表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

90/257

若狭後詰 その3

 琵琶湖西岸から若狭を目指すルートの場合、途中から浅井領に入る。

 正確には浅井領『もどき』なのがこの話の肝である。

 浅井家というのは前にも述べたが、国人衆から大名に成り上がった為に、周囲の国人衆が消極的支持しかしていないのだ。


「何だあいつ!

 大名面しやがって」


というよくある嫉妬心である。

 六角家の支配を脱する為に朝倉家と手を組み、美濃斎藤家と縁戚だったのに織田家と組み、史実ではこの織田家をも裏切って滅ぶのである。

 生き方がまんま国人衆の離合集散のそれである。

 とはいえ、浅井家が仮にも大名と見られたのは、近江という豊かな土地と街道の要所に琵琶湖水運から得られる経済力があった事。

 そして、織田・豊臣・徳川という天下人の血脈に組み込まれたからに他ならない。

 話がそれた。

 そんな『もどき』領地の通過の場合、領主の気分で進軍の難易度が格段に上がる。

 このあたりの関係もあって、案内役である木下秀吉の出番はどんどん増える訳だ。


「浅井家は兵を出しませぬか」

「申し訳ござらぬ。

 弾正忠様出陣において兵を出すと」


 木下秀吉の顔は涼しげだが、額に一筋浮いた汗が彼の焦りを見せつけていた。

 浅井家が織田家と組んだのは、浅井家の利害もあるからだ。

 浅井長政が浅井久政を隠居に追い込んだのはいいが、それによる体制の動揺は浅井家中で収まっていなかった。

 利の方に目を向ければ、豊かな近江の地と琵琶湖北岸を制圧できれば、並みの大名より豊かな暮らしができる。

 荒廃するだろう朝倉家の越前より、現在俺達がいる領地『もどき』を確実に領地化する方がリスクは少ない。

 そして、危機を脱した朝倉家もまだ戦力が残っている。

 出そうと思えば六千程度の兵は繰り出してくるだろう。

 武田義統も三千ほど兵を持っているから、真っ向からあたれば苦戦する可能性もある。


「構わぬよ。

 我らは若狭への後詰だからな。

 で、織田殿はいつ兵を出すのだ?」


 手を振って気にしない風を装う。

 木下秀吉の大博打と言ったが、現在彼の手勢千で敦賀港を落とそうというのだから。

 流れ者を集めて常備兵を組織する織田軍といえども連戦はきつい。

 かといって、俺の若狭後詰軍がそのまま未確定の越前敦賀港に入ったりしたら、一番おいしい所を三好に持っていかれる。

 だからこその木下秀吉の志願なのだろう。

 それは、敦賀港を落としてから織田軍の後詰が来るまで、一定時間朝倉軍を一手に引き受けることを意味する。


「兵は既に集めているはず。

 遅くとも我が手勢が敦賀港を落とせば、動いてくれるものかと」


 俺は三好家の金の成る木である大阪湾淀川琵琶湖交易の構築者として、そこから上がる情報にアクセスできる。

 そして、織田家が買い付けた物資の量から、おおよその兵力を推定すると八千程度。

 浅井家も出すといっているから、二家合わせて一万程度の兵だろうというあたりをつけている。

 勝てる戦なゆえに、朝倉家は盤をひっくり返す手を考えざるを得ない。


「女之助」

「はーい♪

 なになに?ご主人?」

「忍だけでなく、馬廻から兵を連れて行って構わん。

 本陣周りの見回りを密にしろ。

 公方様と同じく、俺を種子島で射抜くつもりだ」


 朝倉家にとって、これが一番確率の高い勝ち手なのだ。

 俺が撃たれて三好軍が後退すれば、少なくとも織田・浅井軍を相手に負けない戦いができる。

 朝倉軍にとっては、立て直せる時間がとにかく必要だった。


「失礼ですが、狙ってきますか?」

「それがしだったら、狙いますな」 


 俺の命を受けて走り去った女之助の後姿を眺めていたら、木下秀吉が呟く。

 俺は返事を返して、果心が俺をハメた策を思いだす。

 おそらく、狙撃の依頼主は一人ではないし、毛利元就に暗殺者を雇うだけの時間も無い。

 だが、公方様が種子島で撃たれた事は聞こえているし、朝倉家と毛利家は時間がかかるが船で連絡できる。

 朝倉家に毛利家が支援した程度の可能性は考えておいていい。

 更に、一枚絡むとしたら、果心が警戒している武田家だろう。

 小笠原長時の帰還は上杉家の支援が決まっているのも武田家が知らないはずが無い。

 若狭から船が使えないと、小笠原長時は越後に、信濃に帰れないのだ。


「先の公方様を狙った足軽を探しているのですが、大友殿を狙うというのもその足軽では?」

「でしょうな。

 探しているという事は、あてはあるのですかな?」


 こっちが飄々としているので、木下秀吉も口が軽くなる。

 だからこそ、彼も飄々としてその足軽の名前を口にした。


「甲賀の忍、杉谷善住坊と名乗っているとか。

 手を回して探しているのですが、甲賀をはじめ南近江にはどうもおらず」


 風が吹く。

 その吹き付ける風に俺は思わずには居られない。

 彼の次の狙いが俺であるという歴史的意義を。




 鉄砲に寄る狙撃の有効範囲は20メートル。

 しかも種子島は火縄銃だから煙と臭いが出る。

 だからこそ隠れて狙う必要があって、杉谷善住坊が史実で狙った織田信長の時は千種越えという山道を使った。

 それを考えるならば、奴が俺を狙う場所は若狭との国境である水坂峠だろうと踏んでいた。

 だからこそ、その銃声が琵琶湖に轟いた時、俺だけでなく陣中の全軍の足が止まった。


「!」

「何事だ!!」

「御曹司が狙われたぞ!!」

「御曹司はご無事か!?」

「探せ!

 撃った輩を必ず見つけ出すのだ!!」


 その狙撃は山と琵琶湖が一番近い場所で起こった。

 近くには白髭大明神と呼ばれる神社があり、慌てて俺の周囲の馬廻が俺を守る。


「御曹司!

 ご無事で!?」


 駆けつけた小野鎮幸に手を振る。

 馬上の俺は体を触るが、どこにも傷はない。


「そこの大明神の加護だろうな。

 どうやら外したみたいだ」


「聞け!!!

 御曹司はご無事だ!

 隊を乱すでないぞ!!」


 大鶴宗秋が伝令を走らせて俺の無事を伝える。

 特に織田軍の動揺は激しく、木下秀吉がわざわざ単騎で駆けて来て俺の無事を確かめる始末。

 鉄砲による狙撃の怖さをまざまざと見せつける結果になった。

 だが、それによる影響も大きかった。

 挨拶に来た高島郡の国人衆達に俺が狙われた事を告げ、犯人を探しだせと俺が厳命したのである。

 この手の狙撃において、失敗すると人々は掌を返すように冷たくなる。

 高島滞在から五日後、杉谷善住坊は縄をうたれて俺の前に姿をあらわす事になった。


「お前が杉谷善住坊か?」


「おうとも。

 公方様を討ち、大友主計助を狙おうとした男よ!

 どこぞの下手糞のせいでこんな姿になったがな」


 杉谷善住坊の吐き捨てるような言葉に、一緒に居た木下秀吉が怒鳴る。


「嘘偽りを申すな!

 大友殿を琵琶湖湖岸で狙ったのは貴様だろうに!!!」


「俺じゃ無い!

 何であんな場所で狙わねばならんのだ!!

 誰か知らぬが下手糞がしくじった事が若狭にも流れ、俺の仕業と言われて仕方なく尻拭いに出向いた結果がこれだ!」


「何……だと?」


 杉谷善住坊の怒気にまみれた告白に木下秀吉が怪訝な顔をしているのを見て、俺はたまらず吹き出す。

 その笑い声に杉谷善住坊の怒りを更に買ってしまう。


「何がおかしい!!!」


「ははっ。

 そりゃおかしいさ。

 お前、自分で答えを言っているのに気づかないんだからな」


「何?」


 杉谷善住坊の顔が怒りから怯えに変わる。

 木下秀吉と同じ、『何を言っている?こいつ??』と顔が語っているので、俺は答え合わせをしてやる事にした。


「入って来い。

 こいつが、お前が捕らわれる羽目になった下手糞さ」


「ご主人。

 ちょっとそれひどくない?

 鉢屋衆が忍。

 井筒女之助だよっ♪」


 種子島を持ってドヤ顔でキメる井筒女之助をそのまま放置プレイにしておいて、俺は唖然とする杉谷善住坊に説明をする。

 なお木下秀吉はドン引きしているので、こっちの仕掛けはほぼ見ぬいたという事なのだろう。さすが最強チートの一人。


「何時、何処で狙われるか?

 こいつがわからないと、こちらは守れないからな。

 ましてや公方様を射抜いた凄腕だ。

 で、水坂峠だろうと踏んでいたがあんな山の中を探すのは骨が折れる。

 ならば、隠れているだろうお前に出てきてもらおうと思った訳だ」


 『俺が狙われた』という流言だけ広める事もできた。

 だが、それだとこちらの嘘がバレる可能性があった。

 策として人を騙すならば、本当のように可能な限り見せるべし。

 西日本最強のチート爺毛利元就のお家芸である。

 そろそろ種子島を持った男の娘が涙目でこっちを睨んでいるので、頭をなでてごまかしておこう。

 それで機嫌が良くなるのでちょろいと思いながらも、俺は杉谷善住坊への説明を続ける。


「この手の仕事ってのは上手く言って無視、しくじれば罵倒されるって汚れ仕事だ。

 あえて失敗を広めれば、絶対にこっちにやって来ると思っていたよ。

 逃げ場は無く失敗で俺が激怒しているので、国人衆も俺への機嫌取りにお前の首を本気で探す。

 ほら。

 こうしてお前は縄で縛られて俺の前に出てきた」


 俺の笑いながらの説明に杉谷善住坊はたまらず口を挟む。

 その顔が恐怖というか畏怖というか、何か人ではない者を見るような目をしているのがちょっと気に入らないが。


「貴様正気か!?

 たったそれだけの為に、その身を危険に晒したというのか?

 空撃ちだろうと、種子島をお前に向けたのだぞ!

 そいつが裏切って弾をこめていたらどうするつもりだったのだ!?」


「決まっているだろう?

 潔く討たれるさ。

 こっちが頼んで種子島を渡したんだ。

 ならば、己の命で購うのが筋だろう?」


 見事なまでに時が凍る。

 杉谷善住坊と木下秀吉が同じ顔をしているのが面白いのだが、笑うのを我慢する。

 なお、頭を撫でている男の娘が顔で『そんなことしないもん!』と主張しているのはガン無視している。


「……狂ってやがる」


「それが大名になるって事さ。

 さてと、種明かしも済んだので、一つ聞きたい。

 公方様を撃ったのはお前か?」


「そうさ。

 ただの鉄砲足軽だった俺の誇る最高の一撃だった。

 それをお前にも味あわせられないのは残念だ」


 杉谷善住坊の顔に恍惚が現れたのを見て、嘘をついていない事が分かる。

 剣豪将軍足利義輝よ。

 あなたは確かに剣豪だったのだろう。

 真柄兄弟に杉谷善住坊という一流所を揃えてやっとその命を奪えたのだから。


「聞きたかったのはそれだけさ。

 三好はこの件で罪は問わぬ。

 木下殿。

 後はお好きなように」


 ただの鉄砲足軽だったならば、これで逃げる事ができた。

 だが、一流故に、己が射抜いた最大の獲物を否定する事ができない。

 鉄砲玉が鉄砲玉と呼ばれて使い捨てられる最大の理由がコレだ。

 彼は、一流故に、自らの死刑に自ら署名したのだ。


「大友殿はああ言ったが、公方様を狙った一件は聞き捨てならぬ!

 岐阜の大殿の前に連れて行き、その報いをきっちり受けてもらおう!!

 連れてゆけ」


「大友鎮成!

 貴様はろくな死に方はしないぞ!!

 覚えておくがいい!

 これからも、俺のような輩が送り込まれるぞ!

 覚悟しておけ!!!」


 足軽に引き立てられながら、杉谷善住坊が最後の負け惜しみを言う。

 ここで恐怖に引きつる事ができたならば、彼も溜飲を下げるのだろうが、俺は笑顔でその言葉にこう返してあげた。


「ああ。

 知っているよ。

 それだったら嬉しいんだけどな」


と。

 後日談になるが、岐阜にて彼は拷問の後で史実どおり鋸挽きの刑で処刑された。

 こうして、彼は剣豪将軍を鉄砲で射抜いた男としてこちらでも歴史に名を残す事になった。


 


「どうした女之助?」


 杉谷善住坊が引っ立てられた後、陣中に戻る時の事。

 いつものくノ一姿の井筒女之助がめずらしく真顔なので尋ねてみる。


「ご主人。

 やっぱり悔しいから、抱いてよ」


「諦めろ。

 これだけ優遇しているのに不満か?」


「まあね。

 だって、ご主人の最後の信頼を得られてないもの」


 杉谷善住坊とのやり取りで、俺達は一つだけ杉谷善住坊と木下秀吉に嘘をついた。

 鉄砲で狙撃したのは井筒女之助では無いのだ。

 あの異様さを醸し出した俺の物言いも実は芝居だったりする。

 それを狙ったのは、杉谷善住坊ぐらいのプロだったら、井筒女之助が狙ったという嘘がばれる可能性があったからだ。


「悔しいなぁ。

 男ってだけで果心さんに負けているのが」


 そう。

 俺を狙ったのは果心である。

 井筒女之助は忍として周辺の警護に当たっているので、狙撃後に何食わぬ顔で戻る事ができるのは果心しかいなかったのだ。

 そして、彼女は俺が居る事で今の身分を得ている。

 彼女はどうあがいても俺を殺すことができないからこそ、俺の狙撃を頼んだのである。

 

「そりゃあ、くノ一としても負けているけどさぁ。

 胸なの?

 ご主人やっぱり胸なの?」


「いや、それ以前に……」


 返事を返そうとしたら何やら陣内が騒がしい。

 どうも何か揉めているみたいだ。

 で、揉めていた足軽に尋ねることにする。


「どうした?」


「申し訳ございませぬ。

 御曹司。

 こいつが……」


「こいつじゃない!

 俺には田中久兵衛って名前があるんだ!」


 俺を侍と踏んで男が俺に対象を変える。

 見るからに農民みたいだが、何があったと尋ねたらこんな返事が帰ってきた。


「お侍様!

 どうか俺を雇ってくれよ!!

 近江の農家を継いでいたが、侍が若党数人を引き連れて槍を持たせているのを見て、侍でなければ人でなしと悟ったんだ!

 この戦で功績を立ててみせるからさ!!」


 この手の勝手働きというのは結構来る。

 で、勝てば好き勝手に略奪に走り、負ければ落ち武者狩りに化ける。

 めんどくさい事この上ないので、この手のは大鶴宗秋以下に全部ぶん投げているのだった。

 ある意味、この農民の運はいいのだろう。

 俺に会えたのだから。


「ところで、久兵衛さん。

 今、話しているお侍が誰なのか分かってそれを頼んでいるのかなぁ?」


 井筒女之助が艶っぽい声で田中久兵衛に囁く。

 明らかにからかっているのだが、この農民空気を読めなかった。


「知らねぇ。

 けど、俺は侍になりたいんだ!!

 妻と離縁し、美濃岐阜辺りを徘徊し、やっとの事で木綿島の袴一具を買ったんだ!

 どうか雇ってくれよ!」


 たまらず俺と井筒女之助が吹き出す。 

 ここまで自分本位だとかえって清々しい。

  

「ご主人。

 足軽ならいいんじゃない?」


 人間笑ったら負けである。

 万の兵を率いる身だ。

 足軽の一人や二人増えた所で、問題はないだろう。


「いいさ。雇ってやる。

 だが、その前に」


 持っていた銭袋をぽんと田中久兵衛に投げる。

 これだけで農家ならば一年は暮らせるのだが、俺にとってははした金である。

 ぽかんとする彼に、笑って最初の命令を告げた。


「その銭を持って、女房にちゃんと詫びて、武具を買って来い。

 その時に俺の名前を教えてやろう」


 数日後、言われたとおりに女房に詫びた後で武具を買い、控えていた足軽から俺のことを聞いたのだろう。

 渾身の土下座を俺にかましている彼を発見し、井筒女之助と共に大爆笑する事になるのだがそれは後の話。

杉谷善住坊 すぎたに ぜんじゅぼう

田中久兵衛 たなか きゅうべえ



12/5

少し加筆

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ