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分水嶺 その2

 月が空高く登り、静かに俺達を照らす。

 土下座から軒下に座った薄田七左衛門は瓢箪を取り出してその栓を開けた。


「飲むか?

 毒は入っていないぞ」


「あいにく、大名なんぞになったおかげで毒見なしで飲み食いができなくなっちまった。

 偉くなんてなるもんじゃないな」


 俺は煙管を取り出して煙草に火をつける。

 吸いはしないが手持ち無沙汰にならないのがありがたい。


「香月孝清殿に入れ知恵したのお前だな?」


 なんとなくの直感だが、薄田七左衛門はあっさりとそれを認めた。

 瓢箪の酒を呷りながら、月に向かって呟く。


「ああ。

 このあたりの山は福智山と言ってな。

 彦山六峰の一つとして修験道の修行場になっているんだ。

 で、お前が猫城で医書を売り出した時、木屋瀬宿でこの山で採れる薬草を売り出したのが香月家の収入源と言う訳だ。

 そんな事もあって、俺はこの家に少し顔が利くんだよ」


 その声は楽しく、少し寂しげだった。

 薄田七左衛門はそんな声で続きを口にする。


「この格好で会いたいと申し出て、お前のくノ一二人に殺されるかとばかりに睨まれたぞ。

 代わりに香月家の内通者を教えてやったが」


 どうりでこの場にあの二人が居ない訳だ。

 ちらちらとやり取りを覗いているのは佐伯鎮忠と由布惟信らしい。

 気配で丸分かりである。


「香月家は先代香月興則殿が大内と親しく、その流れで反大友になった。

 で、大内の後を継いだ毛利にという訳だ。

 当代の香月孝清殿はこの流れを何とかしたいが、髻砦の上杉興房をはじめ多くの家臣が先代と心が同じでな。

 とはいえ、気づいたら回りが全て大友になった状況で寝返るほど馬鹿でもなかったらしい。

 柳川調信殿に感謝しておけ。

 あの方が香月家の所業を不問にと動いてくれなかったら、今こうして話すことはなかったろうよ」


 引きこもりが認められたので、『わざわざ戦に出なくてもいいんじゃね?』という訳だ。

 これがわずかばかり秤の傾きをこちらに寄せた。


「香月興則殿はお前らがかかり火を掲げて堂々と夜間やってきたのに度肝を抜かれて、髻砦の上杉興房の所に逃亡。

 髻砦の兵数では襲撃できぬから、お前の到着後に猫城の兵を髻砦に引き込んで朝方襲撃するつもりだったらしい。

 その策も潰えたみたいだな」


 山向うからときの声が聞こえ、炎によって赤く照らされている。

 香月孝清が朽網鑑康の兵を借りて、香月興則と上杉興房の居る髻砦を攻めに行ったのだ。

 夜間で兵が分からないからこそ、猫城の毛利軍はこの状況を見守るしかできない。

 これで遠賀川東岸の安全はほぼ確保できた。


「でだ。

 何で、角隈石宗殿の名前が出てくるんだ?」


 首だけでなく手柄まで用意してのこの会見。

 俺は煙管から上る煙を眺めながら呟く。

 少なくとも角隈石宗は大友宗麟の側近として、府内にいるはずである。


「少し長くなるが構わんか?」


「どうせ夜は長い。

 今日はお前の話につきやってやるさ」


 瓢箪を置いて薄田七左衛門も真顔になる。

 そして、彼の口からその物語が語られる。


「高橋鑑種の謀反鎮圧で、府内のお屋形様は二つの策を承認された。

 一つは吉岡長増殿が推していた村上水軍の買収。

 もう一つは師匠である角隈石宗様が推していた、彦山の寝返りだ」


 その一言で俺は即座に額に手を当てて天を仰ぐ。

 この話の根元が分かってしまったからだ。

 加判衆と側近衆の権力争い。

 毛利を相手にしてなお内部争いができるまで、大友家は豊かに平和を享受していたとも言えよう。


「あー。

 なんとなく分かった。

 今の俺は加判衆についている形になっているからな。

 側近衆としては、面白くも無いだろう。

 だが、それがどうして『助けてくれ』に繋がるんだ?」 


 府内に戻ってからの俺は臼杵鑑速の復権に尽力し、姫島沖海戦等で村上水軍の中立化を引き出していた。

 一方、英彦山側は俺や大友宗麟のキリスト教容認姿勢によって毛利側について、戸次鑑連の進軍を妨害するなどしていた。

 これでは角隈石宗の立場が無い。

 待てよ。

 これ、もう少し先の未来、ぶっちゃけると対島津戦である耳川合戦時にやばくないか?

 あの時の大友宗麟は、軍師角隈石宗の言葉を聞かなかったらしいが、その理由にこの失態があったとしたら?

 待てよ。待てよ。

 よく思い出せ。

 史実の立花合戦で活躍したのは、戸次鑑連や吉弘鑑理等の加判衆メンバーで側近衆は目立った活躍はしていない。

 で、加判衆の天下と思われた時に、吉弘鑑理や臼杵鑑速が相次いで亡くなり、戸次鑑連が立花山城城督になったので府内に政治的空白が出来て、田原親賢が権勢を……

 あかん。

 この想像だと筋が通ってしまう。

 角隈石宗は軍師ではあるが、その本職は侍ではなく僧侶だ。

 という事は、大友宗麟の寵愛が無くなったら一気に捨てられる。

 だが、つまる所それだけなのだ。

 失脚して大人しく寺でお経を読んでいれば、少なくとも角隈石宗が死ぬ事は無い。

 何よりもこれらは、今の合戦に関係が無い事だ。

 薄田七左衛門が俺の前に出て、斬られる覚悟で助けを頼む理由はまだ他にもあるはずだった。


「この戦の前あたりだが、座主様がお隠れになった。

 それを突いて、大友家が座主にと推挙したのが幼い常陸介様だ。

 反対によって立ち消えになったがな」


 そういう事か。

 英彦山が毛利側についたのは、大友宗麟や俺のキリスト教容認だけでなく、大友家から仕掛けられた英彦山乗っ取り計画があったのか。

 その実行者が角隈石宗だったと。

 だんだん話が見えてきた。

 現在起こっているこの合戦で大友軍が負けた場合、府内での責任うんぬんで矢面に立つのが英彦山工作に失敗した角隈石宗で、彼が失脚するから助けてくれという訳だ。

 なぜならば、俺は大内輝弘名義とはいえ門司城を奪還しているし、臼杵鑑速の復権に尽力し、姫島沖海戦を通じて吉岡長増の工作に協力しているからだ。

 庇ってもらえる相手に困らない。

 だが、角隈石宗は側近かつ軍師という立場ゆえに己の戦力を保持せず、大友宗麟との関係のみによってその権力を維持している。

 そして側近衆は基本みな角隈石宗と同じような立場なので、基本仲が悪い。


「ん?

 待てよ。

 薄田七左衛門。

 どうしてお前、この戦大友軍が負けると踏んだんだ?」


 つまる所、この話の肝はそれだ。

 現状苦しいとは言え、俺の兵が加われば同数に近くなる大友軍主力が毛利軍に敗れると薄田七左衛門は確信したからこそ、彼は斬られる覚悟で俺の前に出てきた訳だ。

 あの毛利元就が隠しているだろう必殺の罠。

 それをこいつは知っている。


「戸次様は動員が間に合わなかったんだ」


 ぽつりと薄田七左衛門が会話から外れた言葉を紡ぐ。

 その意味を俺が理解するのに、次の言葉を待たねばならなかった。


「戸次様が連れてきた兵の総数はおよそ四千。

 その中に、お前の所の小野鎮幸殿の手勢が入っている事を忘れたのか?」


「何!?」


 指摘されて気づいた。

 ゲームみたいに全力出撃なんてできないのは分かるが、俺が小野鎮幸の凱旋のために分けた千六百が戸次鑑連の四千の中に入っているならば、彼がこの地に連れてきたのは二千四百。

 三万三千石の大名で古処山城城督として周辺国人衆を動員できる彼は、もう少し兵を連れてきても良いはずだった。

 その理由に俺は思い当たる。


「動員したのは戸次家郎党のみか」


「ああ。

 まだかの地の民は戸次様の、大友の支配を受け入れていない。

 そんな状況で戦の動員なんてしてみろ。

 一揆が起こりかねん」


 まだ時があれば少しは変わったのだろうが、あの時香春岳城を巡る戦いでは俺たちが居た事もあって兵数では優位に立てるという計算が戸次鑑連は読んでいたのだろう。

 だが、その拙速は隣にある英彦山からは丸見えだった。

 だから一揆が勃発した。

 ん?

 待てよ。

 何かが引っかかる。

 俺はそれを声に出す。


「何で彦山の僧兵達はおとなしくなったんだ?

 あのまま足止めしていれば、毛利の勝利に貢献できただろうに?」


 言葉に出して気づく違和感。

 そこにまとわりつく得体の知れない何か。

 それを薄田七左衛門は口にした。


「彦山の山伏が大人しくなったのには理由がある。

 お師匠様もやらかした失敗なんだが、お前もその気があるから言っておくぞ。

 高い所からはよく見えるが、その分個々の物は見えにくくなる。

 お師匠様は府内から地図を睨んで策を考えざるを得なかったのだから仕方ないが、山伏達の足の長さと繋がりを忘れていたんだよ」


 薄田七左衛門は何気ない感じで、何気ない質問を出す。

 その意味に俺はまだ気づかない。


「なぁ。八郎。

 お前太宰府で長く暮らしていただろう。

 太宰府の西に何があったか覚えているか?」


「馬鹿にするな。

 それを忘れるほど耄碌してないぞ!

 西って事は二日市の先だろうが、あっこは背振の山々……ああああああああああああああああああっっっっ!!!!!」


 その言葉の意味をやっと理解する。

 それが何を意味するのか今更ながら理解する。

 答えははるか前に提示されていたのに、綺麗に忘れていたあまりにも大きな俺と角隈石宗の大失態。

 それを見逃す毛利元就ではないだろう。

 俺の大声に佐伯鎮忠と由布惟信が出ようとするのを手で制したのを見て、薄田七左衛門は続きを口にした。


「九州の修験者達は彦山を住処として、尾根伝いにその修行の場を広げていった。

 秋月をはじめとした大蔵一族との繋がりもそこから始まっている。

 宝満山そのものも俺たち修験者の修行の場でな。

 そういう意味でも、あそこには何度も足を運んだもんだ」


 薄田七左衛門の言葉を半分以上上の空で聞きながら、俺は頭の中に九州の地図を浮かべて、そこに山々の稜線を描いてゆく。

 英彦山から北に伸びれば、香春岳を経由してここ福智山や門司まで繋がるわけだ。

 そして西に行けば秋月や太宰府を経てあるものに繋がる。

 それを薄田七左衛門は答えとして口に出した。


「太宰府から西に行けば背振の山々だ。

 ここも修験者達の修行の場所だな。

 そして南、筑後一の宮は高良大社。山の奥深くにある神様だ」


 俺が気づいていなかった事、気づきたくなかった事を薄田七左衛門はあっさりと言った。


「八郎。

 高橋鑑種ですら、彦山の山伏と繋がっている。

 何で竜造寺が山伏と繋がっていると思わないんだ?」


 毛利元就がここまで状況をコントロールする為には、大友家内部に絶対に裏切り者が必要だった。

 具体的には、毛利元就の所に山伏たちの情報を持ってゆき、毛利元就の指示を伝える連絡係だ。

 毛利元就から指示を受けるのは高橋鑑種なのは間違いがない。

 高橋鑑種経由で毛利元就に大友側の情報を伝え、高橋鑑種から来た毛利元就の指示を山伏たちに伝えていたのが竜造寺隆信だったという訳だ。

 あれほどこいつは信用できないと知っていた上で、戦いが筑豊だからと完全に視野の外にあったが故の大失態。


(「欺くならば、徹底的に凝りなされ。

  おかげで、我が祖父は雨乞い踊りを死ぬまで踊れたのですぞ」)


 かつて、未来の仇に会った時の言葉を思い出す。

 彼は雨乞い踊りを誰に教わったのだろう?

 決まっている。

 あの手の踊りは宗教関係者の専売特許だ。

 史実の今山合戦でも俺が陣取った今山は山伏達の修行の場で、彼らが竜造寺に味方した事が今山奇襲成功の一因となっている。

 大友家はその報復を忘れなかった。

 耳川合戦の大敗後、好き勝手に暴れだした竜造寺や秋月を討伐する前に、彼らを束ねていた英彦山を焼き討ちしたのだ。

 三千八百もの僧坊を誇った英彦山はこれで大打撃を受けた。

 宇佐八幡の焼き討ち等と合わせて、大友宗麟のキリスト教優遇政策に絡める事が多いこれらの事件も、その背景にこんな繋がりがあったりするのだった。


「彦山の僧兵達の妨害に、戸次様は最初彦山と一合戦するつもりだったらしい。

 それを押し留めて、彦山を説得した奴がいる」


 それを運命というのだろう。

 薄田七左衛門の言葉からなんとなくそう思ってしまう。

 場所も時も違うのに、惹かれあうように舞台に上がる役者達。


「鍋島信生。

 お前が畿内で暴れた騎馬隊を模して作られた、竜造寺騎馬隊を率いて戸次様の所に勝手働きをした将で、奴が彦山僧兵を説得した。

 奴は今『大友軍に協力する為』に僧兵を募って、数千の僧兵を率いて香春岳城に向かっているぞ」

私「竜造寺が英彦山まで出張るなんてできないだろ!いいかげんにしろ!!」


英彦山神社誌: 稿本「1568年6月15日に竜造寺隆信が小石原から攻めて、下宮・北山・大行事・講堂をはじめ坊舎を焼いていますが何か?」


私「はい?」


英彦山神社誌: 稿本「なお、1572年8月に家臣名義で竜造寺隆信が宝拝両殿を改築し、肥前国の土地を寄進していますが何か?」


私「???………何そのマッチポンプ?」


このあたり活動報告あたりで面白おかしく語る予定なのでお楽しみに。

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