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彦山川合戦 追撃

「放て!放て!!

 決して敵を近寄らせるな!

 敵は死兵ぞ!!」


「渡れ!渡れ!!

 三途の川を渡るのに比べたら、この程度の川など安き事!

 死して忠義と名を残せ!!!」


 彦山川という川は決して深い川ではない。

 渡ろうとするならば渡れる場所は見つかるものだが、それを必死に押し止めようとする。

 合戦はこちらが勝ちつつあり、俺たちが追撃側、敵が殿のはすである。

 それが見事に押されていた。

 俺自身やる気はそんなに無く損害というより死なないようにを最重要に上げているのもあるが、再編されて雑兵化してしまった兵達が信頼できなかったのも大きい。

 そんな光景を横目に、小早川勢が中元寺川を渡河して撤退してゆく。

 吉川勢が渡河しようとし、それを追撃しようとする吉弘勢を佐藤元正隊が殿として残り必死に防いでいる。

 鍋島勢はそこを横槍を入れようとして、毛利騎馬隊がそれを邪魔している。


「申し上げます!

 敵将津島通顕討ち死に!」


「財満忠久も吉弘勢が討ち取ったとの事!」


「申し上げます!

 戸次勢十時惟忠殿討ち死に!」


 情勢が傾いてきたからこそ、敵味方の損害が分かってくる。

 あれだけ奮戦した戸次勢も無傷とは言えず、十時惟忠が討ち取られていた。

 一方で吉弘勢は小早川勢の津島通顕と財満忠久を討ち取ったのだから悪い話ではない。


「法螺貝を鳴らせ!

 陣太鼓を叩け!!

 こちらの勝ちを戦場に伝えるのだ!!」


 この時代、目よりも大きく遠くに物事を伝えられるのは音である。

 法螺貝も陣太鼓も敗走中に鳴らせるものではない。

 これが鳴り続けている限り、大友軍の勝勢は戦場に分かるというものだ。


「突っ込んでくるのは目の前の連中だけか」


 槍衾を前列に構えさせて後列は投石で敵勢を近づけさせないようして大鶴宗秋が安堵の息を吐く。

 死兵の背後には無傷の飯田隆朝隊と仁保隆慰隊の兵千が陣を構えていた。

 あれが突っ込んできたらと思うと寒気がするが、小早川勢の撤退の支援のためかまったく動こうとしない。


「小早川隆景はあそこに残るかもな。

 あの兵がいれば追撃はあそこでおしまいだ。

 竜造寺勢がそこまでつきあう義理は無いだろうからな」


「殿を狙ってくる可能性は?」


 そこでしばらく考えるが、その続きを考えることができなかった。

 死兵となった連中がついに渡河に成功したからである。


「突っ込め!

 突っ込め!!

 敵大将の首はあそこにあるぞ!!

 討ち取って名をあげよ!!」


「でうずさまは見ておられるぞ!

 天国の道はそこにある!!」


 およそ百ばかりの死兵の声で切支丹と分かる。

 だから狂信者は嫌いなんだ。

 やつら、死ぬことを恐れない。


「囲め!囲めい!!

 敵兵はわずか!

 囲んで討ち取ってしまえ!!!」


「怯むな!

 数はこっちが上だ!!

 川を渡って体力も無い連中に負けるな!」


 野崎綱吉と古庄鎮光が雑兵を率いて左右から囲んで挟む。

 それでも敵の勢いは止まらない。


「八郎!

 出てこい!

 兄はここに居るぞ!!

 菊池則直はここに居るぞ!

 菊池の名を捨てた弟は何処だ!!!」


 その声が兄と分かった時、少しだけ体が震えた。

 そして、初めて聞いた声が怨嗟だった事に少し悲しくなった。


「何故だ!?

 何故お前は菊池を復興させてくれなかった!?

 菊池の怨恨を、肥後の恨みを忘れたのか!

 八郎ぉ!!!」


「出てはなりませぬぞ。殿」


 大鶴宗秋が即座に俺の馬の轡を押さえる。

 馬廻二百人を円陣でならべてその中央に俺たちは居るので、まだ菊池則直の姿は見えない。


「父の恨みを忘れたか!?

 兄の恨みを忘れたか!?

 菊池の恨みを忘れたか!?

 お前が菊池の名を継いだならば、俺はこんな所に居なかったのだ!!!」


 俺は何も言わない。

 いや。

 何も言える資格が無い。

 歴史を変えた因果は応報としてちゃんと己の身に跳ね返ってくる。

 それでも俺は声を出さず、姿も見せずに兄の恨みの声を聞き続けた。


「菊池則直!

 野崎綱吉の手の者が討ち取ったり!!!」


 その声が聞こえてきたのは、それからしばらくしてからだった。




 死兵三百人を片付ける為にこちらが受けた損害は同数の三百人近くになっていた。

 死兵に雑兵を当てるとこうなるというある意味分かりやすい結果が出て、こちらの足は完全に止る。


「申し上げます!

 田原お蝶様の一行が到着いたしました!!」


 伝令の視線の先に分離した御陣女郎達が見える。

 落ち武者狩りあたりにやられなかったのでほっとする。

 こちらが勝っているのも大きいのだろうが。


「八郎様!

 ご無事で!!」


「なんとか生きているよ。

 追撃は無理だけどな」


 お蝶の声に俺は笑みを返す。

 敵の撤退は続いているが、こちらは対岸から矢鉄砲や投石で邪魔をするに留めている。

 ここからは詰めまでの寄せの段階だが、しくじって敗北なんてオチだけにはしたくない。

 その中で優先順位をつけてゆく。


「総大将の戸次殿に伝令を走らせろ。

 『これ以上の追撃は無理』とな」


 伝令を走らせた後、対岸を眺める。

 対岸の毛利軍の撤退も進んでいた。

 小早川勢の撤退の後、吉川勢も撤退に入った。


「申し上げます!

 敵将佐藤元正、吉弘勢が討ち取ってございます!!」


 さて、こうなると残りは毛利騎馬隊のみだが、死兵相手に損害を出すのは馬鹿らしい。

 竜造寺勢に任せて、その先を考える必要があった。

 

「敵二万の内、討ち取れたのは二千という所かな」


 馬上で顎に手を当てて考える。

 この時代の合戦の死亡率はそんなに高くない。

 とはいえ、そこから行方不明や逃亡や負傷や捕虜などが出るから、全体の消耗は一万近いものが出るだろうと踏んでいた。

 

「近隣の村々に合戦後触れを出せ。

 『毛利の落ち武者狩りに褒美を出す』とな」


 敗走している毛利軍はこの後遠賀川を渡河するという大仕事が待っている。

 そして、毛利軍の一番近い拠点である猫城まで合戦で荒れた村々がある訳で、彼らが敗残者となった毛利軍を見逃すわけがない。

 これ以上の消耗は避ける必要があった。


「する必要がなかった戦だが、これで博多までの道が見えたか」

「何か言った?」

「何も」


 つぶやきを有明が聞き返してきたので、俺は適当にごまかす。

 合戦という眼の前の光景ではなく、その先にある九州という俯瞰の景色を浮かべて俺は次の指示を出す。


「敵側に宗像氏貞殿が居るはずだ。

 首をとった報告は来ていないな?」


 大鶴宗秋に確認を取って彼が無言で頷いたのを見て、指示を出す。

 戦後、復興において水軍衆を持ち、宗像大社という宗教的権威を持つ宗像家の処遇は早めに手を打つ必要があったからだ。

 そして、博多の奪還が視野に入った現在、最短ルートで博多へ向かうのは宗像領を突っ切る事である。

 お色が居るので、宗像家の家中を穏便にまとめ上げるためにも宗像氏貞を捕らえて手中に握っておいて損はない。


「首を取らないので?」

「取ってどうする?

 宇和島に城を構えて南予が家と決めた所に筑前領の処遇は必ず問題になる。

 腹は切らせるかもしれんが、今ここで首を取る必要はない」


 残っている宗像家家臣達の統制の為にも彼の身柄は必要なのだ。

 まだお色が俺の子を孕んでいない今は特に。


「それに、毛利軍が九州から撤退するのならば、宗像水軍の帰趨は焦点になる。

 その意味でも身柄を抑えておきたいのだ」


 大鶴宗秋が返事を返す前に、馬廻の兵が報告する。

 少し気を抜き過ぎかもしれないと思い、俺は顔を引き締めた。


「申し上げます。

 香春岳城より伝令が参っております」


「わかった。会おう」


 俺の声で隊列が左右に分かれてその伝令が前に出ようとして倒れる。

 伝令の腿に刺さったのはクナイ。

 投げたのは果心だった。


「一度現れた顔を見忘れると思われるとは心外です」


 呆然とする俺達を尻目に果心は伝令の懐を探り、竹筒を手にする。

 そのまま伝令の脇差を抜いて彼の肌を浅く切る。

 効果はてきめんだった。

 悶え苦しんで口から泡を吹いて動かなくなった彼を冷たい目で見ながら、果心はこいつの素性を言う。


「八郎様もお会いしたはずです。

 千手惟隆です」


 ああ。そうだった。

 俺の顔は真っ青だろう。

 勝ったと思ったし、己の命を大事にと手を進めて警戒はしていたが、こういう手でこの瞬間に俺の命を狙ってくるとは思わなかった。

 何処から何処までが毛利元就の仕掛けだ?

 嫌でも疑心暗鬼の沼にはまらざるを得ない。


「八郎様!何をやっておられるか!!」


 こっちの状況なんて気にすること無く、数百の手勢を率いて由布惟信が駆けてくる。

 大声でこっちに叫んでいたが、目の前で死んだ大友の旗を背負った伝令を見て不信感に顔を曇らせるが、果心が俺に代わって説明をする。


「毛利元就の間者でございます。

 この毒の脇差を使って、八郎様の命を狙っておいででした」


 苦悶の表情で顔色が変色している伝令を見て、彼も疑念を解く。

 同時に即座に手の者に伝令を走らせた。


「我らの伝令に毛利の間者が混じっていると総大将に伝えよ!!」


 伝令や早馬は指揮系統の伝達に必要な神経線だ。

 そこが信用できないとなると、もはや組織的な追撃は不可能になる。

 俺の暗殺にしくじっても、大友軍の組織的追撃を不能に追い込む毛利元就の謀略の真髄を否応なく思い知らされる。


「竜造寺からの文だ。

 高橋鑑種が押し込められて、高橋家は降伏を申し出ている。

 それに伴い、お屋形様が出るらしい。

 戦はどっちにせよ終わりだよ」


 由布惟信も馬鹿ではない。

 ここで毛利軍追撃で功績を上げても、良くて銭、悪ければ感状だろう。

 だが、大友宗麟が出陣する博多の方で功績を上げれば、高橋領を始めとした九州で毛利側についた連中の領地が褒美として渡されるのだ。

 それを考えたら、これ以上の追撃で損害は出したくはない。


「で、毛利の騎馬隊はどうなった?」

「殆どは竜造寺勢が討ち取ったとの事ですが、大将首については聞いておりませぬ。

 吉弘勢も二度の渡河で疲れており、最後の追撃ができず……」

 

 由布惟信も川向うの毛利軍を睨む。

 おそらく最後の毛利軍が渡河した所だった。

 多分あの中に毛利元就が居るのだろう。

 

「こっちも敵の死兵に邪魔されたよ。

 兄上。菊池則直の首を取った。

 それで勘弁してくれ」


 日は既に傾き、気づいてみたら茜空になろうとしている。

 これ以上の戦いは気力体力ともに不可能だった。

 遠くから勝どきが聞こえる。

 

「今日はここまでだ。

 明日からも忙しくなるぞ」


「明日?

 何をなさるおつもりか?」


 俺のさばさばした声に由布惟信が問い返す。

 これだけの大合戦の勝利の後、更に戦をすると宣言した俺を意外そうな目で見るのが面白くて俺は種をバラす。


「まずは、来てもらった大内殿を門司城に入れねばならん。

 その後、兵をまとめ直して猫城を落とす。

 今の状況で抗戦はできんだろう」


 そして俺は視線を撤退中の毛利軍ではなくその先の西に向ける。

 少なくとも、その因縁は解消しておきたかったのだ。



「そして、最後は博多だ」

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