筑前剣豪五番勝負 新免無二戦
俺が生きているのは戦国時代という末法の世である。
だからその修羅ぶりについては理解していたつもりだったのである。
しかし現実は、その斜め下を行く。
「居たぞ!
お宝を奪い、女を犯し、大将首を取れぇ!!」
うん。
勝ち戦の軍勢に落ち武者狩りをしかける馬鹿が出るとは思っていなった。
「いやぁ。愉快愉快。
こんなに居るとは思っておりませんでしたが」
この舞台を整えてくれた佐々木小次郎が実に良い笑顔で言ってのけるがぶん殴りたいことこの上ないが我慢する。
多分殴る前に返り討ちにあうのが分かっているからだ。
遠賀川河原。
葦茂る平原で隠れていたヒャッハーどもは数百人。
遠賀川の河原者達である。
彼らをかき集めたのが佐々木小次郎。
「八郎様を襲おうとしている輩が居たので、集めておきました。
鬱陶しい蠅を一つずつ潰すより、まとめて潰したほうが後は楽でしょう?」
数日前、さも当然に良いことをしているとドヤ顔を晒す佐々木小次郎。
こいつ一応俺への刺客なんだろうが、表向きは俺の役に立っているように見えるのがタチが悪い。
「貴様っ!
殿を囮に使っただと!!」
激高する大鶴宗秋を手で制する。
斬ろうとしたら、かえって喜ぶし。こいつ。
なんとなくだが、佐々木小次郎の考え方が分かってきた気がする。
「構わぬ。
それで祟りが鎮まるならば、そっちの方が大事だ。
で、俺を出汁にした理由は他にあるのだろう?」
俺が笑うと佐々木小次郎も笑う。
その笑みに狂気が混じっているのを俺は確信した。
「ばれましたか。
少し刀を交えたい輩がおりましてな」
「それが毛利側の奴だったと。
なるほどな」
清々しいまでに自分本位。
己の武を信じているからこそ、その立ち位置を平然と変えやがる。
よくこんなのを刺客に用いる気になったな。毛利元就よ。
「勘違いをされてはいけないのですが、八郎様を含め八郎様が抱えている方々とも刀を交わしたいのは事実。
ですが、そちらはどうとでもなりますので」
そうだろうな。
こいつは、剣豪と戦うという手段のために目的を選ばないのだ。
俺に刀を向ければ、俺がつけている連中とは楽しく戦えるだろう。
だけど味方であるはずの毛利側の剣豪と戦う場合は同士討ちになる訳で。
剣豪としての生き方を優先しつつ、体面をでっち上げるために俺を利用していると。
「で、俺を餌にどれだけ集めたのだ?」
「そうですな。
正直噂は流したのですが、こればかりはその時にならねば分からぬというのが本音で」
じつにいい加減な口調で佐々木小次郎は言い投げる。
と、同時にうっすらと別の疑念が頭をもたげた。
もしかして、毛利元就と小早川隆景との間に齟齬が生じていないか?
そんな疑念を持ったのが数日前。
その後、柳川調信が持ち込んだ金の猫がらみの噂も流しての芦屋への出陣である。
面子はこんな感じ。
大友鎮成勢
大友鎮成・有明・果心・井筒女之助・柳生宗厳・石川五右衛門・薄田七左衛門・篠原長秀・伝林坊頼慶
佐伯鎮忠 二百 馬廻
大鶴宗秋 二百 大鶴鎮信 大鶴家郎党
上泉信綱 四百 雑兵
御陣女郎 四百 お色・政千代指揮
臼杵鑑速 五百 臼杵家郎党
多胡辰敬 五百 多胡家郎党
佐々木小次郎 五百 英彦山僧兵
合計 二千七百
釣川長太郎 数百 遠賀川河原者 釣川河原者 毛利軍落ち武者
猫城包囲戦の指揮は田原親宏に任せて、宗像鎮撫は臼杵鑑速を大将という名目での出陣である。
普通に戦えば鎧袖一触で潰せる数なのだが、いくつかの懸念点があった。
まず、彼らの狙いである御陣女郎連中に護衛をつけないといけず、それは遊兵化覚悟で上泉信綱をつける事にする。
これで兵力から八百が消える。
次に主力になる臼杵鑑速と多胡辰敬には俺からの指揮が明確でない。
臼杵鑑速は大友家加判衆という俺の上位、多胡辰敬は勝手働きという独立行動で来ているからで、一応俺に対して好意的だからこそ問題にはなっていない。
というか、超問題なのが今回の仕掛け人である佐々木小次郎率いる英彦山僧兵五百人。
こいつが寝返ったら途端にこの戦がどう転ぶか分からないのだ。
そして、それを佐々木小次郎は確実に分かっていた。
「蹴散らせっ!」
「敵は鉄砲が少ない!
鉄砲や弓で近づけさせるな!!」
「石を投げて来やがった!
当たると洒落にならんぞ!」
そんな英彦山僧兵が先陣としてヒャッハー共と潰し合っている。
河原者の装備はこちらより劣っている。
まともな鎧とかは無く、武器も投石や竹槍というものだ。
かと思えば、ほつれた鎧武者が指揮をしているから、良く言えば不規則な、悪く言えば統制の取れない攻撃でこちらを翻弄していた。
「おい。佐々木小次郎。
誰がここまで集めろと言った?」
「これは八郎様の武威の高さ故でございます。
八郎様の首一つで国がもらえるならば、狙いましょうに」
いけしゃーしゃーと本陣で獲物を探す佐々木小次郎に俺は突っ込むが、彼の面の皮はそれぐらいでは崩れない。
俺との間に井筒女之助・柳生宗厳・薄田七左衛門・伝林坊頼慶の四人が佐々木小次郎をいつでも斬れるようにしているのだが、その殺気すら彼は気にしないらしい。
「つーか、何でお前ここに居るんだよ。
あれ誰が指揮しているんだ?」
「それは八郎様の御身が危うくなった時の為にて。
指揮は毛谷村六助なる者が執っておりまする」
お前が一番危険なんだよと突っ込みたいが、多分分かってここに居るだろう。お前。
試しに突っ込んでみた。
「お前は狙わんのか?
ここで俺の首を落とせば、国一つだそうだぞ」
「それがしは剣のみで生きておりますからな。
国なんてとてもとても。
それに……」
有る種の狂気が混じった目で佐々木小次郎は俺を見て言い切る。
それは紛うこと無い彼の本心。
「八郎様は手を尽くして人をお集めになるから、待てば待つほど楽しくなりそうで。
己を抑えている次第で」
おーけーわかった。
そこまで修羅がお望みならば、かき集めてやる。
「もちろん、その中に八郎様を含んでおりますのでご安心を」
「含まんでいい。
で、お前が惚れた剣客の名は何というのだ?」
「二刀流の使い手にて秋月家に仕えし……御免!」
説明途中で戦場に駆けてゆく佐々木小次郎。
ちょうどその二刀流が、僧兵相手に無双していた所だった。
「巌流。佐々木小次郎!
お相手つかまつる!!」
その剣戟を相手は名乗り返して受け止めた。
その声がここまで聞こえるのだから、剣豪というのは目立ちたがりでもあるのだろう。
「当理流。新免無二。
かかってくるがいい!!」
この時代に一騎打ちは今は昔と思われるが、実はそこそこあったりするから困る。
門司城合戦では、乃美宗勝と伊美鑑昌が一騎打ちを行い、乃美宗勝の勝利が毛利軍の勝因の一つに繋がっている。
また、山中幸盛等は月山富田城の戦いを始めかなり多く一騎打ちを行って勝っていたりする。
この手の規模の戦いになると、こういう一騎打ちの動向がそのまま勝敗に繋がりかねない。
それは、あの佐々木小次郎に己の命と有明の命を預けることを意味する。
「八郎。
勝ちそう?」
今や合戦の帰趨を握った二人の剣豪の勝負に目を離せない有明からの声が届く。
いつものスタイリッシュ衣装の上にこの間もらった平家の裏蝶の打掛を羽織っているあたり気に入ったらしい。
「さあな。
けど、あれが負ける姿が見えんよ」
佐々木小次郎は笑っていた。
いや。喜んでいたというべきだろう。
鬼気迫る顔なのに、その笑顔は狂ったように美しく、刀を弾く火花やついたかすり傷から出る血すら彼の狂った美しさを引き立てる。
一方の新免無二は表情を完全に消して、己の必殺の一撃を放つ隙を狙っていた。
「刀の間合いでは佐々木小次郎が有利。
ですが、当理流は手の広さこそ本当の強み」
さらりと俺の説明に補足を入れる柳生宗厳。
周囲を警戒しながら薄田七左衛門も話に加わる。
「刀だけでなく小太刀や貫手や手裏剣までの術があります。
あの物干し竿の初手やニの手はどうにでもなるのでしょう。
ですが、最後の三の手が防げない」
刀で斬る為には近づかねばならない。
その近づく前に大抵の連中は物干し竿の間合いにあっさりと入って討ち取られる。
佐々木小次郎の恐ろしさは、刀の振りではなく戻しにこそある。
その戻しが恐ろしく速いから、一刀なのにニの手三の手を繰り出すような錯覚に陥ってしまうのだ。
秘剣『燕返し』。
今、俺の目の前で演舞のように惜しみなく繰り出されていた。
「あれに裏があるのは重々承知だが、己の剣までは裏切れんだろう。
ならば、全賭けといきたいが、それをするには抱えるものが大きくなりすぎ、博打打ちにすらなれなくなった。
大名ってのはなるもんじゃないな」
ぼやきながら俺は井筒女之助を呼び寄せる。
「馬廻に背後から突かせてかき回せ。
退路を確保して周囲の葦に火をつけてやつらを燻り出す。
俺たちは大鶴宗秋の兵に紛れて、御陣女郎と上泉信綱の手勢と合流してさっさと離れよう。
後の指揮は臼杵殿に任せる」
つまり、この世紀の決闘を最後まで見ずの敵前逃亡。
こんな所で身を危険に晒すつもりはさらさら無かった。
「ご主人のそういう所、嫌いじゃないんだけどさぁ。
もうちょっと空気とか読むつもりない?」
呆れた男の娘のこの一言がこの場の全員の空気を代弁していた。
俺たちが御陣女郎と上泉信綱の手勢と合流して無事芦屋の対岸にある山鹿城に入ってからしばらくして、残った手勢達も次々と入城してくる。
結局数が多くても指揮が無い雑兵の群れだから、臼杵勢、多胡勢、英彦山僧兵の的確な指示の前にヒャッハー達はあっさりと蹴散らされ、討ち取られたそうだ。
毛谷村六助の指揮に英彦山僧兵が従って、きっちりと敵を潰していったのは特筆するべき事だろう。
佐々木小次郎がああもフリーダムに動ける理由が分かったと同時に万一敵対した場合、将がいるという前提で英彦山僧兵を見ないといけないからだ。
で、あの世紀の勝負だが、見たいと残った伝林坊頼慶の報告によると、なんと新免無二が勝ったらしい。
「実にもったいない!
あれ程の名勝負はそうは見れませぬぞ!!」
その夜の宴席にて酒を片手に伝林坊頼慶が説法師特有の語り口調をフル活用して場を盛り上げる。
こういう時、知識がある語り部が名勝負を語るとそれは伝説になる。
「佐々木小次郎を斬るにはあの物干し竿の間合いから三歩踏み込まねばなりませぬ。
それは、あの刀の斬撃を三度受けるという事を意味します。
ですが、新免無二はそれを刀を捨てる事で成し遂げたのでございます!!」
おおっと盛り上がる一同。
俺と左右に侍らせている有明やお色も、この城の主である麻生元重もすっかり話に飲み込まれていた。
「場が動いたのは、殿の命で佐伯殿の馬廻が後ろから襲いかかった時の事。
この一撃で敵は総崩れになりましたが、剣豪二人にとっての仕合開始の合図となったのでございます。
新免無二は二刀流にて、佐々木小次郎の間合いに踏み込む。
佐々木小次郎はその物干し竿の斬撃で新免無二を斬ろうとし、弾いた刀が宙を舞う。
これで残りは一刀」
ぱんぱん。
わざとらしい手拍子で伝林坊頼慶が会話にリズムを作る。
この手のリズムは剣の道にも通じるものがある。
「二歩目に踏み込む新免無二に佐々木小次郎の二撃目が襲いかかる。
先程と同じように刀が舞い、新免無二が懐から取り出したのは實手!
そして三歩目!
物干し竿の一撃は實手によって弾かれ、實手が地に落ちた時、新免無二の間合いに佐々木小次郎が入り込んでしまった!
彼の手に握られていたのは鞘でございます!!」
おおっと盛り上がる場。
誰も酒を飲んでいない。
完全に伝林坊頼慶の次の言葉を待っていた。
「その鞘で新免無二は佐々木小次郎の腹を突き、後ろに飛ばす!
たまらず地面に転がる佐々木小次郎!
歓声は上がるが、同時に八郎様の馬廻が首を取りに馬を走らせる!
更に抜くはもう一本の刀の鞘。
鞘二刀流にて彼は窮地を脱して、遠賀川に飛び込んだのでございます!!」
当たり前の話だが、刀をしまう鞘はその刀をしまうためにある程度の硬さが求められる。
そして、刀を収める訳だから、当然刀より少し短いぐらいの尺寸。
使い捨ての打撃武器として十分だった。
佐々木小次郎を殺さなかったのか、殺せなかったのかは知らんが、彼が俺のそばに居る事は知っていたと考えるべきだろう。
新免無二も刺客だったならば、ギリギリでかけた情けなのかもしれない。
もしくは、佐々木小次郎が生かされた事で、馬廻の目がそっちに行ったから追撃の手が緩んだという考え方もある。
どっちにしろ、それは新免無二に聞かないとわからない事だろう。
「敵ながらあっぱれと言うしか無いな。
佐々木殿。
お気をつけられよ」
「ええ。
次こそは負けませんとも」
楽しそうに酒を呑むふりをした佐々木小次郎だが、その目はまったく笑っていなかった。
「八郎様。
何で馬廻を突っ込ませた時に、佐々木小次郎を討てと命じなかったのですか?」
その日の夜、体を重ねながらお色が不思議そうに尋ねる。
決闘の最中に逃げ出すという武士の面子的に結構恥ずかしい事をしているので、何で残らなかったという声はちょこちょこと出ていたのである。
それを俺は黙って受け止めた。
「考えなかったと言えば嘘になるが、もったいないじゃないか。
あんな名勝負を水入りにするのはさ。
俺が逃げれば済む話だし」
「……八郎。
そういう所が、柳生殿とかが惜しいって言っている剣のやつだと思うんだけどわかってる?」
横に寝ていた有明が苦笑する。
俺も有明を抱きしめて苦笑するしか無かった。
翌日。
日も高くなってから起き上がって日課の素振りをしようとしたら、かなり前から素振りをしていたらしい汗まみれの鬼気迫る佐々木小次郎を見かけたので俺は見なかったことにしてUターンする。
敗北による強化イベントだったか。あれは。
毛谷村六助 けやむら ろくすけ