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河童の祟り封じは横紙破りから

折角調べたものはもったいないので使うスタイル

 猫城包囲が完成したので、本格的に宗像攻略を進めることにする。

 最終的には大内輝弘にぶん投げるのだが、新領地を得て対毛利最前線に立った今の大内輝弘には宗像調略を進める余力なんてある訳もなく。

 お屋形様こと大友宗麟を博多で出迎えるためにも俺たちが動く必要があったという訳だ。

 猫城の包囲の大将は朽網鑑康、副将に田原親宏をつける事にする。

 その理由の一つが本人の口から報告される。


「やや子ができました♪」


 打掛を着たお蝶が嬉しそうに報告する。

 まぁ、あれだけやればできるのだろうから、そのうち有明以下も腹が膨らむ可能性が高い。

 お蝶の報告に田原親宏が狂喜したのは言うまでもない。

 同時に、安心して子を産むためにお蝶は海路国東半島に帰還する事になった。


「殿。

 お久しぶりでございます」


「殿もお元気そうでなにより」


 代わりに帆柱山城にやってきたのが、猫城奉行が本業の柳川調信と伝林坊頼慶。

 毛利水軍の活動が低下している事もあって、本拠地宇和島からここまでの海路が安全になっていると言うのはかなり大きかった。

 今や宇和島及び八幡浜から臼杵・府内への安全航路だけでなく、商船限定だが長浜から国東半島を経由し海路簑島城を経て関門海峡を越えて芦屋に乗り付ける航路までできていた。

 毛利水軍の影響力がいかに低下しているか如実に分かる。

 そして、毛利水軍の影響力低下を縫うように豊後国豊前国沿岸部で縦横無尽に働いて俺の連絡線維持をし続けているのが佐伯惟教率いる佐伯水軍である。


「それがしを呼んだという事は、木屋瀬の事で?」


 先を読んだ柳川調信に俺はニヤリと笑う。

 既に合戦の先、戦後の事を考える段階に来ていた。


「ああ。

 木屋瀬の復興とその先の事を考えておきたくてな。

 この戦が終わったら、門司城の代替に城をもらう事が決まっている。

 で、香春岳城をもらおうかと考えている」


「……殿も物好きでございますな」


 俺の色々な思惑を察した柳川調信は、それを物好きの一言で片付けた。

 彦山川合戦で荒れに荒れた香春岳城の復興には莫大な資金がかかるが、持城にして復興を自前でする事で大友宗家に対してアピールをするというのが一つ。

 膨れ上がった財を復興に使うことで、『謀反なんて企んでいません』と態度で示す訳だ。  

 二つ目が、本拠地宇和島と本貫地猫城への恒久的連絡線の構築。

 瀬戸内海の制海権は相変わらず毛利水軍が掌握しているが、豊前・豊後沿岸部の制海権を大友水軍が保持している為に、人と物の流れを加速させようというのが目的だ。

 というより、猫城奉行が本職の柳川調信の才能を十全に活かすための神経線構築と言ったほうがいいだろうか。

 こうしてその本人が宇和島から無事にやってきた事で一応その目論見は達成はしたのだが、毛利水軍が活発化したり仲が良くない大内輝弘が妨害する可能性も無い訳ではない。

 香春岳城を押さえるという事は、猫城から遠賀川を遡上して彦山川に入って香春岳城、仲哀峠を越えて簑島城というルートが構築できるのだ。

 簑島城を多胡辰敬が押さえたからこそのプランである。

 最後の一つは英彦山対策で、彦山川合戦でこちら側について政治的中立を勝ち取った英彦山の監視は、かなりの大物武将でないと無理だった。

 特に、大友宗麟にキリスト教フラグが立ちつつある今、焼き討ち等で豊前国や筑前国の統治に支障が出る事態を避けるためにも絶妙なバランス感覚が必要で、それだったら俺が握った方がいいやという判断である。

 

「府内の噂話では、殿の功績は一国に値すると持ち切りで。

 色々お考えになった方がよろしいかと」


 寄った府内の話を柳川調信は面白そうに語る。

 一国に値するもしくは一国相当の石高を誇る家の事を国持大名と定義するならば、南予十五万石に猫城を中心とした遠賀郡・鞍手郡・宗像郡の郡代担当およそ九万石も足す計算になるから二十四万石。

 代替で香春岳城を得た場合、付随して豊前国田川郡およそ三万石の郡代職も得ないと英彦山対策ができないから合計二十七万石か。

 臼杵鑑速の話では、俺への褒美としてこれら郡代職を城督職に格上げし、方分を新設する事も視野に入れているらしい。

 ん?

 方分?


「柳川調信。

 うちに、というか南予に方分とかあったか?」


「ありませぬよ。

 『南予切り取り次第』のお墨付きをもらったではございませぬか」


 柳川調信のあっさりとした言い切りに違和感がぬぐえないが、とりあえず仕事がしたいという柳川調信の為に臼杵鑑速・田原親宏・朽網鑑康・大鶴宗秋との会談をセッティングする。

 そしてやっと俺は違和感の正体と俺自身の失態に気づいたのである。


「木屋瀬宿の復興についてですが、郡代の命で復興させるにはちと荷が重過ぎます。

 城督の命という形にしていただきたく」


「柳川殿の言葉はもっともなれど、城督をどこに置くかまだ決まってはおらぬ」


 柳川調信の確認に臼杵鑑速が即座に返す。

 優れた行政官僚同士の緊迫した口論のポイントは、問題の中間処分の行方である。

 領主は基本的にその領地の絶対的統治権を持っているのだが、それが当てはまらない場所が一つある。

 境目。

 つまり、他の領主との利権争いのケースだ。

 ヒャッハー全盛の戦国時代だからこそ合戦にというケースがとても良くあるのだが、味方同士だとその味方の属する大名家が仲裁する形になる。

 その最初の仲裁が郡代や奉行と呼ばれる職で、九州の領土で俺がついていた職である。

 仲裁が前提の職ゆえに強制力はあまり強くなく、旗頭としての大将にはなれるが動員と統制において問題がある職でもある。

 もちろん、ここで終る訳も無く、控訴審がありそれを裁くのが城督や方分という職になる。

 郡代の場合は地域の旗頭としての役割だが、複数の城を管理運営する城督は城督自身に武力がある事がポイント。

 つまり、介入の上武力鎮圧が可能になる。

 この城督を本国豊後以外で複数まとめたのが方分となる。

 あれ?

 

「すまない。

 今更の話だが、何で宇和島に府内は城督や方分を置かなかったんだ?」


 俺の場違いな質問に場が凍る。

 それでも答えてくれたのは加判衆である臼杵鑑速だった。


「八郎様。

 南予の領主は八郎様しかいらっしゃらぬではございませぬか」


と。

 つまり、切り取り次第で俺が全部の領主になった事で、そもそも揉める境目が存在しなかったという訳だ。

 すると次の質問が自然と口に出る。


「ん?

 元西園寺の連中と揉めなかったのか?」


 呆れ声で返事をしたのは大鶴宗秋。

 今更その質問をするのかと顔が言っていた。


「お家滅亡の所を所領安堵で生き残った彼らが何を揉めると言うので?

 おまけに揉めた裁きは府内で行われるのですぞ」


 そりゃ揉めるという選択肢が出てこない訳だ。

 俺の南予統治はこの当時の大名家からすれば信じられない寛容さを持って行われていた。

 降伏した旧西園寺家の将の所領安堵だけでなく、彼らを奉行衆に取り立てる事でトラブルが南予から出ないようになっていたのである。

 それを考えた俺は、南予の統治をどうやって楽にするかだけでしか考えていなかったなんて今更言えるわけがない。


「いや。

 場違いなのは分かるが、ひっかかるんだ。

 何で府内は俺を殺そうとしたんだ?」


 つまる所そこである。

 己の血の因果とか莫大な富とか毛利元就の謀略とか色々と理由があるのだが、その違和感は口に出す事でやっと掴めてきた。

 大友宗麟や臼杵鑑速等の加判衆ではなくその下の連中に蔓延する俺への殺意。

 思い出したのは柴田紹安。

 俺はあの手の連中に恐ろしいぐらいに受けが悪い。

 それはおそらく今回の刺客のバックグラウンドに繋がっているはずだった。


「それでしたら、一つ。

 八郎様には取次が必要なかった事があげられるかと」


 俺の疑問に答えてくれたのは朽網鑑康だった。 

 境界近くで揉めた場合の仲裁は郡代や城督が行う。

 だが、実際に動くのはその郡代や城督の家臣たちだ。

 そんな彼らの事を取次という。

 この取次は遠隔地の領地統治を行う大名家の中で強大な権限を有していた。

 彼らの機嫌一つで、遠隔地の武家の運命が決まる事が多々あったのだ。


「八郎様の領地は南予でしかも八郎様お一人が治めている形でした。

 そのために府内まで訴訟が行かず、取次役は美味しい思いをしそこなったと思っているのでしょう」


 朽網鑑康の言葉を田原親宏が補足する。

 大友宗家から長く睨まれていた田原家は、この取次対策にかなりの力を注いでいたのである。


「銭を握らせるのは当たり前、酒に女にと饗応は欠かしませんでした。

 彼らも我が領地に行くだけで美味しい思いができるのですから、悪く言う事は無かったですな」


「殿が居ない間の猫城もそのような事をやっていたのです。

 その時の筑前国は烏帽子親だった高橋様のおかげでだいぶ楽をさせていただきましたがね」


 そこか。

 俺への殺意の源は。

 猫城の事なんて丸投げだったからまったく知らなかったので、俺の質問の寒さが馬鹿殿暴露になっているあたり救いがない。

 なお、耳川大敗以降大友家の統治が動揺した結果、この取次達も美味しい思いができなくなってゆく。

 大友家の権威が揺らいだ状況で威張れる訳もなく、そのしっぺ返しとして多くの国人衆は大友家から離れていったのである。

 納得した俺に臼杵鑑速が続きを口にする。


「方分、特に豊後国以外の方分は加判衆および、元加判衆または加判衆とみなされる者がなります。

 実質的な守護代職ですからな。

 それは同時に、何か事が起こったらお屋形様の前で行われる加判衆評定にて処理する事を意味します」


 あ。そりゃ置けんわ。

 南予方分を置いた瞬間に、俺の加判衆が周囲によって確定してしまう。

 たとえば、今やって来ている臼杵鑑速が加判衆についているからこの周辺の処理は全部彼に投げてしまえばいいので彼に取次が殺到していた。

 同時にやってきている田原親宏だが、元加判衆という肩書があるから、方分格としてみなされて臼杵鑑速に持っていけない--たとえば利害が対立している相手側とか--取次が流れているという事だ。

 おまけに俺そのものの案件は、臼杵鑑続や臼杵鑑速のおかげもあって最初から加判衆案件だった。

 取り次ぐ必要が無かったのである。


「殿が府内に戻った時に派手に銭をばらまいた事があったではございませぬか。

 多くの国衆はあれを揉める度にやっていたのでございます。

 当然銭が足りる訳もなく、この方と思ったお方に賭けることになるのです」


 大鶴宗秋の言葉にやっと納得がいった時、臼杵鑑速が俺に尋ねる。

 俺がこういう事を言う理由が知りたいのだろう。


「失礼ですが、八郎様の目は何を見ようとしておられるのですか?」


「祟りだよ」


 だから、俺は見ようとした物の正体を告げる。

 その言葉に諸将の顔が一気に厳しくなる。

 芥田六兵衛による俺の暗殺未遂は、ここにいる将達は当然知っている。

 その顛末が実に戦国らしいというか、未来における常識とかけ離れている事が地味に問題となっていた。

 芥田六兵衛が元秋月家の縁者だった事が分かると、



「主家を滅ぼした軍の大将を一人で狙った天晴な若武者」



と絶賛されたのである。

 その影響は秋月家復興を周辺国人衆が嘆願するという形で大友家に雪崩込んできていた。

 彼らもこの若武者の忠義に心打たれたという訳でなく、こうしておく事で己の家が滅んだ時の保険を作ろうとしている訳で、前例がある処理は比較的楽に案件が通りやすい。

 特に庶民に人気の敵討ちなんて良い宣伝材料でしか無かった。

 それに大友家の行政処理が追いついていなかった事がさらにこの混乱に拍車をかける。

 秋月家復興はいくつかの段階があり、その担当が皆違うのが原因である。


 まず、復興の旗頭となる秋月種冬の助命を担当するのが、現在ここに居る加判衆の臼杵鑑速。

 大友家として秋月家を許す必要があるので、大名である大友宗麟の決裁が必要。

 秋月家旧臣や領民が秋月家に行く場合、現領主の戸次鑑連に筋を通す必要がある。

 今回の襲撃事件の当事者である俺や背後に居るだろう英彦山の捜査を考えたら、現在豊前国方分扱いとなる田原親宏の影響力は無視できない。


 近代国家で無い封建国家の欠陥であり大量の取次が蠢いている事は想像に難くない。

 それを俺は大友家中枢に銭とコネを駆使して強引に解決し続けていたのだった。

 なるほどな。

 この横紙破りも恨まれる一因か。


「知っていると思うが、これから鎮撫に向かう宗像は祟り蠢く地だ。

 おそらく、第二第三の芥田六兵衛が出る事は目に見えている。

 木屋瀬復興の件は、宗像鎮撫の初手と考えて欲しい」


 事が合戦ではなく襲撃になった場合は捕物になるから、処理手続きが芥田六兵衛の件みたいにかなり煩雑になる。

 その上で、この手の処理をまとめて行う特区みたいなものを木屋瀬に置く事で解決しようと企んでいたのである。

 柳川調信が顎に手を置いて思い出すように口を開く。


「多分仕掛けてくるのは、宗像の河原者でしょうな。

 まとめている者がおり、代々その名前を継いでいるとか」


 こうして俺は次の襲撃者の名前を知る事になる。

 

「たしか長太郎。

 そう。

 釣川の長太郎と名乗っていると聞いたことがあります」

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