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修羅の国九州のブラック戦国大名一門にチート転生したけど、周りが詰み過ぎてて史実どおりに討ち死にすらできないかもしれない  作者: 二日市とふろう (旧名:北部九州在住)
豊芸死闘またの名を因果応報編

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豊薩緊張 その1

 第三次姫島沖海戦の勝利によって、大友家と毛利家の死闘にひとまずの平穏が発生する。

 毛利家側は上陸部隊の兵站線維持で動けず、大友家側は水軍再建でそれどころではなかったからである。

 水軍は海上交易で富を稼ぎ出している大友家の生命線であり、それが打撃を受けた事は将来にわたる収入減を意味するからだ。

 村上水軍の中立宣言と、彼らを経由した奴隷交易でとりあえずこの穴は埋められるが、それを放置する訳にも行かず大友家首脳部は対応に追われていた。

 ならば、陸路でと猫城奪還をしたい所ではあるが、そうも言っていられない外交関係が大友家の行動を縛る。

 木崎原合戦の大勝利で膨張する薩摩国島津家との関係悪化である。


「我らを府内に留めて何を企んでいるのか?」


 府内館の一室、側近グループの詰め所にて俺は田原親賢に尋ねる。

 書類が行き交い人々が行き交う部屋で膝を突き詰めての話ゆえに、周囲の視線も痛い。


「恩賞についてまだ片付いておりませぬ。

 できれば、それまでお待ちくださると助かるのですが」


 合戦の恩賞についての考え方だが、その前に合戦そのものの考え方を説明しよう。

 純粋な合戦のみに的をしぼるとここで恩賞が発生するが、それは合戦後のボーナスみたいなものである。

 城を落とし、領地を得て、本国に戻っての恩賞は、領地授与が発生する昇給と考えると違いがわかるだろう。

 そして、昇給だからこそ、その人事考査がまだ終わっていないのである。

 数か国にまたがる大大名大友家の中枢ともなると、とにかく書類が回る回る回る。

 そして、それを処理する人間は文官ゆえに立場が弱く、必然的に武官と対立する。

 この説明の上で現在の現状を説明すると、大友宗麟が出陣して竜造寺隆信を屈服させた戦の後始末がまだ完全に終わっていないのに、姫島沖海戦という新たな戦が発生しまった。

 人事考査が大変な事になっているのである。


「大きな所は加判衆達の新領地で片付けたが直臣達への褒美が終わらぬか」


「さすが宇和島にて大名をなさせている御方。

 こちらの窮状をご理解していただいて助かります」


 厄介なのが陪臣と呼ばれる侍層で小領主もこれに含むが、大名に直に仕えている訳ではないのでその褒美の配分が難しい。

 たとえば、百石の領地を持つ領主配下の侍が大将首を獲ったとしよう。

 彼に直接褒美をあげられるのはその領主でしか無いから、大名は感状をあげるか銭を渡すかのボーナスしか支給できない。

 で、侍の昇給は領主の領地という限界があるから、領主の領地を加増させないといけない。

 その為、侍は己の欲望を満たす為に領主に忠誠を誓うのだが、当たり前のように差異が出る。


「あれ?

 隣の領主の侍同じ大将首獲って十石加増されたのに、俺は五石だけ?」


 これが本当によく発生する。

 そうやって発生した諍いも基本大名が介入して和解に持って行かせるのだ。

 それが大名権力の拡大と独裁化に繋がるから、領主からすれば面白くない。

 また、こんなパターンもある。


「隣の領主滅ぼしたら、俺の領主の知行が増えて、十五石持てるんじゃね?」


 大体俺を滅ぼそうと府内で流言に乗ったり作ったりという連中の中核である。

 同時に合戦における背骨にあたる下士官層でもあるから、粛清なんてできる訳もなく、下士官どまりだからそこまで頭が良い訳でもないというこの素敵ぶり。

 守護大名が戦国大名になり損なったケースはここでしくじっている事が多いのだ。

 これを解決する二つの方法がある。

 多くの侍を直臣化して大名直轄にして褒美を大名自身が行う形にした毛利元就。

 銭払い(貫高払い)を拡大して、それで武将が部隊編成ができるまでに拡大した織田信長。

 成り上がった大名には成り上がっただけの理由があるのだ。


「姫島沖の戦は水軍衆の戦だ。

 感状と銭を渡せば、事が済むだろうに」


「この戦の功績を持って、田原殿から臼杵殿へ加判衆が変わるのをお忘れか?」


 そうだった。

 臼杵鑑速の復権は府内のパワーバランスを変える。

 実務家であり閨閥で無視できない縁を持つ彼が帰ってくると、このあたりの処理が加速できるのだ。

 だが、加判衆の交代という一大事だからこそ、大名がわざわざ決済する政治ショーでなければならない。


「その場に八郎様がおられるのとおられないのでは、府内でのその後が違いまする」


 俺がこの政治ショーに参加するメリットは、臼杵家が俺を支援するという意味合いがある。

 俺は淡々とそれを告げる田原親賢を眺める。

 彼が言わなかったもう一つの理由に感づいたからだ。


(田原親宏が退いた事で田原親賢の加判衆就任の最大の障害が消える。

 俺が出る事で、田原親賢の加判衆就任を支持しろという訳か)


 豊後より離れた所に大領を持った戸次鑑連や吉弘鑑理は加判衆としての仕事が難しくなる。

 彼らを方分や城督や守護代等の現地司令官として常駐させる以上、加判衆の再編は必然と見られていたのである。


「分かった。

 しばらくは府内に留まっておこう。

 だが、早めの出陣を希望するぞ」


 俺が妥協してため息をつく。

 猫城奪還そのものはあくまで建前で、本音は毛利戦のコントロールであり、俺が府内政局で粛清されないための策である。

 現状俺を粛清する理由がない以上、府内に留まって政局のコントロールをした方がまだ生き残りは容易だろう。

 会談を終えて立ち上がろうとしたら、加判衆の志賀親守が軍師の角隈石宗を連れて入ってくる。


「おお。八郎様。ちょうどよかった。

 田原殿と共にお呼びしようと思っていた所で」


 角隈石宗の言葉に俺は身を固くする。

 加判衆と側近衆が仲良く俺を呼ぶという事はあまりろくでもない事だろうと察した。

 そしてそれは志賀親守の言葉によって的中する。


「南の方が騒がしくなってまいった。

 日向国伊東家が土持家を経由して支援を求めてまいった」



 

 日向国は伊東家が全部支配している訳ではない。

 中でも日向国北部に根をおろす土持家は、日向国伊東家と複雑な縁で結ばれている。

 土持家が古くから日向国に土着していた国人衆で、伊東家が鎌倉時代に下向した御家人という大友家と大神国人衆まんまの関係は豊後国と同じく破綻。

 伊東家の勝利に終わったが、土持家は伊東家の風下に立つ事を嫌い大友家に従属していた。

 そんな縁から土持家経由での支援など本来は考えられなかったが、木崎原合戦の大敗と肥後国における島津家と大友家の対立がこれを可能にした。

 この木崎原合戦で伊東家が大敗し相良家が島津家に降伏した結果、島津家は南肥後を領有する事になり、その境界確定で相良家のかつての同盟国だった阿蘇家と揉めに揉めていた。

 更に、大友家に反旗を翻した我が兄こと菊池則直が暴れた隙を突いて天草も島津家の領有する所となり、大友家からすれば面白い訳がなかった。

 このような報告を大友宗麟立ち会いのもとで志賀親守が報告する。

 参加者は、


 大友宗麟

  側近衆

   田原親賢

   角隈石宗

   柴田礼能

   佐伯惟教

   浦上宗鉄


  加判衆

   志賀親守

   田北鑑重

   木付鎮秀

 

  田原親宏 (加判衆辞任予定)

  臼杵鑑速 (加判衆再任予定)

  大友鎮成 (一門衆)


 俺個人からすれば呼ばれたくはないのだが、島津対策という特大の死亡兼生存フラグが立ちつつ有るので出ないわけにはいかない。

 そして、参加人数から見える加判衆の弱体化。

 田原親宏と臼杵鑑速を呼んで加判衆の発言権を用意したのは誰の入れ知恵か。

 ついでに言うと、側近衆と加判衆を同数にまとめて、俺がキャスティングボードを握れるようにしたのは誰か?

 考えられる犯人を俺はわざとらしく睨むが、犯人らしい角隈石宗は坊主らしい澄ました顔で大友宗麟の後ろに控えている。


「それで、伊東家は何を求めているのだ?」


 説明を聞き終えた大友宗麟が、取次となった志賀親守に尋ねる。

 このあたり、情報伝達手段が発達していない世の中ゆえに、取次ぐまでに複数の人間を介する。


「はっ。

 土持親成殿曰く、彼の城にやってきたのは伊東祐松殿の手の者にて、具体的な内容までは聞かされていないそうです。

 向こうとしても、まずはという所でしょうか」


 志賀親守の言葉を聞きながら俺は手ぬぐいで冷や汗を拭う。

 今の発言にやばい所が色々とあったからだ。

 まず、大名である伊東義祐の名前が出てこない。

 この手の外交は同格の交渉を基本とする。

 伊東義祐は従三位という高い官位を持っているから、大名が出て来るまでもないという解釈も取れなくもないが、支援を求める方でこのプライドは大体確実に揉める。

 更に、使者が伊東祐松というのがヤバさに拍車をかける。

 伊東帰雲斎の方が名前が残っているかもしれないが、伊東義祐の寵臣で専横が激しく他の家臣達に恨まれていた。

 木崎原合戦の敗戦の責任を大名に背負わせない場合、その泥を被るのが彼になるのだが、同時に大友家が伊東家の派閥争いに巻き込まれる事を意味する。


「我らも肥後国で島津と揉めているので、手を差し伸べると踏んだか。

 その読みは悪くはないな」


 田北鑑重が感心した口ぶりで呟く。

 彼が監視している筑前国は肥後国の北にあるから、肥後国で何かあった場合後詰めに駆り出されるからだ。


「とはいえ、毛利の戦の後始末の完全に終わっていないのに、島津と揉めるのは手が回りませぬぞ」 


 柴田礼能が強い口調で牽制する。

 それに佐伯惟教が同調する。


「左様。

 せめて博多を奪還した後でないと、兵を南に向ける事は苦しいかと」


「なぁ。主計頭。

 ここで菊池の名、名乗るつもりはあるか?」


 大友宗麟の一言で場が完全に凍りつく。

 それの意味する所は一つだ。

 菊池家復興。

 俺を火薬庫の肥後の司令官に据える事で、島津方面の担当とするのは悪くはない提案だ。

 だが、それは何度も大友家が失敗してきた政策の繰り返しでもある。


「お屋形様。

 それがし、父や小原殿みたいに謀反の果てに滅びたくはございませぬぞ」


 俺の物言いに大友宗麟が目を細める。

 楽しんでいるのか、いたぶっているのか俺には分からない。


「まるで肥後に入れば謀反を起こすという言い方だな」

「おそらくそれがしを旗頭に担いで、謀反が起きましょう。

 元々、毛利狐の策がそれだったではございませぬか」


 俺の物言いに大友宗麟が笑う。

 どうやらわざと振る事で俺の立ち位置を確認したかったらしい。


「肥後に入らねば、烏帽子親の首を取れと命じることになるが構わぬか?」


 内々の話ではなく、評定としての公的な場での発言。

 それだからこそ、俺は迷うことなく言いきる。


「それがしは、その為に九州に帰ってきたのでございます。

 お忘れか?」


 ここまで公的な場所で言えば、誰も文句は言えない。

 少なくとも、毛利戦が俺の担当であり、それまでは粛清が回避される事はこれで確定となった。


「話を戻そう。

 伊東家からの申し出、どうする?」


 大友宗麟の問いかけに、最初に口を開いたのは角隈石宗だった。


「助けることで益はありますが、深入りは避けるべきかと。

 伊東三位殿への支援は、一条家、今は鷹司家でしたか。

 そこを通じて行えばよろしいかと」


 彼の息子だった伊東義益の正室が土佐一条家の娘で、その縁で一条家と繋がりがある。

 その線での迂回融資という訳だ。


「いくら出す?」


 大友宗麟の言葉に即座に返事をしたのが田原親賢である。

 彼はこのあたりの計数に強い。


「少なくては怒りを抱き、多くては侮られましょう。

 二千貫ぐらいでよろしいかと」


 一合戦の褒美、大名からの臨時ボーナスならば十分払える額である。

 伊東祐松が着服しなければ。

 それを言えない俺はこの話を聞かなかったことにした。  

伊東祐松 いとう すけます

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