船上の歌と月見酒
この加筆で内政シーン周り大規模加筆確定orz
府内から瀬戸内海を通って畿内までの旅だが意外と早い。
航路は府内を出て佐田岬半島へ向かい、そこから地乗りと呼ばれる沿岸航路を通って伊予国興居島沖に。
ここの港に一泊した後、村上水軍の一つである来島水軍の船頭を受け入れて伊予から塩飽諸島へ。
来島水軍の船頭はここで降りて、今度は塩飽水軍の船頭が乗って讃岐経由で淡路へ。
塩飽水軍の船頭と淡路水軍の船頭が交代してやっと堺に着くというスケジュールだ。
天候にも左右されるので安全をとって予備日というものがもうけられるから、実際は十日ぐらいだろうか。
各地の水軍衆の船頭を乗せるのは彼らが実質的な手形代わりで、乗せていないと彼ら水軍衆は海賊に化けるという訳だ。
で、現在五隻の尼子船は府内にて、俺達と一万田鑑実が乗る一隻の大友船の準備を待っていた。
「申し訳ございませぬ。御曹司。
何しろこのような機会を逃すのは商人として……」
「構わんよ。
俺も商人なら同じことをしている」
相手の弁明を笑顔で遮ったが、この男が大友船のオーナーで名前を仲屋乾通という。
豊後地場商人の代表格で、大友家の南蛮船交易の功労者という御用商人でもある。
その権勢は大友家第二の本拠地である臼杵にある商人町の半分以上を占め、彼が南蛮品の値をつけないと相場が動かないという逸話を持つ。
その彼は一隻の大友船だけでなく、五隻の尼子船の空いた空間にも荷を詰め込んでいた。
何しろ、博多の豪商神屋経由で毛利家から出された通行手形があるのだ。
瀬戸内水軍衆に絶大な影響を与える毛利家の通行手形を使った通行手数料が割安になるのは言うまでもない。
それを狙って、貴重品や小物などの品を積み込めるだけ積み込んでいるという訳。
もちろん、レンタル料として多胡辰敬と俺に銭が転がり込むのは言うまでもない。
「しかしいいのか?
無事にたどり着く事もできない可能性もあるというのに」
豪商仲屋乾通は一隻とはいえ、一万田鑑実の乗る弁財船を無償で提供したのである。
つまり、帰りに堺から荷を積んで帰れるならば、その利は一万田家に落ちるという事。
俺の質問に商売の酸いも甘いも知り尽くした老人の笑みに商人の目が光る。
「構いませぬよ。
これでも一応隠居の身。
仲屋の家は息子に任せていますからな。
老人の道楽というものです」
淡々とした語り草に商人としての矜持が光る。
それを誇らないからこそ、その凄さが浮き彫りに出る。
「それに船一隻沈んだ所で、傾く仲屋ではございませぬ。
ご安心を。
臼杵鑑続殿からも頼まれておりますしな」
なお、俺と仲屋乾通の仲を結んだのは今は亡き臼杵鑑続である。
臼杵の名字のとおり、元々臼杵家というのは臼杵に根ざした大神一族の家である。
そこに大友家が一族を送り込んでお家を乗っ取ったので、臼杵家は大友一族の同紋衆として働くことになった。
そんな中、大友二階崩れと小原鑑元の乱という二つの騒動が府内を襲う。
特に小原鑑元の乱は府内の町を焼くほどの合戦で、大友家が府内再建中の間政務を行ったのが臼杵だったのだ。
その流れで当時の当主臼杵鑑続は臼杵の地を大友宗家に譲渡。
直轄地となった代替地に与えられたのが、博多を臨む糸島半島である。
仲屋乾通は直轄地となった臼杵の町衆の顔役でもあり、筑前方分として辣腕を振るった臼杵鑑続と常に繋がっていた。
「こんな所でも、臼杵鑑続殿の名を聞くか。
返せぬ恩はどうやって返せばいいと思う?」
本当に短い付き合いだったのに、こんなにも心に残る臼杵鑑続。
その返せない思いに気づいたのか、仲屋乾通は大人として若人の俺に道を諭してくれたのである。
「他の人に返してやりなされ。
この世はそんな恩と縁で繋がっておりますゆえ」
六隻の船団は府内を出港し、最初の目的地である伊予を目指す。
地乗りと呼ばれる沿岸を見ながらの航路は、陸に上がれると同時に座礁の危険が伴う。
その為に基本的には夜まで船旅をしない。
佐田岬半島を見ながら半島の根本にある喜木津に到着する。
港に到着後の海の男達の行動は今も昔も変わらない。
船員の半分を残して上陸し、飲む打つ買うを堪能するのだった。
俺達は身の安全から船に残り、今は俺一人が甲板に出て月を眺めている。
「『別れての のちも逢ひ見むと 思へども』か……」
なんとなく呟いた言葉に、続きが紡がれる。
俺の後ろから。
「『照れる月夜の 見れば悲しさ』(照っている月影の夜 月を見て悲しくなります)
いかがですかな?
御曹司も一杯」
一万田鑑実が酒瓶を持って近づく。
さらりと歌を返す当たり、この御仁もかなりの教養人らしい。
「万葉集か?」
お椀を受け取ると一万田鑑実が酒を注ぐ。
彼は俳諧会を行うぐらいの風流人だった。
こういう、遊びは元々好きなのだろう。
「はい。
大伴坂上郎女にて」
この歌遊びそのもののルールから説明しないと分からないと思うので、ちょっと説明する。
歌――短歌――というのは、五・七・五、七・七によって構成され、五・七・五を上の句、七・七を下の句と呼ぶ。
で、俺と一万田鑑実のやった歌遊びだが、俺は上の句しか言っていない。
つまり、下の句を一万田鑑実が返す事で一つの歌を作るというゲームである。
このゲーム、ここからが肝なのだが、意図的にルールが曖昧化されている。
真面目に上の句の歌を継いで下の句を返してもいいし、今回みたいに省略された下の句の意味を読み取って、その返歌を上の句を省略した下の句で返答したりする事もOK。
当然、できあがった歌のレベルを図る見方と、隠語で意味をやりとりする見方があり、恐ろしく高度な言葉遊びであり、読み手の知識とセンスを問われるゲームだったりする。
「ならば……『別れ路は いつも嘆きの 絶えせぬに』(旅立つ人とのお別れはいつも嘆かわしいものですが)
なんてどうだ?」
酒瓶を受け取って一万田鑑実のお椀に酒を注ぐ。
どうやら、返せなかったらこの酒を飲むなんてルールがいつの間にかできている。
「新古今。
藤原実方卿ですな。
どう返しましょうか……」
「『君にふた心わがあらめやも』(主君を裏切ることは私にあっては決してありません)
面白そうなことをしているではございませぬか。
それがしも混ぜてくだされ」
酒瓶を持って大鶴宗秋が現れる。
こいつも京で礼法を学んだ風流人だった。
こうして、船上で月と海を見ながら、雅な宴が幕を開けた。
「しかし、鎌倉右大臣殿か。
渋い所を選びなさるな」
鎌倉右大臣こと源実朝の歌だが、彼が歌った主君とは後鳥羽上皇だったりする。
その後の歴史を知っているだけに色々と目を反らしたくなるが歌に罪は無い。
適度に酔いも回ったし、三人共そこそこの風流人なのは把握した。
という訳で、ぶっちゃけてみることにした。
「しかし、なんでこんな貧乏くじに付き合うことにしたんだ?
体の良い追放だぞ。
先に言っておくが」
それに返事を返したのは大鶴宗秋である。
彼の場合、ある程度付き合ってしまったがゆえの志願もあるのだろうが、酒を飲みながら楽しそうに語る。
「最初は臼杵殿の命によってついたのでござるが、これがまぁ面白い。
一万田殿信じられますか?
御曹司は宗像での戦の時、ご自身では一兵も率いていなかったのでござるぞ」
「……は?」
一万田鑑実の俺を見る目が信じられないという顔に変わる。
この時代、大名家に連なる一門は必然的に近習をつけられて自前の家臣団を作っている。
そんな直轄の兵があの時、俺には一人として居なかった。
「信じていたさ。
大鶴宗秋以下大友の将兵を。
だから、全部任せたのだろうが」
「こういうお方でござる。
それがまた面白いが、苦労もする。
一万田殿。お覚悟を」
笑いながら大鶴宗秋は酒を煽る。
なんとなく彼の本音が聞けた気がした。
そんな俺達を見て一万田鑑実は酒を注ぎながら愚痴る。
「高橋殿からこの話が来た時、悩んだのは事実でござる。
ですが、一万田の家は豊後では肩身がせまく、乗った次第にて」
大友二階崩れからの大友義鎮擁立の功労者だった一万田家はその後の権力争いに破れて粛清・失脚する。
それを行った小原鑑元は滅んである程度の復権はなされたが、そんな過去がある為に肩身が狭いのは分かる気がした。
「だが、実は打算もありましてな」
「ほぅ」
「聞こうではないか」
一万田鑑実は酒を煽って、その力で打算を吐き出す。
「京に行って、雅なものに触れたくて。
実の所、大鶴殿が羨ましかったのですぞ。
領地がなければ、それがしが志願したものを」
そして俺達三人は笑いだす。
大声で涙を流しながら楽しく。
「一万田殿。
羨ましいのはこっちでござるぞ!
分家とは言え名門一万田家の生まれで、豊後に領地を持つお方。
大神国人衆の外れに生まれたそれがしの苦労はおわかりでなかろうて!!」
「それを言うか!大鶴宗秋!
ならば、言うぞ!
名門大友と菊池の血を引いて、こんな所で月見酒を味わううつけの事を語るぞ!!!」
最初は雅に、最後は馬鹿馬鹿しく。
男の宴というのはそういうものなのだ。
宴が終わった後、大鶴宗秋と一万田鑑実がなんとなく近くなったような気がした。
なお、三人共翌日の航海で船酔いと二日酔いのダブルパンチに苦しめられたことを残しておく。
「殿方って……」
「加減を知りませぬから……」
のたうち回る俺を有明とお色の二人が呆れた目で見ていたが、口を開けば吐くので何も言い返せなかった。
仲屋乾通 なかや けんつう
大伴坂上郎女 おおとも の さかのうえ の いらつめ
藤原実方 ふじわら の さねかた
源実朝 みなもと の さねとも
後鳥羽上皇 ごとばじょうこう