元服と祝言
「元服式?」
神屋屋敷にやってきた高橋鑑種の重臣北原鎮久に俺はそう聞き返した。
「はっ。
御曹司は初陣を飾り、お屋形様へのお目通りも済み、猫城を手に入れられました。
きちんとした式を行い、諸将に大友一門としてのお披露目をと我が殿は考えておられるようで」
この手の式は本来ならばお屋形様こと大友義鎮のお目見え前に済ませておくのが礼儀である。
まぁ、門司城合戦でそのあたりを後回しにしたという言い逃れもできるが、だからこそある程度片付いた今になってちゃんとした式を行えという声が出たのだろう。
「一応聞くが、菊池鎮成では無いんだろうな?」
「はっ。
大友一門、大友鎮成としての元服となりましょうな」
俺のため息を北原鎮久は理解していない。
とはいえ、九州に居る以上はこの手のイベントは避けられる訳もなく、俺はこの話を了承したのである。
「浮かない顔をしておりますな」
北原鎮久が帰った後、有明と大鶴宗秋と柳川調信を呼んで話をする。
その時に俺の浮かない顔に気づいた柳川調信の一言に俺はわざとらしく肩をすくめた。
「そりゃそうさ。
粋がって浪人として生きようとしたら、色々あって大友の名前をもらっちまった。
大大名大友一門として振る舞えなんて急に言われて戸惑わない方がおかしい」
「ですが、その大友一門としてで無ければ、有明殿を嫁にはできなかったかと。
良い機会なので、同時に祝言をあげるのはいかがでしょうか?」
「え!?
式、できるの?」
明らかに釣り針の見える大鶴宗秋の一言に見事に有明が食いつく。
有明とて女である以上、祝言の式という一生の晴れ舞台はしたいものだし、俺もそんな有明を見たいと思ってしまった。
そう考えると、面倒くさいと思っていた式も前向きに考えるようになるから不思議だ。
「まぁ、いいケジメだ。
やるか」
この時の俺は迂闊にも軽く考えていた。
大大名大友家一門として元服するという事の意味を。
それに伴う魑魅魍魎の宴の醜さとおぞましさを。
宗像の膠着状態と秋月の鎮圧に手間取っている現在の大友家だが、裏を返せばそれぐらいしか問題がないとも言える訳で、戦が一段落した筑前国の領主達は次々に俺の元服式の参加を打診してきた。
主な所で、臼杵家、立花家、宗像家、少弐家、麻生家、森家が代理を含めた参加を表明。
竜造寺家、宗家、波多家が参加を打診し、菊池一族が多い肥後国国衆も参加打診をしてきたが、反乱の旗頭に担がれるのを避けてこれらを断る事にした。
府内の方でも動きが出る。
有明の嫁入りに合わせて、雄城治景が加判衆を引退。
その後任に門司城合戦で多大な功績をあげた戸次鑑連を指名した事で、ついに大友家最高意思決定機関加判衆から外様である他紋衆が居なくなる。
式には雄城一族代理という形で大鶴宗秋を出すことにし、仲人も高橋鑑種が務めることになった。
門司城合戦で兵を戻した大友軍は休息・再編の後、田北鑑生を総大将に秋月種実討伐に兵を送り出す。
秋月討伐に手こずる烏帽子親高橋鑑種を支援し、元服式に専念させる為だ。
その秋月だが、元領土という事もあってゲリラ戦を展開し、討伐は思うように進んでいない……ように見える。
だが、高橋鑑種と秋月種実が繋がっている事を知っている俺から見れば、この現状は出来レースにしか見えない。
おそらく、豊後から来る大友軍の後詰めが来る前に沈静化するのだろう。
そうでないと政治的イベントになってしまった俺の元服式が失敗する。
一方、宗像家とそれを支援している毛利家だが、既に門司城周辺に居た兵は撤退し、残るは宗像家に滞在している小早川隆景率いる軍勢のみになっている。
彼らも水軍衆だから大友との手打ちが済んだらそのまま石見国の尼子家攻略に投入されるのだろう。
博多商人達も神屋主導で式の資金を出す事を決めている。
門司城合戦が終わって、畿内に荷が送れるようになったお礼という訳だ。
「見事に出汁に使われたじゃないか。
御曹司様」
式の準備に色々動いている時にふらりと帰ってきた薄田七左衛門に、約束したどおり太夫姿の有明が酒を注ぐ。
なお、俺の方は下戸なので最初の一杯以外は白湯だったりする。
「まったくだ。
この手の式がこんなに面倒だとは思わなかった」
「私は楽しいけど。
色々な着物が着れるし、こんなにもやる事が色々あるって」
有明の言葉に俺と薄田七左衛門が実にわざとらしく肩をすくめる。
女のこの手の楽しみは男には分からないのは古今東西変わりはしない。
「で、彦山の方はどうだった?」
「変わりはしないと言いたい所なんだがな……」
しかめっ面をした薄田七左衛門になんとなく察して俺はその理由を促す。
もちろん今度は彼の酌をするのは俺だ。
「俺との仲だろうが。
今更遠慮があるか。
言ってみろ」
「そのお前との仲を使われたんだ。
だから釈然とせぬのだ!」
注がれた酒を一気に煽りながら、薄田七左衛門が吐き捨てる。
出世をすると友を失うとはよく聞くが、立場が変われば関係も変わる。
「彦山座主からお前を使って大友家への取次を命じられた」
九州の山岳信仰の聖地英彦山は三千の僧徒と八百の坊を誇る一種の宗教独立国家なのだが、大友家との関係はあまりうまくいっていない。
門司城合戦が大友家の勝利に終わった結果、秋月討伐に繰り出された兵が英彦山を襲う事を恐れているのだろう。
この門司城合戦の過程で宇佐八幡宮が大友軍によって焼き討ちを食らったのだから、次はうちかと恐れたと。
「分からんではないが、今の俺に大友家の軍勢を動かす力なんぞ無いぞ」
「だが、将来は分からんし、お前の烏帽子親殿にはその力があるだろうが」
そう言われて黙り込む。
たしかに高橋鑑種にはその力はあるだろう。
そして、それは俺が大友一門として振る舞うことが前提になる。
「秋月の方はまだ片付かぬのか?」
「思った以上に手こずっておる。
古所山城に籠るならばまだしも、隠れて荒らしているかららしい。
豊後から加判衆の田北様が率いる後詰が出るそう……そういう事か」
薄田七左衛門の質問に答えた俺は、何で英彦山座主が大友家に接触しようとしたのか察する。
英彦山と秋月領は隣接していたからだ。
元々の領主である秋月家に領民からある程度の支持があり、占領軍であった大友家が毛利戦に追われて秋月領統治をなおざりにしていたというのもある。
そして、そんな秋月残党を匿っていたのが英彦山だったと。
それをおそらくは大友家に感づかれたか、これを機会に攻められるを避けようとしていると。
盃の白湯を飲み干して自ら酒を注いでそれも飲み干す。
「ままならんな。
偉くなるという事は」
「まったくだ。
すまないが俺の顔を立ててくれ。頼む」
頭をさげる薄田七左衛門を俺は責められない。
彼にも彼の人生が有りしがらみがあるのだ。
「付き合ってくれた恩もある。
高橋鑑種へ声だけはかけておく。
そこから先は知らんぞ」
吐き捨てる俺に薄田七左衛門が懐から書状を取り出す。
英彦山座主の文字が見える。
ただの山伏が高橋鑑種に取り次ぐのは無理だが、俺がこれを差し出せば無視はできないという訳だ。
俺はそれを受け取って懐に入れた。
「すまん」
「気にするな」
有明が互いの盃に酒を注ぎ、二人同時に煽る。
酔った息を吐き出しながら、薄田七左衛門が話を変える。
これもろくでもない話だった。
「そういえば、ここに来る前に気になる話を聞いた。
有明太夫がらみの話だが、あまり良くない話が出回っている」
「私?」
酌をしていた有明の手が止まる。
薄田七左衛門は酔っているのに真顔でその話を口に乗せた。
「要するに、お前と有明太夫の祝言をぶち壊したい輩が流しているろくでもない噂さ。
有明太夫の艶聞が面白おかしく広がっている」
聞けば有明が太夫に上がるまでの苦労譚で、その艶聞も高橋鑑種に囲われ御陣女郎時から博多商家の大旦那との濡れ場等かなり詳しく卑猥に広まっていた。
博多周辺の琵琶法師に広まって、かなりの人気話になっているらしい。
「なんだ。
そんな事か」
聞いた有明の顔は笑っている。
虚勢でなく、本当に。
「だって本当のことだから仕方ないじゃない。
それでも私は八郎を信じていたし、八郎も私を受け入れてくれた。
何も問題はないでしょう?」
その言葉を聞いて俺と薄田七左衛門は互いに顔を見合わせる。
そして、誰ともなく笑いだして、気づいたら三人共笑っていた。
「いい女房じゃないか」
「だろう。
俺の自慢の嫁さ」
元服式当日。
場所は太宰府天満宮で、その周囲には参列者とその護衛で二千ばかりの兵が集まっていた。
秋月の方へ出陣していた高橋鑑種もこの日ばかりは戻って式の準備をしている。
まずは、元服式を行い、その後有明との祝言をあげる形で式が進行するようになっている。
式は太宰府天満宮で行われ、参列者の前で烏帽子親である高橋鑑種が俺に烏帽子を被せる。
そして、諱である『鎮成』と書かれた紙を俺に手渡す。
本来、烏帽子親から文字をもらう事が通例なのだが、俺は大友一門としての元服なので大友義鎮の『鎮』の字をもらう形になる。
太宰府天満宮にはためく大友家の家紋である『杏葉紋』の旗に混じってはためく『片鷹羽片杏葉』の旗。
続いて祝言に移る。
式前に部屋で控えていた白無垢姿の有明に見とれ、そんな俺を見た有明が笑う。
「御曹司」
後ろから高橋鑑種の声がかかり、有明の部屋を離れると高橋鑑種は真顔のまま俺の耳元で囁く。
「よくお聞きください。
祝言に使う酒に毒が入っておりました。
毒味の男がそれを飲んで倒れ、薬師に見させています」
一瞬にして幸せな気分がぶっ飛ぶ。
その酒は誓いの盃で俺と有明が飲むもので、毒味の男は少し口にして倒れたらしい。
「誰がやったかわかるか?」
「今は何とも。
とりあえず、酒は取り替えておきました。
何事もなく祝言をお続けくだされ。
けれどもお忘れなさるな。
大友の名前の意味を。
このような事が常に起こるこの末法の世の事を」
肩を掴みながらも淡々と言い放つ高橋鑑種の言葉に俺は頷くことしかできなかった。
その後、祝言は無事に終わり、倒れた毒味の男も命は助かったが、俺の気分はまったく晴れなかった。
4/15 『ラッキースケベなのにちっとも嬉しくないお姫様との出会い』から秋月の話を移動
4/30 資料からこの時点の座主ではなさそうなので名前を削除




