月光河原剣戟
多胡辰敬の亡命騒ぎが府内に知られる前に俺は決断を迫られる。
祝言での毒殺未遂や、道中での襲撃未遂についてだ。
博多と船で繋がりがある柳川調信が証拠を持ってきた事で、俺は少なくとも犯人については絞り込むことができた。
それをしなかったのは、俺が躊躇っていたからにほかならない。
「八郎?」
「八郎様?」
夕食後、閨の準備をといつものように張り合おうとする有明とお色に今日は無しと伝えて酒瓶と刀を持つ。
考えてみれば、こんな格好で二日市で遊んでいたのが昔のようだ。
「ちと、月を肴に酒でも飲んでくる。
遅くはならんと思うから心配するな」
「……帰ってくるよね?八郎」
何かを察した有明に俺は作り笑顔でごまかす。
多分見抜かれているのだろうが、それでもこの作り笑顔を外すと何かが溢れそうなのが分かってしまう。
「行ってくる」
「行ってらっしゃい」
「行ってらっしゃいませ」
二人の見送りの声を後にして、俺は猫城を出る。
門番の兵達にも酒を振る舞い、出てゆくことを告げてふらふらと月明かりを頼りに遠賀川の河口に腰を据える。
遠賀川は河童伝説が多い。
それだけこの川は人々に水難と恵みをを与えてきたと言えよう。
「おーい!八郎!
そこにいるのか?」
「こっちだ!
七左衛門!
城の連中も心配症だな。
お前をつけて寄越すとは」
「まったくだ。
お前の剣の腕なら野盗ぐらいはなんとかなるだろうに」
俺の隣に薄田七左衛門が座る。
錫杖の音が夜風に響いて心地よい。
「夜盗じゃなかったら?」
「その時は俺を呼べ。
二人ならなんとかなるだろうよ」
ごく普通の掛け合い。
こんなのが続くと思っていた。
だが、俺は選ばないといけない。
俺は薄田七左衛門の方に酒瓶を差し出す。
「まぁ飲め。
毒は入っていないぞ」
薄田七左衛門は黙ったまま。
酒瓶を受け取る気配もないので、俺は酒瓶を置いて煙管に火をつける。
吸うつもりもない煙がほのかに夜の闇に消えてゆく。
「祝言の誓いの杯は最初に新婦が飲む。
あれは有明狙いだったと判断すると色々と見えてきてな。
その前に手を出してきた竜造寺隆信の策かもと思ったが、それだと博多での流れ者を集めた事で矛盾が出る」
薄田七左衛門は何も言わない。
その沈黙が正解であると嫌でも察してしまう。
だから俺は、淡々と探偵役をこなすしかなかった。
「俺がもし竜造寺との縁組を結べば、少弐と宗像の争いそのものが茶番と成り果てる。
竜造寺からすれば断られて当然だが、俺の機嫌と探りを入れておきたい程度の策さ。
流れ者を雇って本当に有明を拐かすには危険すぎる」
火の付いた煙管を試しに吸ってみる。
苦くて煙い。
あいにくむせて空気をぶち壊す事はしなかったが、俺はどうやら煙管の似合う男ではないらしい。
「同じ理由で、博多商人と毛利と宗像も消えた。
博多商人は神屋をはじめ筑紫略奪を阻止した俺に恩があり、門司城合戦で畿内行きの船が止められていた事で苦しんでいた。
ここで合戦をする必要はないんだよ。
同じ理由で高橋鑑種と立花鑑載も外れる。
あの時に有明を拐かす理由を持っていて、それで手をだす奴らなんて俺には一つしか思いつかなかったという訳だ」
決定的な一言を言う為に俺は月を見上げる。
薄田七左衛門の顔はついに見れなかった。
「大友家同紋衆」
「いつ、気づいた?」
押し殺したような薄田七左衛門の声。
俺は煙管の煙草を落として灰を足で踏みつける。
「最初からだ。
高橋鑑種は俺の近くに友と呼べる者を絶対に近寄らせなかった。
にもかかわらず、お前との繋がりは維持された。
だから、最初は高橋鑑種の間者だと思った」
話しながらじりじりと薄田七左衛門の小太刀の間合いから出る。
錫杖が倒れた音と同時に薄田七左衛門の小太刀が俺の居た場所を刈る。
少なくとも、対峙している殺意は本物と判断せざるを得ない。
「それが間違いと察したのは、臼杵鑑続に会いに行った帰りの襲撃だ。
高橋鑑種にはあそこで俺を殺す必要が無いからな。
あの時残った有明を犯人に仕立て上げて疑心暗鬼に追い込むことが狙いだったんだろう?」
「ああ。
あの時までは、まだ有明を殺す必要は無かったからな。
別れさせれば良かったんだ」
刀を抜く。
薄田七左衛門の顔を捉える。
俺と同じように表情は読み取れない。
一合、二合、小太刀と刀が交わり火花が散る。
平鎮教の刀は薄田七左衛門の斬撃によく耐えてくれた。
「何故、元服式に毒を入れた?」
「決まっているだろう?
上がそれを命じたからだ」
薄田七左衛門の叫び声にやっと本心が出る。
そして聞きたくないがその質問を俺は彼に投げつけた。
「……大友家がか?」
「そこまで分かっているならば、理由も分かるだろうに!
大友家後継者候補に大神の血が入ったら困るんだよ!!」
やっぱりか。
俺の有明への執着が理由だったのか。
堰が切れたように、薄田七左衛門は叫びながら俺に斬りかかる。
「お前があの姫を正室にしなければ、府内へお前の近況を伝えるただの山伏で居られたさ。
だが、よりにもよってあの姫を雄城の養女にして娶ったじゃないか!
ならば排除しないといけないだろう!!」
河原での斬り合いなど足場が悪い上に夜である。
月明かりがあるとはいえ、先に平常心を崩した方が負ける。
覚悟はしていた俺と、覚悟を突き崩された薄田七左衛門の差は少しずつはっきりと出てくる。
「御屋形様の命か?」
「……それに担がれた同紋衆だ」
肩で息を吐く薄田七左衛門の暴露に俺は言葉に詰まる。
つまりそれは、大友義鎮の家中統制が十分ではない事を示している。
計らずとも臼杵鑑続の言葉を証明する事になってしまっていた。
「門司の戦も終り、御屋形様の威光も九州一円に広がっただろうに!
それでなお、こんな事をするか!?」
「お前はこういう時たわけになるな。
この時に潰さぬと、できぬだろうが!!」
丁々発止のやり取りで見えてきた、府内における大友家内部のバックアップに対するやり取り。
後継者としての長寿丸は幼く、万一のバックアップとして用意されたのが俺。
ここまではいい。
問題は奈多婦人が子供を孕んだ事だ。
常陸介、大友親家と呼ばれる子供が来年生まれるのだが、それは俺のバックアップとしての価値が急減する事を意味する。
「ふらふらじゃないか。
七左衛門」
「貴様こそ、酒なんて飲まずに待ち構えていたな!」
下戸である事は知っていただろうに。
それでも一人月見に出たと聞いて殺しに来たのは、俺が親友であると信じていたからだろう。
博多への船便を持つ柳川調信が、博多で行われた流れ者達の取り調べで山伏姿の男から銭を受け取ったと白状した報告を俺に伝えなかったら。
小早川隆景がどういう策を使ったか知らないが、多胡辰敬という大物武将が俺を頼ってきた事で、交渉材料を得られなかったら。
何知らぬ顔して適度に顔をだす友人として付き合えていただろう。
だが、ここで薄田七左衛門を排除できれば、府内の同紋衆に『貴様らがやってきた事はお見通しだ』という決定的な切り札に化ける。
俺と有明が畿内に逃げる為の、大友家同紋衆が文句が言えない決定的な切り札に。
それを俺は逃したくなかった。
「せっかくだから言ってやる。
お前の剣が俺は大嫌いだったんだよ!」
「最後に聞いておいてやる。
どうしてだ?」
薄田七左衛門の剣は小太刀を使い、縦横無尽に動き回り相手の隙を突く剣。
俺の剣は刀を正眼に構えて極力隙を作らせない。
そして、小太刀は剣よりも短く、間合いは常に俺の方が長い。
夜、河原という足場の悪さの中で動き回る薄田七左衛門にとっては、それは必然の事故。
「っ!?」
石が滑り転ける。
小太刀が宙を舞い、川の中に落ちる音が聞こえる。
「……てめぇの剣、戦う前に勝っているからだ……」
それは友として最高の褒め言葉だろう。
そんな褒め言葉をこんな時に聞きたくなかった。
「俺の負けだ。
とどめを刺せ」
「……」
俺は刀を振り降ろして……
「八郎!止めて!!」
薄田七左衛門の顔の横に刀を突き刺す。
土手向こうから叫んだ有明が泣いているのが分かる。
薄田七左衛門も泣いている。
俺も泣いていた。
「止めて。
お願いだから、私の為に修羅の道に踏み込まないで……」
走ってきた有明が俺を抱きしめる。
そんな三人を空の月だけが見ている。
「ざまぁ無いな。
殺そうとした女から命乞いをされるとは」
「だって、貴方は八郎の友達だったじゃない」
有明の涙まみれの笑顔に薄田七左衛門も口を閉じる。
結局、薄田七左衛門も俺も、偽りの友人関係を演じていたつもりだったが、それが楽しくていつの間にか本物になってしまっていた。
「消えろ。
友としての最後の情けだ。
見かけたら斬る」
「……同紋衆に気をつけろ。
実際に大友家を動かしているのは奴らだ。
臼杵様みたいな人はまれだと覚えておけ。
姿を変え、形を変えて必ずお前に張り付いてくるぞ」
大の字のまま顔を隠す薄田七左衛門を放置して彼の錫杖を拾う。
有明を先に土手に上げて、俺も警戒しながら土手に上る。
案の定というか、有明は一人で来ていなかった。
「よろしいのですか?」
土手向かいに控えていた大鶴宗秋が俺に確認するが、俺は作り笑顔でごまかす。
結局俺は女のために友を斬れなかった。
それが情けなくあり、誇らしくもあった。
「同紋衆が俺に刺客を向けてきてそれを払ったという事実が大事で、間者の生死はそれほど大事ではないさ」
ついてきた中で一番智謀が高い柳川調信が俺の内心と称してこの場を取り繕いにかかる。
「彼を生かしておいて繋ぎをそのままにすれば、新しい間者は送られてこないでしょうな。
間者を用意するのも、それなりに時間がかかるので」
柳川調信の言葉に彼を一番斬るつもりだった小野鎮幸が刀から手を離した。
そして、最後の一人が申し訳なさそうに頭を下げる。
「お二人の事情は察しておりましたが、八郎様は猫城にとっても私にとっても大事なお方。
お許し下さい」
お色の謝罪に俺はやっと気づく。
彼女は最初から薄田七左衛門を疑っていたのだと。
そうでないと、的確にこの三人を呼べない。
「何処で気づいた?」
「私が祟りで色々されていたのはご存知でしょう?
有明姫拐かしの一件を私の上で語った流れ者が居たというだけです」
教訓。
謀は当人が予想し得ない斜め上か斜め下から漏れる。
猫城の統治も軌道に乗り、俺達の畿内行きが近づく。
城代柳川調信の見送りの後、俺と有明とお色と大鶴宗秋の四人は芦屋湊に着く。
ここから多胡辰敬の船で府内に行くのだが、そのまま畿内に連れてゆく郎党を大鶴宗秋は用意していた。
彼自身の家臣は鷲ヶ岳城の息子に預けてきており、柳川調信と小野鎮幸が用意した十人に流れ者を十人ばかり募集したがそこから俺への馬廻が作れればとは大鶴宗秋の言葉である。
大鶴宗秋が雇った侍の一人に目が止まる。
顔も姿も違う気がするが、真新しい鞘に入っているだろう刀は、どこかで見たような気がした。
「八郎。
船が出るけどどうしたの?」
俺は有明の方を向いて微笑む。
さらば友よ。
そう心で告げて、未練をこの地に残す。
「なんでもないさ」