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修羅の国九州のブラック戦国大名一門にチート転生したけど、周りが詰み過ぎてて史実どおりに討ち死にすらできないかもしれない  作者: 二日市とふろう (旧名:北部九州在住)
豊芸死闘またの名を因果応報編

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汽水域

 彦山川合戦の数日前。

 府内館の大友宗麟は客人を前に顎を撫でていた。

 目の前に居るのは、角隈石宗と鍋島信生。

 鍋島信生は修験者に身をやつしての強行軍でこの府内にやってきたのである。


「つまり、博多を戦火に焼かぬ事と高橋鑑種の首で降伏を認めてくれと?」


 大友宗麟の抑揚のない声に鍋島信生は言い切る。

 彼を見る大友宗麟の視線は冷たい。


「はっ。

 それが高橋家の総意にてございます。

 既に、高橋鑑種は宝満城の一室にて押し込められ、重臣北原鎮久が高橋家を差配しております」


 現在進行形の動乱の引き金となった高橋鑑種の謀反。

 その後始末についての秘密裏の話し合いだった。

 その顛末は家中クーデターによる高橋鑑種の切り捨て。

 吉川元春と小早川隆景が香春岳城と猫城の方に行ったからこそできた隙を突いた必殺の仕掛け。

 それを主導したのが竜造寺家家臣である鍋島信生である。


「高橋家か。

 大蔵一族の総意でもあるのだろう?」


 大友宗麟の淡々とした声に鍋島信生は黙り込む。

 大友宗麟は謀反の当事者である高橋鑑種を許せる状況では無かったが、高橋家の存続については話が違っていた。

 はるか未来における家と違って、この時代の家は格段に重い。

 高橋鑑種が養子として高橋家に入った事がこの状況を生み出していた。


「大蔵氏三大豪族と称される家の内秋月家は滅び、原田家は戦に負けて高祖城を追われました。

 大蔵一族の名家である高橋家を滅ぼしたくは無いのでございます」


 筑前に根を張る大蔵一族。

 平安時代に伊予で反乱を起こした藤原純友を討伐し太宰府府官をつとめた大蔵春実の子孫が土着化したもので、それ故に博多周辺から筑後川流域の国人衆にかなり食い込んでいる。

 大友家と大神一族の関係と同じく、博多支配を目指した少弐家や大内家は彼らをうまく使い、そして押さえ込んで統治を行っていた。

 そんな彼らが一族としての繋がりを維持するために使ったのが山岳信仰であり、英彦山を始めとした山伏たちである。

 大蔵一族と英彦山は利害共同体から運命共同体に変わるまでの時間はたっぷりとあった。


「それはそちらの言い分であろう。

 しかも、高橋も秋月も原田も我らに刃向かった故の滅び。

 自業自得と言うものだろう?」


「然り。然り。

 ですが、高橋家だけは違いまする。

 あれは、一万田の復讐にてございます」


 大友宗麟の指摘に鍋島信生が危険球で返し、控えていた角隈石宗が息を飲む。

 修験者繋がりで鍋島信生を出迎えた角隈石宗だが、英彦山の説得工作に失敗して手詰まりになっていた所なので口を挟めない。

 鍋島信生の提案。

 つまり、不穏な動きをしている竜造寺家が忠義を示す手土産としての高橋家降伏という鬼手が通れば、その功績は必然的に取り次いだ角隈石宗になるのだから。


「ははは。

 言ったな。

 だが、事実でもある」


 その危険球を大友宗麟は笑っていなした。

 彼とて無能な大名ではない。

 博多の無血開城は今回の戦において絶対条件となっていた。

 何よりも博多商人達は府内の出店よりそれを銭と女つきで大友家重鎮や目の前の大友宗麟に陳情していたのだから。

 そして、彼らの陳情を無視した場合、その陳情は大友鎮成に行く事も。 


「聞こう。

 何故高橋鑑種は自らの首を差し出すのだ?」


 大友宗麟の言葉に鍋島信生は顔を強張らせる。

 仕掛けの前提である、高橋鑑種の押し込みが狂言であるとばれたからである。

 鍋島信生の額に浮かぶ汗を眺めながら、大友宗麟は懐かしそうに呟く。


「あれを少なくともお前よりは知っているつもりだ。

 養子に入った身とはいえ、押し込められるほどあれが愚かであるはすが無かろう。

 自分の首一つで家を存続させるあれからの提案なのは分かっている。

 だから聞かせてくれ」


 そして、大友宗麟は殺気すら出して鍋島信生を問いただす。

 その答えに、この密談の全てがかかっていると鍋島信生は悟った。


「どうして高橋鑑種は、大友鎮成が勝つと思ったのだ?」


 少しの、だけど永遠に近い時の中、意を決して鍋島信生は告げた。

 その答えを高橋鑑種は言った訳では無いが、鍋島信生は男としてその答えしか無いと思っていた。

 高橋鑑種との謀議の席、彼の茶室で見せた松本茶碗を手に『これを八郎様に渡すのが今の夢よ』と楽しそうに笑った高橋鑑種の笑顔は嘘偽りではなかったと信じて。


「ちがいまする」


「ん?」

「?」


 大友宗麟と角隈石宗が首を傾げるのを気にせず、鍋島信生の言葉がその場に重く響く。

 おそらくは、この為に高橋鑑種は鍋島信生に接触してきたのだろうと確信して。


「高橋鑑種が、大友鎮成を勝たせるように仕向けたのでございます」


「……大友家への忠義の為か?」


 飲み込めない大友宗麟が少しの間の後、鍋島信生に問い返す。

 竜造寺家もかつては少弐家の重臣として大内家と死闘を繰り広げ、やがて少弐家から追われた時に大内家の庇護下に入るなんて事で戦国の荒波を乗り切ってきた家だ。

 つまり、鍋島信生には大内家サイドから見た高橋鑑種の行動が分かってしまう。


「いいえ。

 大内義長様への忠義の為」


 その時の大友宗麟の顔を何といえばいいのだろうか、鍋島信生は分からない。

 だが、角隈石宗はその顔を何度か見ていたのだ。

 

 父大友義鑑と幼き弟塩市丸を見捨てると決断した時。

 小原鑑元を見捨てると決断した時。

 一万田鑑相を見捨てると決断した時。

 菊池義武を見捨てると決断した時。

 入田親誠を見捨てると決断した時。


 そして、大内義長を見捨てると決断した時。


「なるほどな。

 だから八郎は勝たねばならぬか。

 長寿丸への、大友義統への刃として」


 仕掛けの全てを大友宗麟は理解した。

 高橋鑑種の呪いじみた復讐の全てを。

 そして、その復讐の駒以上の働きをしてくれた大友鎮成という駒の意味を。


「我ら竜造寺家は大友家への忠義もございますが、何よりも大内家復興を成し遂げた八郎様に賭けたからこそ、こうしてここにやってきたのでございます」


 策士というのは、裏切るためにも信用されねばならない。

 誠実である事が策士の第一歩なのだ。

 その点、毛利元就や鍋島信生はその誠実さをしっかりと持っていた。

 悪巧みは主君である竜造寺隆信がするだろう。

 その彼を誠意という盾で守るのが鍋島信生の仕事である。


「毛利はもはや九州を維持する力がない。

 竜造寺が博多を狙うならば、長寿丸と八郎が争った時の方が美味しいという訳か」


 毛利家本国は毛利元就死去に伴う代替わりには成功したが、それに伴う周辺部の動揺が続いていた。

 東に目を向ければ、宇喜多直家と手を組んだ事で幕府将軍である足利義昭の介入を招き、西では大内家復興に伴う大内家残党の蠢動が著しい。

 おまけに、毛利家の生命線である瀬戸内水軍は、三回に渡る姫島沖海戦で消耗し大友鎮成が引き起こした商業バブルに切り崩されつつある。

 降伏したとはいえ尼子勝久がおとなしくしているとも思えず、いつまでも吉川元春と小早川隆景が率いる主力を九州の火遊びに使っている訳にはいかなくなっていた。

 一方の大友家は毛利家と死闘を行い、急膨張した島津家に警戒しながらもまだ余力を残している。

 長く戦わず大友鎮成が引き起こした内政・商業バブルの波に乗り、銭と米を溜め込んだ結果、現在派遣している軍が負けてもまだ万の兵を編成できるのである。

 もちろん、大友鎮成や戸次鑑連や木付鎮秀が負けた際には豊前国や筑前国が動揺するが、吉弘鎮理や臼杵鑑速、田北鑑重や斎藤鎮実、田原親賢や田原親宏が控えている。

 勝てなくても彼ら重臣が万の兵を張り付けるだけで、毛利軍は消耗し九州より撤退する。

 それを戦術的勝利を上げ続けることでなんとかごまかしてきた毛利元就は既に居ない。

 毛利軍はこの戦いを始める前から既に負けていた。

 鍋島信生は毛利元就生存の可能性もなんとなく見抜いてはいたが、表向き死人ができる事は限られているし、本当に彼の寿命は短い。

 そんな毛利元就の最後のあがきに付き合うより、確実に起こるというか起こせる大友義統と大友鎮成の対立に乗っかった方が、力を取り戻す時間があるだけに竜造寺家的には美味しかったのだ。


「お屋形様がご健在ならば、そのような未来は訪れないでしょう。

 ですが、ただ働きをして兵に何も渡せぬとなれば、お屋形様の器量が問われましょう。

 我が主君より謀が成した際に賜りたいものがありまして」


 策士の条件その二。

 相手に嫌われてはいけない。

 悪意も殺意も飲み込んで、受け流す器が求められる。

 大友宗麟をさらりと持ち上げて、成功報酬を要求する鍋島信生。

 先の降伏で大きく力を削がれた竜造寺家は、毛利元就の勝利によって博多の物流が止まる事を一番恐れていた。

 佐賀平野という豊かな穀倉地帯を抱えるこの家は、大消費地である博多に米を送ることで生計を立てていたのだから。

 そういう意味からも、竜造寺家も博多を戦火に焼かないという目的が大友家と一致していたのである。


「言うだけは言ってみろ。

 そこから先は、武功で決める」


「はっ。

 まずは太郎四郎様に肥前国守護代を賜りたく」


 実はこれは高橋鑑種と同じロジックである。

 『家』の方が『個人』より重たいから、『個人』を切り捨てる事で家の存続を計るというやつだ。

 竜造寺隆信は先の謀反の責任をとって隠居し、竜造寺家の家督は嫡子竜造寺鎮賢に渡していた。

 もちろん実権は今も竜造寺隆信が握り続けている。

 そんな竜造寺鎮賢に成功報酬として肥前守護代の要求。

 箔付け以外の何物でもないが、成り上がり故に回りの国人衆から侮られやすい竜造寺家の現状を端的に示していた。


「次に、八郎様に竜造寺家より側室を送りたく」

「誰だ?」

「竜造寺隆信が娘、お安にてございます」

「っ!?」


 その名前に控えていた角隈石宗が顔をひきつらせる。

 彼女は元々肥前国人衆の一人である小田鎮光の所に嫁いでいたのだから。

 そして、その小田鎮光が竜造寺隆信の謀反の際に大友家側について関係が破綻。

 先ごろ竜造寺隆信の手によって一族郎党粛清という憂き目にあっていたのを知っていたのだ。

 きれいな手のままでは戦国は生きられない。


「この娘、我が竜造寺家の臣の家に嫁いでいたのですが、その家が不忠を成してお家を取り潰し、行き先をなくしていた所。

 八郎様は色もよく好むと我が主君は聞いておられ、是非にと」

 

「そうか」


 ただ一言。

 大友宗麟はそれで流した。

 竜造寺家程度のお家騒動も内部粛清も大大名大友宗麟にとっては些事でしか無い。

 本来ならばそれを耳に入れるべき角隈石宗は、現在鍋島信生によって英彦山懐柔の不手際を挽回できるかどうかの瀬戸際だった。

 角隈石宗は口を閉ざすことしかできなかったのである。


「そして、これこそが一番欲しいのでございますが、有馬家の肥後国天草への介入を許可して頂きたく」


 弱体化した竜造寺家回復の切り札がこの天草介入だった。

 九州の海上交通の要にあり、キリシタンコミュニティーもあって南蛮貿易も大陸貿易も盛んな天草を手にすれば莫大な富を得られる。

 そして、有馬家の子供の一人が天草の志岐家の養子に入っている事が大義名分に繋がる。

 ついでに言うと、竜造寺家当主竜造寺鎮賢の妻が有馬義貞の娘である事も付け加えておこう。

 弱体化させられた竜造寺家とはいえ、有馬家や松浦家等には血縁政策である程度の影響力は残していたのである。

 守護代という箔で地縁血縁をまとめあげて力を戻して、大友家の内紛に乗じて筑前筑後をというのが、龍造寺隆信の狙いだろう。

 大友鎮成だったらきっとこう言ってその策を評しただろう。


「すばらしい策だ。

 ただ、島津家相手に一戦やるということさえ除けば」


と。

 天草介入は肥後情勢で阿蘇家救援を至上命題にしている大友家にとっても悪くは無い。

 対島津で第二戦線ができる事を意味しているからだ。

 策士の条件その三。

 相手にも利益を与える。

 もちろん、自分の利益を確保した上で。

 毛利家にも似たような提案をして承諾されている事を鍋島信生は言わない。


「いいだろう。

 その策が成ったあかつきには全て認めてやる。

 だが、その降伏を毛利が認めるとは思えぬ。

 どうやって毛利を追い払う?」


 大友宗麟の問いかけに、鍋島信生は淡々と仕掛けを披露する。

 この仕掛けがあるからこそ彼は角隈石宗に会う事ができたのだ。


「我が殿の命にて、騎馬百騎を彦山に向かわせております。

 彦山の僧兵と合わせて数千が後詰として香春岳城の毛利軍の背後を突きまする」


 戦況次第ではそのまま毛利につく軍勢である。

 約束を反故にされないためにも決定的状況変化が必要だったが、天はその変化をこの三人に与えた。

 分水嶺の水が運命と言う汽水域に届いた瞬間である。


「申し上げます!

 八郎様が大戦果を上げ申した!!」


 襖向こうから近習の上ずった声が聞こえる。

 鍋島信生の姿を見られる訳にはいかないので誰も入るなと厳命した結果、その変化は襖越しに大声で明るく三人に伝えられる。


「八郎様が門司城を急襲しこれを落としたとの事!

 敵将吉田興種は降伏し、毛利は今や袋のネズミですぞ!!」


 門司城陥落。

 毛利家にとって致命的一撃になるこの報告を理解できない三人ではなかった。

 近習の報告はさらに続く。


「お屋形様にお会いしたいと大内輝弘様がいらっしゃっております。

 己が手勢を差し向けて門司城の後詰に向かいたいとの事で。

 既に臼杵鑑速殿や田原親宏様、佐伯惟教様がいらっしゃっており……」


「決まりだな。

 御坊。

 出陣するとしたら、どのぐらいの兵が必要になる?」


「八郎様の所に送るならば数千でいいでしょう。

 臼杵殿や田原殿を目付に置けば間違いは起こりませぬ。

 博多はお屋形様が自ら受け取りに行く必要があります。

 吉弘鑑理殿と斉藤鎮実殿と田北鑑重殿を大将に、筑後国人衆と竜造寺家を連れて一万五千は欲しい所ですな。

 博多へ良い顔をする為にも立花家に連なる日田親永とその郎党はお忘れになりませぬよう。

 留守居役は吉岡長増老と柴田礼能殿……」


 大友宗麟の問いかけに角隈石宗がすらすらと答える。

 これが今の大友家の、大友鎮成が豊かにした大友家の底力だった。

 そして、竜造寺家が大友家側に怪しい動きをしつつもついに寝返られなかった理由でもある。

 角隈石宗が誓紙を差し出し、大友宗麟がそれに花押を付け加える。

 鍋島信生の条件承諾の誓紙はそのまま彼の懐に入ったのを見ずに、二人は部屋を出た。


「出陣する!

 陣触れを出せ!!

 毛利より博多を奪還するぞ!!!」


 大名らしく威厳に満ちた声で周囲に告げて、近習が一斉に走る。

 大規模動員の戦ともなると、公共事業であり、書類が飛び交い、欲望と打算が渦巻く命を捧げる祭りなのだから。


「なぁ。御坊。

 わしは死んだら、誰にどれぐらい恨み言を言われるのだろうな?」


 角隈石宗は大友宗麟が懐に入れたクロスを弄んでいるのに気づいていながら、それに答えられずに沈黙を選んだ。

 後に、大友宗麟が北原鎮久を唆して高橋鑑種を押し込む事に成功したと聞いた大友鎮成は、こう漏らしたという。




「毛利元就最大の失敗は、俺を殺す事に集中しすぎて、盤上の指し手として十分に戦えたお屋形様、大友宗麟から目を離した事だろうよ。

 死人でも彼が立花山城に居たのならば、こんな顛末は発生しなかっただろうに」

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