宗像鎮撫 その3
翌日。
先に宗像領に入った吉弘鎮理と小野鎮幸から早馬が入る。
「吉弘鎮理からの文だ。
樽見峠で一揆勢が道を塞いでいるらしい。
一揆勢は数百人規模で竹槍や筵旗を立てて関所を作っているらしい。
『ここから大友軍を入れると祟りが宗像を襲う!宗像の姫を生贄に差し出さねば災いが降り注ぐだろう』と一揆勢は言っているそうだ。
蹴散らすか戻るか判断を求めている」
海岸線を進む予定だった吉弘鎮理は、芦屋に近かった事もあって俺に刺客が向けられた報告が届いていたのだろう。
万一を考えてこっちに戻る事も視野に入れるあたり、さすがと言わざるを得ない。
樽見峠というのは芦屋と宗像の境にある峠で、その由来にも河童伝説が関わっているといういわくつきの土地である。
「で、こっちが小野鎮幸の文。
岳山城に入城したはいいが、村長たちから『祟りを鎮めてくれ』と陳情が殺到して身動きがとれないらしい」
ある意味予想されていた事だった。
だが、兵力の喪失は行政機構の喪失を意味し、祟りの名を借りたヒャッハー達の楽園と化していたのである。
何となくこの祟りの本質が見えてきた。
実質的な宗像家の乗っ取り。
しかも、河原者による下剋上。
そこから大名になんてのはこの戦国においても無理がある。
そんなシステムを構築した釣川長太郎という河原者は傑物としか言えない。
「殿。
吉弘殿を戻した方がよろしいかと。
ここからは敵地と考えるべきです」
大鶴宗秋が顔をこわばらせて断言する。
長くこの地に居たつもりだったが、それでもその底に淀んでいた何かにふれるとこうなるというわかりやすい警告に俺の家臣たちは激高した。
舐められたら殺すがまだ通用するのが戦国時代なのだが、同時に祟りという得体の知れないものへの過剰反応ととれなくも無い。
「状況を整理するべきです。
何で樽見峠を一揆勢が塞いだのかが気になります。
小野殿が岳山城に入る事は早馬で無くとも伝令ならばその日の内に届くはずです。
猿田峠を塞がなかった意味を考えるべきかと」
顎に手を当てて地図を眺めながら木屋瀬から船で来た柳川調信もいつもの軽い口調ではなく、その声に張りがある。
彼からしてもここまでしてくるとは思っていなかったのだろう。
「ちなみに佐々木小次郎の物言いだと、あれは毛利元就の策では無いらしい。
『雑過ぎる』だと」
「敵の間者の言葉を信じてどうなさいますか!殿!!」
既に佐々木小次郎を毛利の間者扱いしている大鶴宗秋ではあるが、じゃあ斬ってしまえと言えない所に彼の厄介さがあった。
表向きは二度も彼に俺の命は救われているのだ。
それを間者と斬ってしまえば、成り上がりのモザイク大名である俺の家に疑心暗鬼が広がって一気に崩壊しかねない。
「信じてはいないが、かと言って嘘と言い切れんのが厄介なんだよ。
多分、祟りを広める間者がどこかに居るな。
一旦戻すか。
大鶴宗秋。文を頼む」
「はっ」
祟りを使って一揆を扇動する力の誇示という所だろうか。
蹴散らしてもいいが本物の一揆勢だった場合、宗像の民から恨まれる上に生産力の減少と来季の収穫が落ちる所までセットになる。
「さてと。
誘うように、芦屋から宗像の地に行く道が開けているがどうみる?」
俺も地図を眺めながら、柳川調信に尋ねる。
柳川調信は確信を持った笑みで俺に言い切った。
「仕掛けるに決まっているでしょう?
妙見の滝は殿とお色様の馴れ初めの地。
祟りで何かするにはうってつけですからな」
「だろうな」
柳川調信の断言に俺も賛同する。
ここで仕掛けないと祟りの見立ての信憑性がぐっと落ちるからだ。
そこまで言った柳川調信だが、そこからの言葉に迷いが見える。
「ですが、これは向こうの合図とも取れるのです。
殿がお色様を連れて宗像に入らないならば、それ以上の害は及ぼさないという意味合いで」
この地で商売をしていただけに柳川調信の考察は鋭い。
そして、彼に求めた判断基準という秤は今でもちゃんと機能していた。
「失礼ですが、殿は宇和島を本拠に定めました。
本貫地としての猫城は大事なれど、最悪献上してもいいと考えているのでしょう?
でしたら、このまま入らずに芦屋から船で博多に向かった方が安心かと。
臼杵様の下に吉弘殿と小野殿をつけておけば間違いは無いでしょう」
「だろうな」
柳川調信の言葉に俺は苦笑して頷いた。
そして、煙管を取り出して片手で遊ぶ。
「それをすると、今度こそ佐々木小次郎が俺に刃を向けるだろうよ。
あれは宗像の祟りすら斬れると楽しむ外道者だ。
あれと祟りを相討ちにしたい所なんだがな。
だが、退路はいくつあっても困らん。
密かに船を用意できるか?」
「承知いたしました」
柳川調信の返事を聞いて俺は立ち上がって部屋から出てゆく。
「どちらへ?」
「さすがに昼間から祟りが仕事をするとは思えんからな。
気晴らしにでかけてくる。
供の者をつけてくれ」
芦屋の港は博多と関門海峡の中間点という事もあって、大きな街ができて栄えていた。
特に土蔵と呼ばれる倉が立ち並ぶ姿は壮観と言えるものがある。
日本海航路や畿内から運ばれた荷がここで降ろされるからで、博多まで持ってゆく時間的ロスを避ける商人の知恵とも言えるだろう。
実際の取引は博多で行うのだが、博多では証文のやり取りでその証文を早船や飛脚や早馬で芦屋に走らせて、畿内や日本海の港に運ぶという事でこの港は成り立っている。
その間にあるのが祟り蠢く宗像領で、ここの祟りの鎮無は博多商人達の要望でもあった。
とはいえ、船が集まれば人足が集まり、それ目当てに女たちも群がる。
特に先ごろまで毛利軍の兵站拠点として荒らされなかった事もあって、芦屋の町は全体的に潤っていた。
だから、宇和島の流行に乗ってこんな建物まで建っていた。
「邪魔するよ。
二階借りれるかい?」
俺の声と共に入口近くに居た裸の男女が一斉に俺たちの方を見る。
まぁ、極上の美女三人を連れての湯屋入りなんて珍しいだろうからだ。
ついでに言うと、護衛もちゃんとついている。
「銭さえ払えば貸すが、屋敷ですりゃいいだろうに」
番台の男が胡散臭そうに俺たちを見る。
そんな男に俺は懐から神屋の証文をつきつけた。
「折角だ。
そこの湯の代金全員払ってやる。
何かあったら知らせてくれ。
ついでに適当に飯を用意してくれ」
湧き上がる歓声に番台の男が呆れ返る。
こういうきっぷの良いお大尽はこの頃から少しずつ現れだしていた。
特に西国では俺のせいで商圏が急拡大し、成り上がりの商人が増えていた時期でもあったのだ。
「何処のお大尽か知らないがお盛んなこって。
好きな部屋を使ってくれ。
女は……いらんか」
「あら?
いるかも知れないわよ♪
この人昨日、七人斬りしたばかりだから」
おい。有明。
嘘ではないが誇るな。
呆れ果てる一同を尻目に俺たちは二階に上がって、角の部屋を抑える。
有明の膝の上に寝転がって、のんびりと何もしない。
女たち相手に爛れた事をし続けると、どうしても体が持たないのでその対策としてこういう休みがどうしても必要になるからだ。
ついてきたのは初期スタイリッシュ痴女メンバーの有明・お色・果心の三人で、二階を抑えたのはまた下から襲われる事を警戒したからである。
(今の見た?
凄いお大尽よね?)
(ああ。
連れていた三人の女たちの色っぽい事と言ったら。
ほとんど裸じゃねーか!)
なおこの時代の風呂は基本混浴である。
で、男女裸で湯に使っていれば、それはナニにもなる訳で、湯女という遊女の仕事場にもなっていたりする。
したくなったら、彼女たちに交渉を持ちかけて、そのまま二階でという訳だ。
だから、下からの湯船の噂話とは別に、隣の障子からは男女の合戦の生々しい声が聞こえてきているのだが、生憎今の俺は賢者時間中である。
(そういうば、昨日やってきた大友家の殿様が御陣女郎を募集しているって言ってなかった?
私、受けようかな?)
(えー?
戦場で腰を振るのきつくない?
まだここの方が部屋でやるだけましだと思うけど?)
聞いてないので目で有明に確認すると有明は首を横に振り、果心がこくりと首を縦に振った。
「やや子ができた者がそこそこおりまして、募集を。
これを機に所帯を持つ者もいるそうで」
九州で結構長く戦った事もあって、そのストレスが彼女たちに向かった結果とも言う。
彼女たちは退職という形になるが、その多くが宇和島に戻って子供を生んだ後遊女に復帰するという。
生みたくても産めないという事をしないだけでも俺の御陣女郎達が超絶ホワイト職場というあたりが、この末法の世の遊女たちの救いの無さを現している。
「八郎」
「わかってる。
果心。手当てだけはしっかりやってあげてくれ」
「心得ております」
そんな会話が上で行われているとも知らずに、床下の湯船からは噂話が途切れることは無い。
己の体に自信があるらしい湯女が堂々と野心を語っていた。
裸で。
(けど、大将に股開いてやや子できたら北の方様よ!)
(やめとけ。やめとけ。
あそこの北の方は西国でも名が轟いた有明太夫だぞ!
その体に蕩けた商人や武家は数知れず、彼女を射止める為に大友の殿様は国一つ奪ってきたと聞くぞ)
「だとさ。有明太夫様」
「やめてよ。八郎。
恥ずかしいじゃない……」
顔を真っ赤にして横を向いて拗ねる有明が実にかわいい。
だが、そんなじゃれ合いをなかった事にするような噂話が耳に飛び込んできた。
(私は、ここで湯女している方がいいな。
楽だもの。
昨日の客なんか猟師だったけど、猟師が持つに似合わない銭を持ってきて一生懸命腰を振っていたのが可愛くてさ。
何でも、祟り狐を狩れと命じられたそうよ)
「っ!?」
動揺するお色に指で声を立てるなと命じる。
二階で聞き耳を立てていたのに気づかない湯女は、決定的な一言をペラペラと喋った。
罪悪感から言うことができない暗喩のごまかしを。
(何でもこのあたりで昔悪さをした銀狐を狩るんですって。
狩れば莫大な褒美を用意してくれるとか。
うまく狩れるといいなぁ。
垣生村の太兵衛さん)
祟り憑きの別名に狐憑きというのがある。
お色の事に当てはまると同時に、有明がここ最近着ていた打掛を見てみたら、傾きつつある日に照らされて美しい銀色を輝かせていた。