを顔にアザができるまで殴りつけた。
それ以外にも、庭の花々の整理が行き届いていないという理由で、朝ごはんの味が悪いという理由で、古くなったスリッパを新品に替えていないという理由で。
それから、お前たち奥様っていう連中は近所の同類どもと夫の悪口を言い合っているんだろ? もっと教育してそんな気を起こさせないようにしないとな、って言い出して突然お母さんを猛烈に殴ったり蹴ったりしだすこともあった。
本当に、あのお父さんには理由なんて必要じゃなかったのよ。普通の人が趣味を持つみたいに、あの人にとっては妻を痛めつけることは唯一の趣味だった、気晴らしだった。
気晴らし! そうだ、あの人には自分の気を晴らさないではいられないイラ立ちがあったのだ。家庭でそれだけ暴れるのは、外では巧妙に人の目をあざむく仮面をつくっているからだった。
お父さんが会社の人と話をしているのを聞いてみると、なんて優しい声! まるで別人のしゃべり方。この声とあの体裁を前にして、この人を生まれながらの善人、罪のことなど外国で発生する戦争くらいにしか知らない人間だと思わない者がいるだろうか。それくらい巧妙で高度な仮面をお父さんはつけていた。
それは会社の人ばかりではない。一歩、家の外に出ると、そこからお父さんの舞台は始まる。
優しく、思いやり深く、心の大らかな夫また父親の役割を見事に演じるのだ。あの人とどこかに出かけた時こそ見物だった。お父さんじゃないお父さんがそこにいた。妻をいたわり、娘を溺愛し、お金などこの家族のためになら一円もいらないとばかりにこっちが欲しもしない物をあれこれ買い与えてくるの。
そんなお出かけが、楽しいはずもないよね。家に近づくたびに、私たちはビクビクと脅え続けなければならない。だって、家の扉がしまるガチャンという音は、地獄のふたが開いた音なのだ。
お父さんは一仕事を終えたとでもいうようにノビノビと私達をいじめにかかる。
まず、私とお母さんを床に正座させ、その前に今日買った物を並べていく。そして、私達のせいで今日どれだけの無駄遣いをしたか、私達がどれだけ礼儀知らずで人前で自分に恥をかかせたか、私達がどうしようもない恩知らずで、稼ぎ手である自分への感謝がまるで足りないことなどを一々、チクチクと並べ立ててくる。それがすむと、今度はお母さんの頬を平手打ちする、何度も! 私にはいっさい手を出さず、お母さんだけを攻める。
これが手なのよ! 私には、私のかわりにお母さんが痛い目に合わされているという罪の意識に陥らせ、お母さんには、なぜ私は打たれ娘は打たれないのか、とわが子を恨ませる心をいだかせて、体と同時に心をも虐待する方法なのだ。お父さんこそ悪魔だ! あの人はどっぷりと虚偽の沼につかり、頭の芯から足の先まで偽りを汲み込んだ、まぎれもない病人だった。
そんな日が続いて、お母さんは体の調子を壊し、はかなく死んでしまった。私が八歳のときよ。それから後は、お父さんの暴力の矛先はすべて私に向けられた。お父さんと別れることになる十歳までの二年間、私は荒れ狂う嵐の海を航海する漁師みたいだった。灯台の灯りを探しているのに、雨に打たれ、波にゆさぶられ、風に怒鳴られ、黒雲に圧迫され、悪夢のような真っ暗闇をさまよっていた。
そして、ついに正義が行なわれる時がやって来た。お役所のお役人だという人たちが、うちに来たの。実は、うちで家庭内暴力が行なわれているのではないかという噂がひそかに広がっていて、それである人の通報を受けて、お役所は調査をしてみた。するとどうやら噂が本当であると確定した。そこで、一時的に私をお父さんから引き離すことになったのだと、その人たちは説明した。
私は多少の不安はあったけれど、ひとまず嬉しかった。お父さんと距離をおけるのだ、手の届かない場所でゆっくり眠られるのだ。願ってもない大好機だった。
お父さんは見るからに取り乱し、あれこれと弁解をまくしたて、ついには情に訴えた泣き落とし(「妻を亡くした私には、娘しかおりません!」)まで使ったが、決定事項をくつがえすには足りなかった。お父さんがしぶしぶとお役人さんたちが取り出した書類にハンコを押している最中、私はとなりに座りながら心の中で喝采を叫んだ。出来れば今日その日のうちに出て行きたいと思い、持って行く大事な物を頭の中で数え出していた。
その時、お父さんはお茶をお出しするのを忘れていましたとか言って席を立ったの。そして、少しして戻ってくると、お役人さん(二人いた)の後方に物音をしずめて立ち、どこから持ってきたのか一本の木材をふりあげ、彼らの頭をしたたかにうちすえた!
痛みに苦しむ彼らをその場に残し、事のなりゆきに呆然としていた私を抱え上げ、家を出て車の後部座席に私を放り込み、自分は運転席に座ると勢いよく発進させた。
車を疾走させている間、お父さんはおかしくなったみたいに独り言を言っていた。もう終わりだ、何もかもメチャクチャだ、この街じゃないどこかに行こう、住人の少ない山の中に隠れよう、こいつをつれてとにかく知り合いのいない土地へ行くのだ、というようなことをずっと…。
それを聞いていて、私はゾッとした。このお父さんと死ぬまでいっしょにいるという未来、いつか私もお母さんみたいに殺されてしまうという未来を思いやって、その場で錯乱してしまった! それで、一か八かの賭けに出てみた。命をかけた賭け。
私は、いきなり運転中のお父さんの後ろの髪の毛を大量につかみ、まぶたを閉じ、全力をこめてひっぱった。すると、メリメリという恐ろしい音と共に、私は後ろにふっとんだ! 手の中にたくさんの草のようなものが残ったけれど、すぐに払い落とした。
叫びをあげたのはお父さん! 突然のことにすっかり胆を潰し、ハンドル操作を誤って、そのまま車は路上駐車していたタクシーに突っこんでしまった!
数十分後、警察と救急車が到着して、私は保護された。幸いなことに(誰かが守ってくれたのかもしれない)、私は軽傷ですみ、お父さんも手を捻挫しただけだった。相手のタクシーは無人、けが人はいなかった。それから私は施設に送られ、お父さんは虐待と傷害の容疑で拘置所に連れて行かれてしまった。私はやっと安心して息がつけるようになったの。
でも、これで終わりじゃなかった。私はまだひとつも問題が解決していなかったことを痛感した。私はそれくらいに大きな汚れを抱え込んでいたの。私の胸の中には恐怖が黒々とした風穴となって全身を凍えさせた。憎悪は毒蛇となって体に巻きつき、ワナワナと震わせた。罪悪感は絶叫となって夜の眠りを悪夢へと変えた。たとえ、距離を置いたとしても、お父さんの生き霊はたえず私のまわりをうろつき、脅してくるのだ。今にしても、まだそんな状態なの。
ねえ、私に必要なのは何だと思う? いろいろ考えられるけれど、私はこう思うわ。それはきっと、「真実」なの。
私は虚偽の中で生まれ、虚偽の中を生き、虚偽の中で息絶えるのかもしれない。そんなどうしようもない場所を歩いていかなくてはならない私にはたった一つの真実、時代が変わるともそれだけは決して変わることがないという真実、世の法則を超越した真実を見つけ出さなくてはならないのよ。それが得られて初めて、私はお父さんをゆるせるだろうし、虚偽の綱を断ち切り、恐怖と苦悩をはねのけられるはずなの。
私が求めているものは、きっとあなたにも必要なものよ。私達は同じだわ。同じように虚偽の暴力を受け、同じように真実を求めてさすらう旅人なのだわ。ねえ、あなた、探せば絶対に見つかるわ。だから、私といっしょに行きましょうよ!
ねえ、お願いだから、こっちを向いて。私を見てよ! どうしてそんなに笑うの? 私の言葉が信じられない? それとも、また世の中に出て行くのを恐れているの? ええ、そうじゃないのはわかっている。あなたはそんな物怖じに屈する人ではないわ。ただきっと、あなたは迷っているのよね。あなたのせつに求めていたものが、そのまやかし物が、現前にあるから他のことを十分に思考する余地を奪われてしまっているのよ。でも、私はたしかに言うわ、確証する。あなたに必要なのは「真実」なのだとね。
わかった。私もあなたについていく。あなたが戻るつもりがないのなら、私も戻らない。この手は離さない。さあ、進みましょう。この冷たい闇を通りましょう。どうしてかって? 決まっているわ!
あなたは何て不幸な人なの!
4、希望
闇がはらわれ、光がみちる。
* * *
幸いだ、悲しめる人たち。涙を流す人たち。罪のために歯噛みする人たち。正義を求めて渇く人たち。あなた達の望みは叶えられる。
虚偽の海に沈倫する者どもは光をさとらず、濁り水を遊泳する盲目の魚のように狭い岩場に凝集する。彼らはたがいによじり合い、ぶつかり合い、苦しめ合って、息を継ぐひまもなくして窒息する。やがてその身は底へ沈み泥土の堆積となる用にやられる。
彼らの住むのは泥水の水面、太陽の光を見ず、海の底の深さを解さず、わかるのはうねるわが身とこすれる同類の感触のみ。
彼らの日々は楽しく、あざむきの巣であり、昨日をふりかえらず明日を思いやらず、でまかせにヒレと尾を動かしあらぬ方角へ泳いでいく。
子は親をあざけり、親は子の道をとざし、男は女をふみにじり、女は男を罠にはめ、師は小人を欲につかい、小人は賢者を数にいわせて打ち殺し、民は国を裏切り、国は民におもねり、王は臣に不正をなし、臣は王を愚弄し、仲間は仲間の悪口を言い、敵は敵を虐殺し、自己は自己を傷つけ、全体は全体を滅びに渡す。偽りを歩み、欺瞞を着飾り、見栄の盾をとり、悪意の剣を抜き、裏切りの鎧で守る者どもは争いを生み、いさかいを誘い、紛争を呼び起こす。
地獄は彼らのために新しい席をせっせと作っている。
生命を得るのはどういう人か。笑う人ではない、悲しむ人。剣をとる人ではない、祈る人。大声でだれかを非難する人ではない、心にひめて嘆く人。罪を忘れて走り回る人ではない、罪をおぼえて座る人。
このような人たちは庭に咲く手入れのゆきとどいた植物のよう。彼らは何も知らない、何もしない。
自分達を潤す水がどこから来るかを知らず、土にやどる栄養をだれがまいたかを知らず、花を咲かせ実を結ぶ時、何者がそれを見届け、つみとるのかを知らない。それでも、雨は甘く土にとけこみ彼らを喜ばせ、日はあたたかく照りつけ彼らの命を盛んにし、風はそよそよと吹いて彼らの香りをにおわせる。
庭師は朝早くに目覚めると庭を歩き回り、彼ら花や野菜や木を愛おしく眺めゆき、剪定ハサミで余分な枝や葉を切り落とし、病気を気づかって世話をし、成った実を喜んでつみとる。こうやって毎日毎日、庭師は広大な庭を歩き回り、朝から晩まで仕事をする。
だけれど植物たちはやはり何も知らず、何もせず、何も疑わない。どうして自分の葉が落ちたのか説明できず、どうして花に視線を感じるのか見当つかず、どうして実をもぎとられたのか考えもつかない。彼らはただ植わり、成長し、円熟し、枯れ落ちるだけ。生命の原質を種子に圧縮し、次代の生命へとつないでいく。くりかえされる時間の変転も、やはり彼らには関わりなきことなのだ。
あなた達は時ごとに言うのだ。
であれば、何がちがうのか。悪い事をする者と、善いことをする者と、罪を犯す者と、犯さない者と、どちらにどれだけの相違があるものか。私たちは動かず、考えず、無知無能である植物にあきあきした。これからは動物のみそらを味わいたい。カラスのように空を飛びたい、鹿のように野山を駆けたい、虎のように力をふるいたい、私たちは木や花にあきた。
愚かなる偽りの者たち! あなた達は真実を曲げるのか、そこまで無明の境に落ちたのか。
私は言う、聞くがよい。比喩を捨て、直接語ろう。
あなた達は人間なのだ。植物ではないように、動物ではない。タンポポではないように、ライオンでもない。稲ではないが、犬でもない。桜ではなく、鯨でもない。あなた達は人間なのだ。
あなた達には魂が与えられている。その魂は知、無垢、善、美、歌、愛なのだ。罪は痕跡をも認めらず、悪はこれに混じるをゆるされない。嘘は魂の腐蝕をうながし、欺瞞こそは腐敗臭の発生なのだ。
あなた達は足をはやしてどこへ行こうというのか、翼をもらってどこへ向かうのか、尻尾を伸ばしてどこの地を目指すのか。真実の庭に生え出しながら、真実を捨てるのか。生命を有しながら、生命を軽んずるか。私は、拒むことが出来ながら、誘惑のカラス、犬、狐にあえてわが身をゆだねたあなた達のために骨を折らねばならないのか。
盲目で、疑うことを知らないあなた達よ!
しかし、私は行こう。その労がなんだというのか。この身を切る痛みに比べたら。旅支度はすませている。捕り網、猟銃、毒に罠。あなた達をさらった者どもをしとめる用意はできてある。あなた達を連れ戻すまでは帰るまい決めた。
そして今、来たのだ。闇は取り除かれ、光を与えよう。冷たさのかわりに温もりを注ごう。虚偽をとりはずし真実をはめこもう。
子供よ、子供よ。空虚から生まれ、空虚に染まった子供よ。お前の望みを聞かせよ。魂よりいずる真実の望みを言うがよい。おお、私はお前の身を避け、お前の口を忌み、お前の脳を恥じる。されども、お前の魂からは顔を背けない。なぜなら、それはまだ汚れていないからだ。そうだ、私はゆるすために来た。罪をなくするために来たのだ。お前の過ち、罪、苦悩と悲惨、すべてを受け取ろう。私はそれらを我が物とし、光の祭壇の火にくべ、燃やし尽くしてその立ち上る煙をお前の分とする財宝の証となそう。
女よ、女よ。虚偽を欲し、虚偽を飲み尽くした女よ。私は裁こう。お前のしたことはゆるされるべきではない。見よ、お前のまいた不和の種はいたるところで芽を出し、大きな毒々しい花を咲かせ、毒性の花粉をまき散らしているではないか。お前の通り道は黒く汚れ、お前の足は汚い。清水では二度とぬぐいおとせないタールの汚れをお前はかぶっているのだ。お前の汚れを清められるのは火のみである。火の境を通れ、その林、その海を通り抜けよ。お前は魂を汚したのだ。その報いを受けねばならない。
娘よ、娘よ。悪の乱暴を受け、悪を背負う娘よ。私に従うがよい。お前を探していた。ついぞ見かけなくなりどれだけ悲しんだことか。悪い者につれさられたが、こうしてまた私の手元に返ってきたことを祝福させよ。お前は多くの傷を負い、多くの損ないをこうむった。かつては喜びの歌をきかせたその静かな口が、今は苦悶のうめきと涙の訴えでいっぱいだとは! あまりに長くお前は茨のしげみにいた、トゲに刺されながら這いずり回っていた。そこを去り、真実の庭園へと引き返すがよい。私は、お前のために門を高くあげ、歓迎の宴を準備していよう。
人々よ、聞くがよい。目を開き、耳をそばだてよ。闇はとりはらわれ、光は戻った。私は来たのだ。お前たちを取り戻すために来たのだ。
さあ、帰れ、帰るのだ、真実の庭に、お前たちの故郷へ、私のもとへと。長らく苦しんだことは無駄ではない。お前たちは悟りを得て、前よりもいっそう快く歌ってくれるだろう。
雨のあとにさす晴れの光は露を輝かせ雨ふる前よりも景色を美しくする。台風の直前にはむしむしと暑苦しい日が続くが、台風が過ぎ去ったあとには晴れ晴れとした秋の好天に恵まれる。
私はゆるそう。お前たちがもっと素晴らしい働きをしてくれるために。私を一度は否んだが、また私の心を受けさせるために。真実はいつでもゆるぎない。
見よ、今こそ生命は広がろうとする。あの家の窓辺におかれたガラス瓶、そこに生けられたアスターの花に目を向けよ。夜にはしおれ気味に頭を垂れていたが、朝になればああやって生き返るのだ。
見よ、今こそ真実は世界となろうとする。あの病院の、家族にみとられながら息絶えようとする小さな重病者はたちまち立ち上がり、驚きに目をみはる人々の前で元気な歌をうたいはじめるのだ。
お前たち、おのれの罪を償う者たちよ。私はお前たちを祝福しよう。できるならば、ふたり手を携えてわがもとへ来るがよい。
やがて知るだろう。その道は険しく、恐怖と策謀は見えない場所にひそみ、盗みと奪いはふいに現われ、悪魔はからかいの笛を鳴らす。
だが、苦しく、長い道のりの先で私は常に呼んでいることを忘れるな。
さあ、行け。
前途に勝利を、戦いのあとに栄冠を。
わが名のもとに!
* * *
うつろより
まどわすおとを
うちやぶる
いぶきはとわに
やむことはなし
終