筑前剣豪五番勝負 座頭一戦
大友軍宝満城受け渡し当日。
華やかで雅な行軍とは裏腹に、水城では臨時の関所が作られて通行人を確認していた。
大友主計頭へは再三間者が送られていたのである意味当然の措置である。
「次!
……お前座頭か!?」
「へえ。
二日市の宿に呼ばれて按摩に行く事に。
これは博多の神屋様からの文でございます」
このあたりの人間が博多の豪商神屋を知らぬ訳がない。
盲目の座頭が出した手紙を見ると、神屋の裏書がありこの座頭の身分を保証する旨の文章が書かれていた。
「しかし、何で二日市の宿に行くのだ?
この時期二日市の宿は色々あって行くのが難しいのだぞ」
現在大友主計頭の軍勢が滞在しているのが二日市宿であり、その後から大友軍本隊もこの宿を利用する事が決まっている。
そのために、こういう関所を作って人の出入りを厳しく警戒していたのである。
「へぇ。
何でも、神屋様いわくそれがしの按摩で、お偉方を喜ばせてあげよと。
按摩は腰には良く効きますからな」
座頭の言葉に関所に居た全員が笑い出す。
大友主計頭の女好きは西国に轟いており、ついさっきもあられのない女たちが笛太鼓を鳴らしながら太宰府の方に向かったばかりだ。
「あのお方は夜も西国無双だからのぉ」
「毎夜毎夜女を取り替えておると聞くぞ」
「戦場にも女共を連れていたが、最近はそれでも足りなくなってきたとか」
「御陣女郎だけでも数百人とか。
羨ましいと言うか、ああはなりたくないというか……」
「それは腰が大変だろうな」
その一言でついに耐えきれずに皆が大爆笑する。
困ったことに概ね当たっているし、その事を隠しもしなかったから按摩の理由が正当化されてしまう。
つまり、『大友主計頭が腰を痛めて、女好きを知っている神屋が良い按摩を送った』と。
人は都合の良い、というよりも誰もが納得する物語を提示されるとそれを嘘とは思えなくなる。
「よし。
通れっ!」
「へぇ。
ありがとうございます」
座頭が通り過ぎても兵士たちはまだ雑談に興じてしまう。
なお、大友主計頭の良いところなのだろうが、連れてきた女たちを独り占めせずに兵たちに開放する所だ。
銭さえあれば、大名が抱いたと思われる西国有数の遊女たちを一夜妻にできるのだから、悪く言う輩が少ない。
ついでに穴兄弟となった訳で、そんな同胞意識も植え付けられるという事で、足軽や雑兵からの彼の人気は侍や武将クラスまでの不人気と比例するみたいで悪くはなかった。
按摩はとことこと杖をつきながら二日市への道を歩く。
大宰府と二日市の境にある御笠川の辺りで彼は身を屈めて、その上を石が通り過ぎた。
「『かるかやの関守にのみ見えつるは人もゆるさぬ道べなりけり』。
今の気分はそんな所ですかな?」
太宰府に流された菅原道真の歌を口ずさみながら、礫を投げた本人である佐々木小次郎が軽口を叩く。
持っていた礫を御笠川に投げると、ドボンといい音と共に近くの鷺が空に舞った。
その隣に居た薄田七左衛門は殺気を出さずに礫を投げた佐々木小次郎と、その気配を感じなかったのによけた座頭の凄さが分かってしまい汗をかいているのだが。
「礫を投げながら菅原道真公の歌を口ずさむのは風情がありませぬな」
座頭は起き上がって佐々木小次郎を睨む。
はっきりと佐々木小次郎を見据えて殺気を出していた。
「お聞きしたい。
それがしを何処で見破った?」
座頭の言葉に応えたのは薄田七左衛門。
彼は彼の主君である大友主計頭の読みの凄さに内心舌を巻きながらも、それをこの場の有利に変えようと自信満々に告げる。
「見破ったのは我が主大友主計頭様よ。
お屋形様を討たんとする毛利元就の間者が一番楽にお屋形様に近づけるのは、按摩だろうとな。
女は全部我が主が差配するが、良い医師はその地で手配するのが難しく、按摩となると博多から呼ぶだろうからとな」
大友宗麟も女好きとして知られるというか、大名ともなると多くの子供を作るのは義務である。
それも、大規模お家騒動の果てに多くの一門衆を粛清した後となっては。
大友宗麟に近づいて彼を仕留め、おまけに大友鎮成にそれをなすりつけるならば、これが一番楽だというルートを大友鎮成はわざと残していた。
まるで、厳島の宮尾城に吸い寄せられた陶晴賢のように。
「あとはお主が移動する日取りだが、これも我が主は予想がついていたぞ。
人は大きな事をしている際にはどうしても些事に目が行かなくなる。
だから、宝満城の受け取りのこの日だとな」
毛利元就も分の悪い賭けだとは分かっていただろう。
けど、この仕掛けは全部終わった、つまり毛利家が九州から駆逐されて大友軍が安堵して警戒を緩めたそのタイミングでしか発動できない。
大友宗麟暗殺が毛利元就の仕業という形で毛利家になすりつけられたら、仕掛けの本命である大友義統と大友鎮成の内部対立が発生しないからだ。
あくまで、毛利が完膚なきまでに負けて、安心してお家争いが起こるタイミングで、大友鎮成が先手を打った形にする必要があった。
そこまで詰め手が分かれば、場所も時も仕掛けもわからない大友鎮成ではない。
だからこそ、この地に佐々木小次郎と薄田七左衛門を置いたのだ。
「……」
座頭は黙ったまま佐々木小次郎を睨みつける。
佐々木小次郎は笑みを浮かべたまま。
話すこともないし、見逃すつもりもないらしい。
「薄田殿。
手出しは無用」
「わかった。
遠慮なく見物させてもらうとしよう」
座頭は既に自分が詰んだ事を悟っていた。
佐々木小次郎に勝っても、その次の薄田七左衛門が彼を見逃す理由はない。
仕掛けが全部分かっているという事は、二日市でも待機している人間がいるのだろう。
それでも、この場を切り抜けないと座頭の命はない。
「座頭衆。頭の一。
参る」
「巌流。佐々木小次郎。
お相手つかまつる」
空は青く、遠くから祭ばやしが聞こえる。
御笠川の流れは穏やかで、風が穏やかに吹いている。
そんな風景の中、刹那の命のやり取りが幕を開けた。
「……お見事」
そう言って、座頭一は血しぶきを撒き散らしながら倒れその命を散らす。
一刀にて切り捨てた佐々木小次郎は見た所傷らしきものは見えない。
座頭一の武器は仕込み杖。
その居合と奇襲性が最大の武器だが、無駄に長い物干し竿と致命的に相性が悪かった。
ならば、クナイ等を投げて佐々木小次郎の刀の間合いを崩す必要があるのだが、彼が投げたクナイ二投を佐々木小次郎が弾いた隙を狙って座頭一が彼の間合いに踏み込む。
それでも、佐々木小次郎の刀の方が速かった。
燕を切り捨てるが為に極めた剣は座頭一の体を斬り捨て、座頭一の仕込み杖はそれを抜く途中で地面に落ちる事になった。
薄田七左衛門が絶命した座頭一を確認した上で、仕込み杖を手にとった。
「毒が塗られているな。
さすが毛利一の間者。
一太刀受けたら、命が無いという訳だ」
「何か仕掛けていたのは分かっていたから、物干し竿にて斬り捨て申した。
さて、何か言うことはありますかな?
新免無二殿」
「っ!?」
薄田七左衛門が佐々木小次郎の見ている方を確認すると、御笠川の向こう側に新免無二の姿が見える。
この手の間者は一人で動かず、成功にせよ失敗にせよ報告する者が居る。
今回の毛利元就の仕掛けは、座頭一の按摩の腕が鍵だったから、報告者が新免無二になったという訳だ。
「いかかでござる?新免殿。
このままもう一太刀交わりませぬか?」
はっきりと殺気を出して佐々木小次郎が笑う。
かつて負けた相手を挑発するが、新免無二はそのまま御笠川を下って博多方向に去ってゆく。
「残念。
また死合えることを楽しみにしておりますぞ!」
新免無二の後ろ姿に佐々木小次郎は声をかけるが、新免無二は振り返ることすらしなかった。
一部始終を聞き終わった大友主計頭が佐々木小次郎に何を言ったのかを後に伝える物は残っていない。