表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

94/257

酔象 『修正予定』

「木下秀吉。

 ただいま戻りましてございます」


 越前国金ケ崎城。

 無傷で手に入れたその本丸は、朝倉家滅亡後に越前の大半を支配している織田信長の前線司令部と化していた。

 広間には越前の地図を睨んでいた織田信長がおり、広間前で声をかけた木下秀吉を無言で招き入れる。


「どうだった?」


 何がなんて聞く必要もない。

 木下秀吉の任務はただ一つ。

 大友鎮成の監視と評価だったのだから。

 それに普通に答えるのも味がないと知っている木下秀吉は、置かれている地図の南西にあるものを置いた。

 それは将棋の駒で、『酔象』。

 王将の手前に置かれた駒で真後ろ以外に全方向一マス動け、敵陣に入ると『太子』に成り、王将と同じ働きを持つ為に王将が取られても勝負が続行できる。

 その代わり、この駒は取られたらそれっきりで再利用が出来ない。

 そんな凶悪な駒を持って、木下秀吉は三好政権における大友鎮成の評価を下したのである。

 なお、こんな味のある知識を木下秀吉が持っている訳もなく、木下秀吉から助けを求められた竹中重治プロデュースなのは織田信長も知らない。

 木下秀吉の置いた駒を見つめて織田信長はじっと考える。

 越前を奪ったら、次は南伊勢を攻める。

 その次は加賀と北陸は問題なく攻め続けられるだろう。

 だが、畿内は?

 京を押さえる三好政権とどう対峙する?

 三好政権が抱えていた阿波公方は摂津越水城に入り、従五位下左馬頭に叙任され名を足利義栄に改めている。

 近く入京するだろうと噂されており、朝廷工作も順調で要求した献金を支払い、管領細川昭元と御相判衆三好長慶の推挙という形で第14代将軍として将軍宣下がなさせる事が決まっていた。

 なお、この推挙に対して織田信長にも加わらないかと三好側から誘いが来たが、未だ答えを保留にしている。


「この城はお前にくれてやる。

 しかと治めてみせよ」


「はっ。

 ありがたき幸せ」


 金ケ崎城に木下秀吉を入れ、大野郡の亥山城に明智光秀を入れる。

 元城主だった朝倉景鏡と朝倉景恒には一乗谷の復興を命じ、北の一向一揆勢についた堀江景忠の備えとする。

 更に、目付として和田貞秀と中島豊後守、一門衆である連枝衆から織田信治を送る事で越前統治を固めさせる。

 織田信長は改めて木下秀吉が出した『酔象』の駒を眺める。

 勢峠の合戦で主力が壊滅した一色家はもはや戦う力を失っており、若狭武田・三好軍は高浜城を奪還するとそのまま丹後に侵攻。

 圧政で内部に不満がたまっていた丹後国人衆は一色軍壊滅に伴い次々に降伏し、その居城である建部山城も城門を大友鎮成に開いた。

 嫡男一色義定は弓木城で抵抗の構えを見せるが、大友鎮成はあっさりと和議を結んで一色家を滅ぼさずに戦を終わらせた。

 若狭武田家と同じく新公方に忠誠を誓わせて従属させ、建部山城と加佐郡を手放す替わりに、一色義定の家督相続承認と捕虜を解放したのである。

 一色側に立って戦に参戦しようとしていた山名家とも和平を結ぶ事で恩を売り毛利への牽制とし、若狭戦線における大友鎮成の活躍で、若狭だけでなく丹後まで勢力圏に入れた三好家は若狭湾の物流を掌握。

 丹波で抵抗を続けている荻野直政と波多野元秀も、三好長逸の後詰を得た内藤宗勝に押されつつあり、三好政権の動揺はなんとか収束しつつあるように思えた。


「明智光秀。

 お呼びにより参上いたしました」


 部屋の外から声がかかった後、明智光秀が室内に入る。

 そして、木下秀吉が織田信長の前に置かれた酔象の駒を見て、誰の何を訪ねようとしたのかを察して先に答えを述べた。


「あくまでそれがしの考えですが、主計助殿は大名にはならぬかと」


 その断定口調に、織田信長の視線が明智光秀を射抜く。

 だが、明智光秀はかつての主の姿を思い出しながら、理由を口にした。


「あのお方は既に三度大名になる事を放棄しておりまする。

 此度の建部山城の件が一つ。

 近江の観音寺城の件が二つ目。

 そして、最後は今のあのお方が治めている岸和田城の一件でございます」


 その気になれば、彼は何度でも大名になれた。

 それに見向きもせずに彼は客将の身分のままでいたのである。

 和泉守護代と岸和田城主とて当人が望んだのではなく三好家から押し付けられたと思っており、これを彼の下で働いていた荒木村重に渡そうとして三好家中で物議を醸していた事は織田家にも聞こえていた。


「大名にならないで、どうして大友殿はあれだけの兵を掌握できたのやら……?」


 木下秀吉の言葉に明智光秀が答える。

 それを語る明智光秀の顔に懐かしさが浮かぶのに彼自身は気づいていない。


「あのお方は領地は持っておりませぬが、銭についてはかなり持っておりましたからな。

 城と領地が無くても生きていけるでしょう」


 三好政権における商業利権の代表者であり、大阪湾淀川琵琶湖交易の主導者だった彼には畿内一円の商家から唸るほどの献金が舞い込んできていた。

 それだけでなく、土佐経由の太平洋航路を佐伯一族を使い、長宗我部家と一条家を経由して握っており、毛利家で発生した信用不安に乗じて巨万の富を稼いだのはもはや伝説となっている。

 その富を存分に使った結果、ついに若狭後詰軍は兵糧も矢弾も困ることは無く、酒と女にすら不自由しなかったという信じられない戦で丹後を征服してみせたのである。

 明らかに、今までの戦とは違っていた。


「俺にあの戦ができるか?」


 不意に織田信長が尋ねる。

 二将は合わせたようにその問に答えた。


「難しいでしょうな。

 あのお方は武将というより商人に近いかと。

 大殿は大名。

 大名があえて商人の真似事をする必要は無いかと」


「大殿の戦は大友殿に近いとは思います。

 ですが、あの戦では大殿が得る物が無くなってしまいます」


 二将の言わん事を悟って、織田信長は改めて置いた酔象の駒に目を落す。

 まだ大友鎮成は太子に成っていない。

 だからこそ、それを操る王将こそ本当の脅威なのだと。

 大友鎮成を操って畿内の覇権を維持してみせた三好長慶こそが、織田信長の脅威なのだと。

 そこまで考えた時、織田信長の頭に違和感が走る。


「大殿?」

「どうなさいましたか?」


 織田信長の違和感に気づいた二将の声に織田信長は返事をしない。

 三好一族から姫までもらって一門に準する扱いを受けている大友鎮成は、どこでも生きていけるだけの富を既に手にしている。

 ならば、どうして彼はもっと三好家に深入りしないのだろうか? 

 松永久秀しかり、岩成友通しかり、三好家は準一門に一国を任せるだけの度量を常に見せていた。

 大友鎮成とて現在は和泉国守護代として和泉国を差配している。

 だが、それを大友鎮成は手放すという。

 その手放す理由は何だ?

 裏返せば、大友鎮成には三好家に深入りできない理由があるという事だ。

 それは名前から分かる。

 大友鎮成。

 九州探題大友家の一族で、現当主大友義鎮に何かあった時には大友家を継ぐ身となるからだ。

 九州六カ国の大名になる可能性があるのならば、たしかに一国の大名等気にもしないという事なのだろう。

 織田信長は下克上の申し子だ。

 元は尾張の守護代家の奉行職の家柄の三男から家を継ぎ、尾張を統一し、桶狭間で今川軍を破り、美濃を併合して現在がある。

 その過程で、守護大名家の権力抗争と内部分裂を何度も何度も見ているし、それに乗じたり煽ったりもした。

 三好政権とて盤石ではない。

 事実、和解はしたが足利義輝と三好長慶の確執は有名で、三好政権は公方を操る管領を操るという形でその政権を維持しており、政権運営の形は今も同じなのだ。

 付け入る隙はいくらでもある。

 同時に、今はその機では無い事も自覚する。

 現在の三好政権は、畿内周辺で六万近い兵を動員する事ができる。

 若狭や丹後を勢力圏に入れ、丹波を制圧したなら八万を越える兵を用意する事も夢ではない。

 それは、豊かな尾張・美濃・近江・越前を手に入れた織田信長でも相手にするにはきつい兵数である。

 とはいえ、織田信長に勝ち目がない訳ではない。

 何より有利なのは時間だ。

 三好長慶は四十代、織田信長は三十路に入ったばかり。

 先に墓に入るのは三好長慶の方だ。

 その時まで待ち、力をつければいい。

 

「一大事!

 一大事にございまする!!」


 織田信長の考えが途切れる。

 この声は若々しく、駆けてくる足音もどこか軽い。

 そして、一人の小姓が姿を見せる。 


「殿!

 こちらにおられましたか!!」


 声をかけて入ってきたのは堀秀政。

 仕えていた家が合わずに木下家の世話になっていたのだが、今回の戦には木下秀吉付きの小姓として参陣していた。

 部屋の中に織田信長の姿を見て慌てて平伏するが、織田信長は手を振ってそれを止めさせた。


「大殿は構わぬと仰せだ。

 何があった?」


 木下秀吉が問いただすと、堀秀政は顔をあげてそれを告げた。


「ただいま越後からの船が来て彼らが申すには、先ごろ信濃国塩崎にて上杉家と武田家の間で戦が起こり上杉家が大勝。

 武田家は嫡男武田義信に飯富虎昌が討ち取られたとの事」 


 その報告に木下秀吉が顔色を変える。

 彼は、上杉家経由で信濃に帰った小笠原長時の事を見ているからだ。

 それとこの戦を関連づけられないほど木下秀吉は馬鹿ではない。

 信濃が荒れる。

 それは、織田家の東側の脅威が減ることを意味する。

 それに気づかない織田信長ではない。


「誰かある!」

「ここに」


 織田信長が声を張り上げ、隣室にて控えていた金森長近が姿を表わす。

 それに見向きもせずに、織田信長は金森長近に命じる。


「村井貞勝に文を出せ。

 『公方推挙の義、草津および大津代官設置を認めて頂ければ名を連ねる』と」


「承知致しました」


 文を書いた金森長近が一礼して部屋から出てゆく。

 それを横目で見た織田信長は、部屋に残した二将に今後の方針を告げた。


「まずは南伊勢だ。

 次が加賀」


「そこから先は?」


 木下秀吉の問に、織田信長は笑った。

 それが冗談なのは分かるが、彼の目はまったく笑っていなかったからだ。

 その彼の視線の先には、酔象の駒が置かれていた。


「天下」

大雑把な領地石高。


筑前国猫城   六千石

丹後国建部山城 三万石

和泉国岸和田城 十万石




足利義栄  あしかが よしひで

和田貞秀  わだ さだひで

中島豊後守 なかじま ぶんごのかみ

織田信治  おだ のぶはる

一色義定  いっしき よしさだ

堀秀政   ほり ひでまさ

飯富虎昌  おぶ とらまさ

金森長近  かなもり ながちか

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ