足利呪縛迷宮 京都 その3 2019/4/26 追加
細川隆是は大内家に仕えた系図的にはよく分からない細川一族なのですが、父である細川是久が大内義隆の養嗣子・大内晴持(土佐一条家からの養子)の陣没に絡んで亡くなったので土佐細川家出身と捏造しています。
意外に忘れている事の一つに『戦国時代における京の街は誰のものか?』という問いがある。
帝がいらっしゃるのだから、帝のものというのが建前。
その帝を始めとした公家の皆様が政務から退き、今は幕府がその政務を代行しているというのも建前。
応仁の乱から始まり、明応の政変で決定的となった将軍権力の失墜は管領である細川政権を生み出し、その管領を傀儡にした三好長慶が今は京の主という事になっているというこれも建前。
建前ばかりなので、もう少し本音に近い問いをしようと思う。
『京の街の行政は誰が握っているのか?』
ここまで来てやっと話が本題に入る。
室町幕府政所。
形骸化した幕府における数少ない実務機関。
ここが、京の街の行政を担当していた。
政所というのは、室町幕府の財政と領地に関する訴訟を掌る職である。
要するに金と土地の絡む裁判所と言った方が分かりやすいだろう。
戦国時代というのは、基本自力救済、要するに合戦までやる力こそ全てと思われるが、それをし続けると本人も周囲も荒れるという欠点がある。
その為、合戦という最終手段に行く前に権威のある者による仲裁を受けて、その権威を前提に事を収めるという方法が取られるようになる。
朝廷や寺社の存在意義はここにある。
そして、実権を失った幕府は実権を失ったがゆえに仲裁機関としての機能が強化されるようになった。
畿内政権でしかなかった細川政権および三好政権は幕府を傀儡にせねばその正当性を担保できず、彼らの指示を幕府の命令に変換する必要があったからだ。
かくして、政所は未だ機能し続けていた。
それがこのような形になったのは、先の教興寺の戦いで三好家の覇権が確立したからだ。
戦った畠山家は紀伊に逃れ、京を支配していた六角軍も近江に撤退した今、京に残っていた反三好勢力への報復が始まっている。
その一つが、公方様こと足利義輝が出した徳政令だ。
もちろん、彼らがそれを承諾する訳もなく、政所には多くの仲裁がやってきているはすだった。
そんな組織のトップである政所執事伊勢貞孝がその部下である政所代蜷川親世に告発されるという前代未聞の事態も実はそこに至る伏線があった。
それを掴んだ果心が報告する。
「先の戦い、つまり教興寺合戦の前ですが、三好勢は京を放棄。
公方様も石清水八幡宮に避難なされたのですが、政所執事はそれに従わず京に残ったみたいで。
それを公方様と三好様はよく思っておらず……」
分かりやすい裏切りへの報復にみえるが、合戦があろうとも日々のトラブルは発生し、その仲介は誰かがしなければならない。
そういう意味では、六角軍撤退後の京の治安まで維持できたのは政所執事である伊勢貞孝の功績とみれなくはないが、多くの侍たちは裏切りと日和見と捉えて処分を求めるだろうなと俺でも思わざるを得ない。
「つまり、これは幕府内の争いだよな?」
「はい。
そうなります」
松永久秀が手出し無用と言った理由が理解できた。
幕府役職をめぐるトラブルなら、その処断は『管領』細川氏綱の権限である。
ここで話が更にややこしくなる。
政所執事と政所代の争いに介入した将軍足利義輝の立ち位置だ。
この手のトラブルの正規の手続きは管領の決定によって処分が決まる。
で、その管領の意思決定時に『管領の家臣』である三好長慶が助言を行う訳だ。
けど、その三好長慶は京から遠い飯盛山城におり、今まさに合戦かという時に致命的なまでの時間差が発生する。
それじゃ合戦になるからと足利義輝が処分を下した場合、管領の権威が失墜し、覇権を握った三好政権は政治的打撃を受けてしまう事になる。
松永久秀や三好義興は今頃、管領細川氏綱の邸に出向いて早期の処分を話し合っているのだろう。
「あと、一万田様の所にこのようなものが届けられたとの事」
果心は懐から書状を渡す。
相手は細川隆是。
土佐細川家の一族の出らしいが、今は公方様近習として仕えているらしい。
書状を読むと、書かれていた中身に背筋が凍った。
『公方様は政所執事の罷免を決め、その決定に従わない場合は政所執事を討てとの御内意である。
ついては、率いた兵を持って政所執事の邸を囲むように』
大友と毛利の和議仲介の為ではなく、こういう所で三好家に染まりきっていない実働兵力が欲しかったのかと今更ながら公方様の狙いを悟る。
現在の俺は三好家とズブズブながらも、良くて三好家の客将という扱いで、実家である大友家に未だ籍がある身である。
実害がないとは言え公方の命に逆らって、大友家の名前に泥を塗れば、大友家から粛清の動きが出る。
「一万田及び吉弘勢は既に戦準備を整えており、八郎様の命あれば出陣するとの事」
「その心がけはあっぱれだが、ここで戦に巻き込まれても得るものがない。
動くなと伝えよ」
「承知いたしました。
それで八郎様はこれからどのように?」
問いかけた果心から先程もらった書状を見せながら、俺は己の方針を決める。
「決まっているだろう。
これを持って、松永殿の所に行くさ」
松永久秀はしばらくして三好邸に帰ってきた。
三好義興が細川邸に出向いて対策を協議し、何かあった時は松永久秀が出るという段取りなのだろう。
「おや?
どうなさいましたか?」
実に白々しい声をだした松永久秀だが、俺の差し出した細川隆是の書状を読んだ時に殺気が一瞬だけよぎった。
その殺気を我慢しながら、俺は己の方針を告げる。
「松永殿の忠言に従いおとなしくするつもりだ。
変に動いて場を乱したくはない。
既に手の者を走らせて、動くなと伝えている」
「さすが、修理大夫様が嫁を送ったお方よ。
その気遣いに感謝を」
穏やかな声だが、その口調の節々に乗る公方様への怒り。
何しろ元々仲があまり良くはなく刺客を送られたりしていたが、教興寺合戦後に刺客を送った事を三好家中枢は忘れてはいなかった。
その時は松永久秀は居なかったのだろうが、彼のことだ。
ほどなく察したのだろう。
「申し上げます。
細川兵部大輔様がお越しになりました」
「こちらに通せ」
細川藤孝は幕臣であると同時に管領細川家の家臣でもあり、その出仕も細川和泉上守護家という分家の出身である。
細川隆是が公方様の裏の手としたら、細川藤孝は表の手であり、事態収拾については俺や松永久秀と話せる人間だった。
「松永殿に大友殿もいらっしゃったのか」
「義弟殿に上洛を楽しんでもらおうと思ったら、騒ぎに巻き込まれましてな」
「まったく。
都というのは恐ろしい所ですなぁ」
このぐらいの嫌味は言っていいだろう。
それを理解している細川藤孝はさっさと本題に入る。
「告発については管領様自らお受けになり、後日吟味をする事で政所執事と政所代に申し伝えました。
ひとまず今夜の騒動は回避できるかと」
「その後は?」
「既に細川邸より早馬を飯盛山城に向けて出しました」
松永久秀は当然の事を尋ね、細川藤孝はあっさりとその先を答える。
つまり、覇者である三好長慶の裁可を仰ぐ時間さえ確保できるのならば、どうにでもなる問題なのである。
ただ、その時間を公方様が待つとも思えない。
「公方様はおとなしくしていると?」
「しないでしょうな。
御前沙汰で決しようとするでしょう。
あくまで公方様は罷免を考えております」
困ったことに、政所執事の伊勢貞孝の罷免については、三好家も基本賛成だった。
足利義輝にとっては、三好家の利になる事を代行するという意識もある上で、将軍権力の強化を狙いこの仕掛けを仕掛けた。
万一の鬼札として俺を上洛させてまでだ。
「御前沙汰で決するのはよろしくない。
あくまで管領の沙汰で決するのが筋というもの」
「同じく。
ですが、管領の沙汰で罷免する場合、伊勢貞孝が従うかどうかはまた別で。
伊勢家では告発を行った蜷川家への報復を叫ぶ始末。
蜷川家の方も襲われた事を伊勢家の仕業と決めて警戒を続けている。
合戦は避けねばならぬ以上、誰かが止めねばならぬ」
問題が発生した際の自力救済の悪いところはこんな所である。
仲介に失敗すると合戦まで行くのだ。
その為、双方をぶん殴って言うことを聞かせる武力を持つものが、覇者としてこの畿内で君臨する事になる。
そして、覇者になれない足利義輝はその覇者の足を引っ張ることで己の権威を確立したがっていた。
「ご安心なされよ。
双方が合戦に及んでも、我が三好が双方をお相手してでも都を守って見せましょうとも」
これこそが松永久秀の、三好家の切り札である武力による恫喝である。
それを発動させたくなかった足利義輝は、俺という札まで用意して抑えようとしたが、それは失敗に終わる。
三好長慶がかつて言ったように、足利義輝という『敵』によって三好家中はしっかりとまとまっていたのである。
それは、三好家客将扱いの俺にも影響を与えていた。
少なくとも、俺は公方様のために、果心をくれた三好家に弓を引くことはするつもりがなかったのだから。
だからこそ、自然と声が出てしまい松永久秀と細川藤孝の二人が俺の方を向いてしまう。
「しかし、こういう状況を作った輩が雇った襲撃者とは誰なんだ?
三好を敵に回してなお受ける間者が居るのか?」
その日、ついに伊勢家と蜷川家の間で合戦は起こらなかった。
細川隆是 ほそかわ たかよし