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冷水峠の血戦 その3

 朝になった。

 夜も開けきらない飯塚宿の今日の天気は晴れ。

 歩くにも合戦をするのにもいい天気だ。

 という訳で、俺達は準備をする。

 用意した実にボロい足軽用の胴丸に陣笠をかぶる。

 盗品市から買ってきたもので、つけられた家紋を見ると秋月家の撫子紋が彫られていた。


「八郎。

 似合ってる?」


 箕島までやっていた有明の裸蓑衣装も着慣れているというかなんというか。

 念には念を入れて体や顔に泥をつける。


「きゃっ。

 冷たい」


 あと、乱戦時に敵と勘違いされないように身につける胴丸と陣笠の家紋にも泥をつける。

 そんな事をしていると同じ足軽装束の薄田七左衛門がやってくる。


「似合ってるというか、似合いすぎているというか……

 仮にも大名とその奥方がする姿じゃねーぞ」


「だから、毛利元就も見逃すだろう?」


 薄田七左衛門が差し出したのが旗と背負子。

 背負子は有明が背負い、中には俺の着物と水の入った竹筒と笹で包んだおにぎりが四人分入ってる。

 一方で俺と薄田七左衛門の背中には、大友家の足軽である杏葉の旗がつけられて、持っているのは短めの槍である。


「これも盗品市のものみたいだな。

 手入れが悪くて少し錆びてやがる」


「竹槍でないだけましと思わんとな」


 予備装備となる脇差だけは見えないのでそのまま。

 有明にも渡してあるので、自衛はできるというか多分股を開けば見逃してはくれるだろう。嬲られるだろうが。


「一同準備は整ったようですな。

 そろそろ出発のようですぞ」


 今回俺がつく侍をやってくれる大鶴宗秋が同じく盗品市で買った鎧姿で入ってくる。

 高価なものは全部囮の方に置いてゆく。

 設定としては、旧秋月家の侍が新領主となった戸次家に雇われて、郎党を連れて今回の訓練兼野盗狩りに参加という感じだ。

 頬当をしているので目だけしか見えず、ボロい兜から見える銀髪から老武者としかわからないあたりがとても良い。


「ああ。

 じゃあ、そろそろ行くか」


 行軍は陣を組んで歩くわけではないので、どうしても縦長になる。

 本来俺が居るはずの馬廻が夜半に飯塚宿に到着したので、彼らの出発前の街道の掃除というのがこれから出発する由布惟信隊の仕事である。

 一方で俺の馬廻の出発は昼前になる予定だ。

 全員騎馬隊である彼らの機動力はこんな所で役に立つ。

 馬廻が飯塚宿を出発する前には、俺達は冷水峠手前の宿である内野宿に到着。

 馬廻が到着するまで休憩する事になる。

 馬廻が内野宿に着いたら入れ替わりで出発し、冷水峠に潜む野盗を掃討するふりをして峠を越えて、山家宿まで駆け込めればこちらの勝ちである。


「おーい!

 お侍さん。

 こっちだよ!!」


 集められた荷駄持ちたちに合流する。

 俺たちの任務は、今回の合戦における戸次隊と馬廻の兵糧運搬をする為に集められた荷駄衆の護衛兼監視。

 見張っていないと、兵糧を持って逃げる戦国時代あるあるで、他にも数人の侍とその郎党がついていた。

 俺たちが荷駄衆に合流すると同時に法螺貝が鳴る。


「出発!」


 飯塚宿から山家宿まで六里ちょっと。

 文字通り一日かけの旅となる。

 しかもその途中に毛利元就の襲撃があるかもしれないというのだから、きつい旅になるのは目に見えている。

 まずは最初の内野宿まで歩いてゆくとしよう。

 朝日が出ようとしているのを見て、昼前には着けるなと思った。


「そういえば、この飯塚の宿の由来って知っているか?」


 歩き出してすぐ、肩に槍を担いだ薄田七左衛門が思い出したように話を振る。

 ただ歩くだけでは疲れるから、雑談がてらというのは行軍の知恵だ。


「いや。知らんな」


 俺が話に乗ると、薄田七左衛門は思い出すようにつぶやく。


「二つあってな。

 一つはこの地で寺を作った上人様の開堂供養の際に炊いた飯が塚のようになったからという奴。

 その上人様の徳が分かるってやつだが、もう一つあるらしい」


 こういう話をする時にはあとの方が本題になる。

 つまり、薄田七左衛門が本当に言いたかったこと。


「この地に来られた神功皇后様の伝説の一つだな。

 ここで宴を開いた皇后様にその地の民が帰りたがらず、『またいつかお会いしたい』と。

 その『いつか』がなまって『いいづか』になったそうだ」


 今日が無事に終わるように。

 いつか、この日を思い出としてまた語れるように。

 そんな思いがこめられた雑談に有明が笑う。


「そうね。

 その時にはまたこの格好で宴をしましょう♪」


「それはご勘弁を。

 それがし、その格好では色々と困ることがありますゆえ」


 主君を足軽として扱わねばならない大鶴宗秋が苦言を言って、俺を含めた四人が笑う。

 まだまだ、内野宿までは遠かった。




 穂波に到着。

 ここまでは何事もなく来れた。

 そしてここで最初の分岐がある。


「物見を出して警戒しろ!」


 由布惟信の声に騎馬が数騎物見として駆けてゆく。

 ここで俺達の向かう冷水峠と帆足忠勝が陣を張っているらしい米ノ山峠へ向かう道が分かれるのだ。

 物見が戻ってくるまで由布隊の将兵は警戒するが、荷駄隊は休憩時間と捉えて水を飲んだり煙草を吸ったりしていた。


「そういや野盗がいるって?」

「ああ。

 今回お侍さまが出張ってきたのはそのためよ」

「お侍様も難儀なこって」

「まぁ、そのお侍さまに使われるわしらが一番たいへんなんだがな」

「わはははは……」


 酒は禁止だが、皆の気は緩んでいる。

 ここまでに兵糧をくすねている輩も居るが、そういう米はこの場で取り返される。


「ほら。

 張った!張った!!」


「丁!」

「半!!」


 気づくと見張りの足軽も混じっての博打大会である。

 こういうのを見ると、新領主となった戸次家は完全に民を掌握していないというのが分かる。

 それでも、現在最も士気と練度が高い部隊なのだが。

 この穂波は字の通り、稲穂が波のように広がる様を表しており、穀倉地帯である事も示している。

 ここを巡って秋月家は必死に大友家と死闘を繰り返したのは今は昔。

 遠くを見ると、物見に出ていた騎馬武者がこっちに戻ってきた。

 敵影は無かったらしい。


「おーい。

 お侍が戻ってきたぞ!

 そろそろ準備するべ」


「んだんだ。

 賭けはそろそろしまいにするぞ」


「あと一回!

 後一回だけっ!!」 


 どこの世にもこういう人間はいるものである。

 そんなのを尻目に見ながら、準備をすると有明がやってきて水筒を渡す。


「あの人、私を買うんだって張り切っちゃって……」

「そりゃお気の毒様」


 声や体格から有明が女であることはバレるので、戦場で春を売って稼ぐ御陣女郎設定を演じてもらっている。

 元職だけに男のあしらい方が実にうまい。


「ほら。

 豊前国との国境で大きな戦があったでしょ?

 あの戦に御陣女郎として出ていたのよ。私。

 で、そこで旦那見つけてさぁ。

 旦那に借金返してもらって、これから国に帰る予定なのよ。

 え?

 私を買いたい?

 いいけど、私高いわよ♪

 旦那以上に出してくれたら考えてあげる♪」


 裸蓑姿で高いと言っても足軽たちには手が届くあたりの女に見られるようにするトーク力が凄い。

 これで暴力で有明を襲うという心配がなくなったからだ。

 なお、山家宿で正体を明かした時の男たちの表情が楽しみではある。

 彼女の体は一国に勝ると西国で謳われた『有明太夫』その人なのだから。

 法螺貝が鳴らされ、隊列がまた進み出す。


「出発!」


 空を見ると雲ひとつ無く、時は朝から昼に変わろうとしていた。




 内野宿に到着。

 ここで馬廻を待つために休憩に入る。


「おい。お前ら。

 由布様がお呼びだから、ついてこい」


「へい」


 宿の外で休もうとしていた俺たちに由布惟信の足軽が声をかけて俺たちを宿に入れる。

 宿の中は完全に由布家の古参郎党で固められており、湯で泥を落とされて着替えさせられる。

 さすがに、大名家陪臣になる由布惟信にとって、主家一門衆で大名格の俺に足軽のマネをさせるのはきつかったらしい。


「できれば、このような小細工はしていただきたくはないのですが……」

「それで厳島よろしく討ち取られたら意味がなかろう。

 この峠を越えるまではこれで行く」


 毛利元就を知っているだけに、この小細工の九分九厘は見破っているに違いない。

 俺が毛利元就ならば、この内野宿にかならず間者を置くからだ。

 それでも彼は最後はどちらかに賭けないといけない。

 だからこそ賭けが成立する。


「物見によると、冷水峠および、米ノ山峠には煙は上がっておりませんでした」


 由布惟信の情報は俺たちの変装を解かせるほど重要なものだった。

 当たり前だが、朝食を作るためには火を使う訳で、火を使えば必然的に煙が上がるからだ。

 隠れている毛利元就達は兵糧丸等の戦時食で我慢しているかもしれないが、陣を構築して安全を確保しているはずの米ノ山峠にいた帆足忠勝の所から炊事の煙が出ないのはおかしい。


「帆足忠勝は米ノ山峠に居ない?」

「おそらくは」


 そうなると、彼の行先は二つしか無い。

 一つは宝満城に帰った。

 もう一つは峠を降りて、こっちに向かっている。

 この時点では敵か味方かはわからないが、前に出たならばタイミングを考えると後ろの馬廻が穂波に到着するタイミングに当たる。

 由布惟信が俺の偽装を解除してまで呼んだ理由がわかった。


「伝令を一騎馬廻に走らせろ。

 無事ならば、帆足忠勝が襲う可能性を示唆して、内野宿に駆け込ませるんだ」


「承知いたしました。

 誰かおるか!?

 伝令を呼べ!」


 由布惟信が伝令を呼ぶために部屋を出たのを見て、俺は有明の膝に頭を載せて寝る。

 裸蓑衣装からとりあえず女物の着物を用意させた由布惟信の気苦労に苦笑しながら、疲れから少し寝ることにした。


「八郎様の馬廻がお着きになられたぞ!!」


 その声で目が覚め、有明の膝枕から起きあがる。


「どれぐらい寝ていた?」

「一刻ぐらい?」


 障子に穴を開けて様子を見ると、きらびやかに飾った騎馬武者達の中に、頬当をつけて誰かわからぬ大将の側に裸の女が二人馬に乗って寄り添っていた。

 お色と果心である。


「なるほど。

 こうやって見ると、そりゃ俺が色狂いと言われるわな……」


「八郎大好きだったわよね。

 あの市女笠だけのやつ……」


 じと目の有明の視線が実に痛い。

 だが否定はしない所を、馬廻の中で更に目立つ佐々木小次郎が大声で宿中にまで聞こえるように言い放つ。


「馬廻はこれより一刻ほど休みを取る。

 殿がまぐあう間に英気を貯めておけ!」


 暗に女を抱くから休憩なんてとんでもないことを言っているので俺は頭を抱える。

 なお、俺の方からしようなんて言ったことは多分無い。


「いつもの八郎よね。

 私達にしようと言われれば拒まないし」


 有明の一言でとどめを刺される俺。

 夫婦漫才に入ってきたのは薄田七左衛門だった。


「何人かが山の中に入っていたが、本当に追わなくていいのか?」


「追うだけ無駄さ。

 むしろ毛利元就にこの情報を知らせないといけない」


 毛利元就なら気づく。

 この内野宿で、俺が由布隊から馬廻に、もしくは馬廻から由布隊に入れ替えが可能な事に。

 そして気づくから迷う。

 だからこそ、博打が成立する。


「馬廻が襲われなかったという事は、帆足忠勝は帰ったという事か。

 いや。

 先回りして、山家宿に張り込んでいるかもしれんな」


 最後の最後まで帆足忠勝の動向が分からないから、こちらの行動にも迷いが出る。

 万一を考えたら、峠を越えた時点で由布隊から馬をもらって単騎駆けで逃げ込むという事もできない。

 考える時間は残っていなかった。


「八郎様。

 そろそろ我ら由布隊は山狩りに出陣いたします。

 ご準備を」


 また足軽に戻って宿を出ようとした時に、果心とお色にすれ違う。

 こちらが足軽なので、礼をして歩き去る時に背後から声がした。


「「ご武運を。八郎様」」


 振り向くともう二人は部屋の中に入って居なかった。




 山狩りになると必要な人材として勢子が呼ばれる。

 この地を知っている上に、犬で獲物をこの場合は毛利元就率いる落ち武者達を駆り出す為だ。

 用意した勢子は三人で、彼らが操る犬は七頭。

 犬の鼻をごまかすためにも、敵の物見は獣臭い毛皮を来て土の中に隠れ、毛利元就達は山の奥に隠れないといけない。

 もちろん、由布隊が本隊と見破って全力奇襲されたらこちらの負けではあるのだが。


「この当たりには居ないみたいでさぁ!」


 勢子の声に俺は密かに安堵のため息をつく。

 まずは最初の賭けに勝った。

 冷水峠は標高は高くはないのだが、長崎街道の箱根と後に呼ばれるほどの難所だった。

 だからこそ、その細い峠道の何処で襲ってくるかわからない。


「ねぇ。

 八郎。

 聞きたかったのだけど?」


 峠をのぼってどれぐらいだろうか?

 既に日は傾きだしている。

 有明が声を出したのはそんな時だった。


「何だ?」

「どうして八郎は、馬廻が襲われるって賭けたの?」


 この賭けの別の見かたは有明が言ったとおりの事だった。

 毛利元就が俺の馬廻を奇襲する事に賭けた。


「ちょっと違うな。

 俺は、毛利元就に賭けたのさ」

 

 この段階である程度身分がバレてももう対処できないから、俺達の会話はかなりオープンになっている。

 周りの荷駄衆は『何いってんだ?こいつ?』という顔をしているが。


「毛利元就が俺の策を見破るのに賭けた」


 毛利元就が戦国時代最高の謀将である事に賭けた。

 毛利元就が戦国時代屈指の成り上がり者である事に賭けた。

 毛利元就が、俺を同じような謀将で成り上がり者であると思っている事に賭けた。

 だって、彼は成り上がっているから。

 いい鎧を来て誰にも頭を下げる事をしなくていい毛利元就は、きっと俺を若き日の毛利元就自身と見ているのに賭けた。

 だからこそ、内野宿の茶番が効いてくる。

 最初に偽りを用意して、その後入れ替わる。

 万一を考えて帆足忠勝を山家宿に向かわせることぐらいしたかもしれないが、そこまですれば俺たちは完全に袋のネズミとなる。

 だから勝てる。

 同じ舞台で勝てるわけがない以上、どこかでイカサマをしないといけない。

 そのイカサマに勝った音がしたのはちょうとこの時だった。


「法螺貝の音に鬨の声が聞こえます!」

「おそらくは馬廻が襲われているものかと!」


 毛利元就。

 あんたは最後まで、俺を武将として見ていたんだな。

 それがこの鬨の声だ。


「落ち着けい!

 我らはこのまま隊列を整えて山家宿に入る!!」


 由布惟信の低くてよく通る声が山々に響く。

 それは俺達の勝ちを将兵に知らしめるように。


「者共よく聞け!

 この隊に大友八郎様がいらっしゃるのだ!

 かのお方を山家の宿に無事に運ぶ事こそ、我らの任務!

 決して八郎様を傷つけるでないぞ!!」


 由布家の郎党が俺を取り囲んで臣下の礼を取り、馬を用意する。

 呆然とする荷駄衆の一人が俺に対して指さしてつぶやく。


「大友八郎……あの西国一の色狂いの?」


「それは言わないでくれ。

 自覚はしているんだ」


 無礼斬りをしようと刀に手をかけた由布家の侍を手で制す。

 ノリはほとんど時代劇のラスト十五分。

 ここで派手な殺陣シーンが無いのが違いか。


「ほら。有明。

 手を出せ」


 馬に乗った俺は有明に手を差し出す。

 有明は手ぬぐいで顔の泥を落として、蓑を脱ぎ捨てて裸で俺の馬に乗る。

 唖然とする周囲を尻目に有明は笑う。


「ごめんなさいね。

 私の一夜、城ひとつなのよ♪」

「……じゃあ、あの有明太夫……」


 呆然とする荷駄衆だが、完全に理解が追いついていない。

 なるほど。

 時代劇の悪役たちの気持ちがやっと今わかった。


「ところで何で脱ぐんだ?」

「だって蓑が当たると八郎痛いし、私もあの二人見たら負けてられないなって」

「有明のそういう所、大好きだから宿についたら可愛がってやる」

「あー。八郎。

 すまぬが、いい加減にしてくれんか?

 そのあたりは宿に着いてからでもできるだろう?」


 薄田七左衛門のツッコミに我に返り指揮を執る。

 名を明かした以上、この隊の指揮権は俺に移るからだ。


「大友主計頭鎮成だ!

 今よりこの隊の指揮は俺が執る!!

 前は由布惟信がそのまま指揮しろ!

 後ろは大鶴宗秋に任せる!!」


「聞いたか!

 後列はこの大鶴宗秋が指揮する!

 絶対に八郎様に傷一つつけるな!!」


 さぁ。ここからは時間との勝負だ。

 俺達が峠を降りて山家宿に逃げ込むのが先か?

 馬廻の攻撃を手仕舞いして、毛利元就勢が俺達においつくのが先か?

 ある意味秩序だった撤退に近いから、その兵達の士気と練度に賭けるしか無い。


「荷駄を捨てよ!

 兵糧は敵にくれてやれ!!

 持ち帰るのは構わんが、遅れたら容赦なく置いてゆくぞ!!!」


 もう一つの仕掛けがこの荷駄衆達だ。

 連れてゆくと移動速度が遅れるが、切り離せば後ろから追う場合邪魔になる。

 その上、彼らは大量の兵糧を持っている。

 その誘惑に、落ち武者寸前の毛利勢が耐えられるかどうか。

 俺の命令に次々に荷駄を捨てる荷駄衆の面々。

 ほとんどの人間が荷駄を捨てるのを見て、ちと計算が狂ったななんて思いながらその理由を近くの荷駄衆に聞いてみた。

 さっきまで有明相手に一夜の交渉をしていたやつで、今でも有明をガン見していた。


「てっきり兵糧を抱えてゆくと思ったぞ」

「大将。

 命の方が大事でさぁ。

 それに大将ならば、生き残ったら褒美をたんとくれるのでしょう?」


 実に清々しいまでの理由に俺も有明も笑う。


「ちゃんとあげなさいよ。

 私以外の体を」


「わかったわかった。

 うちの御陣女郎衆で好きなだけ遊ばせてやるから、ちゃんとついて来い!!」



 山登りは下りこそ難しい。

 勢いがあるし、道も整備されていないから滑る。

 由布惟信が気を利かせて馬を出してこなかったら、へばっていた可能性は高い。

 既に峠は越えており、あとは下りのみ。

 隊列は警戒しながら慎重に進んでいる。

 だからこそ、一歩一歩が長いし重いし疲れる。

 それでも敵は襲ってこなかった。


「山家宿だ!」

「山家宿が見えたぞ!!」


 先頭の物見の声に歓声が沸き上がる。

 その後の物見の声に最後の博打が始まる。


「山家宿に兵が詰めております!」

「何処の兵か分かるか?」


 俺は自然と喉を鳴らす。

 その返事を聞くまでの時間が長く感じ、自然有明を抱き寄せて己の不安を払拭しようとする。

 そして、博打の結果が出た。


「旗印は剣花菱!

 竜造寺家です!!」


「ごしゅじーーーーーーーーーん♪」


 宿の前で密命を授けた井筒女之助が手を振っている。

 海路博多に向かわせて、竜造寺家に援軍を頼むという密命を見事に果たしたから遠目から見てもご機嫌の笑顔である。

 毛利元就は俺のことを知らないが俺は毛利元就のことを知っている。

 そして、毛利元就は竜造寺隆信の事を知っているが、俺が竜造寺隆信の事を知っているのを知らないのがこの賭けの正体。

 あの野心満々な機会主義者が俺に恩を売れるチャンスを逃す訳がないし、俺を殺すデメリットを知り尽くしている。

 だからこそ、少数兵力で抜けても構わないと割り切ったのだ。

 現在、この時点において、竜造寺隆信が裏切らない事を俺は確信していたから。


「……昔、原田の宿で諫言をした事を覚えておいででしょうか?」


 兵を率いてきた竜造寺軍大将である鍋島信生の言葉はとても冷え冷えとするするものだった。

 足軽装束に裸の有明を連れての敗走にしか見えない後退。

 だかそれも、戦に負けて勝負に勝った俺にすれば耳に心地よい。


「すまんな。

 毛利元就に勝てなくて逃げ出してきた所よ」




 その日の夜。

 交戦を終えた馬廻も山家宿に入った後に、高橋家の使者として帆足忠勝がやってきた。


「八郎様がこちらに参られた時にこれを渡すようにと」


 そう言って差し出された書状を開く。

 それはこの一連の謀反の責任を取って高橋鑑種が腹を切るという事。

 そして、その介錯を俺に頼みたいという手紙だった。

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