天下人交差
野口冬長が騎馬隊を連れて堺にやってきたのは教興寺合戦の翌日の昼だった。
滞在している仲屋乾通の屋敷の者が俺を呼ぶと、苦笑しながら野口冬長が愚痴る。
「大友殿。
途中で帰るとはひどいではござらぬか。
宴の主役がおらぬと兄者達が探しておりましたぞ」
勝ったためだろう。
笑顔を隠そうとしないが、人払いをした後で俺が真顔で差し出した足利義輝の花押が押された三好長慶暗殺の依頼の文を見て野口冬長の顔色が変わる。
「それがしを狙っていた間者が持っておりました」
その先を続ける前に野口冬長の顔が真っ青になって叫ぶ。
「まずい!
このままだと兄者が狙われる!
この戦の戦勝報告をする為に兄者は城を出て公方様の元に赴くことになっておるのだ!!」
「なんですと!?」
史実では死んでいないからと安心できないのが怖い。
それよりも俺が一番恐れているのは、三好長慶の盾になって三好義興が撃たれるケースだ。
彼の戦傷死のフラグは折らねばならない。
「いつ公方様の元に出向くので?」
「大友殿にも参加してほしかったので、それがしが来た訳で。
おそらく明日か明後日」
時間は有る。
無いのは情報だ。
「野口殿。
我らも三好殿の所に行きましょう。
少し時間を頂けるか?」
「いかほど待てば良い?」
「一刻で良い。
落ち武者狩りは治まっておりますか?」
その言葉に慌てて近習を呼ぶ野口冬長。
それでまだ街道沿いが落ち武者狩りにあふれている事がいやでも分かってしまう。
「飯盛山城までの間を早馬を走らせろ!
三好の旗を立てて、夜盗の類を近づけるな!!」
騎馬隊の面目躍如の使い方で俺も思わずうれしくて笑みをこぼすが、顔を引き締めて告げる。
「町の門前で落ち合いましょう」
「心得た」
野口冬長を返して俺は仲屋乾通の屋敷の蔵の一つに向かう。
現在そこでは降伏した歩き巫女達の尋問という名の陵辱調教が行われていた。
「おや?
加わりに来ましたか?」
始まったばかりの肉欲の宴を淡々と眺めながら果心が尋ねるが、こっちはその気も無いので用件だけ告げる。
傍目で見て歩き巫女達が喜んでいるように見えるのがこの世界業が深い。
「何か分かったのか?」
「まだ始まったばかりですよ。
数日かけて徹底的に体に聞いた上で吐かせないと、騙されます。
そういう修行を越えてきた者たちですから」
彼女たちへの尋問(肉体)は褒美代わりに雇った足軽たちにも協力してもらっている。
七人の歩き巫女達に数百人が数日間群がるのだから、すぐ壊れると思ったら意外とそうでもない。
「数が多ければ多いほど、実は楽ができるのよね。
男の方は快楽を持続しにくいから」
御陣女郎経験者として雑兵達にそういう事をされてきた有明が俺に補足説明する。
こうやって彼女達が見ているのは、歩き巫女達が陵辱されている間に雑兵に何か吹き込まれないように見張っているという理由がある。
同じく見張っているお色も歩き巫女達にまだ余裕があると分かるのも、祟り払いとして有明以上にその手の事をされてきた経験からだ。
「本当に壊れてくると声が出なくなりますからね。
まだ一日も経っていないので、余裕がありますよ」
知りたくなかったこんな事。
そんな事を顔には出さずに俺は口を開く。
「野口冬長殿が来られたのであれを渡した。
三好殿は戦勝報告の為に、明日か明後日に石清水八幡宮の公方様の元に向かうらしい」
逃れた歩き巫女は三人。
その三人が逃げてくれるならば問題はないが、別の鉄砲玉を雇う可能性を否定できない。
俺の思考を先回りしたらしく、果心がため息と共に結論から口に出す。
「仕掛けると考えるべきでしょう。
彼女たちの余裕がわかりました。
知ってもこちらが打てる手が限られているのを理解しているからですか」
果心の声は蔵の中に響いているのに、嬲られている女たちは喘ぎ声で返事をするのみ。
聞いていない訳ではないが、聞いていないふりをしているというのが有明・果心・お色の結論である。
「ここから先は外で話そう」
「では私はここまでで。
目を離すわけには行きませぬから」
調教尋問担当の果心が離れるわけにはいかない。
とはいえ、この先を尋ねる人材が今の俺には居ないと言おうとしたら、果心が先回りして口を開く。
「明智様をお頼りになられませ」
「彼は深く関わる事を拒まないか?」
「だからです。
深く関わりたくないからこそ、我らと違う目で物を申してくれるでしょう」
なるほど。
頷いて俺と有明とお色は蔵から出てゆく。
後の話になるが、二週間に及ぶ陵辱調教の果てにこちらに転んだのが六人。
一人は壊れて色に狂ったので、女郎屋に売り払う事に。
果心のくノ一の才能をこれでもかと見せつけてくれた。
「深い事は言えませぬが、それでよろしいのでしたら」
明智十兵衛を呼んで、話せる所を説明した上で意見を求めた結果が先の言葉である。
口に手を当てて考えた明智十兵衛は、淡々と畿内における襲撃を口にする。
「間者を用いて大名を仕留める場合、果心殿が言うようにお味方を転ばせる必要があります。
つまり、仕掛けるならば、お味方が居て最も安心と思える場所。
飯盛山城を出る時でしょうな」
その一言に俺の目から鱗が落ちる。
俺は道中もしくは石清水八幡宮近くでの襲撃を想定していたからだ。
勝ち戦で気が緩んでいるだろう飯盛山城近くでの襲撃。
ハマれば一番ワンチャンがありそうな場所はそこしかない。
「仕掛けをするとすれば今夜。
行かれるならばお早めに」
飯盛山城周辺には合戦で勝った三好軍が陣を敷いている。
その陣の兵を相手に遊女達が商売をしているだろうから隠れるならばうってつけである。
昨日の落ち武者狩りで仕事は終りと踏んで鉄砲隊にも休みを出してしまったらしく、彼自身もこれ以上の仕事はするつもりはないらしい。
「この状況で襲撃の間者を用意するのは難しいでしょう。
なれば、歩き巫女自らの手で仕掛けるしかございませぬ。
手は二つ。
三好殿の口に入るものに毒を入れるか、忍び込んで襲うか。
どちらにせよ、城に入らねば事は成りませぬ」
すらすらと出てくる状況分析に俺は舌を巻く。
歴史に名を残すチート武将はここまで才能に差があるのか。
「逃れた歩き巫女は三人。
一人はしくじった事を伝えねばならぬので外し、もう一人も仕掛けの報告をせねばならぬから外して構いませぬ。
あと一人。
その一人を斬ってしまえば、歩き巫女の企みは防ぐ事ができるでしょうな」
明智十兵衛の解析に俺は頭を下げる。
めどが立っただけでもありがたいのに、ここまで予測してくれるならばその分の感謝は伝えるべきだ。
実利をつけた上で。
「すまぬ。
この分も褒美を用意しておこう。
我らはこれより飯盛山城に向かう」
「でしたら、ついでにこの場の護衛に良い方を紹介しましょう。
野口殿の騎馬隊がいるので大丈夫とは思いますが、使える侍は多いほうが見栄えがしましょうて」
そう言って明智十兵衛は一人の侍を紹介する。
その侍は堺の賭場にて俺達を睨んでいた南蛮衣装がよく似合う侍だった。
飯盛山城に入ったのはその日の夕方だった。
野口冬長の騎馬隊が道を掃除してくれたおかげで、落ち武者刈りや夜盗とも出会わなかったのも大きい。
俺の飯盛山城行きについてきたのは、大鶴宗秋・有明・お色・一万田鑑実で、兵は馬廻の三十騎と明智十兵衛紹介の武者達三十騎で、これに野口冬長の騎馬隊六十騎がついてきている。
「御曹司。
あの方々はどなたで?」
大鶴宗秋が馬を寄せて俺に尋ねるので俺はあっさりと正体をばらす。
「織田家の者達だよ。
明智十兵衛の紹介でこの場のみ雇った」
その中央で俺の方をガン睨みしている南蛮装束の侍がめっさ怖いのですが。
腹の探り合いなどしている時間もないので、彼が知りたいだろう事をさっさとばらしてしまおう。
「野口殿。
騎馬隊は便利なものであろう!
この移動力こそがこの騎馬隊の真髄よ!!」
「まこと!
夜盗の群れが数度襲ってきたのですが、馬を並べての突撃に散っていきましたぞ!!
夜半に着くと思ったのですが、この様子ならば夕方に着きそうですな!」
「今度この騎馬隊の指南書を書いておきましょう」
見ていないのだが、はっきりと後ろの某侍の気が震えた。
そりゃ欲しいだろう。
そういう風に振ったからなぁ。
「大友殿の医書も飛ぶように売れているとか。
その指南書も高く売れるでしょうなぁ」
「野口殿にはただでお渡ししましょう。
それぐらい色々世話になったゆえ」
雑談もここまで。
目の前に飯盛山城が見えてくる。
騎馬隊の侍が警戒の三好軍の兵に大声で告げる。
「野口若狭守の手の者だ!
主命により、先の戦の功労者たる大友殿を城に連れてゆく最中である!
道を空けよ!!」
周囲数万の三好軍の視線が一斉に俺たちに注がれる。
聞こえる噂話だけでも俺の過大評価の声。声。声。
「大友殿?
あの九州の仁将か?」
「久米田合戦で三好豊前守と安宅摂津守を助け、先の戦では野口若狭守の元で多大な功績をあげたそうだ」
「今趙雲殿の策で畠山軍の足を止めたと聞くぞ」
いや、そこまで広まっていると恥ずかしくて将兵の顔を見る事ができない。
そんな恥ずかしさも城門に着いてから頭を切り替える。
三好家本拠で合戦後だからこそ、部外者の俺たちは全員入ることができないからだ。
「一万田鑑実は連れてきた兵をまとめてくれ。
大鶴宗秋は俺についてきてくれ。
有明とお色は……」
「止められるまでついて行くけど何か?」
「私も」
「好きにしろ」
そして、じっと俺を見る南蛮装束の侍に声をかけた。
彼が超チート武将なのは知っている。
彼がそれを吸収するのを覚悟の上で、俺は彼のチートに賭けた。
「ついてくるか?
報酬は畿内の天下人への謁見」
俺が南蛮装束の侍の正体を知っている事をばらして取引を持ちかける。
それが分からない南蛮装束の侍こと織田信長ではない。
「道中で話していた騎馬隊の指南書もつけろ」
「一冊。
写本はそっちでしろ」
交渉成立。
野口冬長が三好長慶へ報告する間、俺は南蛮装束の侍に情報を開示する。
その上で、俺は彼に尋ねた。
「お尋ねしよう。
お主が防ぐならばどこでこの歩き巫女を潰す?」
「ならば簡単だ。
もう間者が潜んでいると考えたら、宴席の場が一番狙いやすい。
毒味をすりぬけるならば、持ってくる女中しかあるまい。
その女中の連中の服を改めてしまえ」
「なるほど」
話している内に野口冬長がやってくる。
俺が話していた南蛮装束の侍は俺から離れ、それを見た上で野口冬長は俺の耳元で囁く。
「兄者の了解は取り付けました。
この一件、好きにして構わぬと」
ん?
今、好きにして構わぬと言ったな?
では、俺の好きにさせてもらおう。
「野口殿。
ちと銭を使いますぞ。
いや、馬や鉄砲を買うわけではござらぬが……」
宴の前に集められた女中達は互いに顔を見合わせるが、女二人を連れて出てきた野口冬長を見て何事かと疑念を強める。
そんな事を読み切っている野口冬長は朗らかな笑顔で、実にわざとらしい声で彼女たちを集めた目的を告げた。
「集まってもらったのは、此度の宴の件だ。
お味方大勝利を祝う宴ゆえ派手にという兄者からの命を受けてな。
お主らにも着飾ってもらおうという訳だ。
着物はこちらで用意したので、これを着てもらいたい」
そして、後ろの女二人がくるりと舞う。
有明とお色である。
女中たちの目の色が一人を除いて変わる。
陣中の遊女達から買い漁った、派手な綺麗所の着物である。
彼女たち女中が、着ることができない高い着物である。
裸で仕事をする彼女たちの為に、翌日堺から着物を取り寄せたのは言うまでもない。
「もちろん、この着物は持ち帰ってもらって構わぬぞ。
ただ、一人が二着以上持ち帰るのを防ぐためにこの場で裸になり、来ている着物と交換する形でこの着物を渡そうと思う。
もちろん、交換の際には男衆は部屋から出てゆく事を約束しよう」
そう言い終わると、飯盛山城の奥女中達が着物を持って入ってくる。
野口冬長をはじめ男衆達が去り、女中たちが着物を脱いで交換しだす。
そんな中、一人厠へと言って出ていった女中に俺は後ろから声をかけた。
「何処に行くんだい?」
「申し訳ございませぬ。
厠へと……」
振り向こうとした女中を俺の隣りにいた織田信長が袈裟斬りに切り捨てる。
一撃で絶命した歩き巫女の手には吹き矢が握られていた。
多分毒が塗られているのだろう。
「大友殿。
まだ甘うございますな。
お約束の件、お忘れなく」
脇に下がる織田信長を尻目に、何事と騒ぐ三好家中の者達へ野口冬長が説明する。
それを俺はどこか他人事のように聞いていた。
斬る覚悟はあったが、白か黒かまだ分からない状況で動くつもりは無かった。
だが、織田信長はあの時点で黒と決めつけて斬った。
これが戦国武将との差をいやでも俺は思い知った。
「八郎!
血だらけじゃない!!」
「安心しろ。
返り血だよ」
血まみれのまま有明を抱きしめる。
そうしないと、俺が俺でなくなってしまうような気がした。
宴の時、約束通り俺は三好長慶に織田信長を紹介した。
間者を仕留めた功績を三好長慶は褒め、織田信長は仕事と謙遜した。
たったそれだけの会合の意味を知っているのは俺だけ。
古い天下人と新しい天下人の会合という意味に、どれほどの価値があるのかは俺にも分からなかった。
「大友殿。
何度も助けていただいて、この恩を何で返せばよいのか……」
その日の夜。
宴も終わった飯盛山城の本丸。
武田の歩き巫女の襲撃を防いだ事で三好長慶に会わぬ訳には行かず、三好義興と三好義賢と安宅冬康と野口冬長同席での謁見の場にて俺は非礼を覚悟で足利義輝の文を差し出す。
野口冬長経由で三好義興と三好義賢と安宅冬康はこの書状の中身を知っており、三人とも激昂したのは言うまでもない。
「ふむ……」
三好長慶は足利義輝が書いた三好長慶暗殺依頼の書状を読む。
それを読んだ三好長慶は少しだけ困ったような顔をしてそのまま灯りの火にくべる。
唖然とする俺達を尻目に火がついて燃え上がる文を持ち、庭で手を離すと季節外れの蛍のように火の粉が舞って、文だったものが燃え尽きて消える。
「蛍には少し早い。
春の雪のごとく大友殿は幻でも見たのであろう?」
つまり、足利義輝の暗殺依頼そのものを無かった事にする。
それを暗に俺達に匂わせ、三好長慶は一連の合戦の終わりにしたのである。
「お聞きしたい事があるのですが……」
翌日。
戦勝報告のために足利義輝が居る石清水八幡宮に向かう道中にて、俺は三好長慶に尋ねる。
ずっと気になっていた疑問を聞いて三好長慶は少しだけ笑った。
「平島公方を手に握っているのに、今の公方様を支える理由は?」
その笑顔を崩さず、三好長慶は空を眺める。
あの戦の大雨が嘘のように今日は晴れ渡っている。
「そうよな。
大友殿のこれまでの功に免じてそれをお答えしよう」
その笑顔に茶目っ気を乗せて、三好長慶は答えを告げた。
ある意味当然で、ある意味納得できる答えを。
「公方様という分かりやすい敵がいるからこそ、我ら三好はまとまっていられるのよ」
と。
三好長慶の最後の一言が書きたくて、この更新をずっと続けていたのでほっとする。
これで三好長慶から学んだ八郎が敵を使っての生き残りという流れが明確にできるはず。