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猫城包囲 その1

 俺が猫城奪還の為、簑島城から出兵したのは、彦山川合戦から一月ほど経ってからだった。

 大友軍全体の予定だとお屋形様こと大友宗麟の府内出陣がもうすぐで、二週間ほどの行軍で筑前国を目指す。

 本隊の兵数は数千程度で、今回の出陣の主力となる筑後国人衆および竜造寺家の軍勢と合流するのは、筑前国休松城。

 史実で戸次鑑連率いる大友軍が秋月種実に敗北した休松合戦の地である。

 今その地を治めているのが古処山城城督である戸次鑑連というのは色々と考えさせるものがあるのだが、ひとまず置いておこう。

 なお、戸次鑑連もこの出陣に合流するらしい。

 この地で一万数千から二万の兵になった後、大友軍は太宰府を目指す。

 目的地は太宰府の奥にある宝満城で、現在は高橋鑑種が家中クーデターで監禁されているので、ここまでの行程だと合戦はおきないはずである。

 とはいえ、色々と手違いが重なって合戦に及ぶのが戦国時代なのだが。

 大友軍主力が太宰府に入った所で、糸島の柑子岳城を領有している吉弘鑑理も呼応して博多の確保と反大友勢力の掃討に入る。

 最終目的地は博多であり、今は誰が入っているか分からない立花山城である。


「無理にとは申しませぬが、お受け頂けるとお屋形様に色々と話しやすくなります」


 一方で俺たちには猫城奪還に加え、宗像家を調略するよう申し出があった。

 臼杵鑑速の実質的命令に従わざるをえなかったので、お色と許斐氏則を使って宗像家の切り崩しを始める。

 宗像氏貞の討ち死にで家中が混乱している宗像家は現状動ける状況では無く、猫城に的を絞れると思っていたのだが、気になる情報がこちらに入ってきていた。


「宗像家をまとめている奴が居る?」


 俺の問いにお色が頷き、許斐氏則が文を差し出す。


「先の大宮司宗像宗繁殿で齢は百を越えているのですが、未だお元気で一門を取りまとめようと動いておりまする。

 この御方、宗像興氏様の遺児でして……」


「うわぁ……」


 俺が天を仰ぐ。

 名前に含まれる偏諱から、いやでもその背景を想像せざるをえなかった。

 この西国で『興』の字を与える人間なんて、大内義興しか居ない。

 つまり、バリバリの大内家=反大友家という訳だ。

  

「ご存知かと思いますが、宗像のお家騒動と祟りから生き残った御方です。

 一筋縄では行かぬかと」


 お家騒動と祟りの生き残りの一人であるお色の淡々とした声だからこそ、凄みが浮き彫りになる。

 お家騒動と祟りが渦巻く宗像の地で逃げることも死ぬこともなく、その宗像の名前を持って百まで生きた生き字引みたいな人間が取りまとめに動いている。

 彼らも端的にお家滅亡の危機と悟ったのだろう。

 俺は差し出された文を読み、その文を持ったまま額に手を当てて嘆く。


「宗像氏貞殿に娘が居るらしい。

 その娘を娶り、宗像家を継いで欲しいそうだ」


 とりあえず、娘が居るから送っておこうというその発想が気に入らないが、お色はそんな俺を見て苦笑する。


「何を今更。

 数百人の遊女を率いて戦に出ているお方なのですから、姫の一人や二人や三人ぐらいどうとでもなるのではありませぬか」


「ついでに言うと、孕まぬ上に死んだことになっているお色を捨てて、その新しい娘をとりなしてくれとも書かれているのだが」


「当然でしょう。

 お家存続のために、石女は要らぬでしょうに」


 淡々と返事をするお色の言葉が彼女が宗像にてどのように扱われていたかを端的に示している。

 彼女にとっては、この地に何も良い思い出はないのだろう。


「こっちは猫城の奪還が目的で、宗像家の処遇についてはニの次だ。

 面倒事は大内殿に丸投げしてしまうか」


 大内殿こと大内輝弘は門司城に入城して対毛利家の最前線についているが、その為にもある程度の領地を与えられる事になった。

 具体的に言うと企救郡のほぼ全域で、その石高は海運収入を合わせて三万石近くになる。

 その配下に杉隆重や飯田鎮敦、麻生鎮里や瓜生貞延がつけられ、門司城では最前線に近すぎるので小倉に本拠地として城を建設している最中である。

 なお、飯田鎮敦の弟である飯田義忠は俺が抱える大内義胤の家臣となっている。

 どちらかが滅んでも生き残れるようにするあたり、飯田家も戦国の家らしいと感心したものだ。

 一方で第三次姫島沖海戦や彦山川合戦で武功を得た多胡辰敬は、豊前国松山城を含む企救郡のほぼ全域が大内輝弘に与えられた代わりに、簑島城を与えられるという大抜擢を受けることになった。

 毛利家相手に奮戦する尼子家重臣という分かりやすい物語像に反毛利感情のある尼子家旧臣が集まり、亀井茲矩なんて若武者も育ってきているから豊前の守りは大丈夫だろう。

 多胡家の縁者と知らず紹介を受けてびっくりしたのは内緒だ。


「大内殿は企救郡をお治めになられる上に、宗像にまで手を出されると大友家に警戒されるのでは?」


 許斐氏則の危惧を俺は一笑に付す。

 それ以上に警戒される家があるからだ。


「これでもまだ大丈夫だろうよ。

 大内殿が周防・長門を望むなら船は必須で出せるのは宗像しか無い。

 理は通るし、それをなしてもまだ伊予半国守護殿には追いつけぬよ」


 つまり俺の事だ。

 俺が奪った門司城の代替地は今だ決まっていない。

 あまりにもSSSレア過ぎるので、交換用の秤に何を乗せるかで迷っていると加判衆の臼杵鑑速から直に聞いていた。

 簑島城への多胡辰敬の転封や小夜の実家である馬屋原家の再興等、俺の功績から回しているのだが今のままでは城どころか国を渡さねば収まりがつかないらしい。

 そうなると究極の提案が頭をもたげてくる。

 高橋鑑種の助命だ。

 彼を恨む者も多いしそれに対するリスクも高いのは承知なのだが、国一つ渡すと言われるだけの功績を帳消しにするとなるとこれぐらいしか出てこないのも確かなのだ。


「つまり、秤の錘の問題でございます。

 此度の戦、八郎様に何を渡すかが、褒美の基準になるのでございます」


 合戦で大将首をあげるのが分かりやすい功績とは言え、それ以外に功績をあげる手段がない訳ではない。

 それを言った臼杵鑑速こと臼杵家がそれを実際にやっているのだった。

 名前から分かる通り、臼杵家の本拠は豊後国臼杵にあった。

 だが、その良港と守りやすい地形を大友宗家が望んだ事でかの地を献上し、臼杵家に与えられた代替地が博多を眺める糸島半島だったという訳で。

 俺の門司城献上はそれと同じ扱いになるのである。

 首を取るとは大友宗麟から直に聞いたが、それは命を取る事と同義ではない。

 僧にして追放するだけでも、武士としては一応首が取られるのと同じになる。

 実際、史実の高橋鑑種は立花合戦の後降伏して小倉に追放という扱い……っ!!


「八郎様?」

「殿。どうなさいましたか?

 体が震えて汗が凄く出ておいでですか?」

「なんでもない。

 少し寒気がしただけだ」


 見落としていた。

 というか、今まで合戦やその後始末で綺麗に忘れていた。

 根本的な疑問とその背後をまったく見ていなかった。



 あ の 高 橋 鑑 種 が 押 し 込 め ら れ る ?



 そんな訳無いだろうが!

 長く側に居たのだ。

 あの男のことは幼かった頃の俺でも分かっていた。

 この数年間北九州をかき回してきた元凶が家中の押し込めで監禁されている?

 そんな馬鹿な!

 表向きは、高橋鑑種の押し込めは竜造寺隆信の策ということらしく、鍋島信生の寝返りと共にこの合戦の後で俺に匹敵するぐらいの褒美が確定されている。

 毛利元就の罠?

 それは無い。

 それだったら、彦山川合戦の勝者は毛利元就となって、俺の首は地に落ちている。

 竜造寺隆信の罠?

 それも可能性は低い。

 俺の所に娘を送る等色々と褒美をもらえるだろうが、あの合戦で毛利が勝っていたら博多すら手に入れられた可能性があった。

 鍋島信生が大将として出て来ている以上、他の誰かが本拠地に居る竜造寺隆信にそのハイリスク・ハイリターンを理で押し止めたという事だ。

 竜造寺隆信が納得するだけの理を提示できる第三者なんて、仕掛け人の高橋鑑種以外に居ないに決まっている。


「少し一人にしてくれ。

 考えたい事がある」


 お色と許斐氏則と別れて、俺はしばらく一人で考え込む。

 結局答えは出ず、まだこの合戦はあと一幕残っているという漠然とした不安を覚えた。




 猫城奪還に際しての出兵ルートは二つあって、一つは小倉回り、もう一つは香春岳城回りである。

 香春岳城回りはまだ治安が回復していない事もあって、小倉回りでの出陣となるが、既に猫城の兵の大半は周防長門に撤退していた。


「で、残っている旗はどれだ?」


 帆柱山城での軍議で俺は発言し、それに大鶴宗秋が答える。


「旗印から清水宗治と麻生隆実みたいですな。

 兵数はおそらく数百という所でしょう」


 彦山川合戦の後にも物見を派遣していた香月孝清が俺に報告する。

 この軍議には案の定、多胡辰敬や朽網鑑康等が勝手働きで参陣しており、兵数は彼らが率いる兵を足しておよそ九千という所にまで膨らんでいる。

 その兵力はまだ増える予定だった。


「宗像家の河津隆家の手勢が我らにお味方すると申していますがどうなさいますか?」


 このあたりの大友家取次である朽網鑑康が俺に報告する。

 揺れる宗像家だが、国人衆らしく即座に勝ち馬に乗ろうとするその姿勢だけは凄いと感心せざるを得ない。

 ここで恩を売って少しでもお家滅亡の目を回避しようという涙ぐましい努力が涙を誘う。


「受け入れてやれ。

 ここで宗像を滅ぼしても誰も得をせんよ。

 臼杵殿。

 加判衆として後はおまかせします」


「わかり申した」


 加判衆の臼杵鑑速が来ているので、彼にぶん投げることにした。

 既に話は通してあり、大内輝弘の与力として対毛利戦でこき使う事が内定しているので、この報告は実は政治ショーでしか無い。

 だが、そこに勝手働きで来ていた森鎮実が言いにくそうな口調でそれを口にした。


「実は……岩石城城主佐々木種次より参陣を願い出ており、その可否を決めて頂きたく……」


 彦山川合戦で香春岳城が焼けた結果、復旧作業はあまり進んでいなかった。

 城代だった志賀鑑隆が召還され、大友宗麟の出陣の後の豊後を守る為である。

 そのため、香春岳城の城主も未定で、近隣国人衆の取次はこの帆柱山城まで出向く羽目になっていたのである。

 勝手働きとはいえ即参陣という訳ではなく、周辺国人衆の森鎮実に取次を頼んで出陣の可否を問うあたり、ある程度理性が期待できると思った俺の考えは、森鎮実が続けた言葉に即座に否定された。


「兵数は彦山僧兵を中心とした二千で、『彦山座主の承認』および『彦山荘園の安堵』、それに『秋月種冬の助命』を求めておりまする」


「……」


 そこにいやがったか。秋月種冬。

宗像宗繁  むなかた むねしげ

宗像興氏  むなかた おきうじ

飯田義忠  いいだ よしただ

亀井茲矩  かめい これのり

佐々木種次 ささき たねつぐ



5/12 タイトルを猫城開城から猫城包囲に変更


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