祟りと城取りと御坊
「今日はこのぐらいにしましょうか。御曹司。有明殿」
最近、頼まれもしないのに大鶴宗秋は滞在している神屋の離れにやってきては、俺に勉強を押し付けてくる。
このあたりの抜け目のなさを察してか、薄田七左衛門はさっさと博多の町に繰り出して姿を隠していた。
これを無視すればと思ったが、器量才覚に優れていた為に大友義鎮から命じられて都で三年間逗留し、室町幕府政所執事職にいた伊勢貞孝に師事し礼儀作法を学び、猿楽、刀剣の目利きなども習い得て帰参したという経歴を持つ。
堺に逃げるのを考えていた俺達にとって、この伊勢礼法と呼ばれる武家礼法を学ぶのはきっと役に立つと踏んだからこそ、この勝手授業につきあっている。
「なんだか肩がこるわ。武家って」
「そう言ってくださるな。
有明殿とて、大神の流れを組む武家の出。
御曹司の室となるならば、学んで損はせぬと思いますが」
こうやってこっちの情報が全部バレているのをちくりと刺すのがまた心臓に悪い。
情報が流れているから、こっちの欲しいものをあっさりと出してくるのだ。
たとえば、
「今、加判衆の一人である雄城治景殿の所に使いを出して、有明殿を養女にという話を進めておりまする。
雄城殿の養女という事になれば、御曹司と結ばれても誰も文句は言うまいて」
それを最初聞いた有明の目から涙が零れたのをどうして咎めることができるだろう。
そうやって繋がった先には大友家の都合の良い駒になるという選択肢しかないと分かっていたとしても。
大友家最高意思決定機関加判衆。
発行する書状に加判、つまりサインをする重臣連中の事だが、雄城治景は小原鑑元の乱の後決定的に弱体化した他紋衆唯一の重臣である。
しかも、その血脈は小原鑑元と同じ豊後の地場国人衆の元締たる大神系国人衆に行き着く。
それの意味する所は一つしか無い。
過去、多くの大神系の家に行われた家の乗っ取りだ。
雄城治景は乱に関与はしなかったとはいえ失脚が噂されるほどに孤立していたが、俺を養子にして雄城家を乗っ取られればお家取り潰しは避けられると踏んだのだろう。
戦国時代において血と家のどちらに重きをおくかといえば、家に重きが置かれる。
このままでは何もせずに状況だけが整って、傀儡にならざるをえなくなる。
既成事実が積み上がりつつ今、なんとしても盤をひっくり返さないといけなかった。
「御曹司。
よろしいですかな?
御曹司に客人が来ておりますが」
障子向こうから神屋の丁稚が俺に声をかける。
考えを中断した俺は客人の名前を尋ね、その客人の名にあってみようと決めたのだった。
「はい。
火山神九郎と名乗っており、もうけ話をもってきたと」
「筑前国宗像郡に根を張る宗像家は知っているか?
あっこがまだ揉めている」
有明および大鶴宗秋の立ち会いのもと、火山神九郎はそう口を切り出す。
宗像家は宗像大社大宮司家が武士化した家で、航海の神様たる宗像三女神の加護から強力な水軍衆を擁していた家である。
その為、毛利家との関係が深い。
門司における大友家と毛利家の合戦の最中で背後が騒がしくなりつつある今、こういう火種が火を吹きつつあるのだった。
俺達が何も言わないのを肯定と受け取って、火山神九郎は更に続きを話す。
「家中が収まっておらず、城を奪うならば、格好の機会だと思わないか?」
火山神九郎が楽しそうに笑う。
彼は海賊だし、宗像家は水軍衆の強い家として名が聞こえていた。
おそらくそのあたりが情報源なのだろう。
宗像家は大内家崩壊のきっかけとなった、大寧寺の変によって狂った家の一つである。
大内義隆が家臣の陶隆房の謀反によって滅ぼされた時、宗像家当主だった宗像氏男がこの変に巻き込まれて討ち死にしてしまい、お家争いが勃発。
現当主宗像氏貞とその相手側のお家争いは凄惨を極め、最初は陶隆房、今は毛利元就の支援のもとで相手側を粛清し、北部九州における明確な親毛利勢力として大友家から警戒されていた。
「待たれよ。
宗像の争いは、毛利の支援のもと宗像鎮氏殿が討たれて終わったと聞き及んでいるか?」
横から大鶴宗秋が口を出す。
なお、大友家は宗像鎮氏を支援して一時は宗像氏貞を大島へ逃亡させるまで追い込んだが、門司合戦の勃発で形勢は逆転。
門司に全力を注がざるをえない大友家が支援を打ち切り、打ち切られた宗像鎮氏の滅亡という形で騒動が終わっている。
「それで終わるなら、この話を持ち込んだりしない。
祟りで家中がめちゃくちゃになっている。
宗像家は元々毛利側に近い家なのだが、怨霊のせいで身動きがとれない」
「祟り?」
なんか聞きなれない単語が出てきたので、思わず口を挟む。
まってましたとばかり、火山神九郎は祟りのことを口にした。
「宗像家のお家騒動で、宗像氏貞は慕われていた義母山田局と異母妹菊姫をはじめ待女4人を斬殺し、これが祟りの原因になった。
殺しも殺したりで、分かるだけでその数三百人以上。
狂った者は、宗像氏貞の母親に妹の色姫と数知れず。
で、宗像氏貞の正室が先ごろ戦に敗れた筑紫家の娘だが、これが家臣との不義密通で殺された。
その正室との間にできた子供は病で死に。
まだまだあるぞ」
「……」
「……」
「……」
末法の世である戦国時代だからこそ色々あるだろうが、ここまで列挙されると何を言っていいか困る。
さすがに祟りというものがあるとは思えないが、それによって行われた殺人は本物だ。
古より続く、日本の田舎の凄惨たる景色の原型がこんな所に出ている。
「で、その祟りと城取りがどう繋がるんだ?」
意を決した俺が低い声で問いただす。
こんな怨霊はびこる土地なんて欲しくもないが、大友家の傀儡にされつつある今、自ら奪い取った武功と城というのは大友家に物申すカードの一つになりうる。
条件次第では乗ってもいいと考えていた。
「許斐岳城という城がある。
宗像鎮氏が拠点にした城だが、祟りで荒れ果てた宗像家には改修する銭も守備する兵もない。
おまけに、周囲には宗像鎮氏側についた連中が野盗化しているという。
奪うならば格好の城だと思わないか?」
美濃国斎藤道三、相模国北条早雲、出雲国尼子経久、大和国松永久秀。
城取りどころか国盗りを成した大名も居ることにはいる。
だからこそ、
「いつかは俺も……」
と野心をたぎらせる悪党がこの戦国は無駄なほどいる訳で、火山神九郎もそんな一人なのだろう。
そして、俺にこういう話を振ってきたという事は、俺の正体がバレたと見るべきだ。
火山神九郎は言いたいことだけ言って連絡先を告げて去っていった。
後に残るは、何か言いたげな有明とじっと考えている大鶴宗秋のみ。
「八郎。
この話、受けるの?」
有明の声は今まで聞いたことがないぐらいに弱々しい。
遊女からかつてのお姫様に戻れるかもという期待と、俺を失うかもという恐怖で揺れているのだ。
その声に何かを返してやらないと有明が消えてしまいそうな錯覚を覚え、俺は口を開いた。
「美味しい話には裏がある。
大友家は今の話掴んでいたか?」
「ある程度は。
ここまで荒れているとは知りませなんだが」
ある程度の信憑性はあるという事で、かえって話がややこしくなった。
この一件が、門司合戦とリンクしてしまったからだ。
今の話を大鶴宗秋が告げない理由はなく、大友家からすれば、強力な水軍を有して博多を直撃できる親毛利勢力の宗像家を叩くチャンスだからだ。
後は、叩く理由である。
これもできてしまう。
毛利側への内通と祟りによる民心離脱、そして俺の初陣だ。
どうする?
何もせずに門司に連れて行かれるか、宗像攻めを初陣にして名をあげるか、それとも……
俺の心は迷い、選択をする事ができなかった。
「何が起こった!!」
「竜造寺の夜討ちです!」
「殿を守れ!
なんとしても落ち延びさせよ!!」
「戸次陣へ使者を走らせよ!
竜造寺勢の夜討ちを受けていると!
戸次勢が来るまで本陣を持ちこたえさせるのだ!!」
ああ。
これは夢だ。
だって、これは俺が未来において死ぬ場所なのだから。
「大友八郎が首打ち取る事ができなんだら、城には帰らぬ!!
この戦勝てば、あの幕紋を家紋としようぞ!」
「納富信景ここにあり!
大友勢よ!
落ち延びるならば、我が手勢を超えてゆくがいい!!」
「成松信勝でござる。
大友主従とお見受けするが、もはやこれまで。
観念なされよ」
今山合戦。
六万という大軍を擁しながら、数千の竜造寺軍に惨敗したこの戦いの総大将が俺だ。
そして、落ちる俺の首はそいつをはっきりと見つめていた。
鍋島信生。
いや、分かりやすい名前で言うと鍋島直茂。
修羅の国の九州において、文武両立したトップクラスの名将の一人。
「……ん
どうしたの?」
飛び起きた俺に有明が気づいて声をかけるが、吐く息が戻るまで俺は声をだすことが出来なかった。
それに気づいた有明が心配そうに顔を見つめて、やっと今の夢が夢だと自分に言い聞かせることができるようになる。
「すまん。
悪い夢を見た」
「大丈夫よ。
夢は覚めることができる。
ほら、私は夢じゃないでしょ」
そのまま有明が俺に抱きついてくる。
その肌のぬくもりや匂いが現実だと認識させてくれる。
「ああ。
そうだな」
このまま有明を押し倒したい所だが、体が震えるなと思ったら冷や汗をかいていたことに気づいて苦笑する。
少しだけ有明と睦み合った後で起き上がり、井戸に体を洗いに行く。
「天の海に 雲の波立ち 月の舟 星の林に 漕ぎ隠る見ゆ」
そんな声がおれにかかるのは、井戸前の部屋で誰かが歌を読んだからだろう。
万葉集柿本人麻呂の歌で、
広大な天の海、そこに浮かぶ雲は、まるで白波のようだ。
その天の海を月の船が進み、星々の林の中へ消えてゆく。
なんて叙景歌の一つである。
見上げると、たしかに月の船が雲の波間に浮かんでいるようにみえる。
この部屋の客人はかなりの風流人らしい。
その雅さに思わず立ち止まり、つい声をかけてしまう。
「万葉集ですか」
「失礼を。
ただ一人月を眺めるのも味気ないと思いましてな」
障子が開くと、そこには一人の老僧が笑顔を浮かべていた。
徳を積んだのだろうその笑顔から、挨拶と自己紹介が告げられる。
「東福寺の僧、恵心と申しましてな。
神屋殿の客として滞在している次第」
大鶴宗秋が学んだ人は伊勢貞丈なのですが、系図では見つからず、時期的この人だろうと伊勢貞孝に変更しています。
伊勢貞孝 いせ さだたか
雄城治景 おぎ はるかげ
大内義隆 おおうち よしたか
陶隆房 すえ たかふさ
宗像氏男 むなかた うじお
宗像氏貞 むなかた うじさだ
宗像鎮氏 むなかた しげうじ
斎藤道三 さいとう どうさん
北条早雲 ほうじょう そううん
尼子経久 あまこ つねひさ
松永久秀 まつなが ひさひで
納富信景 のうとみ のぶかげ
成松信勝 なりまつ のぶかつ
鍋島信生 なべしま のぶなり
鍋島直茂 なべしま なおしげ
柿本人麻呂 かきのもと の ひとまろ
恵心 えしん
4/1 少し修正
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『チート』という文字を置き換え