彦山川合戦 あとしまつ
「各隊集まれ!
組を組んで生存者を確認するぞ!!
互いに身元が分かる者は居るか?
手柄首の報告はその後だ!」
「陣を張るぞ!
金田の陣城を中心に陣幕を張れ!!」
「鷹取山城に伝令を走らせろ!
我らの勝利を伝え、残っている兵糧をこっちに運ばせるのだ!
落ち武者狩りを警戒し、護衛をつけるのを忘れるな!」
「近隣の村に人を走らせよ!
戦は終わった故、穴掘り人を募集するとな!!
落ち武者狩りの首の報告は明日以降に回せ!」
「香春岳城での受け入れは無理だ!
障子ヶ岳城に回せ!!」
戦は終わっても後始末という仕事は残っているわけで、その後始末に俺は奔走していた。
ここに残っている面子で処理能力が高くて、なおかつ暇なのが俺だったというのもあるのだが。
総大将の戸次鑑連はこの後の方針を決めるために、未だ吉弘鎮理とともに戦姿勢を崩していない。
というか、どう見ても竜造寺対策です。まだ戦をする気なのか。あいつら。
その竜造寺勢は万一の誤解を恐れて、使者を送った上で毛利軍が陣城にしていた鎮西原城に陣を敷く事に。
竜造寺の寝返り(というか表向きはずっと大友側なんだがこいつ)と、高橋家の家中クーデターによって高橋鑑種が押し込められるという激変、そしてこの彦山川合戦の大友軍勝利によって、毛利の九州における基盤は完全に崩壊することになった。
勝ち戦というのは勝手に味方が増えてゆく。
勝ち馬に乗りたい奴と、負け側が寝返るからだ。
この合戦は最終的な総兵力を見ると、毛利軍二万に大友軍二万が戦う総力戦であり、決戦になってしまった戦いである。
既に毛利側は動揺が始まっているだろうし、九州の国人衆はどうやって勝った大友に媚びを売るか悩み、毛利についた連中は何と言い訳するか考えているだろう。
今頃、戸次鑑連は臼杵鑑速や木付鎮秀等の加判衆とともに今後の事を話し合っているはずだ。
「申し上げます!
近隣の村人より敵将宗像氏貞の首を持ってきたとの事。
お色様および、許斐氏則殿が首実検を済ましているそうです」
「……そうか。
丁重に弔った上で、宗像家の者に返してやれ」
大鶴宗秋の報告に俺は手を合わせて目を閉じる。
落ち武者狩りの怖さはこんな所にある。
こちらが助けようとしても、欲に目がくらんだ村人連中に襲われて、命を落とす可能性があるのだ。
「そうだ。
千手惟隆の首は、長野種信の名前で報告しておけ」
思い出したように俺は、俺を殺そうとした伝令の首の処理を命じる。
千手惟隆の名前で出すと、取り次いだ小夜に害が及びかねないからだ。
彼女の願いである馬屋原家の復興は俺の要請でおそらく叶うだろうし、よけいな傷はつける必要はない。
改めて戦場を見渡す。
双方合わせて四万の将兵がぶつかりあったこの戦い、この時期の戦における一般的な死亡率で見たら四千はここに躯を晒している計算になる。
彼らは村人によって弔われた上で埋められて肥料となり、しばらくの間筑豊の豊穣に関与することが最後の働きとなる。
「旦那。
上からお呼びがかかっていますぜ」
石川五右衛門が俺に声をかける。
基本、果心か井筒女之助が取り次ぐので俺の所に直接声をかける事はないのだが、間者働きを全体的に取り仕切っていた二人がさすがに疲れ果てたので彼が直接出向いてきたらしい。
間者働きで負けている上に英彦山や宇佐八幡宮が潜在的敵に回った今回の戦いは、間者達に尋常でない負担をかける形になっていた。
「上って誰だ?」
「失礼。
戸次鑑連様でさぁ。
至急本陣に来て欲しいそうで」
ある程度の方針が固まったらしい。
それで俺を呼びに来たと。
「わかった。
すぐ行くと伝えてくれ」
「護衛をつけて行かれてくだされ。
毛利の間者が残っている可能性もある故に」
千手惟隆こと長野種信による俺への襲撃未遂事件はこんな所にまで影響を及ぼしている。
何しろ、合戦が終わったばかりで、生き残っている将兵の身元がまだ確認できていないのだ。
敵の侍が味方の旗をつけて近づくという事が稀にあるから困る。
大鶴宗秋の一言に俺は笑って供の者を命じる。
「薄田七左衛門を連れてゆく。
来てくれ」
「はっ。
馬廻、数人来い!
殿が本陣に行くぞ!!」
馬上の俺と薄田七左衛門に馬廻数騎に対して、石川五右衛門は徒士である。
馬を用意したが、徒士の方が動きやすいらしい。
そんな話をしているついでに、こちらの間者の損害の話になる。
「畿内から連れてきた連中の殆どが帰ってこなくなりました。
この稼業の常とは言え、寂しいものですなぁ」
「果心から報告は受けているが、間者働きはしばらくは無理か?」
「その果心様が出張らないと回らないでしょうよ。
鷹取山から弓を撃っていた連中でも数人帰ってない者がおります」
「……毛利の間者か?」
「に見せた落ち武者狩りでしょう。
このあたりで合戦をして村や田畑を荒らされた村の民は、今を逃せば稼ぎがなくなりますからな。
焼けた村もあるそうで、どれだけ夜盗に落ちるやら」
敵味方だけでなく善悪すらわからなくなる戦の現実に頭がくらくらする。
とはいえ、戦で荒らして収入を奪ったのは俺たち侍の方である。
誰が悪いというよりも、悪いのは間違いなく俺たち侍のほうだ。
「俺の名義で施しはしておこう。
それと補充と育成は任せる」
「それは果心様の手下ではなく、俺の手下という事で?」
こういう所できっちり確認を取るのが一味を率いた大泥棒という面目躍如だろう。
果心がある意味正規の忍者の管理をさせるのは別に、石川五右衛門には夜盗崩れの非正規連中をまとめさせようと考えていたのである。
スキルより数が大事で、その狙いはこの荒れた地に残るだろう夜盗を雇用によって駆除する事だ。
「ああ。
ここで出る夜盗崩れを雇って、お前の手下にしろ。
報告はいつもの通り果心にあげるように」
「かしこまりました。お頭」
茶目っ気たっぷりに石川五右衛門が言い、たまらず薄田七左衛門が吹き出す。
こういう男ばかりの会話も悪くないと思ってしまった俺が居る。
「懐かしいな。
昔はこうして遊郭に通ったもんだ」
「何を言う。
それに供としてついて行って俺の銭で豪遊したのはどこの誰だ?」
「ははは。
お二人ともそれぐらいに。
その時にはあっしも供に入れて頂けたらと」
石川五右衛門の追随にたまらず二人して笑い出す。
その大笑いについてゆけない石川五右衛門と馬廻に、薄田七左衛門が説明をする。
「その時殿が入れ込んでいた西国一の太夫様が北の方である有明様だよ。
この道はな、その奥方を嫁にと殿がお屋形様に会いに歩いた道でもあるんだよ」
そんな過去が通じなくなろうとしていたぐらい俺たちは歩いてきた。
あの時からはや十年以上の時が流れているというのに、こうやって薄田七左衛門と歩ける今が嬉しいと素直に思った。
「おまちしておりましたぞ。八郎様」
来たのは俺がいちばん最後だったらしい。
前には総大将の戸次鑑連が座り、その左右に木付鎮秀と臼杵鑑速が座っている。
俺が通されたのは彼らと相対する一番前であり、副将格で大内輝弘や鍋島信生が隣に座っている。
副将格ではあるが、陪臣なので吉弘鎮理と小野鎮幸が俺の後ろで、他将とともに座っている。
「まずは戦に勝ったことを喜ばしく思う。
この勝利はきっとお屋形様も喜んでおられよう」
挨拶として戸次鑑連が口を開く。
最前線で戦い続けて一番消耗しているはずなのだが、どうみてもまだ戦える気力と目力で続きを口にした。
「そして、府内より文が届いたのだが、博多を抑えていた謀反人高橋鑑種が家中の謀反により捕らえられ、押し込められたという。
高橋家は既に降伏の使者を府内に送っており、府内ではお屋形様自らが博多を受け取るために出陣の用意をなされておられる」
ざわざわざわざわ……
諸将のざわめきが消えない。
その意味を理解しているからだ。
そしてこの戦の意味も。
「ひとまずこの話をおいて此度の戦の勲功第一を評したいと思う」
諸将のざわめきがぴたりと止まる。
実はこれがこの戦一番の爆弾だったりするのだ。
戦は恩賞が絡むだけに功績と、奪った領地が密接に絡む。
この大規模合戦は香春岳城の防衛戦だったがゆえに、諸将に渡せる領地がない。
そのため、感状や銭や即物的なものが褒美になるのだが、これだけの大合戦ともなると諸将の持ち出しも大きい。
どうやってそれを回収するかというので、ここに居る面々の忠誠度が上がり下がりするのだから面倒極まりない。
「最大の功績を立てたのは、門司城を落とし、我らを助けに戻ってくれた大友主計頭鎮成である」
戸次鑑連の言葉は大友家最高意思決定機関加判衆による功績の認定である。
俺は頭を下げてそれを受け取る仕草をして言葉を続ける。
「ありがたき幸せ。
ですが、我らはそもそも己の居城である猫城を取り戻すがためにこの地にやってきた次第。
お褒めの言葉はそれまで待っていただきたく。
とはいえ、それがしの下で働いた将兵はきっと喜びましょうぞ」
まどろっこしい謙譲スタイルは、俺の戦そのものがまだ終わっていない事から来ている。
功績を立てても、その目的が猫城の奪還とは違うから、それが済まない限り正式に受け取ることができないのだ。
けど、そういう場での功績の宣言は名を売るのにもってこいなので、俺はそのまま言葉を繋ぐ。
「特に、此度の戦で侍大将として功績をあげた、吉弘鎮理と小野鎮幸の二将は我が下で働かせるにはもったいない戦巧者。
ぜひにお屋形様の耳に、その功績を入れて頂きたくお願い申し上げまする」
俺の言上に即座に吉弘鎮理と小野鎮幸の二将が頭を下げる。
こういう所で名を売って、直臣化というのは武将の出世コースだからだ。
なお、断る連中も居るが、こうして名を出す事で大友家中に俺の家にはこんな凄い将が居るというアピールにもなる。
話をそらすが、直臣化だとその将への褒美はその将の領地を大名が用意するので、その分自分の知行が増えるというメリットもある。
デメリットは言わずもがな、戦力低下である。
「次に功ある者は彦山僧兵を引き連れて合戦に参加してくれた竜造寺家が大将である鍋島信生である」
その瞬間、諸将からちらりと敵意というか嫉妬というかそんなものが鍋島信生にあつまる。
本来ならその視線や空気をいつも俺が集めていたのだが、こうして俺以上にやらかしてくれている竜造寺家がいるおかげでいい弾除けになったという訳だ。
名を呼ばれた鍋島信生はそんな空気を気にする事無く俺と同じように頭を下げて言葉を吐き出す。
「ありがたき幸せ。
我が竜造寺家は、かつて大友家に弓を引き、その汚名を返上したくこうして頑張った次第。
まだこの功績を持って返上したとは言い切れず、これからも我が家の忠義をどうかお屋形様に伝えていただきたく候」
こうして勲功第一第二が決まった所で、今後の方針に話が移ってゆく。
この彦山川合戦そのものは終わったとしても、毛利家との戦争は未だ絶賛継続中なのだから。
「大内殿は明日にでも簑島城の方に戻っていただく。
その上で、予定通り門司城主として入城してもらいたい。
門司城を落とした八郎様には、代わりの城を用意するとお屋形様は約束なさっております」
戸次鑑連の言葉にある意味俺は納得する。
毛利にとどめを刺す為に大内輝弘を門司城に入れる。
これは確定事項であり、そのために城を奪った俺には代替の城が与えられる事になる。
「ありがたき幸せ。
それについてお願いしたき事が。
この戦にて戦い家が滅んだ馬屋原家の復興をお願いしたく」
俺が小夜を囲っている事は加判衆ならば知っているだろう。
門司城というSSSレアを渡す代替の取引ともなるとおまけがつくので、そこに小夜の馬屋原家の復興をねじ込んでしまおうという訳だ。
「お屋形様に伝えておきましょう」
これについては臼杵鑑速が答えた。
そのまま続きを彼が口にする。
「香春岳城の後詰の戦はこれで終わりなので、戸次殿と木付殿は帰ることが命じられています。
その上で次の戦についての大将は、それがしこと臼杵鑑速が受け持つことになります。
門司城に入る大内殿と八郎様は引き続き副将格としてそれがしを支えて頂きたい」
「はっ」
「承知いたしました」
俺と大内輝弘が同時に声を出して拝命する。
要するに、俺の猫城奪還戦と大内輝弘の門司入城の支援を臼杵鑑速がするという事だ。
省いているが、同じ副将格として田原親宏と佐伯惟教も居る。
「竜造寺勢はこの後博多奪還の戦にも出るというので、軍を返して頂きたい。
あと、彦山座主へお屋形様からの書状を預かっているので、渡して頂きたい」
「承知いたしました」
臼杵鑑速の言葉に鍋島信生が拝命する。
この寝返りで英彦山は少なくとも大友家からの中立をなんとか確保できたというわけだろう。
英彦山が表立って潰されないならば、影で何かしていた宇佐八幡宮も潰せず、毛利への裏切りという代償でこれらの宗教勢力は生き残ることができた。
もっとも、今後どうなるか知らんが。
「八郎様。
確認なのですが、猫城攻めはこのまま行うつもりで?」
「一応そのつもりだが、正直兵站が厳しい。
仲哀峠を越えて簑島城まで戻って再編するつもりだ。
だから、大内殿の門司入城も余裕があるなら手伝うぞ」
「大友殿。感謝いたしますぞ」
臼杵鑑速の質問に俺が返事をし、兵が増えることを喜ぶ大内輝弘が俺に礼を言う。
本来ならば休養と再編を香春岳城でするつもりだったのだが、現状俺たちを受け入れる余裕がない以上、簑島城まで下がるしか無かった。
頭の中でタイムスケジュールを確認する。
ここから簑島城まで二日、休養と再編に三日、大内輝弘の門司入城に余裕をもたせて一週間、そこから畑城まで三日。
まぁ、二週間ぐらい毛利軍を放置する事になるが、その間に毛利軍がどれだけ逃げ出せるか正直わからない。
「殿。
とりあえずですが、此度の合戦の結果をある程度まとめたものにございます」
評定が終わると木付鎮秀についていた篠原長秀がやってきて、その死闘の果てに出た損害を俺に渡す。
将の務めとは言え、多くの将兵を失ったといやでも心が重たくなった。
彦山川合戦
大友軍 戸次鑑連 二万
大友鎮成 吉弘鎮理 小野鎮幸 鍋島信生 他
毛利軍 毛利元就 一万五千
小早川隆景 吉川元春 他
損害 (戦死・負傷・捕虜・行方不明を含む)
大友軍 八千
毛利軍 一万
討死
大友軍
淡輪重利 吉田興種 賀来惟重 高田鎮孝 十時惟忠 麻生鎮益
毛利軍
津島通顕 財満忠久 菊池則直 佐藤元正 宗像氏貞 長野種信