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高橋鑑種の切腹

ここまで来るのに本当に長かった……

 山家宿にはいくつかの旗が立ち並んでいた。

 俺の馬廻の旗と、戸次家の旗、竜造寺家の旗である。

 馬廻を襲った野盗連中は一当てした後に山に逃げ込み、こちらも俺を追いかけたいからこれを追わず少数の負傷者を出したのみで終わった。


「毛利元就は何処で八郎様が居ない事を気づいたのでしょうね?」


 無事だった果心とお色を相手に閨で俺は苦笑する。

 なお、有明は隣で果てて寝息を立てていた。


「そりゃ決まっている。

 戦った瞬間だろうよ」


 果心の問いに俺は断言する。

 していないけど混ざっているお色が疑問の声を上げた。


「またどうしてでしょうか?」


「毛利元就ほどの将になれば、こちらの事は知っている。

 で、俺が徹底的に毛利元就を避けている事も分かっているはずだ。

 そんな俺が、あの冷水峠で野盗相手に戦うなんて俺の行動から外れた仕草を見て、賭けに負けたと悟るのは当然だろうよ」


 それでも毛利元就はそれを読んで、帆足忠勝に山家宿を押さえさせる所まで考えているのだから謀将の策というのは恐ろしいにも程がある。

 先に竜造寺勢が山家宿を抑えていなかったら、山賊討伐時の誤認という形で俺達を討ち、大友宗麟相手に媚びを売る事すらあり得ただろう。

 俺側につかざるを得なかった竜造寺勢が先に山家宿を抑えた結果ついにその策は破綻し、俺はこうして逃げ切ることができたという訳だ。


「毛利元就はこの山家宿を襲わないのでしょうか?」


 お色の疑問に俺は苦笑して答える。

 そんな武将だったらもっと楽だっだろうに。


「無理だな。

 俺の首は名も知らぬ野盗に落とされる必要があった。

 兵力が足りんというのもあるが、その後を考えると毛利元就はその危険を取らんよ」


「その後?」


「戦は彦山川で終わっているし、門司城に旧領復帰を願う大内輝弘も居る。

 これ以上の火遊びは、孫の毛利義元を苦しめるからな」


 それを確信したのは飯塚宿で襲ってこなかったからだ。

 少なくとも毛利家を継いだ毛利義元は、敗北から九州撤退という所で手打ちのサインを大友家に出していた。

 それを毛利元就が崩すとは思えない。

 現状で戦争続行となったら、水軍が打撃を受けた上に経済的に窮乏している毛利家は更に追い込まれるからだ。

 その損切のラインは毛利元就は決して越えないという確信が俺にはあった。

 だからこそ、彼はただの無名の野盗にまで身を落として俺の首を狙いに来ているのだから。


「山家宿を攻めるという事は、来ている竜造寺軍と一戦交えるという事だ。

 俺以上に立場が悪くて、お屋形様に忠義を見せないといけない竜造寺家は本気で戦うだろうよ。

 そうなると、野盗では勝ち目がない」


 帆足忠勝をうまく動かして、野盗と俺を共倒れにするのが毛利元就最後のチャンスだった。

 後は高橋鑑種が腹を切ってしまえば、その曖昧な動きすらも終わる。


「そう。

 高橋鑑種の切腹で事が終わるんだよ……」


 呟いた一言を誰に向けて言ったか分からず、俺は女たちに抱かれながら夢の中に落ちていった。




 翌日。

 山家宿から原田宿に移る。

 かつてこの地で鍋島信生に叱られたのが昔のことのようだ。

 なお、今も俺達の護衛についている鍋島信生の視線は実に冷たい。


「色々と言いたい事はあるのでございますが、今はそれを胸に秘めておきたく」


 抑揚のない声の先には、スタイリッシュ痴女三人がのんきに馬上旅を楽しんでいる。

 最盛期には数百人の遊女たちがこんな姿で行軍していたなんて言って場の空気を凍らせるつもりもない。


「そうしてくれると嬉しい。

 今の俺の心境は竜造寺殿の方がよく分かるだろうて。

 うつけのままお屋形様に忠義を捧げる術を教えて進ぜよう」


 これぐらいの嫌味は言っても問題はないだろう。

 大友家一門衆筆頭で何度も粛清されかかりながらその刃をかいくぐった俺の過去が、謀反を起こして降伏し許されたが未だ警戒され続けている竜造寺家家臣の鍋島信生の言葉を押し留める。


「原田宿にて、お安様がお待ちでございます。

 我が主君よりそのまま連れて行ってくれて構わぬと」


「そうか。

 まぁ、頂いてゆくとしよう」


 これも竜造寺家が俺を助けた理由の一つだ。

 今の竜造寺家は、俺を味方にできるかどうかでその後の展開ががらりと変わる。

 未だ大友宗麟の本隊が高良大社から動いていないのは、肥後国を侵食している島津軍への牽制の他に、長期在陣ができるという竜造寺家に対する恫喝でもあった。

 そんなお安が原田宿の入口で侍女達を連れて俺達を出迎える。


「竜造寺隆信が娘、お安と申します」


 見た時、人形のようだと思った。

 凄い美人ではあるが感情がない。

 そしてその目は俺の方を向いているのに、俺を見ていなかった。


「大友主計頭鎮成だ。

 気軽に八郎と呼んでくれても構わぬぞ」


「ありがとうございます。八郎様。

 奥方達に合わせるのでしたら、私も脱いだ方が良いのでしょうか?」


 綺麗なのに抑揚のない声に背筋が凍る。

 こんな姿をかつての有明で見た。

 苦界に落ちて壊れかかった有明の姿と重なる。


「そのあたりは好きにしろ。

 とりあえず、宿に入る。

 有明。お安を頼む」


「任せて。

 有明よ。

 よろしくね」


 女連中を先に行かせて、俺は鍋島信生を睨む。

 多分怒っていたのだろう。その口調はきつかった。


「鍋島殿。

 義父となる竜造寺殿に伝えておいてくれ。

 女を壊して取れる物は国でも天下でもなく己の首だとな」


「……たしかに伝えておきましょう」


 鍋島信生の返事を耳に残して俺も原田宿に入る。

 きっと顔には嘲笑が浮かんでいるだろうから。

 有明を壊して首を落とされる高橋鑑種への。

 そして、その介錯を受け入れた俺自身への。




 俺が原田宿に入ると、周辺の国人衆達が兵を送ってくる。

 大友宗麟の本隊にも兵を送っているはずだから少なくなっているはすだが、こういう時に顔を出しておかないと何時滅亡につながるかわからないのがこの戦国あるあるである。


「少弐元盛と申します。

 大友主計頭様には何卒少弐家の復興をお願いしたく……」


 少弐家最後の生き残りである少弐元盛が百人ばかりの旧臣を連れて参陣する。

 こういう滅んだ家にとって、復活のチャンスでもあるのだ。


「生憎、俺は竜造寺殿から娘をもらった身だ。

 竜造寺殿の顔に泥をぬりたくは無いな」


 控えていた鍋島信生の顔を立てるが、かと言って俺に賭けるその心意気は買おう。

 どっちにしろ、九州でもらう領地の人手は圧倒的に足りていないのだ。


「だが、俺の所は人手が足りん。

 この地では無い所でいいなら、武功次第で城を持たせてやる。どうだ?」


「ありがたき幸せ!

 大友主計頭様に忠誠を誓いまする!!」


 少弐元盛が去った後、俺は鍋島信生に告げる。

 少弐元盛が働く場所をだ。


「香春岳城で彼には働いてもらおうと思っている。

 そっちの家で殺したい輩を何人か紹介しろ。

 お安の祝の品として持っていってやる」


「八郎様のお心遣い、誠にかたじけなく」


 竜造寺隆信は野心ある機会主義者だから、領土の拡大に合わせてとにかく敵を作りすぎる。

 その過程で、お安の元旦那である小田鎮光みたいに嫁がせて粛清なんてし続けたのだから、ある意味自業自得とも言えなくはない。

 一方で、俺の方は香春岳城や旧宗像領を始めとした新領地統治の人材が枯渇していた。

 その後、何人かの武将が俺の所に顔を出すが、最後の一人がなかなかの大物だった。


「筑紫広門と申します。

 大友主計頭様には何卒高橋家の領地になっている旧領の回復をお願いしたく……」


 俺のタレコミで滅んだ筑紫家の後継者が、俺に頭を下げに来る。

 その皮肉を嗤うのを俺はなんとか堪える。


「高橋家の扱いは、お屋形様がお決めになる事だ。

 俺の所に来て働くならば、家は復興してやれるし、働き次第では城もくれてやるがどうだ?」


「ではそれで」


 そのあっさりとした口調に思わず笑みが溢れる。

 その図々しさが無いと、大友・竜造寺・秋月・島津と敵味方を変えながら生き延びれはしない。

 こういう利に聡くそれを隠さない人間を俺は嫌いではなかった。

 利がある限り裏切らないからだ。 


「お前も香春岳城で働いてもらう。

 励めよ」


「はっ」


 筑紫広門が去った後これで終わりかとも思った所に、男の娘が飛び込んでくる。

 まだ来客が居たらしい。


「ご主人。

 戸次鑑連様と田原親賢様が手勢を連れてこっちに向かっているって。

 兵数は二千」


 高橋鑑種の切腹については、大友宗麟の本陣にも使いを走らせているのだろう。

 降伏と城の受け取りは間違えばそのまま合戦になりかねないから、ある程度の兵数は絶対条件となる。 

 こちらの兵が少ないのでその後詰めと、俺への監視という所だろう。

 近習の田原親賢と加判衆の戸次鑑連を一緒にするあたり芸が細かい。


「井筒女之助。

 博多に上げた俺の兵はどうなっている?」


「率いている柳生様より連絡が来て、二日市宿に入っているって」


 役に立たない兵と女たちではあるが、手勢の多さは発言力の多さに直結する。

 今、この原田宿に集まっている兵の数は千ちょっとだから、二日市宿の兵と合わせて四千。

 城の受け取りには申し分ない兵力だ。


「せっかくだ。

 鍋島殿。

 鍋島殿の芸をそれがしに見せていただけないか?」


 思いついた事に、鍋島信生は初めて俺の前で目を点にした。




 翌日。

 天気は快晴。

 青い空に太鼓と笛の音が聞こえる。

 先陣は鍋島信生率いる竜造寺勢で赤熊の毛皮をまとって笛太鼓を鳴らして行軍していた。


「八郎様。

 この騒ぎは一体何でございますか?」


 目付として来た田原親賢は苦言を呈するが、俺は笑って理由を告げる。

 なお、戸次鑑連は何も言わないのは、彼らの意味を知っているからだろう。


「竜造寺の、いや、鍋島の赤熊だよ。

 少弐家と大内家の間で行われた、田手畷の合戦で真っ先に大内軍に突っ込んでいって、勝利に貢献したのが彼らさ。

 戦は終わったんだ。

 あとは祭り事だよ」


 『まつりごと』は『祭り事』とも言うし『政』とも言う。

 この高橋鑑種の切腹と宝満城の開城は、華やかにそして厳かに行われる必要があった。

 それが戦の終わりであり、俺と有明の過去との決別になるのだから。

 二日市宿の俺の兵と合流すると、更にこの行軍が華やかになる。

 何しろ御陣女郎達が大量にいるのだ。

 笛太鼓はもっと華やかになり、女たちは色気を出しながら道を歩き、困惑する田原勢や揺らぎともしない戸次勢の後を俺達は進む。

 宝満城の前である太宰府天満宮では、高橋家の兵達が笛太鼓を持ち出して応戦する。

 二つの音が一つになりそれが雅を生み出した時、俺の目の前には白装束の高橋鑑種が居た。


「大きくなられましたな。八郎様」

「年を取ったな。高橋鑑種」


 互いに言葉を交わす。

 高橋鑑種の髪には白いものが程よく混じり、俺は馬上の大人になった。

 彼とあった時は、子供と大人だったのに。


「宴は終わるからこそ華やかなもの。

 手早く終わらせるとしましょう」


「そうだな。

 だか、少し時をくれ。

 有明を着替えさせたいからな」


 ちらりと有明を見ると有明は頷いて着替えのために離れる。

 これは有明の、小原鑑元の娘の敵討ちである事を内外に示すため。

 記録には残さないが記憶には残すそういう類のけじめである。


「でしたら、茶などいかがですか?

 渡したいものがありますゆえ」


 断る理由が俺には無かった。




「本当に大きくなりましたな」


 俺も白装束に着替えて高橋鑑種の茶を眺める。

 太宰府天満宮の側にある安楽寺は俺が居た時と変わっては居なかった。

 その一室を借りて、高橋鑑種が茶を立てる。

 眼の前に、一つの箱。

 銘に『松本茶碗』と書かれている。大名物だ。


「これを差し上げたくて。

 それがしが、八郎様より頂いたものです」


 その茶碗に茶を入れながら、高橋鑑種が話す。

 俺はこんなものをあげていないと言おうとして気づく。

 高橋鑑種の言う八郎は大内義長の事なのだと。


「結局、俺はお前の手の中で踊っていたのか?」


「まさか。

 それがしの手どころか、大友宗麟や毛利元就の手からも逃れたではございませぬか。

 それが面白くて、楽しくて、本当に……」


 茶を立てている高橋鑑種の手が止まる。

 その目から涙が落ちてゆく。


「……本当に嬉しゅうございました」


 俺が有明を捨てられなかったように、高橋鑑種は大内義長を捨てられなかったのだろう。

 けど、大内義長は毛利元就と大友宗麟の手によって見捨てられ、高橋鑑種は生き残ってこの時を生きている。

 それがどれぐらい辛かったのかを俺は測ることしかできない。


「八郎様。

 結局それがしはこれだけ生きて、筑前一国止まりでした。

 ですが、今の八郎様は伊予半国に望めば筑前、今も慕われていると聞く和泉国など多くの国を従える力がある。

 私は、そんな八郎様の側で働きたかったのでございます」


 高橋鑑種は俺を見ずに、俺を依り代に大内義長の影を見ていた。

 彼が叶わなかった夢が、今ここにある。

 そして、その夢の続きは高橋鑑種には必要は無い。

 高橋鑑種の夢の代償は今、この場にこうして現れたのだから。


「おまたせいたしました」


 白装束で髪を束ねた有明が姿を現す。

 何も有明が斬る訳ではない。

 有明が高橋鑑種の切腹に立ち会う事で、敵討ちと俺達の中で区切りをつけたいがための事。


「では参りましょうか。

 その茶、事が終わったらお飲みくだされ。

 熱めで入れたので、終わったぐらいに冷めているでしょう」


 そう言って茶を残したまま切腹場所に移る。

 高橋鑑種が座って腹を出し、俺が後ろで刀を抜く。

 かける言葉もなく、有明もただこの成り行きを見逃すまいとじっとこちらを見つめるのみ。

 高橋鑑種が口を開いた。

 もう昔のやりとりを高橋鑑種は覚えていたのだ。


「八郎様。

 八郎様は天下を漂う蝶ではございませぬ。

 天下を翔ぶ燕にございます。

 どうか思う存分に空を舞いなされ」


 高橋鑑種はそれを言うと短刀を腹に刺す。

 血が飛び散り、介錯をしなければならないのに俺の刀は振り上げたまま動かない。


「何をしておりますか。

 お斬りを……」


 高橋鑑種が振り向いたその笑顔が眩しくて。

 目から溢れるものの正体を理解したくなくて。

 それでも、持っていた刀を振り下ろした。




 事が終わった後、安楽寺に戻って彼の末期の茶を有明と二人で味わう。

 きっと俺は、この茶の旨さを、この時落とした命の重さを決して忘れることは無いだろう。

少弐元盛 しょうに もともり

筑紫広門 つくし ひろかど

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