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修羅の国九州のブラック戦国大名一門にチート転生したけど、周りが詰み過ぎてて史実どおりに討ち死にすらできないかもしれない  作者: 二日市とふろう (旧名:北部九州在住)
三好包囲網編

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若狭後詰 その1 (加筆修正予定)

 三好家と織田家の京を巡るせめぎあいは、予想通り玉虫色の決着となった。

 織田家は平島公方を認め、管領には口を出さず、公方様が京を治めるという事に同意して京を明け渡す。

 その代わりに淀城は織田家の京滞在拠点として、森可成が城主として滞在することになった。

 三好との話が付くと織田軍は軍を即座に退かせて京より撤退。

 南近江の統治もあるのだろうが、織田家の狙いはとどめがさせなかった越前朝倉家なのだろう。

 その一方で三好家の丹波戦線は泥沼に突入していた。

 三好軍の後詰を受けながらも荻野直政と波多野元秀の抵抗は収まらず、若狭武田家まで手が回らない。

 それを見た丹後一色家が因縁深い若狭に介入。

 一度火がつくとこのように連鎖するのが戦国時代とはいえあまりにも酷く、さらなる後詰を送ることが内定していた。

 だが、そのためにも平島公方を京に擁立してちゃんと権威を確保しなければならない。

 三好家は三好家で、京の復興から朝廷工作等根回しに全力をかけなければならなかった。


「で、俺達の出番という訳だ」

「何かいいましたか?御曹司?」

「んや。

 何も」


 大鶴宗秋の声を適当に受け流して、馬上から淀川を眺める。

 南でちょうど出陣準備が整っていた俺達は、かくして若狭武田家向けの後詰として送られることになった。

 俺が率いる兵三千に小笠原長時の手勢二千も指揮下に入り、和泉河内は四国から三好義賢が出て目を光らせる事になっていた。

 なお、小笠原長時は畿内における戦いはこれが最後になる。

 信濃方面で武田家に押されている越後上杉家が押し返す為の駒として彼の帰国を支援することが決まったからだ。

 元々は足利義輝が進めていた策だが、それを三好家が進めたのも、武田家と信濃で隣接している織田家へのカードとして使ったという裏事情がある。

 話がそれた。

 この軍勢の実質的な総大将は俺。

 実質的とついたのは三好一族の総大将を求めたからで、現状京復興と平島公方の件で忙しい三好家の事を考えてこちらが指名したのは野口冬長。

 三好兄弟の五男で淡路水軍衆の野口家に養子に入った人で、兵二千を率いての参陣である。



若狭後詰軍

 総大将 野口冬長 二千

 副将  大友鎮成 三千

    小笠原長時 二千


若狭親三好勢力

     武田信豊  千

     粟屋勝久  千

     逸見昌経  千

  

合計        一万



 なお、俺の部隊三千は俺が連れてこれる連中全てを連れてきている。

 片鷹羽片杏葉の旗が真新しい。

 久米田合戦や教興寺合戦、観音寺騒動では間に合わなかった俺の旗を侍や足軽達がつけている。

 三好家の三階菱紋と区別をつける為というのが理由である。

 小笠原長時も三階菱紋なので実にややこしい。

 なお、俺の居場所を示す馬印は、橙色の片鷹羽片杏葉の大旗である。

 このあたりの旗の準備などは三好家による職人の紹介がなければ数が揃えられないものだ。

 こういう所を見る限り、この若狭後詰軍は決して手を抜いていないのが分かる。

 他にも手を抜いていない証拠が俺の馬印を見つけて馬をつけてくる。


「こちらに居ましたか!大友殿!

 伝令が勝竜寺城の三好筑前守様より文を持ってきておりますぞ。

 今夜は勝竜寺城にて歓待したいと」


 十河重存。

 後の別名三好義継と呼ばれる若武者が俺に文を差し出す。

 元服しての初陣だそうな。

 何も俺みたいな所につけなくてもいいと思うのだがと挨拶の時思ったが、彼の一言が容赦なく俺に刺さる。


「九州の仁将かつ、今趙雲と名高い大友殿と共に戦ができて嬉しい限り!

 ぜひ、色々と学ばせて下さい!!」


 お願いだから、そのキラキラ視線は止めて欲しい。

 そんな虚名俺じゃないから。

 三好家の信頼と期待が露骨に分かろうというもの。

 勝竜寺城に入ったら入ったで、次々と歓待の為に人がやってくる。

 正直うっとうしいと思うが、ここまで名を売った覚えはないので首をひねる。


「いや。

 ご主人それはおかしい」


 俺の内心を容赦なく読んで的確なつっこみをしてくれたのは、男の娘くノ一の井筒女之助。

 禿姿がよく似合うが、一応戦場である。


「九州の門司城合戦の初陣はまあ畿内だから置いておくとして、久米田合戦の殿、教興寺合戦、観音寺城籠城ってここ最近の戦にご主人絡み続けているじゃないですか。

 公方様が討たれた刀根坂の戦いも、公方様はご主人の参戦を望んでいたのだから」


 知っていた。

 というか、俺の和泉国守護代がそもそも公方様の軍勢に俺を参加させないための三好家の横槍みたいなものである。

 で、三好家が本気で若狭介入するとなったら、俺に十河重存をつけるというこの厚遇ぶりがよくわからない。


「あー。

 ご主人はその視点が抜けているのか」


 だから心を読むな。井筒女之助。

 こっちの心中ツッコミなんて気にせず、僕っ娘男の娘はえへんと指を俺につきつけた。


「あのさ。ご主人。

 明らかに同世代の中で、ご主人の勲功は群を抜いているの。

 普通、ご主人ぐらいの若武者が殿で命を捨てることはあっても、殿を成功させる事なんてありえないんだから!」


 なるほど。

 俺の勲功の理由はそこにあったか。

 久米田合戦。

 俺からすれば、あれが一番楽だった戦なんだけどなぁ。

 なんて事を言える訳もなく、僕っ娘男の娘のありがたいお説教を適当に流していたら、ふいに横から声がかけられた。


「おおっ!

 もしかして、大友主計助様ではございませぬか!?」


「違う。

 ただの浪人。

 菊池鎮成だよ」


 なお、このフレーズをスルーしてくれるのが畿内のお約束である。

 この名前が働くためには久米田合戦に参加しないという選択が必要であり、実はかなり前から詰んでいるというのは気づかない事にしている。


「しかし見事な馬印ですなぁ。

 兵も精強で装備も潤沢と羨ましい限りで」


 堺をはじめとした商業都市を抱えているメリットの一つが、装備調達のしやすさだ。

 意外と思うが、足軽あたりは自前の具足を用意できる者は少なく、お貸し具足と呼ばれる装備を大名家が貸し出していたのだ。

 だが、大規模な戦となるとそれでも装備は足りずに夜盗みたいな姿で合戦場に出るなんてこともしばしば。

 銭があるので自前の軍勢については堺商人に頼んで新品の武具を調達したのである。

 戦場で生死を分けるのはこんな所の差だったりする訳で、それを目の前の男は羨ましそうに褒める。

 いつの間にか俺の手を握って振るが、うっとうしさが不思議な事にない。


「お目にかかりたいと思っており申した。

 美濃国墨俣城主、木下藤吉郎秀吉と申します!

 大友殿の武功は明智殿より聞き及んでおりますぞ!!」


 うわぁ。

 何でここにいる木下秀吉。いや。後の天下人豊臣秀吉よ。

 このレベルのチートになると、こっちの考えていることでも分かるのだろうか勝手に説明してくれる。


「それがしは、京にて公方様や三好殿と折衝をする為にこの地におり申してな。

 此度は殿より命を受けており申して、大友殿を幕府奉公衆にお誘いするようにと」


 木下秀吉の言っている事は要するに引きぬきである。

 三好政権というのは、何度も繰り返すが室町幕府を操る管領を操る事で政権を運営していた。

 で、その幕府と管領が同時に居なくなったのがこの惨状を起こしていた。

 その為に、まず幕府を再興して管領を決めた後で組織を再興しないといけなかった。

 この幕府の再興は新興勢力である織田家にとっても悪い話ではない。

 美濃・北伊勢・南近江と急激に広がった新領地の統治に幕府の権威は使えるからだ。

 基本的な事は織田信長が決めるのだろうが、彼にはまだ権威が足りないし無理を通す実力も足りない。

 で、織田信長が決めた事に幕命という権威をつける役がこの木下秀吉という訳だ。

 そういう使える所は遠慮なく使うというあたりが織田信長らしい。

 後で聞いた所によると、他にも村井貞勝や丹羽長秀らが残っているらしい。


「お断りいたそう。

 いずれは帰らねばならぬ身だ。

 この地に骨を埋めるつもりはないよ」


 帰ったら帰ったで居場所なんて無いのだが、そんな事をおくびに出さずに俺は木下秀吉の申し出を断る。

 向こうもそのあたりは読んでいたのだろう。

 本命を持ち出してくる。


「実は、近江の商人共が騒いでおりましてな。

 『大友殿が作られた淀川の仕組みを壊さないで欲しい』と」


 観音寺騒動で六角家が没落した結果、近江琵琶湖水運は三好家の淀川交易と繋がっていた。

 近江が織田勢力圏になる事でそれから切り離される事を近江商人は嫌い、それを訴えたのだろう。

 で、伊勢湾交易という銭の利権でここまで大きくなった織田信長も、その金の卵を生むガチョウを殺すつもりはないと。

 このあたりも織田が譲歩した原因の一つなのかもしれない。


「つまり、それをなんとかしろと?」


 問題は、俺が三好にいる事で織田勢力圏から離される事にある。

 ならば俺を幕府の中に入れてしまえば、今の織田と三好の商圏が一元化されて巨万の富を生むと。

 ついでに、俺を三好から引き離せる一石二鳥の策に俺は苦笑するしかない。 


「仕組みを作られた大友殿がお分かりでしょう。

 三好家にとっても損にならない故にお願いする次第で」


 人誑しと称されたスキルが見事に俺を貫く。

 会話に敵意がなく、双方のwin=winを提示した上に花を俺に持たせる当たり、さすがは後の天下人。

 こちらも彼が上に上がるのは分かるから、彼の功績としてもある程度は恩を売ることにしよう。


「なるほど。

 新しい公方様の功績として、それがしからも働きかけておきましょう」


 話は終りと思ったが、木下秀吉は男の娘をちらちら見ている。

 木下秀吉の顔から察するに、欲情というよりも困惑と言うか。

 そういえば、女狂いでもあったな。俺。 

 陣に残った有明とかと離れていて良かった。


「あれ、男ですよ」

「なんですと!」

「ご主人。

 あれはひどくない?」


 男の娘くノ一の抗議を無視して話を続ける。

 なお、怒っている顔がかわいくてあざといので、周囲の足軽や侍も見ているのは内緒だ。


「大友殿。

 今度よろしければ、尾張女あたりを献上したいと思いますがいかがで?」


 分かりやすいハニトラ要員だが、それでもひっかかるのが男というものだ。

 木下秀吉。

 下からのたたき上げだけあって人の欲を良くわかっている。

 俺は笑顔を作りつつその申し出を断った。


「やめておきましょう。

 これ以上増やすと、それがし女の上で討ち死にする次第で」




「果心居るか?」

「こちらに」


 木下秀吉と別れてすぐ、俺の声に果心が反応する。

 彼女も大概チートであるとこういう時に思い知らされる。


「くノ一を雇って、さっきのやつの側に送り込め」

「たらしこむのですか?」


 女狂いな秀吉ゆえにたらしこむのは楽だろうが、それで操れるようなら天下人になんてならないだろう。

 だからこそ、次善の策を果心に告げる。


「あれが、織田側の実質的な取次だ。

 奴に流れる情報をできる限り把握してこっちに流せ。

 織田の動きはそれで見える」 


 木下秀吉の役割は実務担当。

 具体的に言うと、尾張の田舎者として、京の作法をぶっ飛ばす役目だ。

 彼は奉行職から出世しているから数字は強いが、織田家全体に言えるが幕府・公家・寺社等の畿内の作法を知らない。

 そして、その知らない作法に取り込まれたら、主導権が奪えない。

 だからこそ、田舎者として騒いでこの作法を気にせずに無理を通すのがその役目なのだ。

 たとえば、俺の幕府奉公衆への引き抜きとか。

 で、そんな事をすれば当然三好家や幕府はいい顔をしないが、それを取り繕うのが畿内の作法を知っている村井貞勝であり、頭を下げるのが丹羽長秀という訳だ。

 織田信長は合理的な適材適所については、間違いなく人を見る目があり過ぎる。

 それで、本能寺で失敗するのだが。

 話がそれた。


「承知致しました。

 堺で雇った者の幾人かをつけておきましょう」


 艶っぽい声を残して果心が去ると、今度は大鶴宗秋がやってくる。

 普段ならば陣の守りについているので、こういう所にやってくるのは意外だなと思っていたら、彼から出た言葉はめずらしい要望だった。


「御曹司にお願いしたき事がありまして」


「めずらしいな。

 お前がそういう事を言ってくるなんて。

 何だ?」


「それがし、京で乱を起こした伊勢殿とは縁がありまして」


 思い出した。

 大鶴宗秋が出世をするきっかけとなった武家礼法は伊勢貞孝に習ったという事を。

 となると、なんとなく要求が理解できた。


「伊勢貞孝は謀反人として一族討伐されたと聞く。

 遺児が残っているのか?」


「はっ。

 孫の虎福丸と熊千代の二人が」


 元服前の稚児に罪は無い。

 とはいえ、今の畿内で生き残るのも難しかろう。


「よかろう。

 俺から三好殿にかけあっておく。

 九州の地でいいなら大友で保護するとな」


「はっ」


 後日談になるが、虎福丸と熊千代二人と伊勢一族郎党は大友家の家臣として礼法などを教える事になる。

 また、復興した幕府政所執事に就いたのは松永久秀で、彼の監督下で琵琶湖水運と淀川河川交易の一元化は維持される事になった。

野口冬長については、昔は本当に資料がありませんでした。

wikiだと1553年に死んでいるみたいですが、長慶の晩年、松永久秀が長慶の様態を報告する手紙を冬長宛に送っているので、少なくともその頃までは活動していたと思われるという資料(ピクシブ百科事典)を採用しているので今回の登場となります。


4/4 野口冬長を紹介する部分を加筆修正予定


野口冬長 のぐち ふゆなが

十河重存 そごう しげまさ


12/4

少し加筆

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