輪廻応報
この人をきちんと書きたくてかなり長く悩んだ回
「ねぇ!
八郎。まだぁ?」
岸和田城城門前で手を振って飛び跳ねて俺を呼ぶ有明に俺は苦笑するしか無い。
いつものスタイリッシュ衣装では無く、ちゃんと着物を着ているというのが今回の外出の大事さを物語っている。
おとなしめの衣装を着ているのは有明だけでなく、俺や明月や果心も同じように地味めな衣装を着ていたりする。
外出の目的地は石山本願寺。
三好長慶が出した畿内復興の要請を承諾した一向宗へのお礼の使者としてである。
大鶴宗秋と一万田鑑実を連れての旅行であり、堺に一泊する為連れている兵は馬廻を入れて三百ちょっと。
「待たせた。
じゃあ行くか」
この連れた兵達は行軍訓練と政治的な示威を兼ねている。
馬廻と浪人衆を大鶴宗秋が指揮し、残りを一万田鑑実が指揮するのだが、堺にて豊後からやってくる兵たちを受け取る事になっている。
堺までの道筋だが、治安は改善されている。
野盗連中を討伐しただけでなく、その背後に居た和泉国国人衆達の証拠を押さえた事で、反三好活動を起こしにくくなったというのが大きい。
和泉国の治安安定は河内国や摂津国の治安改善に波及する。
三好家が一向宗に復興支援を要請した事と、三好騎馬隊を中心にした野盗連中の討伐でひとまず峠は超えたと判断していいだろう。
そういう事もあって、石山本願寺へのお礼の使者派遣という訳だ。
「そういえば、有明は一向宗に帰依していたんだっけ?」
「そうよ。
石山御坊にお参りに行けるなんて思っても居なかったから、うれしくって。
ちゃんと喜捨も用意したんだからね」
政治的使者だが有明にとっては聖地巡礼である。
医書販売の銭で有明に渡した手数料をためていたと思ったらこれに使うつもりだったらしい。
純粋な門徒だからこそ、あえて宗教の裏を語って水を差す事も無い。
「言ってくれれば、俺ももう少し用意したのに」
「だめよ。
八郎のは城主としての喜捨でしょ。
これは私の心付けなんだから」
「ふーん。そうか」
「あんまり興味なさそうね?」
「というより、その違いがいまいちわからなくてな」
頭をかきながら、俺は有明とのやり取りを楽しむ。
このあたりはなまじ宗教的にフラットな前世知識が微妙に邪魔をする。
「そういえば、八郎様は寺暮らしでしたっけ?」
話に入ってきた果心の質問に俺は懐かしそうに答える。
あまりいい思い出は無いのだが、それでも思い出は時間と共に美化されるものだ。
「ああ。
あの時はこんな所でこんな事になっているなんて思っても居なかったがな」
堺に到着。
仲屋乾通の屋敷で豊後から来た連中を受け取る。
受け取ったのは百三十人ほどだった。
よそに流れたり消えたりして最終的には百人ほどになるのだろうが、一万田鑑実の隊が豊後の人間で二百人編成で組めるようになったというのはかなり大きい。
士気と練度を考えたらしばらくは訓練必須だろうが。
という訳で、翌日堺を出てその日の昼過ぎに石山に到着する。
「うわぁ……堺並に栄えているわねぇ」
有明の感嘆に俺も頷く。
一向宗の聖地であり、畿内の要衝であり、巨大なる宗教都市である、迫害され続けた門徒達の城塞都市に俺も同じ思いだったのだから。
既に俺たちが行くことは早馬を出して伝えている。
「我が名は大友八郎鎮成!
三好修理大夫の使者として参った!
取り次いで頂きたい!!」
本願寺前の門で警備の兵を前に告げる。
こちらの来訪は見えていたらしく、万一を考えてちゃんと兵が警戒している。
これが十年に渡って織田信長を苦しめた石山本願寺の精鋭か。
「拙僧下間頼廉と申します。
話は聞いておりまする。
どうぞこちらへ」
一人の僧が俺の前に出て案内する。
袈裟の下から鎧が見える。
本願寺の文武両立の大将である下間頼廉を案内に出してくるあたり、本願寺と三好家の関係は悪くはないという事を物語っている。
「八郎。
御影堂にお参りに行っていい?」
「ああ。
誰か連れて行ってくれ」
「では、私が有明様について行きましょう」
「じゃあ、私も有明様について行くわ」
浮かれ気分の有明がお参りを望み、女性陣がそっちに行くのを俺は了承する。
政治の話と護衛は大鶴宗秋と一万田鑑実が居れば十分だろう。
のんびりと石山本願寺内を歩く。
中は城でもあり町でもあるから人々の往来が激しい。
「栄えておりますな」
「ここは淀川と和泉灘(大阪湾)の接点の一つ。
門徒もよく来られ、色々な物を喜捨してくださっております」
俺たちは寺の奥の一室に通されて互いに挨拶を述べた後に本題に入る。
畿内復興の協力要請という話題に。
「三好殿は荒れた畿内の復興について協力してくれた事にお礼を申したいとの事です」
「門徒を助けるのは我らとて望む所。
とはいえ、よそから妬まれるのは避けたい。
三好殿は何を我らに求めておられるのか?」
下間頼廉の問いかけに俺は頬に少し手を当てて考えるふりをする。
あくまでお礼という事で勝手なことはできないのだが、ここは独断で動かないと畿内の復興が追いつかない。
三好家にあるだろう恩や利を全部使って独断専行する事を決める。
「そうですな。
まずは岸和田城代としての話をしましょう。
雑賀衆を正式に雇いたい」
根来衆は寺が違うのでここで話す事ができないが、雑賀衆と石山本願寺の仲を俺は知っている。
石山本願寺にも筋を通すことで、その雇用は容易になるだろう。
「おや?
その兵を持って都に攻め入るおつもりか?」
下間頼廉の眉が険しくなる。
かつて天文の錯乱と呼ばれる戦いにおいて、一向宗はいいように使われて他の宗派に潰された苦い過去がある。
その二の舞を恐れているのは当然と言えよう。
「勘違いしないでもらいたい。
雇うのはあくまで和泉国の警護のため。
根来衆も雇い、紀伊国に逃れた畠山が悪さをせぬ為の策。
和泉国が治まれば、河内国も治まり、大和国でも悪さはしにくくなるのはおわかりかと」
このあたりまでは岸和田城代として俺の権限でできる事だ。
次は堺との交渉役としての立場での話になるがまだ言い逃れはできる話だ。
「近く公方様が京を始めとした畿内一円に徳政令を出す予定です。
それに堺の商人たちも合意致しましたぞ」
下間頼廉が俺の一言に目を剥く。
畿内一円の徳政令に堺商人が合意したという事は、仕掛けは分からないけど堺商人はその損害から逃れる何かを三好家と結んだと暗に言っているのだから。
そして、徳政令で打撃を受けるのは商人達の後ろ盾になっている寺社であり、規模が大きいだけに石山本願寺も徳政令が出たならば何がしかの影響を受ける事を意味する。
ここからが、俺の権限外の話になる。
「場合によっては、この話から本願寺を外しても良いと考えております」
俺の実にわざとらしい小声に下間頼廉が身を乗り出す。
彼の立場からすれば食いつかざるを得ないからだ。
「お聞きしましょう」
「現在この寺に逃れている流民を村に帰したい」
合戦が常態化していた戦国時代において、寺社というのは被害を受ける民衆の避難所の側面を持っていた。
そんな彼らが『摂津国第一の城』と謳われる石山本願寺に大量に逃げ込んだのはある意味当然と言えよう。
石山本願寺側もそれを受け入れる事で門徒を獲得していたが、食わせるには働かねばならず、その確保に苦労していたのは想像に難くない。
「こちらとしても帰したいのは山々ですが、お侍様が嫌がりましてな」
下間頼廉が疑心の目で俺を見る。
門徒となった村人が村に帰って多数派になった場合、侍側からすれば一向一揆が発生するリスクを抱える事になるからだ。
おまけに年貢を領主では無く石山本願寺に送りかねないので、収入の減少を許容しても戻さないというケースが多発していた。
なお、それで侍側は必然的に借金生活を選択し、最後は徳政令というのがある種の様式美となっている。
「それはこちらで抑えます。
まずは和泉国。
三好殿の裁可を仰いだ後で、畿内三好領全域で」
下間頼廉が思わず息を飲む。
まさか俺がここまで踏み込んで来るとは思わなかっただろう。
だが、俺からすれば時間が無い現状ではアクセルを踏まざるをえない。
「時が足りぬのです。
此度の合戦、あまりにも畿内に打撃を与えました。
今年の米は青田刈りや耕作不足で不作になるでしょう。
今、流民を帰せば、まだ稗・粟・蕎麦等は間に合います。
畿内に溢れる流民を食わせるだけの覚悟はそちらにありますかな?」
「……そのお言葉、そっくりそのままお返ししますぞ。
三好家はそれができると?」
下間頼廉の言葉に俺はハッタリで返す。
俺自身腹をくくった瞬間である。
「もちろんです。
覇者と呼ばれし三好家の覚悟をご覧あれ」
ここで決まれば楽なのだが、下間頼廉はなおも食い下がる。
それは彼が政治面にも長けている証拠。
「大言壮語は誰にでもできるもの。
だが、するとなると多額の銭が必要。
三好様はそれを用意できるので?」
自分のできる権限を見せながら、その拡張プランを常に提示する。
後は、三好長慶が築いた畿内の宗教勢力への調整能力に彼らがどれほどの信頼をするかにかかっている。
それを俺はわかりやすく提示すればいい。
「既に公方様名義で多額の借用をする事を堺の商人達との間で合意しております。
三好殿の裏書きありで、これは徳政令の例外になる事も決まっております。
此度の徳政令で打撃を受けるのは京の商人で、その裏にいる法華経や比叡山。
そちらとしても悪くはないでしょう?
帰した流民達の年貢は四公六民で民の一をそちらの喜捨として黙認する。
それがしの権限でできる和泉国についてはここで証書を書いても構いませぬぞ」
債務再編でゴネる国人衆達に飴を与えつつ、その財布を握ることで三好家は脅しをかけられる。
借金返済が楽になるから侍達は無理な取り立てができず、その余剰を一向宗に流す。
京を地盤とする比叡山延暦寺や法華経寺院がバックに付く商人達は、京を占拠した六角家に一時的とは言えついたのでペナルティーを与え、その打撃は一向宗にとっては恨みを晴らす事にもなる。
復興した村の収益の一部が一向宗に流れ、この畿内復興に賭けた彼らへの取り分となる。
下間頼廉は俺の言葉をじっくりと噛み締め、ため息と共に首を縦に振って俺の提案を飲んだ。
交渉も終わり和泉国についての取り決めを締結した後、俺は有明達を待つ為に道場の奥の一室で一人待っている。
大鶴宗秋や一万田鑑実が隣の控えの部屋に居るという事は、なんとなくこの後の展開が分かる自分が嫌になる。
持っていた煙管に火をつけてその煙を空に上らせる。
日は既に傾いて空は赤くなっていた。
「吸わないので?」
声がしたので振り向く。
そこに佇む僧は傍目で見ても徳が高そうに見えた。
何よりも、人をほっとさせる笑顔が自然に出ている。
「さすがに失礼に当たるでしょう。
大友八郎鎮成と申します。
此度は、三好修理大夫の使者として参りました」
それでいて敬意を払いたくなる佇まい。
煙管を叩いて灰を地面に落とし、平伏して畏まる。
「あくまでお忍び故、名乗るのはご容赦を。
色々と門徒に目をかけて頂いて感謝します。
それを伝えたくて、やって参りました」
本願寺顕如。
一向宗を統べる巨大教団のトップに居て、その全盛期を築き上げたカリスマ。
そして、史実では織田信長に逆らって最後は敗れながらも教団を生き残らせた英傑の一人が俺の眼の前に居る。
彼の事を考えていたら、自然と言葉が出てしまう。
「一つ、尋ねたき事が」
「お答えできる事でしたら」
宗教界のカリスマに聞きたかった事。
それは、前世についての問いかけ。
「輪廻応報という言葉がありますが、この世で生きる事がその報いとして、それがしは何の罪を背負ったのでしょうな?」
本願寺顕如は少しだけ首をかしげる。
ここで宗教お悩み相談が来るとは彼も思っていなかっただろう。
とはいえ、俺はこの当代最高の宗教権威者に尋ねるチャンスを逃したくなかった。
「平穏に生き、平穏に死んだ、何も成さず、何も望まなかった男の次の生がこの乱世だとしたら、その男はどんな罪を犯したのでしょうな?」
俺の言葉が真剣だと気づいた本願寺顕如だが、その答えはすごく自然に彼の口から出た。
ある意味当たり前で、前世の俺にはまったく気づかなかった俺の罪を。
「簡単な事ですな。
『誰も頼らず、何も望まなかった』。
それが罪の名前です」
呆然とする俺の目から鱗が落ちたような気がした。
その顔が面白かったのか本願寺顕如は微笑む。
「人は生きるだけで多くの繋がりを得、必然的に多くの罪を背負います。
平穏に生き、平穏に死んだという事は、誰とも繋がりを得なかったという事でしょう。
何も成さず、何も望まなかったという事は罪も犯さなかったが、善行も成さなかったという事でしょう」
淡々と本願寺顕如は語る。
その言葉に俺は否応なく魅せられる。
「自力で極楽に行くのにどれだけかかるでしょう?
徳の高い僧が厳しい修行を長く続けてもその道は果てしなく遠い。
だから我らは、阿弥陀如来様のお力にすがるのです。
我らは手を取り合い、阿弥陀如来様の手を取り、この末法の世からでも極楽に行けるように」
もちろんこれは宗教という麻薬の方便でもある。
でもそれに頷いてしまう自分を否定できない。
「少なくとも大友殿や三好殿は我らの手を取ってくれた。
なれば、その手を振りほどかぬ限り、共に極楽を目指しましょう。
我らはそうやってこの乱世を生きているのです」
やっとわかった。
何でこの戦国時代にこんなにも一向宗が広がったかが。
一人ではどうにもできず、他の人の手を取る余裕なんて無い彼らにその手を差し伸べたのが、一向宗だったのだ。
そして、その答えを得たからこそ絶望する。
その差し伸べられた手を否応なくとは言え、一向宗は織田信長との戦に使ってしまったという事に。
「長年の悩みが晴れました。
これで少しだけ来世はましな生を受けられそうです」
俺は本願寺顕如に礼をして、隣の控え部屋の障子を開ける。
待っていた下間頼廉や大鶴宗秋達の驚きを気にせず、俺は有明の手を取る。
「ちょ、ちょっと八郎!?」
「ほら。
こうして俺はこいつの手を持っている」
俺の誇らしげな宣言に本願寺顕如は微笑んだまま、静かに手を合わせてくれた。
「あなた達に阿弥陀如来様の加護がありますように」
「バカ!馬鹿!ばかぁ!!
八郎の馬鹿ぁぁ!
上人様相手になんて事してくれたのよぉぉぉ!!!」
帰り道、有明が恥ずかしそうに俺の背中をぽかぽか叩くが、それが気持ちよかった。
なお、果心から後で聞いたが、本願寺顕如に会えた事を凄く感謝しているらしく、空いた時間にこそっと手を合わせて祈っているらしい。
下間頼廉 しもつま らいれん
本願寺顕如 ほんがんじ けんにょ