チートとのお茶会 (大友義鎮編)
大友義鎮との会見は、府内館の茶室にて行われる。
茶室の中で大友義鎮と二人きり。
重臣達一同から睨まれる圧迫面接と比べたらどちらが良かっただろうか?
そんな事を考えながら、府内館の中を進む。
大友二階崩れの惨劇の舞台も小原鑑元の乱で焼かれ、再建されたその屋敷は京の造りを意識している。
中央の権威と直結しているというアピールは、国人衆統制の為にも重要な統治政策になっていたりする。
九州探題だけでなく幕府相伴衆にもついた大友家は、その栄華を誇るように多くの人達がこの館にて働いていた。
「こちらでお待ちを」
大友館は政務を司る面の部分と、大名一族が暮らす奥の部分が厳格に区別されている。
ましてや、二階崩れという惨劇を体験している大友家は大友一族の住まう裏への出入りは厳重に管理されているのだ。
刀を預けて、呼ばれるのを待つ。
障子が少しだけ開いて、小さな瞳がこっちを見つめている。
「誰か知らぬが、このような場所に居ると乳母におこられますぞ」
なんとなく誰なのか分かるのだが、ここは知らないふりをして声をかけると向こうから返事が返ってくる。
「だいじょうぶ。
乳母は今奥にいるから、見つからないんだ」
ドヤ顔をしている幼児が居る。
この時期、こんなドヤ顔ができる幼児と言えば一人しか居ない。
長寿丸。
後の大友義統である。
大友家滅亡の原因になった暗君ではあるが、この時期はまだ銀の匙を口に咥えた稚児でしかない。
「見つかった時に怒られますよ。
長寿丸様」
「僕のこと知っているの?
誰?」
子供は無垢であるがゆえに残酷だとは良く言ったものだ。
彼のせいで九州から逃げ出した従兄弟であるなんて言える訳もなく、いつもの偽名を名乗ることにした。
「菊池鎮成と申します。
此度はお屋形様に呼ばれてここにいる次第」
「そうなんだ」
歪むよなぁ。
子供に頭を下げる大人を見続ければそれは歪むよなぁ。
長寿丸の母親である奈多夫人は他紋衆の出だから、同紋衆の支援があてにできない。
なお、大友義鎮も母親が大内家だった事もあり、そのあたりに確執があったりする。
大友義鎮も母親が同紋衆では無かったがそれゆえに二階崩れなんてものを体験する羽目になり、傅役の入田親誠を粛清する羽目に陥っている。
そんな背景もあって彼の傅役はまだ決まっておらず、奈多夫人と田原親賢が育てているとか。
「そういえば、長寿丸様に差し上げようと思ったものがあり申す」
「何々?」
興味津々で障子から長寿丸が出てくるので、彼に紙袋を見せる。
その中に入っているのは、府内に停泊していた南蛮人より買ったものだった。
「『ぼうろ』という菓子でございます。
誰か呼んで来てくだされ。
毒味をして、安全と分かったならばお召し上がりください」
「やだ!
今食べるの!!」
しまった。
お子様に待てなどできる訳がなかった。
このまま癇癪でも起こされたら面倒だと思っていたら、開いた障子より怜悧な男が入って来た。
「長寿丸様。
探しましたぞ」
「親賢!
彼が南蛮の菓子をくれるって言うの!!
食べたい!!!」
下の名で呼ばれた田原親賢はじっとこちらを見る。
値踏みしているのか、ちょっかいをかけたから警戒しているのか。
とりあえず、紙袋を開けてぼうろを一つ出すと、それを半分に割って食べる。
「美味いですぞ」
残った半分を田原親賢に渡すと、彼はそれを半分に割って自らも食す。
貴人ともなるとこういう毒味が必要だから厄介だ。
「たしかに。
お食べ下され」
「いただきます……美味しい!」
子供には罪は無い。
ただ育てる大人たちに問題があり過ぎるだけなのだ。
それを、無邪気に菓子を食べる長寿丸の笑顔が教えてくれている。
「ささ。
もうすぐ乳母も来るので、そちらに行ってくだされ。
それがしは、この方と大事な話がありますゆえ」
「うん。
またね」
長寿丸は手を振って奥に走ってゆく。
奥から来た乳母の手と共に見えなくなるのを確かめてから、田原親賢は声を出した。
「長寿丸様をあやしていただき感謝を。
ですが、あのような時は人を呼んで頂けると助かるのですが」
「一応俺も一門だ。
顔は見ておきたいと思ってな。
畿内でふらついているから、あれと争うつもりはないよ」
最初に明確に立場を提示しておく。
事実争うつもりはないから、ここでいらぬ敵を作るつもりもない。
田原親賢はため息をついた後で口を緩めた。
「だとよろしいのですが。
そういえばお礼がまだでしたな」
「あれぐらいは安いものだ。
三好様には色々良くしてもらっているからな」
「茶室にてお屋形様がお待ちでございます。
こちらへ」
前日にばら撒いた賄賂はそこそこ効果があったらしい。
政敵になりかねない俺への扱いがこれならば十二分に好意的である。
そこから茶室まで何も話すことなく、俺は茶室の中に入る。
庭に面した一室が茶室として用意されており、大友義鎮が既に茶を立てている。
床の間に飾られているのが大内筒なのだろう。
その中に飾られているのは一輪の彼岸花。
この茶席がこの世の最後という解釈なら洒落がきいてやがる。
「よう来たな。主計助。
座るが良い」
障子向こうに田原親賢が控えるのを感じながら俺は大友義鎮の向かいに座り、持ってきた箱から大名物の珠光茶椀を取り出す。
茶人なだけにその大名物を目にした大友義鎮の顔色が変わる。
よし。
とりあえず流れをこちらに引き寄せられた。
「差し上げませぬよ。
久米田合戦での礼として三好修理大夫殿から頂いたのですから」
あ。
露骨に残念そうな顔をしてやがるが茶を立てる手は止めていない。
それは茶人として俺よりもはるかに高い位置にいる事を意味している。
おそらくは、大友義鎮の数少ない自由に振る舞える行為の一つなのだろう。
「畿内では派手に暴れたそうではないか。
幕府の覚えも良く、儂も嬉しい」
「堺で爛れた生活を送るつもりでしたが、世の中はままならぬものです。
乱世に巻き込まれ、気づけばこうして府内に戻って茶を頂く己の境遇に笑うことしかできませぬ」
互いに挨拶がてらの雑談のあと、空気がすっと冷える。
ここからが本番だ。
「毛利が動くと申したか?」
「ええ。
今すぐとは申しませぬが尼子の負けが見えた今、毛利元就の目は博多に向かうでしょうな。
その時の策謀の種がそれがしなのは以前臼杵殿に教えて頂いたので、まだ畿内に逃れられる今のうちに警告をと」
話すたびに顔に汗が浮かぶ。
手ぬぐいでそれを拭うが大友義鎮の方は顔色すら変えていない。
これが、全てに絶望しきった大友義鎮の闇。
「佐伯一族を馬廻につけたいと申すか?」
「畿内の方でも大戦が起こり申す。
良くしていただいておりますが、三好殿の天下は盤石ではございませぬ。
公方様が傑物過ぎるので、必ず揉めましょうて」
現在の三好政権の致命的な欠陥を暴露する。
足利義輝の将軍権力回復の野望がある以上三好政権は安定的な政権運営ができないし、彼を排除すると三好政権の正当性が無くなってしまう。
だからこそ揉めるという俺の説明を聞いた大友義鎮がぽつりと爆弾を投げた。
「なるほど。
越後の上杉の上洛の噂もある。
畿内はまだ荒れるか」
ちょっと待て。
彼は今何を言った?
越後の上杉輝虎の上洛って……そういう事か。
何で公方が若狭にこだわっているのかその理由がこれか。
上杉輝虎が上洛する場合は海路で若狭湾に上がることになる。
その主要港である敦賀港は朝倉家の領地であり、邪魔される可能性がある。
ならば、そこを避ける以上次の上陸候補は小浜港しかない。
あの将軍、三好を掣肘する為に織田だけでなく上杉まで使う腹づもりか。
そこまで考えたが、現在の俺には何もできる事はない。
今の俺は九州の地にて茶を楽しみながら、首が落ちるかどうかの綱渡りをしているのだから。
「未だ主計助が毛利と繋がっていると噂する者がいる。
そのような輩は、主計助の忠告など耳に入らないだろうよ。
毛利が動くのならば、そなた自身の手でそれを防いで見せよ。
それが、佐伯惟教を見逃す条件だ」
ある意味、寛大な条件と言えよう。
要するに、大友家中に居るだろう毛利側の武将を一人血祭りにあげろと言っているのだから。
何人かの武将の名前が浮かんでは消す。
真っ先に高橋鑑種の名をあげようとしたのだが、有明は復讐を望んではいない。
ならば、大友義鎮があいまいな形で示唆した事を徹底的に利用させてもらおう。
「でしたならば、備えの城を築きたいと思いまする。
費用はこちら持ち、城主はお屋形様が選んでもらって構いませぬ」
破格の好条件の提示に大友義鎮の目が細くなる。
茶をかき混ぜながらこちらに続きを促す。
「場所は豊後国日田。
毛利との戦において、海岸回りはほぼ使えませぬ。
ここに城を築いて繋ぎの城とすれば、筑後川経由で博多に向かえますぞ」
この時期河川交通は主要交通であり、制海権を毛利に握られていた大友家は日田経由で筑前・筑後に兵を出していた。
それを可能にしていたのは、上流部の日田からの筑後川河川交通である。
俺が提案したのは、兵・兵糧・物資等を蓄えて前線に送る物資集積所としての城だった。
「ふむ。
府内からだと水分峠を越えねばならぬから、休ませられる城があるのは大きいな。
戯れで良い。
お主の銭で作る城だ。
だれを城主に推薦する?」
こういう時には徹底的に媚びるべし。
だからこそ、控えている彼の名前をあげる。
「田原親賢殿がよろしいかと」
外戚一族の出身でかつ寵臣なので、彼には同紋衆を中心に敵が多い。
その敵からの反感を買っても、彼を推挙した事で少なくとも俺を旗頭に使っての謀反は起こしにくいと嫌でも理解するだろう。
そこまで読んだ大友義鎮が楽しそうに笑う。
「はっはっは。
田原親賢。
城主になれるそうだぞ」
「ありがたき事にて」
大友義鎮が俺の前に茶を置く。
その目が鋭く俺を睨みつけていた。
「佐伯惟教に伝えてくれ。
別府に駆けつけて儂を守った事は今でも忘れてはおらぬとな」
実質的な赦免の言葉。
俺はやっと安堵の溜息をついて、大友義鎮の入れた茶を作法通りに嗜む。
そこで、大友義鎮がわざとらしく脅す。
「その茶に毒が入っているとは思わなんだのか?」
安心しきっていた途端の一言だが、動揺せずにその茶を飲み干す。
だが、大友義鎮の過去を知ったからこそ、この茶には毒が入っていないと思った。
「思いませなんだ。
お屋形様が茶を大事になさっておられるので。
斬るならば、茶室を出てからと思っており申した故に」
そのまま大内筒を眺める。
その曼珠沙華の朱色が実に鮮やかだった。
大友二階崩れで生き残った大内義長を結局は見殺しにせざるを得なかった。
戦国大名大友義鎮が本当に好きにできる場はこの茶室の中ぐらいしか無いのかもしれない。
懐から紙包を取り出して、大友義鎮の前に置く。
彼がその紙包を開けて、目の色を変えたのを俺は見逃さなかった。
「南蛮人より購入したもので、クロスと申すとか。
身に付けるには大きいので茶室の飾りにと」
要するに十字架である。
カトリックは、十字架を金や宝石で飾る習慣がある。
神に直結するツールだからこそ、そのツールに金をかけるのだ。
教会などの壮麗さもこの流れに有る。
極東の果てまで来る南蛮人達はその帰還率が一割程度なだけに航海の無事を神に祈り、船員たちはそのツールに金をかけた。
そんなツールの加護も虚しく命を落とした船員の物を購入したのである。
大友義鎮の過去を知り、彼の絶望を知っているからこそ、彼が聖者ザビエルにあった時の事が手に取るように分かる。
親兄弟親戚譜代外様と粛清し続けた彼を、八百万の神々も仏も誰も助けなかったのだ。
だからこそ、彼は異国の神にすがった。
それを愚かと言う資格は俺にはない。
「……主計助は異教に寛容なのか?」
初めて聞く大友義鎮の弱々しい言葉。
これがきっと孤独と絶望の果てに、大名という鎧の中にある大友義鎮の本心なのだろう。
彼が宗教に溺れるのは仕方ない。
だが、溺れて大友家が衰退しない程度には釘を刺しておく。
「まあ、こちらに口出しをしない程度には寛容かと。
それがしは一応、有明と共に地獄に行くつもりなので」
大友義鎮がこの異教にすがった本当の理由は逃避なのだろう。
それは己の過去と向き合うには重すぎる修羅道を物語っている。
「地獄に行かねば、小原殿や臼杵殿に会えませぬからな」
何も話さないからこそ、それが大友義鎮の本音なのだろう。
天国でも地獄でもいい。
その責め苦よりも何よりも、彼は粛清してきた多くの人達とあの世で会うのが嫌だったのだ。
それが分かったが故に、俺はあえて彼にクロスを差し出した。
せめてもの祈りに。
彼が本当に自由になれる、この茶室で安らぎを得られるように。
大友義鎮の目に涙が光るのを見ないようにして俺は頭を下げた。
「結構な点前でございました」