第三次姫島沖海戦
今から未来の話。
この国より遠く離れた南方の地にて、世界第一位の海軍と世界第三位の海軍が死闘を演じる事になった。
その勝敗を分けたのは、船の性能でも将兵の士気でもない。
稼動船舶と投入可能船舶の差であった。
当たり前の話だが、船と言うものは整備が前提となる乗り物である。
そして、船と言うのは訓練をしなければ満足に動かせず、海軍になる前の水軍ですら必ず根拠地を必要としていた。
大友水軍と毛利水軍が死闘を繰り広げた姫島沖というのは、大友家の水軍根拠地の一つである国東半島に近く、毛利水軍は前線根拠地である屋代島から出撃しなければならなかったのである。
それでも、水軍の数と将兵の錬度で押し勝てると毛利水軍は考えていたのだろう。
それをひっくり返した誤算が三つ存在していた。
一つは、豊前国の水軍衆の参戦。
大友家が豊前国の大部分を押さえていた事が、この参戦を可能にした。
水軍大将として豊前水軍衆を率いるのは多胡辰敬で、これに再建途中の浦部水軍が加わり大小合わせておよそ三十隻の船団が援軍として国東半島に移動していた。
もう一つは、日向彦太郎が繋ぎをとった倭寇の参加。
派手にふっかけられたらしいが、海戦前にジャンク船十三隻を確保できたのはものすごく大きかった。
最後は俺が策を出して臼杵鑑速が実行した南蛮船の協力。
府内に停泊していた南蛮船が了承してくれた事で、大友水軍はなんとか姫島沖に戦力をかき集めることに成功したのである。
こちらの想定外の戦力再編で、国東半島に毛利軍を上陸させて撃破するというプランは没になった。
当たり前だが、上陸させたらそこが荒されるからだ。
大友水軍
総大将 臼杵鑑速
若林水軍 三十隻
豊前水軍 三十隻
佐伯水軍 二十隻
宇和島大友水軍 十三隻
南蛮船 一隻
合計 九十四隻
一方の毛利水軍だが、小早川隆景が九州に上陸した事で指揮は小早川家の将である乃美宗勝が指揮を執っていたらしい。
彼自身水軍大将として名将だが、複数の水軍をまとめて指揮するには格が落ちる。
これは、第二次姫島沖海戦で大打撃を受けた大友水軍が信じられない速さで戦力を再編させるとは考えていなかった事があげられるだろう。
おまけに、毛利水軍は九州に上陸している毛利軍の兵站を担っている。
大友水軍を警戒して臨戦態勢で船を遊ばせる余裕は、毛利水軍ですら無くなっていた。
毛利水軍が姫島沖に大友水軍の存在を知った時、村上水軍と共に九州への物資輸送任務中だった。
それを中止して屋代島にて物資を降ろした毛利水軍は大友水軍迎撃の為に出撃する。
その数は、九十隻。
毛利水軍
総大将 乃美宗勝
毛利警固衆 五十隻
村上水軍 二十隻
周防水軍 二十隻
合計 九十隻
姫島沖をジャンク船がこれみよがしに遊弋し、その背後にある国東半島では密かに集結した大友水軍が隠れて毛利水軍を待ち構えていた。
そして、毛利水軍の出陣に伴ってジャンク船は後退し、大友水軍と死闘が始まった。
大友水軍は安宅船を前に出して防御を固め、毛利水軍はそれをかいくぐろうと小早船や関船で隙を窺う。
海戦は毛利水軍優位に進んでいたが、後退したジャンク船が迂回して横を突こうとする動きを警戒してなんとか膠着状態を作り出していた。
それが崩れたのは、大友水軍の切り札である南蛮船の登場だった。
ポルトガル人が操る大型のキャラック船は数門の大砲を装備しており、船腹を晒して毛利水軍に砲撃を始めるとその効果は露骨に現れた。
積んでいるカルバリン砲が火を吹いて、数隻の小早船が一撃で沈められると毛利水軍に動揺が広がる。
その動揺を広げるようにジャンク船が機動力を武器に背後に回ろうとすると、毛利水軍はついに崩れた。
こちらの損害は安宅船一隻、関船八隻、小早船二十隻に対して、毛利水軍は安宅船三隻、関船十一隻、小早船三十八隻の損害を出して敗走する事に。
なお、安宅船二隻、関船三隻、小早船五隻が降伏し、殿として奮戦していた乃美宗勝を捕虜に出来たという幸運つきである。
これだけならば、戦術的勝利で最終的にはこちらの戦略的敗北の判定を免れないだろう。
それをさける為に俺が進言した一手が、この合戦の戦略的勝利を確定させた。
「八郎様。
お見事でございます。
門司に派遣した物見の報告によると、門司城の連中は南蛮船の砲撃に慌てふためていてるとか。
教えて頂けたならば、そのまま攻め落としていたのですが」
第三次姫島沖海戦の後に府内で開かれた宴会での席で、多胡辰敬は俺に酒を注ぎながら嬉しそうに戦果を報告する。
南蛮船による門司城砲撃。
今回は前回と違い、大友の将が乗り込み指示した陣地を徹底的に砲撃させた為にその威力は抜群だった。
南蛮船という新時代の兵器を投入しその脅威を見せつけた後で、その兵器が戦略拠点を砲撃するという脅威をこれでもかと毛利水軍に見せつけた結果は面白いぐらいにはっきりと現れていた。
吉岡長増の買収工作に態度をはっきりさせなかった村上水軍は、海戦後の消耗回復を理由に毛利家に対して中立を宣言。
稼働船舶が激減した毛利水軍は連絡線の維持に四苦八苦し、門司城の防衛に戦力を割かなければならない状況になっていた。
それは、大友家本来の戦略目標である博多の守備兵力が減少する事を意味している。
「八郎様の策が見事に当たりましたな!
臼杵殿も喜んでおられましたぞ!」
リベンジができた田原親宏も笑顔を隠さない。
加判衆辞任の申し出と、後任に臼杵鑑速を推挙する事は既に大友宗麟および加判衆の賛同を得ており、臼杵鑑速の血縁関係から吉弘鑑理や戸次鑑連等が敵に回らなくなった事で俺の粛清リスクは大幅に低下することになるだろう。
「吉弘様と斎藤様は無事に与えられた城に入られたそうで。
毛利の勢いもこれで陰りが出る事間違いないでしょうな!」
俺の隣りにいた大鶴宗秋の口調も明るい。
岸岳城城督の斎藤鎮実と柑子岳城城督の吉弘鑑理は竜造寺家を始めとした肥前国国衆の支援のもとで城に無事に入っていた。
これを邪魔しようと高橋鑑種や毛利軍が動こうとしたのだが、南から戸次鑑連が圧力をかけていたのでついに動けずにこの二将の城入りを見送る羽目に陥ったのだった。
それが意味する事は一つだ。
俺が狙っている猫城奪還がしやすくなるという事。
「ああ。
毛利は苦しかろう。
だからこそ、我が猫城を取り戻すのは今しかないと心得よ!
皆の働き、期待しているぞ!!」
まったくそんな事思っていないのだが、士気高揚の為に俺は明るく振る舞う。
そんな宴は朝まで続けられた。
翌日。
有明と火山神九郎と日向彦太郎、護衛の井筒女之介と伝林坊頼慶を連れて府内の市場に向かう。
第三次姫島沖海戦の選択をした代償を見届けるためだ。
ずらりと並ぶ裸の女たち。
毛利領内で安く買い叩かれた彼女たちは、これから大陸に売られてゆくことを知らないし、それを決めた男が目の前にいるのも知るわけがない。
「服は無いのか」
「服も銭になるからな。
身を売る前に借金の形として押さえられたらしい。
本当に身一つだ」
俺は火山神九郎と日向彦太郎の会話に口を挟まなかった。
村上水軍を中立に追い込み、長く続く戦の戦費を賄う一助になる毛利領内からの奴隷購入による収入は、一回の航海で一万貫もの収入になると試算されていた。
大陸から火薬と食料を買いつけて畿内に売り払い、奴隷を大陸に売り払うこの交易での俺の取り分は全体の三分の一。
もう三分の一は府内商人経由で大友家の懐に入り、残りは村上水軍の取り分になっていた。
日向彦太郎が調達したジャンク船はこの為に使われるらしい。
これが第一陣で、第二陣以降が既に伊予に待機しているとか。
それがどれだけ近年の飢饉の厳しさと、毛利家の経済的疲弊を物語っている。
「何だか、あまり悲惨そうな顔がないね」
「売り物だからな。
飢えさせると、売れんから最低限は食わせるだろう。
飢饉で食えずに田舎から売られた奴は今の方が幸せなのかもしれん」
男の娘の疑問に伝林坊頼慶が答えてやる。
それを耳にしながら裸の女たちに商人たちが値をつけてゆくのを眺めていたら、明らかに顔が違う女たちに気づく。
不安でも安堵でもない彼女たちの顔に浮かんでいる感情は、幸福だった。
「ん?
あの女たちはえらく笑みを浮かべているな?」
「ああ。
あれは伴天連にはまった女たちですね。
伴天連の坊主の話だとこの世は地獄で、死後の極楽に行く為の試練なのだとかなんとか。
何をされても喜ぶので、高く売れるんですよ」
俺の質問に火山神九郎が答える。
宗教で洗脳して快楽で逃げられなくして自ら堕ちた女たち。
くすりとした笑い声と共に有明が懐かしそうに過去を振り返る。
「私にもあったなぁ。
あんな時期。
八郎が救ってくれると信じてたけど、それまで男の上で腰を振るのが凄い苦痛だったのよね。
ある時、それがふっきれてね。
それがなかったら、私は八郎に救われる前に終わっていたと思う」
有明の顔は懐かしそうでもあり、寂しそうでもあり。
ただ、言葉に残る甘さと寂しさはなんとなく俺にも分かった。
「私の時墜ちたのは、御陣女郎として足軽たちに使われた後で博多に戻って大店の旦那に抱かれた時かな。
酒も飯も出て、一人を相手にすればいい。
なんて楽なんだろうってね。
その時出た味噌粥の味は今でも覚えているわ。
美味しかったなぁ……」
そこまで有明は過去に浸って、俺の方を向いて女の顔に戻る。
その笑顔は過去ではなく、俺に向けられている。
「気にしなさんな。
女は感情が満たされれば自分をだませるのよ。
いつでもどこでも、最後の時まで女である限りはね」
俺の内心を察していたのだろう。
泣きそうになるのをぐっと我慢する。
そんな有明の心遣いが今の俺にはとてもありがたかった。
「ん?
何か大陸の商人が近づいてくるが何言ってんだ?」
商売人の笑みを浮かべて大陸商人がやってきたので男の娘と伝林坊頼慶が俺と有明を守る形で立ちふさがり、話ができる火山神九郎と日向彦太郎が話を聞き出す。
理由を聞くと、たまらず俺と有明は吹き出してしまう。
「そこの裸の女を売って欲しいそうですよ」
「こんな女大陸にもそう居ない。
銭はいくらでも出すだそうで」
拒否しようと口を開こうとして、有明に機先を制せられる。
スタイリッシュ痴女な彼女の笑顔には、全てを受け入れた菩薩のような慈愛ともう目の前の裸の女たちとは違う優越感が混じり、俺の腕にだきついて高らかに今を肯定した。
「お生憎様。
今の私は、八郎のものなの。
欲しかったら、国一つ持ってきなさいな!」
その夜。
俺は万感の思いを全て有明にぶつけ、有明は何も言わずに笑顔でそれを受け止めてくれた。