戦評定 その2
小河信俊退席後も軍議は続く。
というか、ここからが本番である。
「良い話と悪い話がありますが、どちらからお聞きになりますか?」
木付鎮秀が俺に語りかけるので、悪い話から聞くことにした。
その悪い話は彼の率いる軍勢の事だった。
「我らの手勢は濁流に押し流されて、一気に減ってしまいました。
後ろに下がって備えるしかできないでしょうな」
吉川勢と戦って濁流に飲まれてまだ生き残っている連中がいるのが凄いと思うのだが、何を言っても傷口に塩を塗るだけだから黙っておく事にする。
で、いい事はというと、更なる後詰が近づいている事だった。
「田原お蝶殿が率いる手勢が香春岳城に入り、後続も香春岳城を目指しているとか」
お屋形様出陣で先に豊前国衆が簑島城に集まり、守備を彼らに任せてお蝶が前に出た形なのだろう。
彼女が危険を犯して前に出たのは、彼女の指揮下でないと動かない如法寺親並や護衛につけていた馬廻りの残りを俺に届ける腹づもりなのだろう。
これにお蝶と同じく防衛をしていた佐田隆居や近場の城だった安東長好や賀来惟重が参加して、以下の兵力になっていた。
田原お蝶 五百 御陣女郎
三百 馬廻り
如法寺親並 五百 お蝶指揮 田原家郎党
佐田隆居 五百
安東長好 三百
賀来惟重 三百
志賀鑑隆 千 香春岳城
合計 三千四百
戦力の逐次投入と批判されかねないが、大軍の移動と兵站に難がある以上、ある程度の分散は仕方のないことと割り切るしかなった。
同時に、この戦力と合流すれば今日の合戦の損害は帳消しにできる計算になるが、それは毛利軍も分かっているだろう。
「この後詰めの存在、毛利軍も気づいていると考えたほうが良さそうだな」
「八郎様。
その理由は?」
俺の独り言に黙っていた戸次鑑連が口を挟む。
視線が鋭くて詰問されている気になるが、やましい所も無いのでその理由をあっさりと口にした。
「間者働きでこちらが負けているのは分かっているだろうに。
香春岳城に入ったという事は仲哀峠経由だろうから、見張りの一人で事足りる。
それに、この手のは気づいていないなんて思って動いて敵にいいようにやられるよりはましだろう?」
そのまま俺は思ったことを口にする。
ある意味、ここも博打の場だからこそ、命という掛札を張らないといけない。
「香春岳城は毛利が俺を殺すために仕掛けた罠の核心だ。
それをうちのお蝶は知っているにも関わらずこの城に入った。
その意味を考えないといけないだろうな」
お蝶は俺の閨の一員として、俺が推理した毛利元就渾身の罠の話を聞いていた。
田原家の家督を持ち、若干おちゃめだが基本慎重姿勢のお蝶がそれでもこの城に入城したのは、毛利元就の罠を踏み越えるだけの何かを持ってきたとしか考えられない。
改めて地図を見る。
俺が大回りで戸次勢と合流する事はお蝶に届いていたから合流したいとは思っていただろう。
だが、小倉回りだと最短で四日に対して、香春岳城経由だと二日。
この差は非常に大きい。
「八郎様。
できればそれがしが、香春岳城に来た護衛を受け取りたい所ですがいかがか?」
戦力が消耗している木付鎮秀が申し訳なさそうに俺に言う。
竜造寺勢が敵味方気にせず押し流してくれた濁流のせいで、現在の兵力はこうなっていた。
戸次鑑連 千二百
由布惟信 三百
十時惟忠 三百
安東家忠 三百 諏訪山城守備
高野大膳 三百
小野鎮幸 五百
白井胤治 五百 小野鎮幸指揮
淡輪重利 五百 小野鎮幸指揮
曾根宣高 六百 小野鎮幸指揮 根来衆
吉弘鎮理 五百
城戸直盛 五百 吉弘鎮理指揮
鹿子木鎮有 二百 吉弘鎮理指揮
土居清良 五百 吉弘鎮理指揮
桜井武蔵 三百 土居清良指揮
六千五百
木付鎮秀 千
野仲鎮兼 百
高田鎮孝 二百
古庄鎮光 二百
千五百
大友鎮成 有明・明月・果心・政千代・井筒女之助・柳生宗厳・石川五右衛門・野崎綱吉
佐伯鎮忠 二百 馬廻
大鶴宗秋 八百 大鶴鎮信合流
多胡辰敬 千
上泉信綱 五百 雑賀衆
朽網鑑康 五百
香月孝清 二百
吉田興種 五百
三千七百
森鎮実 五百 鷹取山城
合計 一万二千二百
何がまずいかというと、現在一番兵力を握っているのが俺という事実である。
吉弘鎮理や小野鎮幸を俺に戻すと現在の俺の指揮兵力は七千八百となり、この戦場での半分の兵を俺が出している計算になる。
現場の指揮権を圧迫しかねず、己の立場を合わせて考えると戦後の立ち振舞いに頭を抱えたくなるが今はそれを我慢する。
なお、『この扱い尼子新宮党じゃね?』と俺自身思っているのは内緒だ。
「それがしが持ってきた手勢で、多胡殿、朽網殿、香月殿、吉田殿をお渡ししましょう。
これで少しは形になるでしょう」
「かたじけない」
俺達のやり取りに戸次鑑連が再度口を挟む。
「八郎様より預かっている手勢はお返しした方がよろしいか?」
「いや。
そのまま預かっていただきたい。
戸次殿がその兵で小早川を睨んでいるからこそ、今まで持ちこたえてくれたのです。
それに、それがし戦はからきし駄目で、全部大鶴宗秋に任せているのですよ」
俺の最後の一言を誰も信じるやつは居なかった。
そんなこんなのやり取りの後、再編された大友軍はこうなった。
戸次鑑連 千二百
由布惟信 三百
十時惟忠 三百
安東家忠 三百 諏訪山城守備
高野大膳 三百
吉弘鎮理 五百
城戸直盛 五百 吉弘鎮理指揮
鹿子木鎮有 二百 吉弘鎮理指揮
曾根宣高 六百 吉弘鎮理指揮 根来衆
土居清良 五百 吉弘鎮理指揮
桜井武蔵 三百 土居清良指揮
五千
木付鎮秀 五百 木付家郎党
野仲鎮兼 二百 郎党+浪人衆
高田鎮孝 四百 郎党+浪人衆
古庄鎮光 四百 郎党+浪人衆
多胡辰敬 千
朽網鑑康 五百
香月孝清 二百
吉田興種 五百
三千七百
大友鎮成 有明・明月・果心・政千代・井筒女之助・柳生宗厳・石川五右衛門・野崎綱吉
佐伯鎮忠 二百 馬廻
大鶴宗秋 八百 大鶴鎮信合流
上泉信綱 五百 雑賀衆
小野鎮幸 五百
白井胤治 五百 小野鎮幸指揮
淡輪重利 五百 小野鎮幸指揮
三千
森鎮実 五百 鷹取山城
合計 一万二千二百
木付鎮秀が府内から連れてきた浪人衆をバラして、兵力が減った各将に振り分ける。
士気と練度が落ちるが、寡兵で壊滅するよりましである。
それに俺が連れてきた連中をほとんど渡した理由は、明確に俺が三番手の大将であると分からせる事と、俺自身にも武功をという戸次鑑連のいらない配慮の結果である。
つまり、俺にも戦えと言っているらしい。
後ろで楽したいのをしっかり見抜いてやがる。
軍の編成が終ると、明日の方針に入る。
「香春岳城の兵と合流したいですな」
「それを毛利も掴んでいるだろうから、潰しに来るだろうよ」
地図を見ながら木付鎮秀が言い、それを俺がぼやく。
現状香春岳城がたまらなく嫌な位置にあるのだ。
吉川元春の手勢が推定で四千五百。
二千四百の後詰勢だと簡単に撃破できるだろう。
更にやっかいなのが、先程帰った鍋島直茂率いる竜造寺勢だ。
あの位置だとここ諏訪山城近辺の戦には明日は間に合わないだろうが、明日の香春岳城の戦いだと間に合ってしまう。
毛利元就の罠が何なのか分からない状況で、香春岳城近辺で戦はしたくは無かった。
だが、戦場は流動的であり、毛利も動いていた。
「申し上げます!
夜間なのに吉川、小早川両陣に動きあり!!」
飛び込んできた伝令に場がざわめくが、中央に居る戸次鑑連が睨み場を黙らせる。
というか凄く怖いのだが。その視線。
「続きを」
「はっ。
小早川陣は明々と松明を掲げて川上の方に、吉川陣はそれに呼応するかのように陣中騒がしく。
陣の移動を考えているようです!」
地図で確認すると小早川勢の動きは遠賀川渡河しかありえず、吉川勢が動くのも合流する小早川勢の為に場所を空ける準備なのだろう。
向こうも我慢できなくなったと見るべきだろう。
このままだと最終的に動員が進んで兵力差が逆転するからだ。
問題は……
「……毛利の奴らが香春岳城の後詰に感づいて叩きに動いた場合、こちらも動かないと潰されるな」
思っていたことが口に出て、皆の視線を集める。
視線が集まったのを見て、俺はそのまま戸次鑑連に話しかける。
「それがしの手勢を香春岳城に送ってくだされ。
後詰を連れてここに戻ってまいりましょう」
俺の言葉に戸次鑑連はしばらく黙ったままだった。
俺がこのまま楽して香春岳城に居座るんじゃないだろうかなんて危惧しているのかと考えていたら、不意に彼が木付鎮秀に声をかける。
「木付殿。
明日、ここをおまかせしてよろしいか?」
「帰ってくるまで支えてみせましょう。
八郎様。
頂いた手勢お返ししますぞ。
手柄を立ててくだされ」
何を言っているか分からない。
さっきの兵の再編成をなしにするのを木付鎮秀が了承したのを見て、戸次鑑連は力強く言い放つ。
「我らは木付殿の手勢を残して全軍で香春岳城の方に向かう!
皆の者、灯りを用意して三刻後に出るから、戦支度を整えよ!!
木付殿は諏訪山城を防衛。
鷹取山城の森殿と共に毛利勢を抑えてくだされ。
明日の戦の先陣は吉弘鎮理とする」
「承知!」
吉弘鎮理が平伏し、皆が一斉に平伏する。
皆の顔も戦意が漲っている。
「明日の戦、八郎様が見ておられるのだ。
皆、励むと良い」
「「「はっ!」」」
え?
何?このノリ?
ついていけないのだけどと目を白黒させている俺に戸次鑑連はにこりと微笑んだ。
「八郎様。
八郎様自身が答えを言っているではございませぬか。
毛利元就は八郎様の首を取りに来ていると。
ならば、八郎様が多分香春岳に後詰を取りに来るまで読んでいましょう。
それがしならば、毛利の全軍一万五千をそこにぶつけますな」
まったく声の出ない俺に戸次鑑連は続ける。
笑みに先程までの怖さが全くない。
まだ現状を理解的できない俺は思いついた事を戸次鑑連にぶつける。
「いや。吉川はともかく、夜間渡河までするだろう小早川がそこまでするか?」
「しますとも。
少なくとも、毛利元就はそういう将であると覚えておいてくだされ。八郎様」
俺は今更ながらはっきりと失敗を悟った。
俺と言う餌があるのならば、毛利元就は必ず出てくると。
つまり、決戦の主導権を握れると戸次鑑連は判断したのである。
「竜造寺勢はどうする?」
「それまでに勝ってしまえば問題ありませぬ」
はっきり言い切りやがった。
毛利元就相手に勝つと。
これが修羅の国九州で大友家を支え続けた雷神。戸次鑑連の本性か。
立ち上がって場を去る戸次鑑連が俺の耳元でぼそっと呟く。
「どうか政千代の事、可愛がってくだされ」
そして、人の親でもある。
鬼と親を両立してなお戦い続ける武将というものを俺は一生理解したくないなと心から思った。
こうして、大友軍と毛利軍の決戦は主役である俺の登場を持って始められた。
その決戦の舞台は彦山川と金辺川の合流点に近い場所で、金田とその地は呼ばれていた。