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博多神屋屋敷

「おはようございます。御曹司。

 よく眠れましたか?」


「離れを貸してくれて助かった。

 神屋紹策殿」


 有明を身請けした翌日。

 俺達は博多の押しも押されぬ大商人で、大内家の頃から石見銀山利権に食い込み毛利家との縁が深い神屋紹策の屋敷に転がり込んだ。

 大友家の侍といえどもこの大商人の屋敷に無断で踏み込むことはしない。


「お気になさるな。

 商いの事も含めて御曹司にはいろいろ恩がありますからな」


 神屋紹策は笑顔で俺達と話し、その笑顔を崩さずに商談にするりと入り込む。

 その自然さは大商人だと感じずにはいられない。


「それで、この後はどのようにするつもりで?」


 元服したと言っても内々で片付けているし、表向きは高橋鑑種が保護者である事には代わりがない。

 とはいえ、自治都市である博多に滞在している以上表向きはどうこうするとは思えない。


「しばらくはここに留まらせてもらうさ。

 銭の種として作ったものは売れたか?」


「おかげさまで。

 その代金はこちらに」


 神屋紹策が懐から一枚の証文を取り出して俺に渡す。

 二人が数年は食っていけるだろう銭の書かれた証文の代金は本だった。


「遠く堺からも書い手がつくぐらいで。

 こちらも嬉しい悲鳴をあげております」


「あいにく俺は医師でも薬師でもないから真偽はわからぬ。

 だが、それは買った医師や薬師が真偽を確かめてくれるだろうよ」


 俺が書いた本は『太宰府諸病話衆』。

 当時の寺社は医療機関も兼ねており、この手の病人の話を集めてまとめたものである。

 そして、これらの病人にどのような薬を処方したかまでまとめている。

 最初は寺の坊主も秘密が漏れると嫌がっていたが、まとめだすとその効能--症例の確認、患者に出した薬の確認とその効能のありなし--が分かるので文句を言わなくなった。

 で、それを写したものを『かな』で『判子で量産』したのだ。

 写本より効率が落ちるが、ある程度の数がまとまってつくれるこの本は神屋の流通網に乗って飛ぶように売れた。

 高橋鑑種の謀反を密告した後、逃げるならばと逃亡資金として考えていた俺の隠し財産である。 


「旦那様」


 障子越しに丁稚の声が聞こえる。

 その声に席を外した神屋紹策が戻ってきた時、その笑顔に汗が浮かんでいた。


「御曹司にお客だそうです」


 神屋紹策の顔に汗が浮かぶ相手。

 高橋鑑種ではないだろう。

 昨日の臼杵家の手の者だろうか?

 それでは、彼が汗を浮かべるほどの理由にはならない。

 こっちがつらつらと考えていた矢先、彼の口から来客の名前が告げられる。


「柑子岳城督臼杵鑑続様ご本人がこちらにてお会いしたいと。

 茶室を用意させましょう」



 応仁の乱の後、多くの公家が大内家を頼って落ち延びた結果、その本拠である山口は西の京都と言われるまで繁栄をしていた。

 だが、その山口も大内家滅亡の際に焼かれてその繁栄は今は昔。

 大内の繁栄の名残は、その大内の繁栄を支え、筑紫惟門が焼けなかった商都博多に色濃く残っている。

 

「大きくなられましたな。御曹司。

 今は菊池鎮成と名乗っているとかで?」


 大友家筑前方分である臼杵鑑続の顔色は良くない。

 病を患い、先は長くないと博多の商人たちは噂をしていた。

 門司合戦でも、自分が出陣できないからと弟の臼杵鑑速を名代として出陣させていた。


「その方が都合がいいだろう?

 下手に大友の名を名乗って、騒動を起こしたくはない」


「お父上のようにですか?

 それとも、小原殿のようにですか?」


 最高級遊女として成り上がり、茶室にて茶を立てている有明の手が止まる。

 全部知っていると互いに脅しをかけた所で、これからが本番である。


「博多に居る限りは食うには困らん。

 邪魔ならば、堺にでも逃げるがどうだ?」


「困りますな。

 まるでいらなき子のように言わないでくだされ」


「父上や兄上達にいとこ殿が何をしたか、それを言ってやろうか?」


「……」


 我が父こと菊池義武は、大友二階崩れと呼ばれる大友家の家督争いにかこつけて肥後国で独立を企み謀反を起こす。

 それに失敗し肥後相良家に逃げた父は、いとこになる大友義鎮の甘言によって帰国する途上、兄達とともに誘殺されたのだ。

 俺が生き残ったのは庶子でかつ末子で、母が土壇場で父を裏切ったからだと高橋鑑種が教えてくれていた。

 

「それにも関わらず、俺を門司に引きずり出す。

 毛利との戦、そうとうやばいみたいだな」


「……」


 博多はこの時代日本有数の商都で情報は集めようと思ったら色々集められる。

 豊前国人衆は長年の大内支配下で大友家と戦ったこともあって毛利側につき、その蜂起と鎮圧に手間取っていた。

 侍島合戦において筑前国の反大友国人衆はなりを潜めているが、大友家の本領である豊後国と博多の連絡は筑後川を上って日田経由という険しい道に頼らざるを得ない状況である。

 顔色の悪い臼杵鑑続が笑みを作った。


「その才を大友家の為に使っては下さらぬか?」

「断る」


 俺は即答する。

 生まれた時には既に知らぬ父や兄についてはこの際どうでもいい。

 だが、小原鑑元を粛清したのは間違いなく大友義鎮だ。

 そして、その粛清を主導したのは、高橋鑑種や臼杵鑑続をはじめとした同紋衆達。

 誰が好き好んで毒蛇の巣穴に足を入れようか。

 臼杵鑑続が深い溜息をつく。

 有明が差し出した茶には手をつけていない。


「何処までご存知か知りませぬが、小原殿の件は高橋殿にも理があるのはご存知で?」

「本人が語ってくれたさ。

 その怨恨と因縁をたっぷりとな」


 大友家は鎌倉時代に関東から派遣された家で、一門出身である同紋衆を譜代、豊後国地場国人衆を他紋衆として外様扱いして明確な区別をつけていた。

 同紋衆と他紋衆は事あることに対立し血を流していたのだが、大友二階崩れにおいて大友義鎮擁立の立役者である一万田鑑相を粛清したのが小原鑑元である。

 で、一万田鑑相の次男が高橋家に養子として入り、その粛清から難を逃れたのが高橋鑑種で、小原鑑元の粛清は彼にとっては敵討ちの側面が有るのは理解していた。

 納得してはいないが。

 何故ならば、府内で発生した謀反に小原鑑元が関与していないからだ。

 普通謀反なんて一大事は張本人が現場に居ないと成功しない。

 事実、俺は落城前に彼が釈明をしようとしたのを見て聞いていた。

 彼は謀反にかこつけて高橋鑑種に粛清され、それを大友義鎮や同紋衆は黙認した。俺はそう認識していた。


「俺を門司に送って父や兄の後を追わせるつもりか?」

「決してそのような事は……」

「ならば、何を以て、俺を門司に向かわせる?」


 正直ここまで臼杵鑑続を問い詰めるつもりはなかった。

 だが、あまりに都合の良い物言いに腹が立ち、その怒りの矛先を向けただけ。

 落ち着くために、有明が差し出してくれた茶に口をつける。


「毛利との戦を邪魔するつもりはないし、大友の名を名乗るつもりもない。

 にも関わらず、俺が必要な理由、申してみせよ」


「……お家の為に」


 申し訳無さそうに呟いたその一言に、俺は何を言っているのか意味が分からなかった。

 その意味が持つ背後を考え、背筋が寒くなる。

 こいつは何を言っている?

 大友義鎮が万一討ち死にした場合、大友宗家の後継者が居なくなる。

 大友義統こと長寿丸はこの間生まれたばかりでとても当主を継げる状況ではない。

 いや、この合戦如何では、



 同 紋 衆 が 大 友 義 鎮 を 見 限 る



可能性を言っているのか!?

 震えが止まらない。

 大友家は戦国大名というよりも守護大名の時間の方が長い。

 守護大名というのは、国人衆の連合政権に大名という頭が乗っている形であり、大名の絶対権力が確立している訳ではない。

 大内家はそれによって滅んだ。

 こいつら、万一の傀儡として俺を確保するつもりだ。

 それを高橋鑑種は分かって俺を泳がせている。

 大名家というもののおぞましさを感じ、俺は言葉に詰まる。

 代えの傀儡が一つしかない以上、俺たちを逃すつもりはないのだろう。 


「返事は改めて。

 それまで、ここに滞在する故」


「かしこまりました」


 臼杵鑑続が帰った後も、俺の悪寒は治まることはなかった。




 日本有数の交易都市である博多は多くの店や職人がおり、この当時の日本で手に入るものはすべて揃っていると言っていいだろう。

 薄田七左衛門が買い物に出るというので、俺はついて行くことにした。

 屋敷に居ても臼杵鑑続の話が頭に残って気晴らしがしたかったのだ。


「で、何を買うんだ?」

「八郎のおかげで楽しく遊べたが、山伏をやめるつもりはないからな。

 また、修行の旅に出るからその準備をしようと思ってな」


 考えていなかったといえば嘘になる。

 俺は有明を連れて逃げることを選び、薄田七左衛門は山伏として生きる以上別れが来るのは当然の事。

 たまたま木陰で雨宿りをしていた旅人と仲良く話しているようなもので、雨が上がればそれぞれの目的地に向かわないといけない。


「そういえば聞いてなかったが、何で山伏なんぞやっているんだ?」


 山伏は山に入って自然と一体化することで悟りを開こうとする連中である。

 それゆえ、山中の奥深くにコミュニティーを作り、武家政権との折り合いも基本良くはない。

 だからこそ、古くは平家、近くは南朝などの落人達がそのコミュニティーに入り込んで俗世と離れて暮らしている事も無い訳ではない。


「たいした事ではない話さ。

 村一番の暴れん坊だった馬鹿が村に居られなくなって、流れるために山伏に身をやつしたという訳でな」


 さすが博多。

 山伏の道具も扱っている。

 大きな法螺貝を手にとって、薄田七左衛門は笑った。


「ならば、そのまま夜盗にでもなっていただろうに」


「俺もそうするつもりだったさ。

 そこからが神仏のお導きでな。

 道に迷った」


 九州もかなり山が深い。

 そんな深い山に知識のない奴が迷い込むと基本死ぬ。


「腹は減る。喉は渇く。

 森に囲まれて登っているのかも降りているのかも分からん。

 狼や熊の遠吠えを聞いて身を隠して眠れない」


 薄田七左衛門が錫杖を手に取る。

 杖の頭の鐶が鳴るのを待って続きを話す。

 このあたり旅をする山伏らしく説法でもしているのか間のとり方がうまい。


「あ。死ぬな。

 それを悟った時だ。

 この音が聞こえてな。

 近くで修行をしていた一人の僧が近づいてきた。

 それが俺のお師匠様と言う訳だ。

 あの時食べた握り飯と竹筒の水の味は今でも覚えている」


 気づいたら周囲の人間が聞き入っている。

 この手の話は皆大好きなのだ。

 薄田七左衛門はニヤリと笑って、懐からお椀を取り出して地面においた。


「さて、お立ち会いの皆様!

 それがしがまっとうな山伏になり、こうして修行ができるのも皆様の徳あっての事。

 よろしければ、経の一つでも諳んじてくれよう」


 ちゃりん。ちゃりん。

 小気味よく茶碗に銭が投げ込まれる。

 ほどよく出汁に使われたと苦笑しながら俺も茶碗に銭を投げ入れてやった。


「本気でやばくなったら、女を連れて俺の所に来い。

 山奥の不自由しか無い暮らしだが匿ってやるぞ」


 経を唱える前、俺にしか聞こえない小声で言った薄田七左衛門の助け舟の代金にしては少ないのだろうが。

 この経にせめて有明の無事を祈らせてもらおうと俺は手を合わせた。 

筑紫惟門  ちくし これかど

臼杵鑑速  うすき あきはや

一万田鑑相 いちまだ あきすけ

大友義統  おおとも よしむね


7/28 柳町の有明の月 大規模加筆修正に合わせてこの章も大規模加筆修正予定。

10/9 かぶっている所を削除。

4/1 大規模加筆

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