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来る者去る者変わる者

 和泉国岸和田城の石高はおよそ五万石ほどある。

 和泉国そのものの石高が十三万八千石だから、大体3分の1を押さえる要の城であり、三好と畠山が取り合いをしたのも分かろうというもの。

 名目とはいえその城代なんぞについてしまった訳で、当然の事ながら実務を取り仕切る篠原長房が俺の居る堺にやってきて、今後の方針が話し合わされた。


「義賢様より色々と便宜を図るようにと言われております」

「とはいえ、口を出して迷惑をかけるのも悪いしな」


 和泉国というか畿内は古くから開発がされていて堺を抱えていることもあって、平和でありさえするならば自然と儲かってゆく国なのだ。

 およそ国作りに必要な物が既にある畿内の強みでもある。


「とりあえず、畠山側についた連中の旧領の安堵を」

「義賢様も同じことをおっしゃっていました」


 旧領安堵は畠山家についた国人衆の忠誠を期待できるが、岸和田城の収入低下というデメリットもある。

 国人衆をわざと蜂起させてその知行を奪うなんて事もやれない訳ではないが、大戦が終わった後で三好家も立て直す時間が必要だった。


「とはいえ、年貢の免除までする必要もあるまい。

 年貢はちゃんと払わせろ。

 必要ならば貸付を行うように」


「はっ」


 戦で荒れた場合、基本的に復興のために年貢は免除される。

 だが、元々畠山家についた国人衆へなんらかのペナルティーを与えないとこっちが舐められるのだ。

 支払えない場合は岸和田城から貸し付けることで国人衆へ紐をつける事を篠原長房は即座に理解した。


「城下の屋敷についてはどうしますか?」


 篠原長房の質問は城下に家臣の屋敷を作るかどうかで、所領を安堵した国人衆達に屋敷を作らせて人質をそこに入れるという意味合いである。

 謀反を起こしにくくなるのと同時に、経済的負担を強いて国人衆の反感を買う政策だ。

 俺はこのあたりのバランス感覚を取りながら判断する。


「作るのは勝手だが強制はするな。

 先に城下の復興を優先させろ」


 岸和田城は港町でもあり漁村も多い。

 それらの幸はそのまま堺や石山本願寺で消費されて生計を立てている。

 また、紀伊国へ行く街道が走り、宿場も整備されている。

 そのあたりの手腕は篠原長房に丸投げすることにした。




 教興寺合戦の戦後処理は着々と進む。

 三好家の覇権を決定づけた勝利だった故に、勝馬に乗った連中には大盤振る舞いが振る舞われた。

 例えば大友義鎮への相伴衆就任。

 相伴衆は、室町幕府における役職的な身分の一つで、将軍が殿中における宴席や他家訪問の際に随従・相伴する人々の事を指す。

 元々は管領家の一族や有力守護大名に限定されていたために社会的身分としての価値が生じ、幕府内の職制にも反映されて管領に次ぐ席次を与えられるようになった。

 三好長慶がこれについて政権を運営しているのだが、同時に地方にもこの役職をばらまく権威づけの職でもあったりする。

 その一方で、毛利家については使者を出して尼子家との和議の履行を確認する当たり、これは俺が合戦に参加した大友家への礼という意味合いなのだろう。

 このあたりの気遣いが三好家を畿内の覇者たらしめている。

 また、最前線であると同時に三好家の新たなるフロンティアである占領地にやってきた将も居る。


「荒木村重と申す。

 どうか大友殿の旗下に加わりたく」


 名前を聞いた時に、なんでこんなビックネームがと思ったが、もちろん顔に出さない。

 聞いてみると、教興寺合戦で討ち死にした摂津池田家は池田勝正が後を継ぐことになったが、彼が嫡男ではない事が池田家に波紋を落としていた。

 三好家統治の要である摂津でお家騒動なんて起こされるとたまらないので三好家が介入し、嫡男池田知正派の重臣である彼を俺の方に飛ばすことで騒動を回避した訳だ。

 さすが三好家。

 お人好しだけではない。


「島清興と申す。

 どうか仁将と名高い大友殿の慈悲に縋りたく」


 まさかのビックネーム二連荘である。

 こっちは大和国で攻勢をかけている松永久秀の手を逃れて俺の所にやって来たという。

 このあたりの連中を囲い込んでくれというのが三好義賢のオーダーだから、ホイホイと登用することにする。

 なお、荒木村重は侍大将で島清興は足軽大将での登用なのは、池田家一門扱いである荒木村重と名がまだ広がってなかった島清興の差であり、後々を考えると面白い。

 この二人は岸和田城に入ってもらって篠原長房の手伝いをさせる事にする。


「御曹司の旗下に加わるよう御屋形様より命じられ、豊後より馳せ参じました」


 こう言って郎党と共にやってきたのは、吉弘鎮理。

 教興寺合戦の名が九州にも広がって、鎖をはめ直す必要性を御屋形様こと大友義鎮が感じたからに他ならない。

 彼が連れて来ているのは大友家最強の武闘派集団である吉弘家の郎党。

 心強いと同時に警戒せねばならぬと思うとため息しか出ない。

 だから、彼の参陣と共にこんな書状が一緒にやってくる事になる。


「多胡辰敬殿を豊前国松山城主に任ずるとの仰せにございます」


 俺の手足になろうとしていた多胡辰敬を切り離しに来た。

 彼は郎党を率いての流浪だったからこの報は喜ばしいだろう。


「本当はお側にお仕えしたかったのですが」


 畿内を去る事を決めた多胡辰敬の報告に寂しさが残る。

 久米田合戦や教興寺合戦での活躍はそれだけ評価されると同時に警戒されているという事なのだろう。

 なお、三好家に掛けあって千人近くに増えた尼子浪人衆全てを土佐経由で九州に送ることに合意している。

 合戦の褒美として俺から大量の銭を送ったがそれだけでは足りなくなりつつあったので、ちゃんとした拠点と領地ができたのは有り難いだろう。

 兵は主を知るが、主の主を知らずというのがこの時代の作法。

 俺の名前で雇う傭兵は俺が賞す必要があるが、多胡家郎党という形で入った連中は多胡辰敬が賞さないといけないのだ。

 

「構わぬよ。

 良く働いてくれた。

 これからも大友の旗でとは言わぬ。

 毛利の旗に弓を引き続けてくれるならばそれで十分だ」


 偽らざる本音を吐いて多胡辰敬を送り出す。

 数度に分けた船旅になるが、門司城が破却されて最前線になる豊前松山城に彼が入れば、大友家の豊前方面は大幅に強化される事になるだろう。

 他にも別れを告げる者が出る。

 明智十兵衛である。

 教興寺合戦での明智十兵衛の活躍を知って、鉄砲隊丸ごと雇用を申し込んできた大名家が現れたのだ。

 織田家だ。

 こちらにお忍びで来ていた織田信長は、犬山城主織田信清が美濃斎藤家に寝返るという情報を聞いて帰還を決意したが、この窮地においてとにかく使える人間をなりふり構わず集める事にした。

 滝川一益や木下秀吉あたりもこの頃から名前が出るようになる。

 そんな彼と配下鉄砲隊を織田信長は三百貫で雇いたいと言ってきたのだ。

 時代に愛された覇王の先見性をここからでも感じることができる。


「それがしはお断りするつもりだったのですが」


という明智十兵衛に俺が受けるようにと勧めたのだ。

 美濃斎藤家は代替わりで斎藤龍興が大名となったが織田信長の攻勢に手一杯という事。

 故郷である美濃の隣で、織田信長が勝ったら旧領を回復できるという事。

 俺が九州に帰ると三好家家中の誰に配属されるか分からず、その誰が流れ者の明智十兵衛を優遇するかどうか分からないという事。

 この辺りを説いて説得したのである。

 今の彼には幕府への伝もないし、滝川一益や木下秀吉と同時期雇用になるので仲良くなるかもしれない。

 こそっと本能寺フラグを潰したのだが、それは言うつもりもないだろう。


「大友鎮成様にはいくつかお願いしたき事が」


 そう言って訴訟がらみの書類を堺にまで持ってきたのは、三好家と幕臣でもある楠木正虎。

 南朝の英雄楠木家の出身で、朝敵赦免を受けてこの名を名乗っている文官である。


「何で俺にそれを持ってくるんだ?」


 その訴訟絡みの案件は土蔵の高利貸しがらみで、その高利貸しの出資先が堺の豪商になっていた。

 畿内の治安回復の為に土一揆は起こしたくないというのが三好政権の狙いなのだろう。


「大友鎮成様は算術に明るく商人たちとの付き合いもあり、この件で動いてくれないかとの長慶様がおっしゃっており申した。

 あくまで、内々にという事で」


 借金を棒引きにする事を徳政令という。

 飢饉が頻発し、借金が膨らんだ農民や町衆が暴動を起こすことを土一揆という。

 これに野盗等が加わって、幕府権力を大いに弱めていた。

 双方十万近い兵が暴れた教興寺合戦なんてものが発生したこともあって、その借金は笑うしかない数字になっている。

 おそらくは、将軍の京都帰還に伴って、人気取りの徳政令を出すつもりなのだろう。


「動くのは構わぬが、何故それがしに?

 三好家中でもっとできる者が居るだろうに」


 素直に尋ねたこの質問の回答はぶっ飛んだものだった。

 楠木正虎は首をかしげて、あっさりとこう言ったのである。


「はて?

 三好御一門と同じ扱いである大友殿以上に適役の人がいらっしゃいましょうか?」


 やられた。

 果心がらみの褒美と高をくくっていたが、三好家は明確に俺を取り込む腹だ。

 こういう一門扱いという特例があるから困る。

 具体的に言うと、三好長慶の娘をもらって一門として振舞っている松永久秀や岩成友通とか。

 それは同時に、三好家が俺の事を高く評価しているという事を意味している。

 俺の帰国や、豊後から来た大友家家臣による俺の粛清を邪魔する程度には。

 まあ、帰るつもりもないのでしばらくは三好の好意に甘える事にしよう。

 

「了解した。

 期待した働きに成るかは分かりませぬが、動くことはお約束しましょう」




 今井宗久を通じて堺町衆に接触すると、ある意味当然の返事が帰ってきた。


「三好殿は我らに死ねとおっしゃるのか!」


 商人にとって銭は命より重たい。

 その命を捨てろといっているのだから、その反応は分かっているのだ。

 要するに、俺の仕事は商人たちへのガス抜きだ。


「皆様の銭にかける思いは、それがし重々に承知しております。

 その上で、先にそれがしが皆様の前に出た意味を考えて頂きたい」


 彼らとて馬鹿ではない。

 堺の繁栄の源である大阪湾の制海権と淀川の河川交易を握ってる三好家に逆らえる訳は無いのだ。


「で、具体的にはどのあたりを狙っているので?」


 だからこそ、俺が頭を下げた事で溜飲を下げた堺町衆は具体的な債権放棄の話に入る。

 こちらはそれを拡大したい。

 向こうはそれを限定させたい。

 商人の戦の開幕である。


「京は確定。

 摂津・和泉・河内・大和・山城の五カ国に将軍様の名前で徳政令を出したいと」


「話になりませぬな」


 まずは飲めない要求を放り投げる。

 そして、少しずつ妥協線を探ってゆくのだ。


「近江が外れている意味を考えて頂きたい」


「三好様に逆らいましたからな。

 ……!

 なるほど。

 三好様もえげつないですな」


 徳政令で証文がただの紙になる前に、ジャンク債として近江商人に捨て値で売ってしまえという俺のアドバイスを堺商人は的確に理解した。

 『売り手よし、買い手よし、世間よし』の三方良しをモットーとする近江商人たちだが、だからこそ畿内の安定が現実的に見えるのならば、ジャンク債という捨て値で平和を買うという計算ができると信じていた。

 長期視点を持つのもまた近江商人の特徴である。

 更に、和議を結んだ六角家に対する経済制裁でもある。

 この徳政令で京近辺で軍事行動をした六角家の証文を徳政令で救う気など三好家にはさらさら無かった。

 ジャンク債として回収して近江商人に売りつける時に、それらも売りつけることで六角の借金をそのまま背負わせるつもりだったのである。


「なお、

 近江商人への飴も用意しているのでご安心を」

「それはどのような?」

「当人たちに聞いてくだされ」


 彼らへの飴というのは、琵琶湖交易と淀川交易の直結。

 山城国へ徳政令を出す事で京都近辺の淀川交易利権者が打撃を受ける。

 その後釜に近江商人を優遇するという絵図面である。

 戦国時代の終焉は、商圏の拡大を望んだ商人たちが織田信長や豊臣秀吉に金を出したという側面がある。

 大阪湾から琵琶湖までの河川交易の一元化は教興寺合戦に勝った今だからこそできる一大商業政策であり、三好家の覇権が続いていれば覇業に大いに役立つ切り札でもあった。


「大和国も外すつもりはありませぬ。

 揉める事こそが狙いですからな」


 大和国における証文の発行主、つまり金主は大量にある寺社である。

 そして、反三好勢力として紀伊に次ぐ戦力を出していたのがその寺社の下にいた大和国人衆達だった。

 松永久秀が掃討を進めている今、徳政令による借金棒引きは寺社の力を弱め、三好側の飴として国人衆達を寝返らせる計略を兼ねていたのである。


「摂津・和泉・河内については、条件を満たしてくれるのならば、外す用意があります」


 ここからが条件闘争だ。

 俺も商人たちもネジを巻き直して交渉する。


「ほぅ。

 どのような?」


「公方様名義で証文を出してもらいたい」


 三好政権の限界。

 それは、頭に室町幕府を擁していないと何も出来ないという所にある。

 周辺での反三好勢力の壊滅によって、足利義輝との関係改善を三好政権は望んでいたのである。

 政権運営費としての証文発行は将軍の権威未だありとして周囲に十二分に認知されるだろう。


「長慶様の裏書は?」

「もちろん」


 その実態は借金の保証人として三好長慶がつくからという裏取引だ。

 なお、三好家家臣の個々の借金はこの借金によって一元化させて返済するというプランは商人たちも知らない。


「そのあたりが落とし所でしょうな。

 大友殿。

 こちらからも一つよろしいか?」


 話が終わろうとした時、町衆の一人が俺に尋ねる。

 その質問は俺でも分からないものだったから、俺は苦笑してごまかす事しかできなかったのである。


「貴方は、三好殿にとってどういう扱いの人間なので?」



 

「じゃあ、送るけどいいのか?」

「ええ。

 私にとって、宗像はもう行くことがない場所よ」


 宗像家あての書状にはお色の死亡報告が書かれているが、当のお色は俺の前でピンピンしていたりする。

 要するに、これも経歴ロンダリングなのだ。

 何しろ『宗像の祟り姫』の名前は筑前国に鳴り響いている。

 そこから逃げ出したのに、その名前に捕らわれることをお色は嫌ったのである。

 宗像家の姫君、お色はこれで死ぬ事になる。


「で、死んだ感想は?」

「何だか、肩の荷がおりた気分」


 果心の手引で堺の女郎屋に売り飛ばし、買い戻す事でお色の経歴をでっち上げる。

 ここに居るのは堺の遊郭出身の白拍子という訳だ。


「で、名前はどうする?」


 己が生まれてからついていた名を捨てたのに、お色の顔色は明るい。

 名についていた呪いも捨てたのだからだろう。


「一つ、考えていたのがあるの。

 有明と同じ月からとってね」


 聞いている有明の顔も嬉しそうだ。

 きっと、二人で相談でもしていたのだろう。


「明月。

 いい名前でしょ?」


 清く澄みわたった丸い月の事を指す。

 たしかに、いい名前だと思った。


「うん。

 いい名だ」


 来る者が居る。

 去る者も居る。

 変わる者も居る。

 そんな人との出会いと別れを繰り返しながら、俺の堺生活は続くことになる。

荒木村重 あらき むらしげ

池田勝正 いけだ かつまさ

池田知正 いけだ ともまさ

島清興  しま きよおき

吉弘鎮理 よしひろ しげまさ

滝川一益 たきがわ かずます

木下秀吉 きのした ひでよし

織田信清 おだ のぶきよ

斎藤龍興 さいとう たつおき

楠木正虎 くすのき まさとら


4/7 内政シーン追加

8/24 微修正

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