足利呪縛迷宮 京都 その6 2019/12/28 追加
京の都の遊郭の歴史は古い。
傾城街と呼ばれ、幕府の収入の一つとして記録が残っている。
そういう街だけに、顧客も上は雲上人から下は下賤の者までというこの戦国の縮図が集約されている。
その遊郭に咲くのは吉野太夫と呼ばれる当代きっての遊女。
その歴史は平安時代、鴻臚館の外国使節をもてなした技女まで遡る歴史がある。
そんな彼女の二度目の文が届いた。
今来んと 言いしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな
(今すぐ行くと貴方が言ったので、待っていたのに夜明けの月が出てきているのですが?)
端的に言うと、『すっぽかしやがったな。てめぇ』という催促のお手紙である。
古今和歌集からこれを選んで弄りもしなかったあたり、かなりオコなのがわかる。
何しろ、有明はそのまま有明の事を指している訳で。
『私の事なんて忘れて、有明の体を貪っていたんでしょう?』
となじられている訳で。
実際そうなのだが、艶々な有明がこの文を見てご機嫌なのは言うまでもない。
そのご機嫌ぶりに朝からもう一合戦する羽目になったが、事ははいそうですかで終わるものでもないのはこの魔都京都の作法というもので。
「やっぱり行かないと駄目か?」
「分かっていても、行かないと何を言われるかわかりませんよ」
俺のボヤキに果心が容赦なくつっこむ。
このあたりの催促のお手紙というのは、ある意味作法みたいなものだ。
これで行ったら営業スマイルで『お待ちしていました。愛しい人』とばかりになるのだが、このまますっぽかし続けると、俺の男の格が落ちる。
こんないい女相手に、挨拶に行かないなんてという訳だ。
「そりゃあ、八郎の良い男ぶりは自慢したいけどぉ」
既に京の町衆の間で、吉野大夫と有明大夫の勝負は広まりきっている。
それが、現在進行中である政所執事をめぐる足利義輝と三好長慶の対立を逸らす清涼剤みたいな扱いになっているのが笑ってしまう。
朝の合戦にちゃっかり参加した果心が真顔で告げる。
「新政所執事となった摂津晴門殿の屋敷の前には朝から多くの者たちが集まって、訴訟のやり直しを求めているとか。
今までの訴訟のやり直しを狙ってきているのでしょうね」
戦国の裁判沙汰のこれが怖い所だ。
その訴訟の結果が武力で覆るだけでなく、裁判官が変われば裁判も覆りかねないというあたり。
そこに俺は違和感を感じる。
「ん?
ここで覆る可能性が高いのは、公方様が出した徳政令だよな?
いくら、伊勢貞孝が六角よりだとして、徳政令については処理していたはずじゃあ……」
既に、この騒動は足利義輝と三好長慶の争いだけでなく、裏で武田信玄と上杉輝虎の代理戦争が絡んでいるのは分かっている。
武田信玄の対上杉戦略の一環として、京の権威を利用したのは元武田の歩き巫女だった果心から聞いているし、それに対抗する形で上杉輝虎が関東管領の権威を用いて関東出兵をしているのもこのあたりだ。
つまり、訳が分からない。
「一応聞くが、吉野太夫が武田の歩き巫女なんて事は無いよな?」
「ありませんよ。
だったら、私は名前を吉野と名乗っています」
「……つまり、果心さんより上と」
果てて朝の合戦に参加できなかった明月が少し不貞腐れながら話に加わると、果心は笑顔でただ頷いた。
つまりそういうのを相手にしないといけない訳だ。
それを確認した俺は朝の合戦で消耗した体力を回復させるべく飯を食べる事にした。
逢瀬というのは夜に行われるので、出かけるのも夕暮れ時となる。
蜷川親世襲撃事件の衝撃が残っている中、警護も十二分にという訳で松永久秀に頼んで三好家の郎党を借りる事にした。
こっちの郎党五十人ばかりに、三好家郎党四十人に御陣女郎十人の計百人。
両方の郎党は大鶴宗秋に任せての道中となる。
「この騒ぎの中、太夫や御陣女郎を連れて遊郭通いとは。
雅なことでございますな」
実に淡々と言う嫌みが胸に刺さるが、その顔は笑顔である。
ただの逢瀬でないと松永久秀も感づいているのだろう。
「で、襲うと思うか?」
「半々ですな。
今、大友殿が討たれると、三好の銭勘定が水泡に帰します。
政所執事の交代もあって、京の訴訟は完全に行き詰りますな」
もちろん、この誘いに乗ったのは、三好家側の意向も無視できない。
政治的打撃を受けた政所執事解任事件の犯人を捕まえて背後関係を調べれば、公方様近くに陰謀の糸が届くと踏んでいるからだ。
それを証明して公方様をおとなしくできるのならば万々歳である。
「そうなると犯人は六角か?」
「それがしは、そう考えております。
六角は忍の者を多く雇い、それで京の動きを近江より把握しておりました。
お気を付けを」
だったら、間者の一人ぐらいつけろと愚痴を言おうとして御陣女郎の十人に紛れ込んだ果心が耳元で囁く。
そのあたり、彼女が当代一流の忍者であると思い知った。
「三好家の郎党に伊賀者と甲賀者が混じっております。
松永殿が雇われた者たちかと」
俺はじっと松永久秀の顔を見る。
松永久秀は笑みを崩さずに、それを肯定した。
「向こうが忍びの者を用意するのならば。こちらも用意するのは当然の事では?」
これが畿内の戦か。
俺はそれを思い知ったのである。
提灯の灯りを先頭に、黄昏時の京を俺たちの行列が進む。
郎党連中は鎧まではつけていないが、戦よろしく警戒して進み、御陣女郎は京の町衆相手にその肢体を晒して色を振りまく。
旗持が持つ『片鷹羽片杏葉』の進む先がこの道中の意味を知らしめる。
「おおう。
ついに、国盗り太夫の出陣か」
「という事は、あの馬上のあられもない姿の女子が有明大夫か!?」
「その太夫の馬を操るのが大友家の八郎様か」
「吉野太夫が八郎様に恋文を出したとは聞いておったが、ついにどちらが勝つかを決めるらしいな」
「俺は有明太夫に賭けるぞ!」
「俺は吉野太夫だ!!」
「好き勝手言いやがって」
「ちょっと……八郎。
これは恥ずかしいかも……」
今回は襲撃を考えて俺だけ馬なのだが、それだと有明が守れないので有明を前に乗せてその後ろから手綱を持つ事に。
俺も有明もさして馬の扱いはうまくはないが、こういうのはノリも大事である。
なお、馬にまたがる有明は色々見えて凄いことに。
そういうのも含めて、有明は楽しんでいるのがわかる。
女は男に見られて美しくなるものなのだ。
それを独り占めできるという優越感も無いわけではない。
そんな町衆の騒ぎをよそに傾城町に入る。
畠山辻子にある遊郭は、応仁の乱などの戦火で何度も灰になったが、そのたびに立て直してこうしてその繁栄を誇っている。
最も、そういう建物に吉野太夫がいる訳もなく、近くの公家屋敷を逢瀬の場所に指定してきたあたり、いろいろと考える所がある。
既に三好家の郎党が来訪の根回しをしていたので、吉野太夫が居る屋敷まであっさりと進むことができた。
公家の屋敷という事で平安時代からの寝殿造かと思ったが、建物を見ると室町時代に成立した書院造の建物なので、色々な戦火で建て直されたのだろうなと納得する。
とはいえ、壁は崩れていたり、障子も破れたりというあたり公家の生活なるものが透けて見える。
三好家の郎党になんとなく尋ねてみる。
「このお屋敷はどなたの屋敷か?」
「先の左大臣であらせられた三条様の別邸と伺っております」
「へぇ……三条様か……」
その名前で繋がるものがある。
この三条様というのが三条公頼で、この家の娘が武田信玄と本願寺顕如に嫁入りしているのだ。
その本願寺への嫁入りの際に六角義賢の猶子となって輿入れしているあたり、京都政局の闇を感じずには居られない。
六角家と武田家の縁はこのあたりからできたのだろう。
そんな三条家だが、窮乏して大内家の元に身を寄せていた所に大寧寺の変が勃発。
巻き込まれて死亡するという顛末になり、その屋敷は荒れてこうやって怪しげな密会に使われるという訳だ。
「こちらへ」
「じゃあ行ってくる。
果心たちは好きにしろ」
「ご武運を」
「戦に行くわけじゃないのに……」
屋敷の家人に伴われて俺と有明は奥に入る。
このチグハグさがなんとなく面白くなってきた俺は自然と顔が笑っているのを有明に咎められる。
「何を笑っているのよ?八郎」
「いやな。
なかなかの歓迎ぶりだなと思ってな。
さし当たって、我が身は古の源氏の君というあたりか」
「だったら私は夕顔かしら?」
「さらりとその名で納得させてくる有明は俺にとっての紫の君だよ」
「まぁ、楽しそうな声が」
奥の御簾から声がする。
ここまで来ると、こちらも悪乗りしたくなるものである。
「これは失礼を。
貴人の前ではしたなき事を口に出してしまいました」
さもわざとらしく公家のふりをしてみるが、帰ってきたのはこんな歌。
「照りもせず 曇りもはてぬ 春の夜の」
源氏物語でも有名になった歌の上の句をさらりと御簾越しになげる。
今の吉野太夫は朧月夜らしい。
だったら有明も負けていない。
「ほのぼの見つる 花の夕顔」
吉野太夫への返歌として、夕顔の歌を返すあたりライバル心むき出しである。
ぱさりと絹衣が落ちる音がすれば、御簾向こうの吉野太夫があられもない姿になっている。
ふいに有明が抱きついてくるが、こちらも生まれたままの姿。
朧月夜を演じる吉野太夫は雅の中に艶を入れ込み、夕顔を演じる有明は俺になじませた艶の体に雅をそえてゆく。
月明かりの中から夜が明けるまで二人の太夫の乱れは止むことはなかった。
明け方。
気を失った二人を置いて厠にと部屋を出る。
裸だが刀を忘れなかったのは我ながら褒めて良いと思う。
「で、ここまで凝って何をしたかったのかお聞かせいただきたいのですが?
中将様」
「はは。
戯言とは言え、なかなか面白かったな。
で、どのあたりから気づいた?」
障子越しで互いの顔は見えない。
あくまで、戯言は続いているので俺が光源氏で、向こう側の相手が頭中将であるというやり取り。
決して、左近衛中将を持っている公方足利義輝ではないのだ。この場では。
「最初から。
なにか仕掛けてくるとは思っていましたよ」
吉野太夫の吉野からしてヒントみたいなものである。
今の吉野を治めているのは伊勢に勢力を誇っている北畠家で現当主の北畠具教は剣豪将軍足利義輝の兄弟子に当たる。
ついでに言うと、六角家と北畠家は六角定頼の娘が北畠具教に嫁いでおり縁戚関係にある。
応仁の乱から明応の政変にかけて幕府権力が形骸化した結果、室町将軍が畿内の情報を入手する為にもこの手の間者を雇っていたのは推測していたし、これだけ閨閥が入り乱れている中で、吉野太夫という遊女がもたらす情報とコネは上の人間にとって魅力的だろう。
「傾城町が幕府の収入源の一つなのは知っていたし、六角との繋がりからここは手放せないなとも思っていました。
お聞きしたいのは、ここ最近の中将様の動きです。
越後上杉家に伝があるのに、昨今は甲斐武田家の為に動きなさる。
何故ですか?」
少しの間の後、怒気が障子越しに溢れた。
それは、お飾りとなった室町将軍の呪いの発露。
「決まっておろうが!
それをせねば、この京で生きて行けぬからよ!!
これが公方よ!
これが将軍よ!!
上杉の銭で武田の歩き巫女を雇い、三好修理大夫を追い落とさねば、我すら通せぬ」
その怒声の後、声は己を嗤う。
これをあの御方はずっとこの身に封じていたと言わんばかりに。
「嗤え。
何も通せぬ公方を。
剣を極めても誰も従わぬ公方を」
と言って笑えるわけもなく。
障子向こうのお方はこれを言いたいがためにこの場にやってきただろう言葉を俺に向ける。
「どうだ?
俺に仕えぬか?
領地も官位も思うがまま。
何ならば、抱いた吉野太夫もくれてやる」
それに俺は……
帰り道。
馬上、俺の前でまたがっていた有明が尋ねる。
「ねぇ。何で断ったの?」
何で知っているのだろうかと思ったが、まぁ果心あたりから聞いたのかもしれん。
そんな事を思いながら、その理由を口にした。
「領地も官位もいらないから、畿内にまで来たのだろうが。
それに、言い草が気に食わなかった」
「言い草?」
京の町衆が適当に囃し立てる。
この勝負は有明太夫の勝ちだと。
それは有明の笑顔にも見て取れた。
「『望むなら吉野太夫もくれてやる』だと。
笑わせるよな。
俺が有明を得るために、どれだけ苦労したと思ったんだ」
「あははははははは!
そうよね!
二人して散々苦労したわよねー♪」
馬上なのにはだけた肢体を見せつけながら有明が俺に抱きつく。
それをいつものように弄りながら、俺たちは帰路についた。
最もこれで終わるとも思えないし、その予想は悲しくも的中することになる。