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彦山川合戦 俯瞰風景

やっとこのタイトルが使える……長かった……

 合戦序盤 

  小野鎮幸陣 二千二百 + 吉弘鎮理陣 三千七百   対   吉川元春陣 五千 



 合戦が始まろうとしていた時、小野鎮幸はめずらしく後悔していた。

 おそらく歴史に残るだろう一戦。

 彼が望んだ一戦のはずなのだが、彼の心にあるのは己の浮かれた心に冷水を浴びせるに十分な毛利軍の布陣だった。


(しくじった……まさか毛利元就自らうちの殿の首を取りに来るなんて……)


 吉川元春と小早川隆景に対抗する為に、八郎はかなりの戦力を前線に預けた。

 それは正しかったが、同時に毛利元就本隊と八郎自身がぶち当たってしまったのである。

 特に厄介なのが、八郎の軍勢に前線を支える信頼できる足軽大将が居ないという事だった。

 本来ならば自分がそこにいたはずなのに、偉くなってしまったが故の悲劇を今の小野鎮幸は嘆く時間も無い。


「御大将!

 敵、吉川勢迫っております!!

 魚鱗の陣にて旗印は津島通顕!」


「防げ!

 ここを抜かれたら、戸次様と吉弘殿が分断されるぞ!」


 命じながら小野鎮幸はそこでちらりと横に居る吉弘鎮理の陣を眺める。

 田舎侍が大名家陪臣としてぶいぶい言わせる為にはいくつかの条件がある。

 新家を起こした殿の下に真っ先について譜代となるのだ。

 だからこそ、小野鎮幸の殿である大友鎮成家中において、小野鎮幸は大友家の華麗なる血脈と武勲の頂点にいる吉弘鎮理と同格の扱いを受けているのだ。

 吉弘鎮理はどう思っているか知らないが、小野鎮幸には八郎についたのは俺の方が先という譜代意識があった。


「申し上げます!

 吉弘勢が吉川勢の横槍を突いてございますが、吉川勢その勢い止まりませぬ!!」


 伝令の報告に小野鎮幸は舌打ちを隠さない。

 全力で小野勢を叩いて吉弘勢と戸次勢を分断し、小早川勢が戸次勢を抑えている間に吉弘勢を各個撃破するつもりなのだろう。


「小野殿!」


 一騎の騎馬武者が小野鎮幸の前に現れる。

 彼の隊につけられていた白井胤治だった。


「淡輪隊と吉田隊を前に出して、香月殿の隊を戸次殿の後詰に送りなされ!

 香月殿の兵では吉川隊に当たればすぐに崩れますぞ!!」


 白井胤治は己が小野鎮幸隊につけられたのは、彼の軍師として動けという八郎の暗黙の命令だと解釈していた。

 なお、命令を出した八郎はそこまで考えておらず、軍師としての深読みだったりする。

 そんな白井胤治だからこそ、吉川勢を迎え撃つ状況で小野鎮幸の後悔を嘘でも払おうとしたのである。


「小野殿は槍働きでここまで来られたお方。

 ここで小野殿が前に出なくてどうしますか!

 香月殿が後詰に行けば、戸次様も八郎様の所に後詰を出しやすくなります!

 そのためにも、ここで吉川勢を抑える必要があるのです!!」


 小野鎮幸は叫ぶ。

 後悔も嫉妬も何もかも叫び声と共に吐き出して、白井胤治に告げる。


「よく言われた!白井殿!!

 ここは任せるゆえ、後は頼んだ!

 小野隊前に出るぞ!!

 八郎様への忠義はここで示すと心得よ!!」


 淡輪隊と吉田隊の後詰というか、その二隊を押しのける形で小野隊は吉川勢先鋒の津島通顕隊とぶち当たる。

 それは指揮放棄に近かったのだが、同時に金槌と金床の金床が機能しだした事を意味する。

 あとは、この金床が壊れるまでに金槌である吉弘鎮理がどこまで吉川勢を潰せるかにかかっている。

 その吉弘勢は方円陣で佐田隆居・安東長好・賀来惟重の三将が先鋒として、吉川勢側面を守る佐藤元正隊を激しく攻撃していた。

 方円陣、つまり背後にも気をつけての配置なのは、真っ先に当たるかもしれない竜造寺軍の鍋島信生隊への対処でもある。

 金辺川に防衛線を張れるならば、少なくとも大崩れはしないという読みなのだろうが、それは同時に吉弘鎮理隊に遊兵が存在する事を意味していた。


「吉弘殿へ伝令!

 『小野殿自らが吉川勢を押し留める故、指示を請う』と。

 急げ!!」


 だからこそ、両陣の指揮を押し付けた吉弘鎮理には指揮権を渡す必要があった。

 吉川勢への逆襲と竜造寺勢への対処の切り札である、曾根宣高指揮の根来衆をタイミングよく戦場に投入するために。

 ここだけなら何とかなるだろう。

 あとは個々の戦の勝敗が勝ち負けを決めると判断した白井胤治は、毛利の仕掛けに驚愕する事になる。





 合戦中盤

  小早川隆景陣 五千  対  戸次鑑連陣 三千九百



 小早川隆景の仕事は何かと言われると足止めである。

 先陣である吉川元春が吉弘鎮理と小野鎮幸の相手をしている間、後ろで毛利元就が後詰の大友鎮成を潰している間、戸次鑑連の足止めをする事が彼の仕事である。

 もう一つ足止めがあって、それは両天秤をかけていて動向が怪しい竜造寺勢が万一襲いかかった時に備えて、吉川隊の退路を確保するという仕事もある。

 さらりと言っているが、九州でも名が轟く戸次鑑連相手に足止めというのがどれほど難しいかを彼は思い知る事になった。


「戸次勢渡河してきます!

 鋒矢陣にて先鋒の旗印は由布惟信!!」


「偃月陣を敷け!

 宗像氏貞隊と河津隆家隊に前に出るように伝えよ!

 兵はこちらが多いから潰すぞ!!」


 苦笑したくなるのを小早川隆景は口を閉じて我慢する。

 吉川勢が戸次勢と吉弘勢の分断を狙ったように、戸次勢も吉川勢と毛利元就本隊の分断を狙ったのだ。

 兵数でこちらが勝っている上に、戸次勢の方が彦山川を渡河するという状況が意味する所は二つある。


(なるほどな。

 ここで俺と兄上の首を取れば、ここの大友軍が全滅しても大友の勝ちと判断した訳だ)


 戸次鑑連の冷徹な計算と絶対的な大友家への忠義が、小早川隆景にその答えを導き出させる。

 万一に備えて本国の毛利義元の所には戦力を残してはいるが、毛利両川が討ち取られたらその打撃は計り知れないものになる。

 もちろん、それと引き換えに大友鎮成と戸次鑑連の二将の首が落ちるかもしれないが、大友宗麟とその側近および彼の軍勢はまだ健在な上に、大内家復興という政治的鬼札が未だ握られている上手さが痛い所だった。

 双方相打ちとなった場合にまだ回復の余地がある大友家に対して、毛利家は確実に九州から追い出される事は目に見えていた。


「申し上げます!

 敵戸次勢より一隊が離れます!

 旗印は多胡辰敬!!」


「伝令!

 戸次陣に一隊が入りました!

 旗印は香月孝清!!」


 大友軍は寡兵をやり繰りしながら、最大限大友鎮成への後詰を抽出しようとしていた。

 その後詰の将が毛利家長年の宿敵である多胡辰敬というのは、何の因果だろうか。


「こちらも父上の所に後詰を出す。

 仁保隆慰隊と飯田隆朝隊を送る。

 急げ!」


「はっ!」


 指示を出しながら馬上から小早川隆景の己の戦場を眺める。

 その眼下には戸次勢の猛攻撃に崩れた宗像隊と河津隊が映っていた。


「敵は十時惟忠隊と高野大膳隊を投入しお味方崩れております!

 何卒後詰を!!」


「坂元祐隊を出す。

 深追いはするな」


 声に落ち着きがあるのは、父毛利元就の仕掛けを知っているから。

 策多きが勝つを地で行く毛利元就は、ちゃんと今回の決戦において策をはるか前から用意していた。


「城が!

 敵城香春岳城が燃えております!!」


 切り札、長野種信による香春岳城への破壊工作の結果である。

 大友鎮成の危惧通り城の構造上死角が多く、元城主で構造をよく知っていた長野種信の破壊工作は大成功し、弾薬庫や兵糧倉を焼く大火事に発展していた。

 本来ならこれに乗じて毛利軍が城を落とす予定だったが、城が落ちたように見せることで大友軍の心理的動揺を狙ったのである。

 それは見事なまでに成功した。


「戸次勢の攻撃止まりました!

 由布隊撤収してゆきます!!

 今こそ追撃を!」


 毛利軍の各地から歓声が上がり、大友軍の各地で目に見えるように士気が落ちている。

 ここで追撃して戸次鑑連の首を取れるのではという誘惑を小早川隆景は振り払い、堅実な策を取る。


「深追いはするな!

 先に崩れた宗像隊と河津隊の回収が先だ!!

 兄上の方はどうなっておる?」


 諸将を前に小早川隆景は落ち着きを崩さない。

 今回の戦いは吉川元春が攻めで小早川隆景が守りと役割分担がちゃんとできているからだ。

 そして、こちらの有利を使って吉川元春がとった手段というのが、後退だった。


「吉川隊!

 敵先陣と中陣と戦い、後退しております!!

 敵も兵をまとめて敵本陣に移動している模様です!」


「我らもそれを助けるぞ。

 兵をまとめなおしたら、今度は敵本陣を攻撃する!」


 将兵に指示を出しながら小早川隆景はため息をつく。

 香春岳城の出火は毛利の間者の仕業なのだが、それで敵が崩れなかった。

 いや、崩しきる時間が無かったのだ。


「申し上げます!

 吉川隊が敵将淡輪重利及び吉田興種、賀来惟重を討ち取ったとの事!」


 吉川隊の戦果に歓声を上げる小早川隊だが、小早川隆景の顔は優れない。

 この時点で吉川元春の選択肢は後退以外に二つ、吉弘鎮理を崩し切るか、転進し戸次鑑連の本陣を突くというのがあった。

 だが、崩れそうになりながらも足軽大将として小野鎮幸が奮戦し、吉弘鎮理は最後まで背後を突く切り札の曾根宣高指揮の根来衆を出さなかった。

 そして、最大の懸念が吉川元春にとどめの一撃を行う事を躊躇わせたのである。


「何をやっている……鍋島信生……」


 鍋島信生が両天秤をかけている事は毛利側にも分かっていた。

 その状況下で、簑島城には既に大内輝弘が入城しているという。

 周防長門での混乱を考えたら、竜造寺家にとって大友家への乗り換えの最大にして最後のチャンスである事は間違いがない。

 鍋島信生は竜造寺隆信の書状という形で毛利家への忠義を尽くす意志を示していたが、肥前の熊と恐れられる梟雄が手紙ごときで信用できるわけがない。

 鍋島信生は姿を見せないことで、大友・毛利の両軍に躊躇という毒を流し込み、戦場をコントロールしていたのである。

 吉川元春勢が後退し小早川隆景勢と合流する。

 小早川隆景の陣幕に入ってきた吉川元春は悔しそうに結果を述べた。


「すまぬ。隆景。

 敵を崩しきれなんだ」


「兄上もご無事で何より。

 馬が少ないのにこれだけの戦果。

 誰も文句は言いませぬ」


 崩しきれなかった理由の一つに、吉川勢及び小早川勢の馬が少ないことがあげられる。

 敵地での長期対陣で疲弊した馬に、遠賀川を越えさせたのだ。

 その時点でかなりの馬が使い物にならなくなっていた。

 その上で、中元寺川と彦山川を渡河なんてできる訳が無く、吉川隊と小早川隊は大友軍より兵力は多いが、騎馬が少ないという歪な構成になっていた。

 更に渡河というデメリットがある武器の使用を難しくしていた。

 鉄砲である。

 防水対策はしているがそれが万全に使用できる訳ではなく、万全の準備を持って待ち構えている大友軍の火力を警戒したのだった。

 騎馬と鉄砲という強力な武器を封じられて、渡河という将兵の体力を消耗させた状況で、計略を持って一撃を加え、敵の士気崩壊と混乱を起こして後退する。

 吉川元春がいかに優れた将であるかその一例で伝わるだろう。

 そして、その吉川軍を相手に崩されながらも、崩れきれなかった吉弘鎮理と小野鎮幸の二将の将器も讃えられてしかるべきものに違いない。


「こうなると父上が持っていった馬が欲しくなるな」

「まったくです。

 ですが、あれは我らの本当の切り札。

 あれが動く時は我らが勝つか負けるかのどちらかしか無いでしょうな」


 吉川元春が嘆き、小早川隆景が窘める。

 残った数少ない騎馬を全て毛利元就の馬廻に集めたのだ。

 大友鎮成が畿内で広めた騎馬隊の情報は毛利家にも伝わっていた。

 その情報を知った毛利元就は騎馬隊の運用を簡単に言ってのけた。


「なんだ。

 儂が昔した戦ではないか」


と。

 国人衆から大大名に成るまで無数に戦い続けた毛利元就は、息子たちや家臣すら首をかしげた事に寂しさを覚えながらその戦いを告げたのである。

 毛利元就の初陣。有田合戦を。

 今回選抜した騎馬武者連中は、女房よりも馬との付き合いの方が長い、毛利元就と共に戦場を駆けた生粋の侍たち。

 初老から老人の域に達している毛利軍のかつての花形、弓装備の重装騎馬武者達である。

 白髪美しく、もしくは頭から毛が無くなった闊達なじじい達と共に酒を酌み交わす毛利元就の姿は、若く生き生きと見えたと息子二人は思ったが口には出さなかった。

 ただ、大友鎮成を潰すために、最適の編成と戦経験を己の過去から引き出せる。

 『足軽大将』毛利元就の真骨頂という他ない。


「申し上げます!

 諏訪山城の方からも煙が上がっております!」


 更に沸き立つ毛利軍中と違って、二将の顔色は悪い。

 香春岳城は今回の合戦の根幹の謀略だから、問題はない。

 だが、諏訪山城は万一負けた際の追撃防止という命だけを内藤隆春に命じていたのである。

 それが煙が上がるほど攻め立てている。

 その意味は一つだ。

 大友軍が諏訪山城に兵をほとんど残していない。


「まずいな。隆景」

「ええ。大友軍が窮鼠になります」


 両川の予感は的中した。

 混乱していた大友軍はもはや打って出るしか無いと腹をくくったのである。


「大友軍!押し出してきます!!

 朽網鑑康を先頭に、佐田隆居と城戸直盛が両翼を固めております!」


「財満忠久隊と杉原盛重隊を前に出せ!

 大友軍に川を渡らせるな!!」


 小早川隆景が指示を出したのを見計らって吉川元春が小早川隆景の耳元で囁く。


「半刻時間をくれ。

 休ませた後で横槍を入れる。

 で、竜造寺が寝返った場合はどうする?」


「彦山川に沿って陣を敷いておくべきかと。

 殿は私が務めます。

 その時は兄上が兵をまとめて猫城まで退いてください。

 芦屋から長門国へ帰る手はずは整えております」


 勝っても負けてもこの一戦で毛利の主力は本国安芸国のある中国に帰ることが決定していた。

 そうしないと旧大内領奪回を企む大内輝弘の脅威に対抗できないからだ。


「死ぬなよ」

「兄上こそ」


 両川の兄弟仲は良くはなかったという話がある。

 吉川元春が山陰、小早川隆景が山陽の利害担当をしていたので、必然的に派閥対立の構図が出来上がってしまったのだ。

 だからといって、兄弟が争うほど愚かでもないし、情が無い訳でもなかった。

 だから、こんな合戦場という非日常で兄弟仲がすっと顔を出す。

 それがおかしくて、二人は笑い、顔を引き締めて戦場に戻っていった。





 合戦中盤

  木付鎮秀守備 諏訪山城 五百  対   内藤隆春陣 二千


 城攻めをする場合、力攻めをする兵数の差というのが守備兵の三倍というのが相場になっている。

 毛利軍の撤退時に抑えておきたい境口の渡しを守る内藤隆春にしてみれば、大友軍追撃時に拠点となる諏訪山城を放置できる訳が無かった。

 内藤隆春は躊躇わず強攻に移る。


「火矢を放て!

 落とせずともこの城が使い物にならなければ良い!」


 川越しからの火矢を防ぐ兵が木付鎮秀には足りず、城そのものの放棄を木付鎮秀が考えだした時に毛利軍の攻撃がぴたりと止み、毛利軍が整然と後退してゆく。

 毛利軍後退の理由を物見の兵が叫び、それを聞いた将兵達が歓声をあげた。


「味方だ!味方が後詰に来てくれたぞ!!

 助かった!」


「喜ぶのは後にして早く火を消せ!」


 浮かれる兵たちが慌てて消火作業に移る。

 ほっと一息ついた木付鎮秀だが、次に同規模の攻撃が来たら防ぐことは難しいと判断していた。

 元々諏訪山城は鷹取山城の出城の一つなので、最悪鷹取山城に撤収してしまえば良い。

 それをしなかったのは、毛利側の渡河拠点である境口の渡しを攻撃できる位置にあるのと、大友軍が今日の戦いで負けた場合に敗兵をまとめて撤収する為である。

 この時点で大友軍も毛利軍も万一の敗北を視野に入れて戦っていたのは面白い。


「で、後詰めに来たのは何処の誰だ?」


 このあたりの大友軍は全てかき集めて戦場に送ったはすである。

 木付鎮秀が問いただすと、物見の兵は旗印を確認して疑問混じりの返事をした。


「『片鷹羽片杏葉』?

 八郎様の手の者みたいですが……?」


 物見の兵の声に木付鎮秀は首をかしげる。

 大友鎮成が用意した兵は全部戦場に持っていったと思ったからだ。

 そして、その後詰めが見えてきた時に、木付鎮秀は物見の兵の疑問混じりの声を理解した。

 最前線は足軽で固めている。

 だが、後ろは明らかに村々で徴兵した雑兵たちだったのだ。


「大友主計頭が家臣、篠原長秀と申します。

 ご無事で何より」


 挨拶をした篠原長秀は鎧すらつけていなかった。

 重たくて移動の邪魔という理由で。

 実に彼の主君をよく見て真似していたと言えよう。


「ここの守りを任された木付鎮秀だ。

 助けてもらって感謝するが、その兵で戦うのか?」


「戦えるわけ無いでしょう。

 ですが、こうして敵を退けることはできます」


 木付鎮秀が絶句するが、篠原長秀は主である大友鎮成がこの手の戦が大得意である事を前任者の田原成親から散々聞かされていた。

 大友鎮成の近習の条件は三つ。

 読み書き算盤は必須。

 サボりたがる主君を乗せる口の旨さ。

 そして、主君がまぐわっている所に堂々と報告に行くクソ度胸である。

 戦働きがまったくいらず『忘八者もどき』と陰口を叩かれるが、主君がそれを一喝すれば黙るしか無い。


「黙れ猪武者共!

 お前らに支払う銭は誰が数えていると思っている!

 お前らが食う米は誰が商人と話をしていると思っている!!」


 なお、こんな叱りをした主君は口癖のように『大名辞めたい』とほざき、その奥方が『じゃあ辞めて女郎屋開きましょう』なんて公然と言うから、別の意味で大友家首脳部が頭を抱えるのだがそれは別の話。

 少なくとも篠原長秀は、彼の主君と付き合う事で自分のできる事とできない事の区別がつき、出来ることで主君を助けられる事を実行に移したのだ。


「元々これらの兵は園田浦城を守っておりました。

 ですが、毛利が南に下った以上この城を守る必要はないと思い、こうしてその兵を引き連れて南下した次第で」


 小倉宿で雇った雑兵三百人に許斐氏則の手勢百人。

 ここからが篠原長秀の真骨頂だった。

 帆柱山城と畑城に行き、


「万一毛利が攻めても、落とすのは空城の園田浦城。

 つまり、敵がこの城を襲うのは明日以降です。

 今日中に兵をお返しするので、わずかで結構ですから兵をお借りしたい」


 と口説いたのである。

 事実決戦が行われて勝ち負けが決まれば、園田浦城の動向なんてどうでもよくなる。

 この口説きに負けて、帆柱山城からは朽網鑑康の次男朽網鎮房が率いる兵百が。

 畑城からは、麻生鎮益率いる兵百が合流し、六百の兵が諏訪山城を目指して南下。

 この後詰を恐れて毛利軍は後退したというより、諏訪山城を攻めつつ後詰と戦っている間に鷹取山城の森鎮実が襲ってくる可能性を恐れて後退したと言った方が正しい。


「この城では毛利の攻撃を支えきれん。

 どうするか迷う所だが……」


「捨てればよろしいのでは?」


 さすが大友鎮成の所で無茶振りに耐えてきた近習はさも当然とこの城の放棄を提案し、木付鎮秀がまた絶句する。

 大友鎮成の口に勝つために『理と利』を徹底的に磨く必要があった篠原長秀は理路整然とその理由を口にした。


「毛利軍が川を渡らずに城に火矢だけ撃ち込んだのは、この城を使われたくなかったからです。

 それは、この城が大友軍の退路だけでなく、毛利軍の退路を妨害できる位置にあるからに他なりません。

 この城を捨てれば毛利軍は襲ってきません」


 追い打ちをかけるように物見の兵が叫ぶ。


「申し上げます!

 香春岳城の方から煙が!」


 防御側に当たる大友軍の陣地や城で煙が上がる事の意味は一つしか無い。

 この諏訪山城と同じ燃やされているのだ。


「分かった。

 我らは後詰として戦場に出る。

 そなたらはどうするのだ?」


 戦人の顔で木付鎮秀は尋ねるが、篠原長秀は忘八者もどきの顔でその参加を断った。


「帰りますよ。

 お借りした兵は返す約束ですし、雑兵では役に立たないでしょう」


「待たれよ!篠原殿!

 ここまで来て帰るとは何事か!?」


「応とも!

 これで合戦に参加できないとなれば武家の名折れ。

 ここは、連れて行ってもらうようにお願いするところですぞ!」


 まさかのツッコミは、その返さないといけない朽網鎮房と麻生鎮益からあげられる。

 もちろん完全武者姿で吐く息も荒いのだが、顔は汗まみれでもヤル気なのはわかる。

 呆れながら、篠原長秀は理と利で諭す。


「ここまでの行軍で体力を使っています。

 さらなる行軍で働けるとお思いですか?」


「気合でなんとかするというのが侍という者よ!

 篠原殿。覚えておくと良い」


 まさかのツッコミは許斐氏則からも出てくる。

 こいつもこいつで朽網鎮房と麻生鎮益と同じ完全武者姿で疲労困憊しているのだが、その声からは怯えも震えもまったくない。

 篠原長秀はやっと主君大友鎮成の苦労を知った。

 名と誇りのなんと厄介な事か。


「先に行ってください。

 雑兵を整理して行きたい者だけを選抜し、皆におつけします」


 やれやれと言い放った篠原長秀の頭に木付鎮秀の手が載せられる。

 近習をやっている事は初陣前という事に木付鎮秀が気づいたのだ。


「戦には出たことは?」

「殿の側に控えておりましたが、戦場にはまだ出ておりませぬ」


 篠原長秀の手に平長盛の刀を握らせる。

 彼はそれをもらう働きをしたのだ。

 それを知らしめ、忘八者から侍へ変えてやるのは大人の仕事である。

 なお、忘八希望の西国有数の大将が篠原長秀の主君という不幸は見ないことにする。


「褒美だ。持ってゆけ。

 それとこの城の武具もくれてやるから、お前を含め雑兵達にもつけさせてやれ。

 お前の初陣で、お前が率いる兵だ。

 格好ぐらいよくしておけ。

 半刻待つが、それを過ぎたら置いてゆく」


 言いたいことだけ言って、大人の侍達は去ってゆく。

 何と自分勝手な大人だろうか。

 何と無茶を押し付ける大人だろうか。

 そして、何とかっこいいと思ってしまう大人なのだろうか。

 刀を手に持ったまま、篠原長秀は呟く。


「今ならば、母を許せるのかもしれませんね……」


「大将。

 おらたちどうするので?」


 残された雑兵達の一人が代表して篠原長秀に尋ねる。

 篠原長秀は軽く首を振って、足軽大将としてはじめての命を雑兵達に告げた。


「我らも木付鎮秀様の下について合戦に参加するぞ!

 帰りたいやつはここで帰ると良い!

 合戦に参加する者には武具を支給する!!」


 なお、この言葉が効いたのか、篠原長秀の率いる雑兵は二百人残った。

 彼らを最後に木付鎮秀隊は後詰として戦場に赴く。

 その彼らの前で死闘を繰り広げているのは、大友鎮成と毛利元就だった。


 木付鎮秀 四百

 朽網鎮房  百

 麻生鎮益  百

 許斐氏則  百

 篠原長秀 二百


  合計  九百 




 合戦終盤

  森鎮実守備 鷹取山城 五百


「木付勢動き出しました!

 八郎様への後詰に向かう模様!!」


 物見の兵がその情報を伝えると、控えた兵がそれを紙に書いて弓兵に渡す。

 弓兵はその紙を矢に結んで山下の旗の立った木に向けて放つ。

 しばらくすると、その木から更に下の旗が立った木に向けて矢が放たれる。


(……こういう事を思いつくのだからあのお方は恐ろしい……)


 鷹取山城本丸で城主の森鎮実は顔の汗を拭かずに、定期的に放たれる矢の行方を眺め続ける。

 鷹取山からは戦場が一望できる。

 その情報を入手できるのならば、合戦はずっと楽になる。

 こういう伝達手段を考えた人が居なかった訳ではない。

 このあたりの合戦でこの規模の情報伝達手段を必要としなかっただけではあるが、極力リアルタイムでの情報を大友鎮成は欲したのである。

 だからこそ、鷹取山城で毛利側に買収された郎党を再買収しておきながら、森鎮実に鷹取山城本丸に入ることを求めたのである。

 その上、下の旗が立っている木の下にいるのは大友鎮成直轄の間者、石川五右衛門の郎党だという。

 つまり、毛利元就と戦い続けながら大友鎮成は知っていたのだ。

 香春岳城の炎上も、吉弘勢と小野勢の奮戦を、戸次勢の突撃を、諏訪山城の炎上と彼に向けて後詰が送られた事を。



 竜造寺勢の動向も。



「見えました!

 竜造寺勢が戦場に到着しました!!」


「どっちに襲いかかる?

 大友か?毛利か?」


 物見の兵に森鎮実は声を荒げて問いかけ、物見の兵はその答えを叫んだ。

 この合戦の決定的瞬間を告げる一言を。




「竜造寺勢は…………!」

朽網鎮房 くたみ しげふさ


誤字修正とかは少しずつしてゆく予定。

次話の更新は、31日にできなかったら、2/7までずれます。

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