守護大名大友義鎮の一日
目が覚める。
隣の女を気にせずに起きる。
「お情け、ありがとうございました」
女の声を後ろに隣の部屋に行き女中の手で着替える。
これが守護大名大友義鎮の朝であった。
朝食は一人で食べる。
毒味を通した食事は冷えているが豪勢で、大友家の権勢が窺える。
「お屋形様。
よろしいでしょうか?」
障子越しに声がかけられる。
重用している田原親賢の声だ。
気にすること無く食事を進めると、障子が開けられて彼が中に入ってくる。
「この後評定ですが、先の戦の褒美などが話し合われる事になります。
また、角隈石宗殿がお屋形様にお目通りを願いたいと」
「任せる」
「はっ」
大友家は大名が自ら決裁するような家ではない。
守護大名というものは国人衆達の連合政権として彼らの上に立って、その利害を調整するのが最大の仕事になる。
その為に、大名よりも重臣達の方が力があるという事が往々にしてあり、彼らが大名に取って代わる事も起こっていた。
下克上である。
「先の戦において、豊前・筑前に空き地ができております。
城主・城代・代官の選定ですが……」
田原親賢は大友義鎮に任せると言われた事を説明する。
それをするからこそ、大友義鎮は田原親賢を信頼していた。
「……宇佐八幡宮を焼き討ちした事で、豊後国内の荘園の統治は奈多八幡宮が管理代行をする事に。
そこから、豊後の侍への褒美を捻出したいと考えております」
御恩と奉公という言葉がある。
武家社会の基本であり、『土地を与える、もしくは持っている土地の統治を保証する代わりに、武士はその大名に忠誠を誓う』というものだ。
つまり、領地の保証ができない、もしくは土地を渡せないとその忠誠が揺らぐ訳で、戦国時代の大名たちは自転車操業よろしく周辺に侵略する羽目に陥る。
門司城合戦は大友家にとっては防衛戦争であり、新たに与える土地を用意する為には反大友家に回った連中の土地を取り上げるしかなかった。
その中で最大の獲物が最盛期には九州最大の荘園を持ち、古くは大内家今は毛利家について反大友家姿勢を鮮明にしていた宇佐八幡宮という訳だ。
「失礼します」
そう言って入ってきたのは奈多夫人。
今の大友義鎮の正室でお腹に彼の子供が宿っている。
「体の具合はどうか?」
「問題なく。
長寿丸も元気に育っております」
赤子から子供にかけての死亡率が高いこの時代、『七つまでは神のうち』なんて言葉があるぐらいで、大事に育てつつかつ情に流されない育て方をしなければならなかった。
ましてや大名家の後継者ともなると、専属の乳母がつき傳役がついて養育されるのが常。
両親の子供では無く、『家』の子供として育てられる。
「早く大きくなって欲しいものよ」
「ええ。
この子の為にも」
大友義鎮と奈多夫人の会話を田原親賢は黙って見守っている。
田原親賢にとって奈多夫人は妹にあたり、彼女の引き立てによって国東半島に大規模な勢力を有する田原家の分家に養子として入っていた。
そして、奈多家というのは奈多八幡宮の宮司一族から武士になった家であり、大友家の寺社奉行を務めている家である。
つまり、田原親賢の実家である奈多家に豊後国内の宇佐八幡宮の荘園を吸収させ、そこから褒美を大友義鎮名義で渡す。
その過程で、没収した荘園より褒美として渡した荘園が少なかった場合、その荘園はそのまま奈多家の管理となる。
戦場での働きは少ないが、奈多家の権勢のカラクリはここにある。
大友家の歴史は、宇佐八幡宮の荘園を横領し続けた歴史でもある。
その横領の大義名分が宇佐八幡宮の有力分社である奈多八幡宮で、大友家と奈多八幡宮は共犯関係にある。
そんな奈多家の権勢の絶頂が奈多夫人の輿入れ。
彼の、奈多家の繁栄は彼女無しには語れない。
「この身にてお勤めが果たせぬのが申し訳なく思います」
ちくりと奈多夫人が毒を刺す。
昨日の情婦に対する嫌味なのだが、これを愛嬌として笑う程度には大友義鎮の懐は大きかった。
「男の性よ。許せ。
かわりに無事に赤子を生んだら、寝かせぬほど可愛がってやる」
「……知りませぬ」
わざとらしく怒る奈多夫人だが、彼女も大名の奥方。
こんなじゃれあいの後に本題を切り出す。
「そういえば耳に入ってきたのですが、菊池のお子を畿内に出すとか?」
母として八郎が子である長寿丸に対して謀反を起こさないかの心配、他紋衆である奈多家が受けている同紋衆たちの嫉妬から味方にできるかという打算が入り混じった声で彼女は尋ねる。
それを大友義鎮は大名の顔で返事をする。
「叔父上の子で八郎という。
初陣も済ませ、大友の名も与えた。
あれの奥は雄城治景の養女だそうだ」
きっと会いに来たのはこれが目的なのだろう。
だからこそ、大友義鎮は奈多夫人と田原親賢に言い放つ。
「あれは賢い。
だからこそ、下手は打つまい。
下手を打つ場合は、誰かの策にはめられた時だろうな」
その誰かとは毛利元就なのか、大友家同紋衆の誰かなのかはあえて言わなかった。
「お屋形様。
お呼びとの事で?」
「御坊。
来たか。
こっちだ」
守護大名大友家は幕府と繋がっているという事をアピールする為に、本拠地である府内館は京にある幕府の室町第を模して作られている。
その為、中央の権威をひけらかす意味もこめて、大友家中では主君の大友義鎮の事を『殿』ではなく『お屋形様』と呼ぶ。
真新しい府内館。
小原鑑元の乱によって戦火に焼かれた府内の復興は著しく、その庭に造られた池のほとりに立っていた大友義鎮は、池の鯉を眺めながら角隈石宗に尋ねた。
「御坊は八郎に間者を送っていたそうだな。
その感想を聞きたい」
大友義鎮の淡々とした声と同じように後に控えた角隈石宗も抑揚のない声で返す。
傍から見れば、何かの問答をしているようにも見えなくはない。
「あれは難しいお方ですな。
才あれど覇気見えず、欲あれど情に溺れるという所でしょうか」
それが薄田七左衛門経由で見た八郎という男の姿だった。
彼を使っての毛利の謀略が失敗したのは、毛利元就がしくじったからではなく、八郎が警戒していたという事。
つまり、彼が大友二階崩れから始まる内紛と粛清劇を知っているという事に他ならない。
「教えたのは高橋鑑種か」
「でしょうな。
因縁を考えれば牙をむくのは高橋殿と思っておりましたが、高橋殿もあてが外れたようで」
角隈石宗の声には幾分の面白さがある。
それが彼の八郎の評価を雄弁に物語っていた。
八郎こと大友鎮成と高橋鑑種の因縁を大友義鎮は把握している。
だからこそ、次の質問が出る。
「あれにゆくゆくは菊池を継がせるのはどうだろうか?」
「彼の父上の二の舞になるかと。
菊池の怨念は甘く見ないほうがよろしいですな」
角隈石宗は先程と違って即答でかつ低く諫言する。
肥後統治はこの時期の大友家にとって頭の痛い問題になっていた。
肥後国の名家で敵対していた菊池家を乗っ取ったはいいが、送り込んだ菊池義武は独立を狙って謀反を起こして粛清。
その後、方分として肥後統治に出向いた小原鑑元も謀反の当事者として粛清されている。
現在の肥後国は、大友家という名の下で国人衆が好き勝手にやっているという状況に近かった。
「八郎様の処遇は同紋衆でも揉めましょうて。
畿内に逃げ出したのは良きことかと」
池の淵で交わされる会話を聞いている者は居ない。
近習たちもこの二人に遠慮して近寄ってこない。
「しばらく様子を見るか。
一万田鑑実をつけたから、監視はしてくれよう」
大友家同紋衆内部にも派閥がある。
大友一族なのに他紋衆以上に警戒されており国東半島に絶大な影響力を持つ田原一族や、親大内路線で大友二階崩れの影の功労者だったにも関わらず小原鑑元との争いに敗れ粛清された一万田一族。
肥後との関わりが深く豊後南部を拠点としているがあまりの権勢に宗家が分割した志賀一族、直入郡を拠点とし大友家の領国である筑後に睨みをきかせる田北一族などだ。
そんな中、現在勢いに乗っているのは、博多を睨む糸島半島に領地を持ち、大友家の外交を司る臼杵一族である。
当主はこの間亡くなった兄の臼杵鑑続から弟臼杵鑑速に代わったが、加判衆の座を当然のように保持しているのは理由がある。
臼杵家は二階崩れにおいていくつかの家を助けたが、その家の一つに大友二階崩れの首謀者として断罪された入田親誠の娘を嫁にもらっていた加判衆の一人である戸次鑑連が居る。
彼の継母が臼杵家の娘だった事で臼杵家は戸次家を助け、多くの功績によって戸次鑑連は加判衆にまで上りつめた。
また、臼杵鑑速の娘の一人は、対大内戦に当主を含む多くの戦死者を出しながらも武功を重ねた吉弘一族の御曹司吉弘鎮信の所に嫁いでおり、彼の父である吉弘鑑理も加判衆である。
この加判衆の中で一番勢いがある臼杵家は大友鎮成については好意的に接していた。
「京に逃げたつもりだろうが、それで逃げられると思うたか」
池の鯉が跳ねる。
角隈石宗の耳には前半しか聞こえなかったらしい。
「京ですか。
たしかお屋形様も行かれたとか?」
池を眺めていた大友義鎮はそのまま空を眺め、過去を眺める。
肥後国守護を得た返礼としての上洛で、大名でも大友家でもない若武者として見た荒れ果てた京の都はそれでもなお眩しく見えた。
「ああ。
『富士うつる 田子の浦わの 里人は 雪の中にも 早苗とるなり』なんて歌を帝の前で披露した。
懐かしき思い出だ」
大友義鎮がくすりと笑う。
その過去に一人の若武者を思い出したからだ。
歌を披露した時に、即座に絶賛した若武者だった。
その若武者はその時既に畿内の実力者だった。
年は流れて今は畿内の覇者として君臨している。
あれが、京が八郎を見逃す訳がない。
「儂もまた行きたいものだ。
あの時の京は今でも覚えている。
あの都は、玉藻前みたいなものよ。
影があるのが妖艶で、悪女ゆえに恋に溺れ、銭がかかるが絢爛で、男が一夜をと争うからこそ美しい。
そんな女を組み敷いて喜ばせ続けた男が八郎を見るのだ。
下手な間者より遠く深く見るだろうよ」
大友義鎮は過去から戻り視線を池に戻す。
二人の耳に足音が聞こえる。
その足音が止まり、二人に田原親賢の声が届く。
「お屋形様。
評定の時間でございます。
加判衆の皆様は既にお待ちになっております」
「分かった。
御坊。
ついてきてくれ。
儂が玉藻前に溺れる前に調伏してくれると助かる」
「陰陽師を雇うてくだされ」
軽口はここまで。
三人は真顔で館に戻り大広間に入る。
六人の加判衆、その後で控えていた近習、右筆、護衛だけでなく後に居た田原親賢と角隈石宗も大友義鎮に平伏して頭を下げた。
こうして、守護大名大友義鎮の一日が始まる。
八郎こと大友鎮成は知らない。
彼が生涯数度目の危機にひんしていながらも玉藻前みたいな魑魅魍魎を組み敷いている男から見られているという事に。
その男の名前は三好長慶。
畿内の覇者にして中世最後の王として歴史に名を残す男と八郎の出会いは間近に迫っていた。