旅立ちは静かに思いは心の奥に
立志篇というより最初の加筆修正という感じ。
冒頭部の読みにくさ解消が一応の目的
自分がどうしてここにいるのかわからない時がある。
これが物語の主人公ならば、『それが運命だから』とかっこつけられただろう。
現実ならば、死ぬまで続く日常の果てに、盛り上がりを夢想しただろう。
けど、そういうことが現実に起こってしまった時、凡人というのはどういう顔をしていいか分からない。
夢だ。
これは、はじまりの夢。
だって、俺もあいつもあんなに小さくて笑っているじゃないか。
「あそぼ」
「あなたのお名前は?」
「俺、八郎」
「わたしのなまえは……」
燃える。
思い出が燃える。
城が燃える。
あの時は何も分からず、あいつの手を取って逃げることしかできなかった。
弘治2年(1556年)5月の夢。
夢だから変える事すらできない。
「府内で謀反!?
何が起こっている?」
(何で言わなかった……一万田鑑相が殺された時に次はお前だって……)
「他紋衆が蜂起したと……あれほど耐えろと言っておいたのに!」
(だって信じてくれなかったじゃないか……同紋衆の寵臣だった一万田鑑相が滅んで、お屋形様は他紋衆も見てくださると喜んでいたから……)
「筑前宝満城主高橋鑑種が『小原鑑元謀反!討伐の為に兵を繰り出す!』と兵を集めております!」
(知っていたのに……高橋鑑種が殺しに来る事を知っていたのに、それを言えなかった……)
「一万田の倅か。
俺を殺したくて機会を窺っていたと見える」
(だって、言って信じられなかったら殺されかねなかったから……俺は人質なのだから……)
「府内の軍勢が来るまで粘るぞ!
来た後に釈明の使者を出す。
お屋形様は我等の事を分かってくださる!」
俺を小原鑑元が見る。
その目に諦めの色が写っているのを夢の中だからこそ気づいた。
「その守り刀を持って落ちてくだされ。
八郎様ならば、高橋鑑種も無碍にはすまい」
この時、彼の笑った顔を俺は忘れることができない。
何も出来ない人質だからこそ、俺は生き残れた。
そして、夢が佳境に入る。
高橋鑑種を総大将に集まった小代実忠、三池親高、田尻鑑種、蒲池鑑盛らの軍勢が城を攻める。
これを小原鑑元は迎撃するが、準備も整いきれておらず押されるばかり。
「火だ!
城に火がかけられたぞ!」
「城内に敵が!
どこから沸いたんだ!」
「大津山資冬ここにあり!
我が城取り返しに候!!」
大津山家は元々この地を統治していたが、菊池義武の謀反に同調して大友家に謀反、鎮圧されてこの地を追われた経緯がある。
その後に入ってきたのが小原鑑元だから、地の利は最初から高橋鑑種の手にあったのだ。
わずか一日で城は落ちた。
小原鑑元はもはやこれまでと妻とあいつ以外の娘を刺し殺し、残余の手勢をまとめて打って出て玉砕する。
「八郎!
どこ!!」
「こっちだ!
手を離すな!!」
あいつが死ななかったのは俺のせいだ。
俺に最期の別れを言おうとした時、隠れていた大津山家の手勢が城に火を放ち本丸に戻れなくなったのだ。
既に城全てに火の手が回っている。
城兵は殺され、女は陵辱され、死体が転がっているこの世の地獄。
負けるとは、滅ぶとはこういう事だといやでも思い知る。
「童か?
売り払って銭にするか」
雑兵に見つかった。
握っていたあいつの手が震える。
ここで離れたらあいつはどうなる?
童の身体に雑兵をどうにかする力は無い。
だからこそ、唯一の武器である口で運命を切り開く。
それが物語の始まり。
「待て。
我が名は八郎!
この娘と共に大将の所に連れてゆけ!
殺すよりも褒美が出るぞ!!」
俺とあいつの着ている着物が良いものだった事が幸いした。
雑兵に連れられて城から出ると、過ごしていた城が夜にも関わらず赤々と燃えている。
そして、俺はあいつの手を握ったまま仇の顔を知る。
鎧姿で俺を試すような視線を向け、守り刀をじっと眺めると諸将が居並ぶ前で俺に平服した。
「よくぞご無事で。
八郎様が生きておられたとはお屋形様が喜びましょうて」
こうして、肥後から筑前に住む場所を変えて俺の人質生活は続く。
ただ一つ、小原鑑元の娘を生かす為に遊郭に売り払った事であいつと別れる事になっただけ。
「……!」
目を開ける。
夢から覚める。
今は永禄2年(1559年)4月。
あの夢から三年ほど経ったのにこの夢を忘れられない。
何もかも忘れて、あの代わり映えのしない日常を堪能したかった。
転生なのだろう。
天稟の才も与えられたのだろう。
それでもどうすることもできない、子供の身体と地縁血縁の因縁をこの身でたっぷりと味わった。味わい続けた。
末法の世、戦国時代である。
こうして、菊池八郎の朝は日の出と共に始まる。
いずれ、この名前は歴史にこう残されることになるだろう。
今山合戦にて、竜造寺家の鍋島直茂に討ち取られる間抜けな総大将として。
大友親貞と。
顔を洗い厠に行った後で顔を出すのは、寺の厨房である。
「おはようございます」
頭を丸めた訳ではないが、ここで生活している以上はできることをする。
最初はとまどっていた僧侶たちも、宙ぶらりんな俺の待遇を知っているのである意味好きにさせていた。
境内の掃除をして朝食を作る。
だが、食事は一人でとる。
親しくなった僧侶等が出世や左遷の名目で数人消えれば、そういう処世術も身についてくる。
とはいえ、これも最後と思うとなんとなく感慨深く思えるものだ。
ここからは、僧侶でないので無駄に時間が余る。
そんな時間を俺は鍛錬に当てた。
「九十八……九十九……百……百一……」
己の未来を知っていてるのならば選択肢は二つしか無い。
諦めるか足掻くかだ。
俺一人ならば、諦めても良かった。
だが、俺には助け出さないといけない女がいる。
恨みをぶつけねばならない男がいる。
「精が出ますな」
かけられた声に見向きもせず、俺は木刀を振り続ける。
今日の目標を越えた所で見もせずに一人つぶやいた。
「いずれ戦に出る身だからな」
「僧になっても構わぬとお屋形様はおっしゃいましたが?」
声の主である高橋鑑種を見ずに手ぬぐいで汗を拭く。
俺の保護者であり、仇である男にまた木刀を振りながら独り言のように返事を返す。
「どうせ戦場に引っぱり出されるだろうよ。
大友はあまりにも身内を粛清しすぎた。
その時に還俗するぐらいならば、最初から鍛えておくさ」
少なくとも高橋鑑種は監視はつけても俺を束縛することだけはしなかった。
それを利用して、この戦国で生き抜くすべを必死に考え続けたのである。
戦で討ち取られない体力、どの時代でも需要がある読み書き算盤、文化の最先端博多の傍らにいたことで吸収できた礼法。
銭を作り、生き残るために学んでここまで来た。
全てはこの時のために。
「御曹司が贔屓の女の身請けを褒美にと考えておりました」
振っていた木刀が止まる。
好意の皮をかぶった皮肉を断ち切るように俺はまた木刀を振り下ろす。
「女ぐらい自分で奪うさ」
「その意固地というか愚直さはお父上に似たのでしょうなぁ。
お父上と同じ道は歩まないでくだされ」
あえて黙るが俺は心のなかで高橋鑑種に言い返す。
(ああ。お前の父でもある一万田鑑相と同じ道はごめんだからな)
と。
しばらく木刀が空気を切る音だけが聞こえる。
日課にしていた回数を振り終わった俺を待っていたらしく、高橋鑑種はゆっくりとそれを口にした。
「それで、これからどちらへ?」
浪人菊池鎮成として生きると宣言したはいいが、高橋鑑種の手の者がついてくるのは見えていた。
それを振り切るにはまだ俺には力が無い。
「しばらくは浪人暮らしを楽しむさ。
酒に溺れ、博打に溺れ、女に溺れて日々を過ごす。
中々のものだろう?」
「男子に生まれたならば、その生き方はぜひしてみたいものですな」
お互い全くする気がない言葉を吐いた後、高橋鑑種は一枚の証文を押し付ける。
そこには、男子一人がしばらく遊んで暮らせるだけの金額が書かれていた。
「一応烏帽子親ですからな。
それぐらいはさせてくだされ」
恨みはあるが銭に罪はない。
それぐらいの割り切りは前世で済ませてきたのはありがたかった。
その証文を受け取って懐に入れる。
「ありがたく頂戴しよう。
だが、俺がいくら稼いでいるか知っているだろうに?」
「ええ。
貴方が望んでいた遊女の身受けの額に達したぐらいは掴んでいますとも」
だから俺はここを出ることに決めた。
だから俺は大人になって仇と対峙することを選んだ。
何故かしらないが、ふっと笑みが溢れる。
「てっきり反対するかと思ったよ」
「子が大人になると決めたことを、何故親が反対しましょうか?
どうかご武運を」
それだけ慇懃無礼に言って高橋鑑種は去ってゆく。
木刀を木に立てかけたまま俺は荷物をまとめることにした。
己の身分を伝える菊池の守り刀を振分荷物に入れて肩に担ぎ菅笠をかぶる。
合羽を羽織ればさしあたって風来坊のできあがりだ。
こんなご時世だから脇差も忘れない。
「さてと。
行くか」
太宰府を出て、まずは近場の宿場町である二日市へ。
そこにある神屋の出店に顔を出して、神屋の隊商と共に博多に行くとしよう。
歩き出す前に、一度振り返って太宰府の景色を眺める。
その後、一度も振り返らずに俺はこの地から去っていった。
立身出世の基本は何か?
読み書き算盤である。
もはや遠い遠い昔になってしまったが、それが当たり前のように教えられている世界からこっちにくると、どれほどありがたいか身を以って教えてくれる。
こうして宿に泊まれる銭を産んでくれたのだから。
「おはようございます。御曹司。
よく眠れましたか?」
「離れを貸してくれて助かった。
神屋殿によろしく伝えてくれ」
二日市の宿場町にある神屋の屋敷で俺は目を覚ます。
神屋紹策というコネを得て、俺はここで銭を稼いでいた。
代筆から計算ができる事を良い事に太宰府方面の神屋の商売の手伝いをし、これだけの優遇を得たのは筑紫惟門の博多襲撃未遂の密告のおかげだろう。
俺に挨拶をしてくれた二日市神屋屋敷の主人は、神屋の大番頭格だと聞く。
「いえいえ。
御曹司が先の戦で見せてくれた大恩を神屋はまだ返しておりませぬ故」
侍島合戦と呼ばれる事になる俺が宝満城から眺めた戦は、大友軍の勝利という形で幕を閉じた。
筑紫軍二千は高橋鑑種を総大将にし待ち伏せていた大友軍一万に筑前国侍島にて大敗し降伏。
筑紫領とその家臣達を自領に組み込み、門司合戦で苦戦する大友軍の後背にあたる博多の守備を一手に引き受けており、博多の守りは盤石そうに見える。
「だったら一つ頼みがある。
この文をとどけてほしいのだ」
「かしこまりました」
そっと窓から外を眺めると、山伏が説法を行いながらこちらを伺っている。
太宰府の近くにある宝満山は九州の山岳信仰の拠点の一つであり、有名な聖地英彦山への巡礼ルートの一つにもなっていた。
だからこそ山伏が居る事は不自然ではないが、山伏に化けて間者が居るという事も良くあったりする。
九州の山伏達の聖地である英彦山は戦国時代には三千の僧徒と八百の坊を誇る一種の宗教独立国家になっており、大友家とはあまり仲が良くない。
待ち伏せられて拉致られたら、おそらく毛利に売られて反大友の旗頭に担ぎ上げられかねない。
そんな事を考えながら、俺は神屋の屋敷で一日を過ごす。
その日の夕方、文の知らせがやってくる。
「八郎!
ついに出てきたのか!」
「なんとか出してもらえたのさ。
七左衛門」
薄田七左衛門。
それが目の前の男の名前であり、俺の唯一の友である。
小原鑑元 おはら あきもと
小代実忠 しょうだい たねさだ
三池親高 みいけ ちかかた
田尻鑑種 たじり あきたね
蒲池鑑盛 かまち あきもり
大津山資冬 おおつやま すけふゆ
大友親貞 おおとも ちかさだ
薄田七左衛門 すすきだ しちざえもん
3/25
加筆のために『柳町の有明の月』の冒頭部を移設
薄田七左衛門の話を加筆
6/18 『チート』という言葉を他の言葉に変更