猫城包囲 その4
祟りの本質は、『理由の後付け』にある。
不幸が発生した時になんでその不幸が起こったのか科学的な説明ができないこの時代、風習から来る理由らしきものは絶大な説得力があった。
良いことをしたからあの人は幸せになった。
悪いことをしたからあの人は不幸になった。
自然災害や疫病が猛威を振るうこの国において、その手の不幸からの回避は同時に祟りと言う現象の手段化に繋がってゆく。
つまり、納得できる理由が提示できるのならば、それがデタラメでも周囲は納得して受け入れてしまうのである。
宗像の祟りしかり、遠賀川の河童しかり、平家の裏蝶しかり。
「有明に貢物だと?」
かなりまずい袋小路に入ってしまったと自覚したその夜、閨でその有明からこの貢物の話を聞くことになる。
その献上者が英彦山座主と来るから互いに裸なのに色気もなにもない。
「うん。
打掛と小袖なんだけど、打掛は白の綺麗なやつ。
小袖が赤で蝶が彫ってあるの。
佐々木小次郎殿が預かってきたと言って一応受け取ったけど……」
という訳で、衣桁に飾られたその打掛と小袖を有明が見せる。
ほのかに浮かぶ灯篭の灯りに照らされた打掛は銀色に見え、小袖の朱色にはためく横向きの揚羽蝶。
ただ、その蝶が彫られたのが小袖の内側という所に、俺はその意味を悟る。
「『平家の裏蝶』か」
「なにそれ?」
有明の質問に答えたのはこの地に詳しいお色である。
当たり前だが、彼女も何も着ていない。
「壇ノ浦合戦の後、この地には多くの平家の落ち武者が逃れてきました。
幕府の追討の手を逃れて、名を変えて潜んでいた彼らは己の家の名をこうして嫁ぐ娘に残したのです。
名を変えても、平家の一族である事を忘れないようにと」
源平合戦時、宇佐八幡宮が平家側についた事もあってか、英彦山は中立を維持していた。
その結果、平家滅亡後に宇佐八幡宮は鎌倉幕府の厳重な監視下に置かれたが、英彦山は穏便な処置がとられ、それは多くの平家落人の逃亡先になったのである。
そして彼らの多くが河原者として暮らし、河童伝説の一因になる。
「河原者の一団が怪しげな動きをしております。
『宗像の祟り姫が甦り、宗像家に害を成した』と吹聴しており、宗像領内では祟りの再発を恐れて寺社による祈祷が行われており」
同じく裸の果心の報告に俺は少し考える。
祟りによる襲撃は予期していたが、動きを考えると祟りの狙い先が三つある事が分かる。
俺と有明とお色だ。
「河原者を取り締まるのは無理か」
「難しいでしょう。
彼らはまつろわぬ民だからこそ、武家の介入を嫌いまする」
俺の質問に果心はため息と共に首を横にふる。
どこまでが毛利元就の策かは知らぬが、その策の背後には国人衆達の意思や利害がある。
それを解きほぐしてゆかないと、全体像は見えてこないだろう。
「分かりやすい所からいこう。
宗像の祟り云々は、お色の排除で間違いがないな」
俺の確認にお色は真顔で答える。
その顔に諦めが映っていたのは見ないことにした。
「ええ。
宗像家のお家存続の為には、八郎様の元に姫を送り、そのお子に継がせるしか無い。
そのために、石女で祟りつきの私が邪魔になっている。
河原者の動きはこれでしょうね。
私を排除するために河童あたりを使うのかしら?」
このあたりは分かりやすいと言えば分かりやすい。
それで俺が激怒するとか考えていない所がすてきだが、それもこの時代からすれば子が産めない女より産める女の方が家の継承上絶対に良いので、怒るわけが無いと思っているのだろう。
自分本位かつ近視眼かつ短絡的な思考と行動こそ国人衆である。
俺は思わず苦笑しながらかけられた打掛と小袖を眺める。
問題は、英彦山座主が送ってきた平家の裏蝶である。
英彦山は反大友家よりの行動を取っていた上に座主の座を大友家が狙っていた事もあって、決して気の許せる相手ではなかった。
そんな英彦山には秋月種冬も匿われていて、その処遇は大友家の行動をかなり左右しかねない。
「懐柔?」
「だったら良いんだけどな。
『平家の裏蝶』を送った意味が分からん」
有明の言葉に俺は首を横にふる。
俺の気をひくならば、もっと分かりやすいものでもいいし、竜造寺家みたいに俺自身に女を送ったほうが早いのだ。
「じゃあ、当人に聞くのが一番じゃない?」
あっさりと有明がそれを言うのだが、ついてくるだろう佐々木小次郎の動きが予測できない。
どうするかなと考えている俺をほおって置いて、有明は月のものがきたので閨に入って失神中の小夜と政千代の額に手ぬぐいを当てていたので、俺はひとまず考えるのを止めてお色と果心を抱き寄せることにした。
「佐々木小次郎。
佐々木種次の名代として参りましてございます」
翌日、佐々木種次を呼び出してそのあたりの話を聞こうとしたが、猫城包囲の大将の一人として陣を抜けるのは無理という理由で佐々木小次郎がこちらにきており、ある種の緊張感と共に会話が進んでゆく。
間に大鶴宗秋が控え、万一に備えて柳生宗厳と薄田七左衛門と果心が殺気バリバリで佐々木小次郎を睨んでいるが、佐々木小次郎は動じた様子もない。
もっとも、俺の後ろで果心の隣にいる有明はせっかくもらったという事でその打掛と小袖を着ていたりするのだが。
「ご苦労。
猫城の方はどうか?」
「動きはございませぬ。
正海住職が動いており、我らは河津殿と共に木屋瀬に陣取り城を眺めているだけでございますからな」
万単位の兵が動いた結果、木屋瀬の宿はしっかりと荒れていた。
その復興は始まっていたが、遠賀川の渡しの一つで宗像経由で博多を抜ける重要拠点だから兵をおいて守らせているように見えるのがポイント。
宗像や佐々木等の忠誠心をこれで調べているのである。
「住職待ちゆえ、兵の乱暴狼藉だけは絶対にさせるな。
酒も女もこちらで用意してやる」
「僧兵たちも喜びましょう。
京女を味わってみたいと申していた故」
彦山僧兵の破戒ぶりがよく分かるが、どこも似たようなものである。
とりあえずの戦況報告を枕として、俺は本題に入った。
「座主様の意図ですか?」
「ああ。
言いたくはないが俺は一応源氏の出の者で、平家滅亡後に下ってきた大友家の人間だ。
高価なものなのは分かるが、わざわざ朱色の揚羽蝶なんてものが彫られたものをよこす意図については聞いておきたいと思ってな」
俺の質問に佐々木小次郎の表情は変わらず、彼はその理由を飄々と口にする。
前に会った時の殺気など出す様子もなく、その立ち振舞いは地元国人衆の若武者にしか見えないが床に置かれた物干し竿が無駄に存在を主張していた。
「主計頭様は、この地の平家落人についてはどのぐらいご存知か?」
「あいにくさっぱりだ。
できれば教えて欲しい」
それは壇ノ浦を生き延びた女たちの物語。
壇ノ浦にて沈んだ同胞の菩提を弔い生きてゆくために彼女たちが差し出したのは体だったというよくある歴史の物語でもある。
「元々女郎という言葉は都の女官達の呼び名である上臈が由来でしてな。
それがこの地にて春を売るようになってから遊女の名ともなり申した。
壇ノ浦は、女郎の生まれし場所なのでございます」
日本の海上交通の要衝である関門海峡はそれゆえに人が集まり、その賑わいゆえに春を売る女たちの需要は常にあった。
そんな女たちのブランドの一つがこの平家落人の女官たちという訳だ。
佐々木小次郎はそのまま続きを口にする。
「ですが、西国と九州は海を隔てており、この地の女たちは平家一門の菩提を弔っている赤間関の御影堂まで行くのに、女郎姿で海を渡ったそうです。
その時ばかりは女郎達は都の着物を着飾って船に乗り海を渡ったとか。
小舟に乗って海を渡る彼女たちは平家の者として蝶を彫った赤い小袖を身にまとってゆくので、『赤蝶の海渡り』と言って代々伝えられたとかなんとか」
御影堂とは先の未来で言う所の赤間神宮に当たる。
平家滅亡後の源氏というか鎌倉幕府の追討は厳しいようで、実は色々と穴があった。
お家の継承から男子の詮索は厳しいのだが、女子については見逃されていたり、そもそもまつろわぬ民に落ちた女郎達を裁く気すら起きなかったとか。
菩提を弔う為に体を売る彼女達をこの地の民は哀れみと下衆さから見逃し続けた。
そんな彼女たちを保護したのが英彦山である。
「待たれよ!
座主殿は我らの奥方を貶める気か!」
語気を強めて大鶴宗秋が話を途切れさせる。
たとえ高価なものといえどもそれを贈る事で、有明を女郎であると暗に言っているに等しいからだ。
そして、有明が実際に女郎というか遊女の頂点に居た事がこの話をややこしくしている。
「あら?
別に気にしないし、事実でしょう?」
「しかし……」
有明の朗らかな一言に毒気を抜かれる大鶴宗秋。
佐々木小次郎はそれを見て、話の続きを再開する。
「平家物語の大原御幸はご存知で?」
即座に反応するのは知識人である大鶴宗秋。
首をかしげて記憶からその話の大まかなあらすじを口に出す。
「たしか、壇ノ浦の後で後白河院が大原に御幸し建礼門院に会った話ですな。
六道語りの」
これは説明が必要だろう。
建礼門院とは平徳子の出家名であり、彼女は平清盛の娘であり安徳天皇の母である。
壇ノ浦合戦後に生き延び出家した彼女に会った後白河法皇は、彼女から己の人生を仏教の世界観である六道になぞらえて語る話を聞く、という平家物語の山場みたいなものである。
「この地にはそれとは違う異伝が残っておりましてな。
六道語りではなく、院への恨み言が」
そりゃ、平家を滅亡に追いやった張本人である後白河法皇がわざわざやってきたのだから、恨み言の一つも言いたくなるのは分からないではない。
そんな事を思った俺は、佐々木小次郎の一言で凍りついた。
「その恨み言は二つ。
都落ちに際して院が比叡山に逃れて平家と共に行かなかった事と、院の命で緒方三郎に太宰府を攻撃させた事」
幼くして苦界に落ちた有明はその意味が理解できないが、俺と大鶴宗秋は否応なく理解した。
緒方三郎惟義、別名緒方惟栄は大神一族の祖にあたる人物なのだから。
彼の太宰府攻撃が九州から平家を追い落とし、壇ノ浦に繋がる遠因となる。
その末裔である有明に平家の裏蝶を贈る。
これ以上無い祟りによる宣戦布告なのだが、だからこそ俺は我に返る。
「ずいぶんと語るな。
普通の侍なら、この時点で首が落ちていただろうよ」
そうなのだ。
あまりにも無礼を通り越して傲慢ですらあるこの物言いにかえって警戒してしまう。
実際に今の英彦山は俺や臼杵鑑速をもってしても強く出られない場所になっていた。
彦山川合戦を決した竜造寺勢の主力がこの英彦山僧兵達であり、かれら英彦山の山伏達による情報網は未だ生きている。
おそらくはこの罠をしかけている毛利元就によって、俺が死地に追い込まれている事を英彦山は的確に理解していた。
「ええ。
普通のお方ならば、ここまで話しませぬとも」
佐々木小次郎もニヤリと笑う。
今、ここで彼を殺す選択肢が無いからこそ、彼は強気に出ている。
だが、その立場は刺客では無く、英彦山の者として。
「何が望みだ?」
「座主は、この呪いを解きたいとお考えです」
なんとなく話が見えてきた。
彦山川合戦で俗世に対する発言力は十二分に確保できた。
そうなれば今度は宗教的権威を欲しがる訳だ。
祟りの解除。
それは英彦山の宗教的権威を大いに高めるだろう。
たしか座主は最近交代したばかりと聞いた覚えがあるので、これは座主の箔付けの一環なのだろう。
祟りの本質は、『理由の後付け』にある。
つまり、納得できる理由が提示できるのならば、それがデタラメでも周囲は納得して受け入れてしまうのである。
「有明を御影堂に参拝させるか?
この状況で?」
俺は英彦山座主の要求を口にする。
苦界に落ちた緒方三郎の流れを汲む有明が、祟りを払う為に英彦山の力を借りて赤間神宮にて平家の菩提を弔う。
わかりやすく目に見えるイベントほど、効果は高い。
「この状況だからでしょう?
主計頭様にも利はあると思いますよ。
赤間関に渡れる事の意味が分からぬ訳ではないでしょう?」
有明が赤間神宮に渡る必要はない。
『有明と称した誰か』を赤間神宮に行かせる事もできるのだ。
それは、毛利家に対する直接パイプラインの構築。
大内輝弘が正面の敵と決まったからこそ、即座に利害が対立する俺にパイプを作ろうとする毛利の外交戦にはもう苦笑するしか無い。
「宗像の祟りは関与していないのだろうな?」
「あちらは祟りが強すぎる。
鎮魂にはもう少し時がかかるでしょうな」
俺の一応の念押しに佐々木小次郎は人を喰った顔で返事をする。
この時点で確信した。
こいつは侍ではない。
身分は侍かもしれんが、本質は英彦山の山伏達と同じくまつろわぬ民だ。
「せっかくだ。
お前の雇い主を教えろ」
一気に空気が緊迫する。
果心がすっと有明を己の体で隠し、柳生宗厳と薄田七左衛門がさりげなく鍔に指をかける。
それでも佐々木小次郎は人を食った笑みを崩さないが、唇がこう告げていた。
(ふむ。
一人多いな)
こいつ今俺を斬れるか確認しやがった。
一人多いという事は三人までならどうにかできるらしい。
背筋が震えるがこちらも笑みを作る。
こういうのははったり勝負でもあるが、今まで積み上げてきた虚像が少なくとも佐々木小次郎を押し留めた。
「主計頭様ならご存知でしょうに。
あそこは狭かろうが瀬戸内ですよ」
つまり、挑発的接触をしてきたのは小早川隆景という訳だ。
ある意味納得はしたが、同時に不機嫌にもなる。
政治的に逃げるに逃げられないクローズド・サークルに閉ざされた状況で、祟りという殺人の見立てが始まっている。
この接触は、戦国最高の謀将毛利元就の完全犯罪計画に間違いなく水をさすものだからだ。
毛利家中で何が起こっているんだ?
「ご苦労だった。
佐々木殿によろしく伝えて欲しい」
「確かに承りました。
しかし大名というのは生きにくいものですな。
わかりやすく、斬った斬られたで物事を見れば、もう少し楽に生きれるでしょうに」
言い放つ佐々木小次郎の笑みが憎たらしくも羨ましく、それを見抜かれているからこそ怒るのも馬鹿馬鹿しくなってしまう。
だからこそ、ついこんな事を聞いてしまう。
「ついでだ。
その殺気を止めてくれ」
「飢えた獣の前に餌があるのに、襲うのを我慢しろと?
しかも心躍るような使い手がこんなにもいるというのに。
ひどいお方だ」
あ。
小早川隆景も、こいつを飼いならせていないな。
佐々木小次郎の背中を見送りながら、俺は己の手を見ると手が汗まみれになっていた。
先帝祭
http://www.shimonoseki.tv/akama/senteisairekishi.html
5/12 タイトルを猫城開城から猫城包囲に変更