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筑前剣豪五番勝負 薄田七左衛門戦

 月を見ていた。

 飯塚宿でおそらくは毛利元就と最後の決戦となる夜。

 有明はただ俺の隣に居て同じように月を眺めている。


「そう言えば、八郎は月が好きなの?」


「まあな。

 変わらずそこにあるというのが惹かれるんだ」


 多分前世でも変わらずそこに有り続けた月だからこそ親近感を抱いたというのがあるのだろうが。

 その前世でこんなにも月を見上げた事なんて殆どなかったというのに。


「さてと。

 明日に備えて、少し心残りを片付けておくか。

 佐々木小次郎と薄田七左衛門は居るか?」


「はっ」

「ここに」


 俺が声をかけると、二人が庭から出てきて控える。

 眺めていた俺は少しだけためらったが、それを口にした。


「佐々木小次郎。

 木刀でいいならば、そこの薄田七左衛門と立ち会っていいぞ」


「殿!?」

「本当でございますか!?」


 煙管を差し出すと有明が火をつけてくれた。

 驚く薄田七左衛門と喜ぶ佐々木小次郎を見て、俺はこめかみを押さえながら続きを口にした。


「こいつの動向が明日の博打の帰趨を決めかねん。

 俺としてはご機嫌を取っておこうという訳だ」

「八郎様はそれがしが信用できませぬか?」

「剣豪と立ち会いたいがために、俺と毛利元就を翻弄し続けたお前の何処を信用しろと?」

「たしかに」


 俺のツッコミに佐々木小次郎も笑うしか無い。

 上泉信綱と試合がしたいからこっちについているという分かりやすい理由だが、それゆえにそれが無くなればどう動くか分からないのが佐々木小次郎という異物である。

 彼につけておく鎖は一つでは物足りない。


「木刀では少し力が出せませぬ。

 竹竿に変えることはできるでしょうか?」


 佐々木小次郎の強みはその物干し竿を自在に操る長い間合いだ。

 得物が変わるのはともかく、間合いが変わるのはきついという事を佐々木小次郎も理解しているのだろう。


「構わんぞ。

 どうせ薄田七左衛門も小太刀が得物だから間合いが崩れるしな。

 宿の長には許可をもらうから、竹やぶから竹竿を切ってくるといい。

 始めるのは半刻後でいいか?」


「承知いたしました。

 ではこれにて」


 実に嬉しそうな顔をして佐々木小次郎が小走りで出てゆく。

 薄田七左衛門は怪訝な顔で俺の方にやってきて言い放つ。


「正直に言うが、俺の腕では奴に勝てんぞ」


「だったら、勝つように策を練るしか無いだろう?

 いいか……」


 聞き終わった後、横に居た有明が『うわぁ……』という顔をしていたのだが、俺は見なかった事にした。

 あと、薄田七左衛門が俺を見る目が賭場の博打場でイカサマをしている奴を見る目と同じだったので、視線を合わせない事にした。




「お待たせいたしました。

 おや?

 上泉殿が立ち会いをなされるので?」


「ああ。

 明日の戦があるからやりすぎても困るので俺が頼んだ。

 良い竹は見つかったか?」


 俺の問いかけに佐々木小次郎は満面の笑みを浮かべてその物干し竿を見せて振る。

 ただの竹竿なのだが、そのしなりと振りから本当に刀に見えるのが怖い。

 一方の薄田七左衛門は緊張しているのか吹き出る汗を手ぬぐいて拭いて、桶の水につけて手ぬぐいを絞る。

 その隣には少し短めの竹竿が二つ。


「薄田七左衛門。

 準備はいいか?」


「はっ。

 お待たせいたしました」


 その手ぬぐいを首に巻いて薄田七左衛門は竹竿を両手に持って佐々木小次郎と相対する。

 上泉信綱が厳かな声で、試合の開始が告げられる。


「この立ち会い、大友主計頭様の命によって上泉信綱が立ち会う。

 始め!」


 その声とは裏腹に二人共動かない。

 互いに相手の手を探ろうとして、先に口を開いたのは薄田七左衛門だった。 


「ああ。そうだ。

 佐々木小次郎。

 一つだけ、教えておいてやる。

 あいつの剣はそれはもう汚いぞ」


「ほほう。

 汚いとは面白いですな。

 それを知っているという事は、立ち会った事があると?」


「ああ。

 真剣で立ち会って見事にやられた。

 という訳で、その汚い剣の真髄を見せてやる」


 当人前にして酷い言われ方である。

 というか、ちらりと見てくる上泉信綱の視線が痛い。

 気づいてみたら吸わない煙草の火が消えており、有明に差し出したら新しく詰められた煙草に火打ち石で火をつけてくれる。

 その『カチン!』という火打ち石の音が合図になった。

 薄田七左衛門が佐々木小次郎に向けて短めの竹竿を両手に持って駆けてゆく。

 佐々木小次郎は物干し竿を模した竹竿を構えたままそれを受け止める。

 異変に顔が歪んだのは佐々木小次郎だった。


「!?」


 薄田七左衛門の打った竹竿が割れて、中から出たのは砂。

 木刀は中まで木が詰まっているが、竹竿は竹だから中が空である。

 そこに何かを詰めるという発想を披露した時の薄田七左衛門のジト目が実に痛かった。

 ギリギリまで切り込みを入れて割れやすくした竹竿はあっさりと割れ、入っているのが分かっているから口を塞いだ薄田七左衛門と違って佐々木小次郎は口と鼻に大量に砂を吸い込んでしまう。

 だが、その技量はまだ狂わず、薄田七左衛門の二撃目をしっかりと受け止める。

 当たり前だが小太刀二刀流が元だから薄田七左衛門が持っている竹竿は二本。

 つまり、もう一本にも砂が入っていると思った佐々木小次郎の思惑はここでも外れる。

 予想通り薄田七左衛門の竹竿が割れるが、中から出たのは砂ではなく油だった。

 二人して油をかぶったその意味を察した佐々木小次郎が俺の方を嫌でも見てしまう。

 煙管を投げようとする俺の方を。


「ほらっ!」


 軽い声をあげて俺は煙管を投げる。

 二人とは明後日の方向に。

 俺はそれほどコントロールが良いわけではないのだ。

 だが、佐々木小次郎の隙を見逃す薄田七左衛門では無かった。

 すでに薄田七左衛門は竹竿を捨てている。

 佐々木小次郎は体制を立て直そうとするが、砂で呼吸が乱れた上に油で竹竿が滑り、俺に気がそれていた為に佐々木小次郎の間合いは崩壊していた。

 薄田七左衛門が収めた剣術は鞍馬八流の剣法。

 小太刀を中心とする近接戦を最も得意とする薄田七左衛門の間合いで彼が手にしていたのは、首にまいていた水を含んだ手ぬぐい。

 心地よい打音が響き、肩に一撃をもらった佐々木小次郎が崩れた。

 

「……なるほど。

 これは汚い……」


「それはあれに言え。

 俺もやられた時、そう思ったんだからな」


 まだ膝立ちで我慢する佐々木小次郎に薄田七左衛門は俺の方を見て言い放つ。

 遠賀川で立ち会った時の事、結構根に持っていたらしい。


「あれの剣の真髄は、戦う前に勝っているが基本だ。

 つまりお前は、試合を挑まれた時点で負けていたんだよ」


「はは。

 それでは死合をしたい私は常に負けるではないですか。

 という事は、木刀でというくだりからこれを?」


 そこからは俺が会話を引き継ぐ。

 何だかすごい極悪人のように聞こえるのだが気にしない。


「ああ。

 真剣でしてどちらか死んだら明日の戦に困る。

 だから木刀でというのは納得が行くだろう?

 そして、その木刀だとお前の間合いが合わない事まで分かっていたから、竹竿を使うように仕向けて……」


「ははっ。

 本当に汚いですな。

 これは」


「安心しろ。

 この汚さは師が居てな。

 彼から学んだんだよ」


「誰です?

 今度習いに行きますので」


 ここまで全部仕込みだって言うと、佐々木小次郎驚くだろうなぁ。

 けど、この一言の為に今回の茶番を仕組んだようなものだ。

 遠慮なくトドメを刺させてもらおう。


「そうさな。

 流派で言うならば……

 ……毛利流謀略剣とでも名付けようか」


「あはははははははははははははは……」


 けたたましく笑いながら佐々木小次郎が地面に倒れ込むが怪我は無いだろう。

 それに水を吸った手ぬぐいの一撃で使えないようになる佐々木小次郎でもないだろうし。

 そんなやり取りを眺めながら、俺は明後日の方に投げた煙管を拾いに行った。


「本当に汚いですな!

 これでは裏切れないではないですか!!

 あははははははは……」


 大笑いをしている佐々木小次郎に俺は首を縦に振りながら同意する。

 つまり、今までの動向とめでたく死地にいる俺たちの状況への意趣返し。

 剣や合戦などではない戦う前に事を決めるという孫子の兵法の究極の体現者。

 この時点で俺を裏切ったら、佐々木小次郎の剣は死ぬ。

 だって彼の大事にしているものを捨てろと言っているに等しいのだから。

 俺も苦笑して、地面に落ちた煙管を拾いにゆく。

 

「何か仕掛けてくるとは思いましたが……その煙管大事な品では無かったので?」


「大事な品かどうかは別としてだ。

 実を言うと、俺、煙草は吸わないんだよ。

 どうだ?

 約束の一つは果たしたぞ」


 俺は煙管を拾って、煙草の火を消した。

 佐々木小次郎はまだ起き上がれないらしいが、えらく機嫌の良い声でこう言ってのけた。


「ええ。

 ちゃんと囮を務めてみせましょうとも」


 戻った時に上泉信綱が穏やかな笑顔で出迎えてくれた。

 そして有明も月光に照らされながら俺に向けて笑う。

 明日行われるその運命の博打の前の寸劇はこうして静かに幕を閉じた。

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