岸和田城代の日々 その4
城代となった俺が奇異の目で見られた奇行がいくつかあるが、そんな一つに料理がある。
城のトップが自分の食事を自分で作ると言い出したのだから、目付の篠原長房をはじめ皆驚いたのは言うまでもない。
何も城の料理人を首にするつもりもなく、ただなんとなくという気持ちでの料理だから適度な妥協が成立する。
そんな妥協によって俺は台所に足を向けていた。
「城代様。
今日は料理をするので?」
「ああ。
ちと故郷の味を味わいたくなったからな。
後でふるまってやろう」
夕方、台所頭に妥協の理由を告げて、俺は台所の一角を借りる。
近いようで遠い食文化の違い。
もちろん適当な理由だが、皆が黙る程度の理由にはなってくれたのでありがたい。
釜の一つを借り、鍋に水を入れて種火から薪に火をつける。
出汁は岸和田城下をうろついたついでに、漁村から銭で仕入れたあさりと鰯と鯵と昆布。
紀伊国が近い事もあって、伝を持つ商人がおり径山寺味噌を入手できたので味噌汁でもというのが今日の料理の趣旨である。
湯になった所で昆布を入れ、その後で鰯と砂抜きをしたあさりを投入。
鯵は三枚におろして、上身と下身は串で刺して焼き、中骨は出汁として鍋に投入。
具は何にしようかと考えていた所で声をかけられる。
「こちらにいらしたのですか?八郎様」
振り返ると着物姿の明月が居た。
火や刃物を使う調理場でスタイリッシュな姿は危ないという訳だ。
裸エプロンは良いものだとは思うが、それを普及させる文化手段を俺はいまいち思いつかないので、それを脇に置いて明月に話しかける。
「味噌汁の具を考えていたのだが、明月は何がいい?」
季節は夏に向かっている。
戦国期は野菜が日本に入ってきた時期ではあるが、来ている野菜と来ていない野菜があるので地味に料理のレシピに制約がある。
明月が顎に手をあてて考えながら呟く。
「茄子なんていかがでしょうか?
近くの市で初物が出たとか。
あとは韮とか芋茎あたりかと?」
「よし。
じゃあ、そのあたりを具にするか」
「八郎様。
お野菜はこちらの方をお使いくださいませ!」
会話を聞いていた料理頭が篭にそれらの野菜を俺に差し出す。
鍋を見ると、程よく煮立っていた。
「ありがたく使わせてもらおう。
明月。
灰汁取りを頼む」
「はい」
明月だけでなく、実は有明にも料理スキルはあったりする。
有明は下からの這い上がり時にそのスキルを習得し、明月は巫女時代の放浪時にそのスキルを習得している。
そのスキルが十二分に生かされたのは猫城時代で、短い間だが三人仲良く料理をしたものである。
「気づいてみたら、料理なんてしなくてもいい身になっちまったなぁ」
茄子を切りながら俺がぼやくと明月は楽しそうに笑う。
こちらに来てからの彼女は、楽しそうに笑うことが増えた気がする。
「あら、面白おかしく暮らすならしない方がよろしいのでは?」
炊事、洗濯、掃除は重労働であり、それは戦国の世ならば道具の未発達から更に面倒になる。
それをしないのは、それだけで特権階級に居る事の証でもある。
「しなくなって落ちぶれてみろ。
何も出来ずに野垂れ死にだ」
「その時は、私や有明様や果心が体を売って養います」
その言葉が笑顔と共に出てくるのだから、彼女もまた壊れているのだろう。
俺や有明と同じように。
「実は、私、あの畿内の大戦の後売られると思っていたのです。
もしくは、今も嬲られている歩き巫女達の中に入れられるかと」
灰汁を取りながらする会話でもないが、それを言える程度には体を重ねた仲である。
それでも手を止めないあたり、俺も明月も料理に手を抜いていない。
切った野菜を鍋に入れて蓋をする。
味噌を入れる前にもう一度灰汁取りをするまでの間、明月と話す時間ができる。
「どうして私をお売りにならなかったのですか?」
「難しい事を聞くな。
強いて言うなら……助けを求めた手が早かったからか?」
俺も首をかしげながら答える。
有明は俺が助けたいと思った。
果心は俺を利用し、俺にメリットを提示した。
明月は成り行きとはいえ俺に助けを求めた。
鍋の湯気を眺めながら俺は己に問いかけるように明月に語る。
「生まれと寺暮らしの長さから、俺自身本当に身内が少なくてな。
そんな中で、裸で助けを求められた者を捨てる訳にもいかんだろう」
蓋を取って灰汁を取る。
明月から出た言葉に灰汁を取る手が止まった。
「八郎様に助けられるまで、私、生きる理由が見つからなかったのです。
今でも八郎様に捨てられる事を恐れていると同時に、望んでいるのです。
人として終れるから」
その矛盾した言葉に、俺の返事が詰まる。
そんな俺の事を気にせず、明月は固まった俺の代わりに灰汁を取った。
「今も蔵で嬲られている彼女達を見て、正直うらやましいと思ったことがあります。
ああ。彼女達はこれで終ったのだなと。
それを羨ましく思った自分が居るのです」
宗像で彼女がやられていた事は、今、蔵で嬲られている彼女達と同じ事だ。
だが、彼女達は人として終れると明月は言い、それが羨ましいと元祟りつきの身から言いきった。
俺はその言葉からやっと明月から出る違和感の正体を知る。
「ああ。そうか。
お前、『愛されるのが怖い』のか」
俺も有明もろくでもない人生だったが、俺は有明を愛し、有明も俺を愛した。
相互依存に近い愛だったが、愛される事で変わる事を肯定した。
だが、明月にはその愛された記憶が無い。
祟り憑きと恐れられそれを払う名目で嬲られ続けた彼女にとって、蔵の中で使われ続ける歩き巫女達を羨ましいと思えるぐらい彼女は愛を知らない。
だからこそ、売り払うだの羨ましいだのという言葉が出てくるのだ。
彼女のささやかな望みは人として愛される事ではない。
女として使われる事なのだ。
本当にささやかな望み。
それ以上を考えられない不幸を俺はやっと思い至る。
「八郎様。
愛って何なのでしょうね?」
真剣に首をかしげて尋ねる明月から俺は視線をそらす。
その視線の先にあった径山寺味噌を手に持って、俺はそれを鍋の中に入れた。
「俺もうまくは言えんが、多分この味噌のようなものだろうよ」
鍋をかき回しながら、俺は適当に答える。
互いに答えなど求めては居ないが、この手の問いは時間をかけるしかない。
だから、雑談として俺は話を冗談に落とす。
「このままでも食えなくはないが、あると美味くなる」
小皿に少しすくった味噌汁を、明月に渡す。
明月はそれに息を吹きかけて冷まして口の中に入れた。
「おいしい。
愛の味ですね」
明月は微笑む。
そんな彼女を見ながら、串で焼いていた鯵を皿に乗せる。
俺を呼ぶ声が聞こえてきたのはそんな時だった。
「居た。居た。
八郎。
ご飯作っているなら私も手伝うのに。
あ!明月だけ呼んでずるくない?」
腰に手を当ててわざと怒ったふりをして有明が近づく。
もちろん彼女も着物姿だ。
そんな有明をちらりと見て微笑み、俺は小皿に味噌汁を入れて料理頭に渡す。
料理頭はそれを飲んで一言。
「塩が少し薄いかと」
気づいてみたら日も落ちて月が昇っている。
有明もやってきて、夕食のしたくも明月と楽しそうにしている。
お膳に味噌汁と鯵の焼き物にこの城の料理頭自慢の大根の漬物を皿に乗せて、料理場を出てゆく。
お膳を持つのはさすがに侍女達にまかせる事にしたが。
「なぁ。明月。
お前、俺が侍をやめて女郎屋を開くと言ったらついてくるか?」
俺の後ろについてきた明月になんとなく尋ねる。
月明かりの中で、その答えを笑顔で言い切った。
「当たり前じゃないですか。
有明様と共に、誰の前でも股を開いて腰を振りますよ」
その笑顔が美しすぎて、その答えが本気であると悟る。
そして、有明がなんで彼女と仲良くなったのかなんとなく悟った。
「何?
八郎侍を辞めたくなったの?」
お櫃を持った有明が俺に尋ね、俺はゆっくりと首を振ってそれを否定する。
並ぶ姿は姉妹にも見えなくは無い。
どっちが姉なのかは、多分有明の方なのだろう。
彼女は博多の太夫として多くの女達の頂点に立った女であり、多くの女達から姉さんと呼ばれた女でもある。
明月は、そんな有明から見たら妹の一人なのだろう。
「さあな。
この話は明月と二人の秘密だ」
「あー!
八郎ずるい!!
教えなさいよ!!!」
夕食は俺・有明・明月・果心の四人で食べる。
果心はくノ一の仕事もあるので居ない事もあるが、この食事の場までには戻ってくる。
こんな日常が続けばいいと思う。
でも、こんな日常が続かない事を俺は確信していた。
だからこそ、こんな日常に常に感謝する。
手を合わせて皆で声を出す。
「いただきます」
明月にもこの日常が幸せであると思って欲しいと心から願った。
なお、その日の夜の明月は激しく俺を求め、有明に不思議がられたのはその後の話。




