畿内の天下人
三好軍と共に堺に帰ってきた俺達だが、そこからが稼ぎ時だった。
つまり、医者の真似事と医書の販売である。
「ほら!
男だからしゃきっとする!!」
「傷を出して。
湯を冷ました水で綺麗にして洗うから」
仲屋乾通の伝手を使って堺の屋敷を一つ借りて始めたこの商売は合戦後という事もあって、面白いほど図に当たった。
そして、その治療を見て作った医書が飛ぶように売れてゆく。
「はい。
まいど」
到底人が足りないのでと臨時のバイトを雇うことにしたが、その相手は明智十兵衛の奥方だったりする。
生活が窮乏していたのは知っていたから奥方も了承。
よく働いてくれて大助かりだったりする。
なお、店を取り仕切っているのも明智十兵衛で、こういう事もできるのかこのチートと密かに舌を巻いたり。
鉄砲というのは強力な武器だが、同時に維持コストも高い。
浪人の為にその支払いが滞りがちだった彼は合戦前のバイトという事で俺の所でこうして小銭を稼いでいる。
え?
俺は何をしているのかって?
「ほらできた。
これで勲功の感状は全部のはずだ」
「お疲れ様でございました。
御曹司」
大鶴宗秋と共に雇った傭兵衆への感状書きである。
久米田合戦が三好家の戦略的敗北に終わった結果、三好家は京を放棄して全戦力を集結。
持てる力の全てを使って畠山家を潰す決意を固めたのである。
勢いに乗る畠山家も紀伊・和泉・河内・大和の反三好勢力を糾合しており、大合戦は不回避の状況な為に何処も将と兵を欲しがっていた。
事実、俺の下で働いていた福屋隆兼は松永久秀の下で侍大将として雇われて堺より去っていた。
そんな訳で、俺の雇った浪人全員にこの感状を渡して就職活動の箔付けにしてもらうという心づもりは医療活動と共に俺の『仁将』という名を高めてくれていた。
「しかし、城をくれるというのに断ったのはもったいない。
俺に義理立てしなくても良いのだぞ」
俺のぼやきに、大鶴宗秋の仕事を手伝っていた多胡辰敬が苦笑する。
その声はどことなく楽しそうに聞こえた。
「御曹司についていくと楽しそうですからな」
あちこちのスカウトが躊躇うこと無く目をつけて声をかけたのが、この多胡辰敬だった。
三好家からは城一つの提示すらあったらしいがそれを彼は断ったという。
その断り方も、
「今の我が主は大友鎮成様ただ一人。
その手の話は我が主を通してもらおうか」
という訳で、俺の方にも否応なく三好家と畠山家からのお誘いがやってくる事に。
俺のお目付けという事で、一万田鑑実と大鶴宗秋という将までいるから、下手に表にでると大変な事になるという事情もあったりするのだ。
明智十兵衛の方も更に己を高く売るために次の合戦までは俺の所に居るつもりだそうな。
一応仕官については声をかけたのだが、ある意味納得できる理由が帰ってきた。
「申し出は本当にありがたいのですが、九州はちょっと……」
ですよねー。
彼には仕官と同時に家の旧領回復という目標がある。
元々美濃国の国人衆出身で斎藤家のお家争いで逃れた身だからこそ、戻れるならば戻りたいと考えるのだろう。
「しかし、何ですか?
あの馬印は?」
「さよう。
あまりいい趣味ではございませぬぞ」
多胡辰敬のぼやき返しに大鶴宗秋が乗ってくる。
流石に千人程度の人数だと馬印がいるという訳で急遽用意したのだ。
それが実のついた橙の枝である。
時期が過ぎつつあるので、いい感じに実が乾燥しているのがまた味がある。
「我ながらこれだと思ったんだが。
酸味が強く正月飾りにしか使えない見かけ倒し。
いいだろう?」
最終的には橙武者ならぬ橙大将と侮られたいものである。
元ネタは言っても分からないので言わないが、最近一人で寝たことがないので多分こうなる可能性は高い。
そんな俺の内心を知らず、得意満々に説明するのに大鶴宗秋と多胡辰敬の白目が痛い。
あれ?
洒落気がきいて受けると思ったのだが。
「初陣で五城落とすお方を見かけ倒しと?」
大鶴宗秋よ。
それただの空き巣だから。
お前見ていただろうが。一緒に居たから。
「普通殿を務めて、大将の三好殿を守り切って堺に帰り着いたお方を見かけ倒しとは言いませんが?」
多胡辰敬よ。
あくまでそれは畠山軍が追撃してこない事を見切っていたからの結果だ。
落ち武者狩りが甚大な被害を受けるのは、三々五々に散って逃げるからだ。
隊列を整えて、整然と撤退すれば落ち武者狩りは撃退できるし。
何よりも浪人衆以外はほぼ温存していたのはこうなる事を見越していたからだし。
三好義賢と安宅冬康という格好の大将首が殿にいたからこそ他の部隊が撤退でき、功に焦った落ち武者狩りが各個に攻めるからこそ撃破できたという訳で。
散々説得しても納得してくれないので、切り札を出すことにした。
「とにかく。
先の戦でちと目立ち過ぎた。
しばらくは色狂いの馬鹿殿で行くからな」
事実だからこそたちが悪い。
堺でのんびりと爛れた日々を送る予定だったのに、情にほだされてこんな状況になっている。
「次の戦は大戦だ。
我ら程度の小勢では出ても意味が無かろうよ」
人というのは言ってから気づくという事がある。
たとえば、フラグとか。
そういうフラグを運命の女神は即効で回収に来るから、彼女は崇められると同時に罵倒されるのだ。
「御曹司。
お客様が来ております。
三好義賢様と今井宗久様とそのお連れの方が」
明智十兵衛の申し訳無さそうな声を聞いて一つだけ決意する。
客人が帰ったらお祓いに行こうと。
「先の戦、助けていただいて感謝している次第」
「頭をお上げ下され。
義賢殿にそこまでされたら、こちらは何を返せばよいか分からないではございませんか」
いやまあ、スカウトに来るだろうとは思っていたが、そこまで俺に固執するとも思えなかったのだ。
ちなみにこの席には今井宗久は来ておらず、拉致の片棒を担いだ詫びを仲屋の番頭にしているらしい。
こっちに来る時に九州から持ってきた品々はその分高く買い取られるのだろう。
まぁ、今の畿内で三好政権からのお願いを断るのは難しい。
ちょうど頭を下げている三好義賢に俺が困惑しているように。
「大友殿がおらねば、戦どころか命すら失っていたでしょう。
頭を下げねば気が済みませぬ」
一万田鑑実は手の者を率いて屋敷の警護に出てもらっている。
三好政権の中枢に居る彼に何かあったら今後の戦局が激変する。
だからこそ不届き者が出ないように三好家の警護の者と合わせて厳重に警戒させたのである。
畠山と三好の最終決戦は両軍合わせて十万という兵がぶつかった最大規模の大合戦になる。
そんな万の兵が動く戦場において俺の手勢はおよそ七百程度。
この少なさでは精々小さな戦局を左右する程度の力しかないのだから。
福屋隆兼や多胡辰敬にスカウトを受けるように勧めたのもそんな理由である。
そして、俺はこれ以上目立ちたくはない。
三好と畠山のスカウトには、
「既に役目を終え、後は物見遊山の為堺に滞在するのみ」
という返事でお断りをしている。
だからこそ、俺を落としに来るとしたら三好義賢自身が来るだろうとある意味予想はしていた。
そして、三好義賢の隣に居た男が彼と同じように頭を下げた。
「弟を助けてくれて感謝している。
弟から教えられた『六角と畠山の二方向に敵を抱えた時点で負けているのです。せめて敵を絞りなされ』の金言に心打たれ申した」
え?
ちょっと待て。
三好義賢の兄って言ったら……
「三好長……」
俺の口を塞いだのは、彼の口から出た一句だった。
「今ひとたびの あふこともがな」
「……」
中世最後の王と呼ばれたこの人は、類まれなる教養人だった。
このような場所で、和泉式部の歌を出して『ひと目お会いしたかった』と歌うなんて洒落を効かせてくる。
腹はたつが、こういう作法を教えてくれた高橋鑑種に今は感謝する。
「我を思ふ 人を思はぬ むくひにや」
『私を思う人を思ってやらなぬ報いなのか』なんて嘆きを返す。
頭を上げた彼がにこりと笑う。
こちらも同じようににこりと笑い返してあげよう。
「古今集ですか」
「烏帽子親に仕込まれました。
恥をかかずに済んだと感謝していますよ」
三好義賢もさらりと会話に入る。
そうだよな。
これぐらい話ができるよな。
この人の弟ならば。
この人は懐から一枚の紙を取り出す。
それは先の戦の費用の証文で、神屋経由で烏帽子親に押し付けようとしたものだ。
見ている中で男はその証文を二つに、四つに、八つに破いて火鉢の中に捨てる。
ぱちぱちとした音と紙の燃える煙の中、男は困ったように笑った。
「いけませぬぞ。御曹司。
勝手働きとはいえ、弟二人の命を救ってもらったのだ。
これぐらいは払わせて下され」
「いや、これから大戦でしょうに。
銭はいくらあっても足りぬはずでは?」
「三好の豊かさを舐めてもらっては困りますな。
とはいえ、名物をいくつか手放すことになり申したが」
そうか。
俺の戦費は茶器のいくつかで片付くのか。
流石三好家。
既に色々飲まれているが、彼は箱を取り出すと開けて俺の前に置く。
ごくりと唾を飲む。
素人に毛の生えた俺ですらその凄さが分かる茶碗が目の前に置かれる。
「大名物。
珠光茶碗。
弟二人の命の礼には安すぎますが、お納め下され。
『三日月』を出させようとしたのですが、弟は嫌がりましてな」
「助けてもらった命ですが、だからこそあれが愛おしくて。
兄者に叱られ申したがこれで勘弁して下され」
なお、一千貫文という超高額で千宗易から譲ってもらった幻の一品で、小城が建つほどの価格と言えば分かるだろうか。
これをぽんと出す三好家の財力。
それを安いと言い切った、兄弟の絆。
それこそが三好家を天下人に押し上げた原動力である。
「さて、そろそろ行こうか。
我らも戦人に戻らねばならぬ。
ではまた。
次は雅な場所でお会いしましょう」
そして、俺に何も求めない。
彼にとって俺は若僧だからか?
違う。
俺の立ち位置を理解しているからこそ、それを外さないギリギリの礼を持ってきたのだ。
名乗りをさけたのは名乗ればそれを逸脱するから。
これが天下人の懐の深さか。
「待たれよ」
声は自然に出た。
向こうからすれば大したことない礼なのだろうが、こちらからすればあまりにも大きな礼だ。
ならば、その差分は返さないと次に合う時に飲まれかねない。
「兵では勝てようが、紀伊を押さえている以上鉄砲の数では負け申す。
雨をお待ちくだされ。
畠山が狙うは飯盛山城。
そこまで下がって、彼らを消耗させれば勝ち筋は掴みやすいでしょうな」
俺のお釣りに男が楽しそうに笑う。
そして、三好義賢と共に頭を下げて、俺の屋敷から出て行った。
どっと汗が出る。
見ると、大鶴宗秋も多胡辰敬も明智十兵衛も汗びっしょりだ。
屋敷の周囲に護衛が十重二十重に囲んでいたからだそうな。
たしかに、あの二人は護衛なして出歩ける身分ではないわな。
「八郎。
今の方……」
「私達にも声をかけて出て行った、三好殿の隣のお方は……」
「我らに労いの言葉を残していかれましたが……」
そうか。
有明やお色や一万田鑑実にまで労いの声をかけてゆく心配りを持っているのか。
そりゃ、天下人になるわ。
その大らかさに人は惚れるのだろう。
俺は置かれたままの珠光茶碗を手にとって、やっと彼の名を皆に告げたのだった。
「三好修理大夫長慶。
今をときめく、畿内の天下人さ」
松永久秀 (まつなが ひさひで)
千宗易 (せんの そうえき)
11/30
少し加筆