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修羅の国九州のブラック戦国大名一門にチート転生したけど、周りが詰み過ぎてて史実どおりに討ち死にすらできないかもしれない  作者: 二日市とふろう (旧名:北部九州在住)
三好包囲網編

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若狭後詰 その5

 戦いにおいて絶対に握っておかないといけないものがある。

 それの事を主導権と言う。

 寡兵でもこの主導権を握っていると戦を左右できるし、大軍でもこの主導権がなければ戦に振り回される。

 武田義統との交渉は、この主導権をどっちが持っているかという戦いでもあった。


「ふざけたことを言いおって!」


「ですが、一色勢と共に来られたら苦戦するは必定。

 我らは一色勢の規模等まだ知らぬのですからな」


 小笠原長時が激昂するが、それを逸見昌経がなだめる。

 だが、語彙に小笠原長時に対する敵意が見え隠れするあたり、彼も地元の国人衆と再認識せざるをえない。


「それについては間者に探らせている」


 俺が険悪になりかかった空気を変えようと口を挟む。

 さっさと越後に渡りたい小笠原長時に対して、武田義統と一色義道が手を組んだら自領が一色家に併合されかねない逸見昌経のそりが合わないのはある意味当然である。

 で、決裂しているとはいえ、息子を何とか助けたい武田信豊の迷いがこの惨状を生み出していた。

 この時代によくある本陣の光景である。


「武田義統と一色義道が組んだ所で万は超えてこないだろう。

 普通に戦えば負けるとも思えぬ」


 自分自身で言うのも何なので、俺の顔は自然と苦笑してしまう。

 俺をじっと見て学ぼうとしている十河重存の視線に気づいているからだ。


「とはいえ、武田義統を背に一色義道と戦うは愚策。

 消耗した後では武田義統が従うとは思えぬ」


 三好軍一万と一色軍数千が戦うとしよう。

 背後に武田義統への押さえを同数置かないと怖いので、結局投入できる戦力は一色軍と同数まで落ちてしまう。

 最悪、武田義統が背後から襲えば敗北もあるのだ。

 これが最初の主導権の話に繋がってくる。


「という訳で、楽な戦いをしよう」


 俺の言葉に武田信豊の顔が青ざめる。

 武田義統との交渉を打ち切って攻め滅ぼすと勘違いしたらしい。

 だが、俺の次の言葉を予測できた者はこの中には居なかったのである。


「粟屋勝久の所に行って、朝倉家を攻める織田家を助けようと思う」




「大友殿!

 突然の来陣に感謝しますぞ!!」


 数日後。

 国吉城を訪れた俺が率いる大友軍三千と小笠原長時の二千は、単騎で駆けて来た木下秀吉の熱烈な歓迎を受けることになった。

 若狭と越前の国境になる関峠に陣取っていた朝倉軍三千を抜くことができずに苦戦していた彼にとって、この五千の援軍は天の恵みに思えただろう。


「何、木下殿の邪魔はするまいよ。

 敦賀港に用があってな」


 木下秀吉の目に警戒の色が浮かぶが、一瞬で消えて満面の笑みで話を続ける。

 このあたりの仮面のかぶり方は本当に超チートと思わざるを得ない。


「大友殿も敦賀港をご所望か!

 これは負けてられませぬなぁ!!」


 わざわざ警戒させる事もないので、さっさと狙いを話して安堵してもらう事にする。

 超チート相手に腹のさぐり合いなどする気もない。


「俺が欲しいのは領地じゃない。

 俺が借りたいのは船さ」


「ははぁ。

 背後を突かせるつもりですな」


 この一言で分かるのだから、この超チート。

 その分話が早いとも言う。


「その通り。

 という訳で、目の前の朝倉勢は我らに任せてもらおう。

 精強な越前兵相手に、悪党のみでは攻めあぐねていたのだろう?

 金ケ崎の調略はお任せしますゆえ」


 図星を突かれて木下秀吉の顔に汗が浮かぶ。

 配下に加えた猿飛仁助の一党は野盗達であって兵士ではない。

 士気は低いし、装備は揃っていない彼らをまがりなりにも戦力化できたのは、同じ立場で指揮してきた蜂須賀小六の存在が大きい。

 それでも関峠に陣取る朝倉軍正規兵を抜くのは無理があった。

 木下秀吉がここにいるのは、地の利を得て士気も練度も装備も優っている彼らの前に既に何度か撃退されていた証拠である。

 それでも笑顔を崩さないのはさすが。


「お頼み申す」

「承知」


 木下秀吉が去った後で一部始終を見ていた十河重存が近寄ってくる。

 その顔にありありと質問したいと書かれていたので、俺はその答えを先に言う事にした。


「箱ヶ岳城に残した野口殿が心配かな?

 安心なされよ。

 武田義統と一色義道は攻めては来ませぬよ」


「大友殿の意図が良くわからないのです。

 なぜ兵を分けたのか?

 そして、敵が攻めてこないことの確信。

 それがしには見えず、大友殿の目には何が見えていらっしゃるので?」


 三好家の有力一門となるであろう十河重存を教育するのは、俺にとっても大友家にとっても悪い話ではない。

 準一門扱いとはいえ基本的に外様である俺にとって、三好一門からの支持は無くしては生きていけないのだ。


「野口殿の手元にあるのは四千ほど。

 この戦力ならば、三千の兵を持つ武田義統が攻めても全力でも防げます。

 そして、一色義道は空になった後瀬山城を見逃さぬでしょうな。

 これが一つ」


 わざとらしく指を折る。

 こういうしぐさもわざとらしいが、説明している時には説得力がある様に見えるものだ。


「一色義道が野口殿を攻めても同じこと。

 背後を武田義統に晒して『攻めてくれ』と言っているようなもの。

 これもなし」


 先ほどと同じようなしぐさで指を折る。

 そして、一番言いたい事を最後に持ってきてケレン味を出すのだ。


「武田義統と一色義道が組む場合は、一色軍が占拠している逸見昌経の領地を渡すことを意味します。

 その上で残している逸見昌経殿と武田信豊殿の手勢を攻めるという事は、完全に一色家に屈する事になる。

 国人衆達は武田義統にそっぽを向くでしょうな」


 主導権とは、何処で戦を行うかと言い換えてもいい。

 武田義統は籠城している後瀬山城近辺で戦を起こす事で主導権を握ろうとしたが、俺はそれを無視することで主導権を奪ったのだ。

 今の武田義統は疑心暗鬼の霧の中で出口を探して彷徨っているに違いない。

 朝倉家の滅亡は、彼の最後の拠り所を崩壊させる事を意味する。

 そうなれば家中から嫌でも声が上がる。


「だからこそ、そこまで追い込んだ上で武田義統に手を差し伸べてやるのです。

 彼は掴んだ手を離さないでしょうからな。

 その為に、我らは敦賀港へ行くのです」


 翌日。

 物見の報告で関峠の朝倉軍は撤退しているのが確認された。

 地の利を得ているとはいえ、三倍近くなる兵力を支えきれないと判断したのが一つ。

 もう一つは、木下秀吉が待ち望んでいた報告のためだった。


「織田信長岐阜より出陣。

 兵数は分からず」


 俺の所に届いた第一報がこれである。

 織田信長の事だ。

 下手したらこちらが落す前に敦賀港に到着しかねない。

 そうなったら、木下秀吉に恩を売る企みがご破産になる。


「兵を進めるぞ!

 敦賀港を押さえる金ケ崎城へ向けて進軍!

 乱取りは絶対にするな!!」


 地元である粟屋勝久を先陣に木下秀吉、俺、小笠原長時の順に関峠を越える。

 その日の夜には敦賀港を占拠し、金ケ崎城を包囲。

 また、木下秀長が千の兵を率いて南方にあって放棄された疋田城を占拠している。

 金ケ崎城については木下秀吉の下で包囲が続いているが、俺の仕事はここまでである。


「船の手配から色々と。

 お世話になり申した」


 金ケ崎城包囲の次の日。

 小笠原長時が俺に頭を下げる。

 戦が続いても商いは続くわけで、略奪等を許さなかったのはこの為である。

 小笠原長時が越後経由で信濃に帰るのはいいが、率いていた兵全てが越後に行く訳ではない。

 多くは浪人衆として畿内で雇われていたので、千五百ほどの兵はそのまま三好家に雇用される事を望んだのである。

 つまり、小笠原長時を送り出す事で、彼が率いる兵を俺が直轄化したとも言う。 

 これで、三好軍内の意思統一がやりやすくなるのだ。

 俺の所には大鶴宗秋を始めとして、小野鎮幸、一万田鑑実、雄城長房、吉弘鎮理、荒木村重、島清興と兵を指揮できる将が揃っている。

 小笠原長時の見送りの後、吸収した兵の配分を大鶴宗秋に任せると、木下秀吉が護衛を連れてこっちにやってくる。


「大友殿!

 ちょうど良かった。

 金ケ崎城主朝倉景恒が降伏を決めたとの事」


 木下秀吉から聞いた朝倉家中の状況は詰んでいた。

 斎藤家支援のために行われた郡上八幡合戦で大敗した朝倉家だが、主導した朝倉景鏡の失脚は当然として朝倉景紀の長男をこの戦いで失っていたのである。

 朝倉景恒はこれによって還俗し、隠居した朝倉景紀の代わりに金ケ崎城主になった。

 その後、刀根坂合戦で辛うじて朝倉家は攻撃をしのいだが、もはや家中の統制はとれていないような状況に陥っていた。

 俺達若狭後詰軍に呼応して織田信長が再度兵を集め始めると、美濃に隣接する大野郡を領地とする朝倉景鏡が内応。

 越前の北を守っていた堀江景忠が加賀一向一揆に寝返ったという噂も広がり、織田信長は明智光秀を美濃油坂峠経由で越前に送り込み朝倉景鏡を支援。

 関峠で防戦していた朝倉景恒は後詰が送れる状況ではない事を悟り、兵を退いて木下秀吉に降伏する事にしたという。

 こうなるともう大名はその崩壊を押し留める事はできない。


「おめでとうこざいまする。

 我らは、返して一色攻めなので、ここでお別れですな」


「こちらも手助けができて嬉しい限り」


 俺と木下秀吉は港に浮かぶ船が西に向かうのを眺める。

 三好家の家紋の一つである釘抜紋を描いた帆は風を受けて西へ、若狭や丹後へ向かってゆく。


「助かり申した。

 木下殿から兵を分けて頂いたおかげで、こんなにすばやく船を出すことが出来申した」


「なんの。

 関峠でのお礼という事で」


 木下秀吉が配下に加えた猿飛仁助の一党には海賊あがりも多いのだ。

 若狭という国がそれだけ海と共に生活していたという証拠でもある。

 そんな海賊たちを俺は木下秀吉の了解の元で雇い、船を与えて一色家の本国である丹後を荒らすように命じたのだ。

 木下秀吉も金ケ崎城無血開城という大功があれど、朝倉景恒という大物武将を得た為に金ケ崎城の領有ができるかどうか怪しいので、無駄飯ぐらいになる連中を俺に押し付けたとも言う。

 で、俺はそんな彼らを海賊にして、一色家の丹後を荒らさせて、一色家を撤退に追い込もうとしている。

 超チートだと話が早いから、こういう駆け引きや取引もWIN=WINならほぼ確実に乗ってくれる。

 

「ご主人。

 何か騒がしくない?」


 護衛についていた井筒女之助がさり気なく俺と木下秀吉に警戒を促し、ついてきた田中久兵衛と十河重存が刀に手をかけるが、騒動の正体が俺達を見つけて近づいてくる。


「お、大殿!!!」


 木下秀吉の護衛が固まり、木下秀吉が即座に駆けてゆく。

 早い。

 おそらくは馬廻すら連れずに単騎で駆けて来たのかもしれない。

 それぐらい、目の前に居る織田信長の移動スピードは早かった。

 木下秀吉は一部始終を織田信長に伝え、織田信長は俺を睨みつけるので、三好家の臣としての礼で応じた。

 逃げ損なったという俺の心の声が妙に耳に残る。

 織田信長は俺に頭を下げた。


「大友殿。

 此度は敦賀攻めに協力していただいて感謝を」


 やられた。

 俺に頭を下げた事で、今回の若狭後詰に絡むあれこれを全部清算しやがった。

 裏はともかく、表向きはこれで何も言えなくなってしまった。


「いえいえ。

 頭をお上げくだされ。

 あくまで若狭の戦に必要だからこそ手伝いをしたまで。

 良き臣をお持ちになられた。

 では」


 礼を返して俺達はその場を立ち去る。

 見ると、田中久兵衛と十河重存が汗びっしょりで震えていた。

 あの覇気が分かるのか。

 あの怖さが分かるのか。

 若狭後詰での最大の収穫は、織田信長の異質さを三好一族が知ったという事なのかもしれない。


「ご主人。

 これ」


 井筒女之助が俺に手ぬぐいを渡す。

 波間に映る俺の顔も田中久兵衛や十河重存と同じようになっていた。

 それから一週間もしない間に、朝倉家は滅亡に追い込まれ、栄華を誇った一乗谷は朝倉義景と共に炎の中に消えることになる。

朝倉景恒 あさくら かげつね

朝倉景紀 あさくら かげのり

堀江景忠 ほりえ かげただ

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