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波紋 その2

 毛利元就死す。

 この衝撃は西国に激震として轟いた。

 三好長慶の時とは違って天下と直接絡んでいないからその影響力は西国に限定されるが、それゆえに影響を受けた西国では深く致命的なまでに誰もが対応をせねばならなかったのである。


「まだ確認はとれないのか!?」


 八つ当たりに近い怒声を俺は出してしまうが、申し訳なさそうに果心と井筒女之助が首を横に振って我に返り謝る。


「すまん。

 八つ当たりをしてしまった。

 どうして、その確認がとれないのか聞きたい」


 苛ついたからといって状況は何も改善していない。

 宇和島城の広間中央に座って目を閉じて経を読んで心を落ち着ける。 

 適当に経を読み終えてとりあえず心を落ち着かせて目を開けると、果心がその理由を口にした。


「時が悪うございます。

 八郎様が宇都宮領を押さえた後なので、手持ちの間者をそちらに貼り付けねばなりませぬ」


 最大の理由がこれだ。

 新領地を得た直後が一番反乱が発生しやすいのだ。

 そのため、新領地である旧宇都宮領の掌握の為に、石川五右衛門の一党と伝林坊頼慶を投入していた。

 大名が交代し貫高払いに変更した代償に領地召し上げの形になるので、旧宇都宮家領内がまだ固まっていないのだ。

 その状況で毛利の間者が残って焚き付けたら一揆が簡単に勃発しかねない。

 伝林坊頼慶は僧として村々を周り、石川五右衛門の一党は野党・山賊の摘発と毛利の間者発見を命じている。

 領地安定には一年はかかると考えているから、外に間者が出せない事が足を引っ張っていた。


「後はご主人の身を守るのも怠ったらまずいし」


 散々毛利の間者と争っていた井筒女之助は、未だ俺の身を毛利が狙っている事を暗示していた。

 果心妊娠時は柳生宗厳と上泉信綱が護衛として居たのでなんとか守れていたが、果心出産後は二人を将として使っている。

 井筒女之助は両方、無理ならば片方を護衛に戻して欲しいと頼む。


「果心さんはまだ本調子で無いし、僕だけじゃ不安なんだ。

 今の状況でご主人が倒れたら、ここはとんでもないことになるから御身だけは大事にして欲しい。

 僕の本心からのお願いだよ」


「こっちも間者が大忙しだが、毛利の方も大忙しじゃないのか?」


 ふと思った疑問を俺は口にして尋ねたが、毛利と散々影で戦い続けた鉢屋衆出身の井筒女之助はそれを甘い考えと否定する。


「毛利家には間者組が三つあるんだ。

 この間来た杉原盛重が率いる間者集団。

 これについては言わなくてもいいよね」


 先ごろまで伊予の闇の中でさんざん争ってきた連中である。

 毛利軍の伊予撤退と共に彼らも四国を去っていたはずだが、その残党が残っている可能性を排除するための石川五右衛門の一党と伝林坊頼慶の投入である。

 男の娘は立てていた指を二つにして続きを語る。


「次に毛利の間者組織の中核たる世鬼一族。

 毛利の間者組織と言えば、本来はこっちを指すんだよ」


「ん?

 杉原盛重が率いる連中とこいつらは何が違うんだ?」


 俺の質問に、男の娘は簡単な例えを出す。


「僕と果心さん達と石川五右衛門の一党の差」


 納得。

 つまり、使い捨てにできる仕事を任せたのが杉原盛重が率いる連中であり、使い捨てに出来ない重要な仕事を任せるのが世鬼一族という訳だ。

 俺が腑に落ちたのを確認した上で井筒女之助は続きを口に乗せる。


「この二つが毛利領内を動き回っているのは確認できるんだ。

 おそらく、西国のほとんどの大名が毛利領内に間者を送り込んでいるからね。

 けど、最後の一つの動きがまったく見えないんだ」


 ここで果心が口を挟む。

 男の娘の説明の補足なのだろう。


「八郎様は領土に較べて間者を多く抱えておりますが、それでも数十人を越えませぬ。

 それに対して西国十数か国を抱える毛利家は忍びの家を四十数家も抱えております。

 純粋な数で押されると我らですら危ういかと。

 井筒女之助が柳生宗厳と上泉信綱を護衛に戻して欲しいというのはこういう理由があります」


 家単位で例を出すなら、有名な甲賀忍者が五十三家。

 甲賀忍者集団と少し劣る規模の忍者集団を毛利家は抱え込んでいる訳だ。

 そりゃ鉢屋衆をはじめとした各国に雇われた忍者集団が潜り込んでも、なかなか核心に迫れない訳だ。


 俺のため息を見ながら井筒女之助は更に一つ指を立てた。

 こいつが毛利家間者組織の最強集団だとケレン目たっぷりに。 


「最後が毛利元就直属の座頭衆。

 大内や尼子に流言を流して滅亡に追い込んだ奴らがこいつら」


 座頭などの盲目の者達を自領から追放し、退去する盲目の者達に自らの間諜を紛れ込ませて各地へと散らしたのが座頭衆である。

 その中でも四人の琵琶法師を重用し、尼子新宮党粛清に一枚噛んだと言われている凄腕集団だ。

 もちろん、目が見えないからと言って侮ると火傷するのは言うまでもない。


「ここの動向が本当に掴めないんだ。

 完全に動きを消している」


「ん?

 後継者の毛利義元についていないのか?」


「忠誠度が強すぎるから離れたのかもしれない。

 これも僕や果心さんを見れば分かると思う」


 要するに家の家来ではなく、個人的な主従関係というのがこの話のポイントだ。

 その為、毛利元就死後に彼らが動かないのは、彼らが毛利家から去ったか、粛清されたか。

 いかん。

 また思考の迷路に落ちるので、あえてその問を二人の前に晒す。


「なあ。

 毛利元就は死んだと思うか?」


 少し考えて井筒女之助が答える。

 自分自身信じていない顔で。


「普通は死んだと思う。

 わざわざ告知して、起請文を国衆に求めるって言うんだから」


 死亡通知と起請文の提出は代替わりを意識させ、もし生きているのならば毛利元就の影響力を決定的に弱めることになる。

 そんな博打を毛利元就は打つかというのが井筒女之助の顔の理由なのだろう。

 一方、果心は別側面からこの問そのものに疑問を投げかける。


「問題なのは、毛利元就が生きていようと死んでいようと問題がないという事では?

 大陸の言葉ですが、『死せる諸葛、生ける仲達を走らす』とあります」


 果心の言葉は俺にはこっちの方がわかりやすい。

 『死せる孔明、生ける仲達を走らす』と。


「この報告が諸国に広がる前を思い出してくださいませ。

 毛利軍が伊予から去り、出雲では尼子が力尽きて和議を結びました。

 つまり、吉川元春と小早川隆景が疲弊しているとはいえ動ける状況なのです」


 果心が何を言わんとしているのか俺は察する。

 要するに、毛利元就死去後の大反乱祭りにこの二大エースを投入できるという事なのだ。

 おそらくそれを察してか、まだ毛利領内で反乱の報告は届いていない。


「殿。

 よろしいですか?

 まずい事になりました」


 まずいことなのだが、落ち着いた足取りで柳川調信が部屋に入ってくる。

 とはいえ、顔色が悪いので本当にまずい事らしい。


「何が……まずいことだったな。

 続けてくれ」


「毛利元就の死去で大内家再興の機運が高まっているのですが……それを利用して竜造寺隆信と高橋鑑種が降伏を打診してきました。

 竜造寺隆信が大内輝弘に高橋鑑種が大内義胤にです」


「は?」


 こいつ何を言っている?

 竜造寺隆信が大内輝弘に高橋鑑種が大内義胤につくという事で……まずい!


「まさか……」

「そのまさかです。

 大内殿の処遇をめぐって、大友軍内部が割れつつあります」


 その決定的な一言にたまらず天を仰ぐ。

 やりやがった。毛利元就。

 死んでいるか生きているか知らないが、こういう事をやらかしてくれるからチート爺なのだ。

 これだけ派手に謀叛をやらかしている竜造寺隆信と高橋鑑種の降伏を大友家が認めるのかという話だが、史実だと認めていたりするからたちが悪い。

 それも大友家が戦国大名ではなく、守護大名という側面を抱え込んでいる、つまり国人衆の動向を無視する事ができないという所に起因している。

 おまけに、大内家の復興を戦の大義名分にしているから、大内家の家臣として復興の手伝いをするという名目を拒否する事ができない。

 ついでにいうと、無能ではない大友宗麟と大友家加判衆は大内家復興の裏目的に勘合貿易の復活を視野に入れているだろう。

 とどめに、木崎原合戦から連鎖して肥後情勢が急変しているので、損害無しで戦が終わるのならば、それに越した事は無い。



 ……大内輝弘と大内義胤の仲が決定的にこじれ、おそらくどちらが家督を手に入れるかで合戦になりかねない事を除けば。



 大友領内で同士討ちなんて事を避けるためには、決定的な復興の資格を得る目的を掲げるしか無い。



 つまり、この戦の戦略目標である門司・博多・肥前国村中城が、海を越えて周防国山口へ。



 その山口に一番近いのが、俺が合流する予定の大内義胤が居る田原親宏の部隊。



 あれ?これ、


  大友鎮成-田原親宏-大内義胤-高橋鑑種

  大友宗麟-田原親賢-大内輝弘-竜造寺隆信


の対立に連鎖しないか?

 多分高橋鑑種と竜造寺隆信は繋がっててこの対立に油を注ぐ。


「ははっ……」


 乾いた笑いが漏れる。

 あまりに見事すぎて、もうしてやられたというよりもあっぱれとしか言えない。

 基本的には、戦略の失敗は戦術で補うことはできない。

 だからこそ、戦略の失敗を政略でフォローしやがった。

 己の死を利用して、大反乱祭りを誘発せて、俺達を完全な死地に追い込むつもりだ。


「諸将を集めてくれ。

 対応を協議したい」


「「「はっ」」」


 俺の声に果心・井筒女之助・柳川調信が声を同時にだして俺の元から去る。

 俺はそのまま床に寝っ転がり目を手で覆って呻く。

 これが本物の渾身の罠。

 それが己に牙を向こうとしているのに、あまりの見事さに笑うことしかできない。


「……八郎。

 何やっているの?」


「己の才能の無さに絶望している所」


 手をのけると、有明が俺の顔を覗いている。

 俺を見下げたまま有明は腰に手を当てて呆れた。


「何もない寺暮らしから私を助け出して、大名にまでなったのに才能がないって何の冗談?」

「小さな国人衆からはじめて、西国十数ヶ国の大大名に成り上がった爺の渾身の策だよ。

 年季が違う」

「そりゃ無理よね」


 苦笑する有明が腰をかがめて俺の耳元で囁く。

 その声が、やさぐれた俺の心を溶かしてゆく。


「けど、私は八郎がなんとかするって信じている。

 私をなんとかしてくれたのだから」


 そのまま有明にしがみついて口づけする。

 この幸せを壊したくない以上、なんとかしてこのチート爺渾身の策をかわさないといけない。

 そう思うと、やる気が出てくる。


「じゃあ、なんとかしないといけないな」

「んっ……続きは閨でと言いたいけど」


 いたずらっぽく笑って有明が離れる。

 そういえば諸将を集めていたのだ。

 早く来た幾人かは気をきかせて見ないようにしているのが微笑ましい。

 わざとらしく咳をして改めて座る。

 有明は俺の後ろにいつものように控える。


「さて、皆を呼んだのは毛利元就が死んだ事に絡んでのことだ。

 それによって……」




「なぁ。有明。

 毛利元就って死んだと思うか?」


 評定終了後、なんとなく有明に尋ねたら有明は少し考えて答えた。

 まるで、今日の天気は晴れか雨かを考えるかのように。


「生きているんじゃない?」


 多分、この策は毛利元就が生きていようが死んでいようがどっちでもいいのだろう。

 そういう策を毛利元就は作れるし、作ってきたからだ。

 おそらく知らないからこそ、有明は直感的にその罠を回避する。


「その根拠は?」


「女の勘」


「そうか」


 そう言って有明は笑い、俺も釣られて笑う。

 彼女を助けてよかった。 

 心からそう思った。

大友家の闇編で、毛利忍者による八郎襲撃を加筆する予定なので、毛利忍者の説明はそちらに移す予定。

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