勝ってもないのに先を考える死亡フラグを立てるがそもそも死亡フラグしか無い件について
大洲地蔵岳城にてゆるやかに毛利軍と対峙しているのだが、別に遊んでいる訳ではない。
既に宇都宮領の征服を規定路線としての論功行賞と新領地統治について動き出していた。
「よくぞこの城を守り抜いてくれた。
このままこの城を預けたいが如何か?」
「ありがたきお言葉、感謝いたしまする。
それがしを助けて頂いた恩を返す為にも、どうかそれがしを殿の旗下に加えていただきたく」
地蔵岳城の広間で行われた大野直之とのやり取りそのものがまず政治ショーとして周知される。
もちろん、双方仕込み済みの芝居だ。
「よくぞ言った!
この城と領地については大野直之に一任しよう。
好きなだけ持ってゆくと良い」
「ありがたき幸せ。
ですが、この城は大洲の要ゆえ殿の城にてございます。
それゆえに、この城を守る高森城を頂きたく」
高森城というのは、大洲盆地と宇和島を繋ぐ夜昼峠の大洲盆地側出口の城で、城主梶谷景則は毛利側について大野直之と激しく対立。
大野直之の攻撃で城は落ち、一族は毛利家を頼りに落ち延びていったという。
こちらの生命線である夜昼峠を塞ぐ事もできれば、地蔵岳城に後詰を出す事もできる訳で、城選びからも彼の才能が見える。
「欲がないな。
その城とこの地蔵岳城の城代を任せる。
領地もきり良く一万石くれてやる。
この地、しかと復興してみせよ」
「はっ!!」
同盟国なら旧宇都宮領をぽんと丸投げできたのだが、こっちに入る形になったのは主要収入源の大洲盆地が戦場になったからで、その復興にかなりの銭がかかると分かったからだ。
そのくせ、今回のように大国の間の緩衝地帯のままだと、どちらかが戦争を意図してしまえば蹂躙されて復興もままならない。
少なくとも俺の所に入れば復興資金に困ることはないという訳だ。
で、その場合の所領だが外様ゆえにある程度の領土を渡し、序列は下に置くという形にしてバランスを取ることにした。
大野直之が下がると、続いて一万田鑑実と南方親安の二将が前に出る。
「良く佐田岬半島を守ってくれた。
それぞれ宇都宮の領地より加増し、一万田鑑実は九千石、南方親安は六千石とする」
「ありがたき幸せ」
「殿の配慮に感謝いたしまする」
以下、占領地を吸収する形で行われた領地再編である。
西園寺十五城が完全に手元に戻っただけでなく宇都宮家の領土をあらかた食べた形になっている。
毛利軍占領地およそ一万石分を除いた宇和島大友家の領地はこんな感じになる。
大友鎮成 黒瀬城主
大友鎮成 地蔵岳城主
大友鎮成 宇和島城主 六万三千石
雄城長房 天ヶ森城主 八千石
法華津前延 法華津本城主 五千石
吉弘鎮理 金山城主 五千石
小野鎮幸 大森城主 三千石
入田義実 高森城主 四千石
北之川通安 三滝城主 六千石
魚成親能 竜ヶ森城主 二千石
一万田鑑実 萩之森城主 九千石
南方親安 元城主 六千石
渡辺教忠 河後森城主 一万七千石
土居宗珊 常盤城主 六千石
大野直之 高森城 一万石
合計 十四万四千石
忠誠UPと端数の整理を狙った加増によって諸将の石高を整理し、統治コストの削減目的で奉行や城代を派遣していた白木城と一之森城を廃城する。
ここに派遣していた奉行や城代を旧宇都宮領の再建に回すという訳だ。
なお、この加増に加わらなかった雄城長房と入田義実だが、奥に室を送っている一門衆扱いという事で加増を断った。
大鶴宗秋の次に家老になる事が決定している一万田鑑実が九千石で、外様トップである渡辺教忠が一万七千石。
その間をうまくもらった大野直之の有能ぶりが光る。
「年貢については全領地において三年間免除。
今回の戦でかかった費用は全て俺に回せ」
大盤振る舞いだが、これも旧西園寺領での年貢免除が終わったからだ。
更に飢饉を予測しての食料の買い占めに成功し、二十四万貫の銭と十二万石もの食料が宇和島の蔵に蓄えられているの知った時は唖然としたが、多分九州の戦であらかた消えると考えるとなかなか虚しいものがこみ上げてくる。
次に復興の奉行の任命だが、今の奉行衆は宇和島城と黒瀬城の面倒を見ないといけないので、抜擢することにする。
その抜擢する二将が姿を現す。
「得能通明。
お呼びにより参上いたしました」
「同じく井上重房。
お呼びにより参上いたしました」
佐田岬半島攻防戦にて奮戦した二将である。
彼らの奮戦は、彼らが民を慈しみ、備えを怠っていなかったからこその結果である。
その功績には大名として報いなければならない。
「よく来てくれた。
お主らが城を守った功績は、大将首をとったに等しい。
よって、地蔵岳城の奉行職に任命する」
「ありがたき幸せ。
ですが、おききしたい事が一つ。
我らが大洲に行く間、我らの城はどうなるので?」
これも実は先に根回し済みである。
変なサプライズで忠誠度を上下させるより、きちんと根回しして落とし所を用意しておく。
今後入ってくるだろう旧宇都宮家家臣団へのアピールの為に。
「月ごとに一人は地蔵岳城に詰め、一人は城に残りこの地を守ってもらう。
また毛利が来るかもしれぬから、備えは万全にしておけ。
奉行の間、お前たちにそれぞれ三百貫加増する。
しっかりと励め」
「はっ」
「承知いたしました」
砦とは言え城持ちの領主の直臣化なので、これぐらいの優遇はする。
成功したら城主としてもっと良い城をあげる事も考えたが、実は佐田岬半島は蜜柑に海産物に牡蠣に真珠とかなりの内政商品の試験場として直轄化した経緯がある。
その実務者がこの二将なので、一気に外すのが難しいというのもあったり。
長崎城で戦火を食い止めたので、これらの内政商品への被害が少なかったのがありがたい。
「ご主人。
ちょっといい?」
論功行賞と新領地の統治方針を指示した後、井筒女之助から密書を受け取る。
それをさっと読んだ俺は大鶴宗秋と一万田鑑実を呼ぶ。
「一万田鑑実。
俺は黒瀬城に行くのでここを頼む。
長宗我部との話し合いで、向こうが攻めるなら乗って長浜を攻めても構わない。
大鶴宗秋は付いてこい」
「何が起こったので?」
一万田鑑実の問いかけに、俺は井筒女之助から密書を手渡す。
黒瀬城を守っていた雄城長房からの報告だった。
「義父上こと雄城治景殿がお倒れになられた。
医師の見立てだと、長くはないらしい」
「おや。殿。
戦で忙しい時に、わざわざこの老人の死に水をとっていただけるとは」
起き上がろうとした雄城治景を手で制す。
当然ついてきた有明が起こして、南条宗鑑が用意した薬を飲ませる。
あとで知ったが、こちらに来た時から雄城治景の体は良くなかったらしい。
それを押して南予の統治と防衛に奔走した結果、その生命を決定的なまでにすり減らした。
「義父上がここを守ってくれたからこそ、毛利を相手になんとか負けずに済みましたよ」
「ご謙遜なさるな。
その勝利は大将の物。
ならば、殿の勝利でございましょう」
手を振って周りの者を下げる。
残ったのは有明と大鶴宗秋の二人のみで、俺は戦の最中にも関わらずここに来た理由を口にした。
「で、俺は九州の戦の後粛清されると思うか?」
「厳しいでしょうな。
生かす理由が見つかりませぬ」
有明が驚いた顔で俺を見て、大鶴宗秋はある意味納得した顔で俺を見る。
雄城治景が死ぬ前にどうしても聞きたかった事。
大神系国人衆でありながら大友家加判衆まで登りつめ、なお無事だった男の見立て。
俺もある意味予想はしていたが、こうもはっきり言われると苦笑しか出なくなる。
「それがしを始め、義鑑様の代からお仕えした臣が去ろうとしております。
その後釜にお屋形様に初めて忠誠を誓った者達が座ろうとしております。
彼らからすれば、八郎様は邪魔以外の何者でもございませぬ」
この時期大友家では世代交代が発生している。
豊後三老と数えられる、
吉岡長増 天正元年 1573年
吉弘鑑理 元亀二年 1571年
臼杵鑑速 天正三年 1575年
の三人が相次いで世を去っているのだ。
既に死期を過ぎている吉弘鑑理が何で生きているのか不思議だが、病死だったから俺がいじった医療がらみでなんとかなったのかもしれない。
とはいえ、このまま長生きするかというと怪しくて、この時期の寿命にほどよくさしかかっているから怖い。
彼らの死去によって戸次鑑連が博多を任され、その補佐という形で吉弘鎮理こと高橋紹運がつき、府内の政治は大名大友宗麟の独裁と寵臣田原親賢の時代を迎える事になる。
有明と大鶴宗秋を連れたのは、大神一族という血の呪いを知ってほしかったからというのもある。
そして、俺自身大鶴宗秋が先に死ぬという当たり前の事を意識したかった。
「生き残る手立てはあるか?」
「とりあえずは臼杵殿の復権を。
あの御方が府内で睨んでくれるなら、生き残る目はあるでしょう。
……高橋鑑種殿が謀叛なんて起こさなんだら、まだ手はいくらでも打てたものを……」
高橋鑑種の謀叛が無かったならば、加判衆の座に一万田宗家の一万田親実が座っていた可能性が高く、臼杵鑑速も失脚していない。
田原親宏も居るから加判衆の内三人を握っている事になり、臼杵鑑速と政千代の縁で戸次鑑連も敵には回らないだろう。
加判衆の大半が俺の方についてくれるなら、そのまま穏やかに一門衆から同紋衆化してという未来もあったかもしれない。
思わずため息をつく。
高橋鑑種の謀叛が大友家中に与えた亀裂の何と深刻な事か。
「俺絡みで次に起こるだろう騒動は何だと思う?」
臼杵鑑速も数年したら死ぬかもなんて言っても説得力がない。
その為、もう少し掘り下げて起こるだろう大友宗麟と重臣間の対立を聞くことにする。
雄城治景は即座に起こるだろう未来を言ってのけた。
「田原親宏殿と田原親賢の対立。
田原家の粛清は先代大友義鑑公からの悲願でございます。
お屋形様が田原親賢を重用するならば、必ず田原親宏殿を滅ぼしにかかるでしょう」
国東半島に絶大な影響力を持ち、大内家との独自のパイプがあった田原家は大友宗家にとって身内ではなく裏切り者の敵扱いであった。
何よりも、朽網親満の乱と呼ばれる田原家・佐伯家・宇佐神宮が大聖院宗心を擁立しようとした一大クーデター未遂の背後に大内家まで居たのだから、大友宗家にとって許せるわけが無かった。
この乱をからくも乗り切った大友義鑑はその後大友二階崩れで倒れて大友義鎮の時代に移る。
その構図は現在に至るまでそのまま温存されている。
「田原親賢とはそこそこ良い仲だが、義父上とお蝶を討つのは無理だな」
「そこを突かれて田原ともども滅ぼされましょうな」
今は毛利という敵が居るから、まとまっていられる。
だが、この合戦の後毛利が九州から追い出されたら、俺を生かしておく理由が一気に無くなりかねない。
病床なのに有明に支えられる雄城治景の言葉には淀みも躊躇いもなかった。
「その時、他の同紋衆はどう動くと思う?」
「他紋衆で奈多家養子の田原親賢が加判衆を狙うなら、田原親宏殿を滅ぼさねばなりませぬ。
それは加判衆から他紋衆を排除した同紋衆は許しはしないでしょう」
つまり、次の争いは戦国大名化を狙う大友宗麟とその側近グループと、守護大名大友家の藩屏たる同紋衆の対立に他ならない。
史実では、同紋衆の中核だった豊後三老が相次いで世を去ったのでこの対立は起こらなかったが、現在それがどうなるかわからない。
俺は生き残るために大友家内部の反体制派を戦力化し、戦力化した結果、実に都合の良い生贄に成り果ててしまっている。
「つまり、お屋形様に弓引かぬ為には、次の戦、適度に毛利を生かす必要がある訳だ」
「その匙加減、殿ならばできると信じておりまする」
そこまで言って雄城治景は老人らしい笑みを浮かべる。
有明の頭に手を添えて不安を解す姿はまるで本当の親子のように見えた。
「案ずるな。
殿ならばできようて。
小原の血を繋げた殿ならばな」
それは、雄城治景の懺悔。
天井を見上げた雄城治景の目には過去が映っていた。
「あの謀叛の時、儂は小原殿を助けられなんだ。
そこの大鶴殿よりこの話が来た時、受けたのはその償いでもある。
実を言うとな、あの乱の後、儂は安堵したのだ。
これで我が家は生き残ったとな」
そして、雄城治景は俺を真っ直ぐ見る。
射抜くような鋭さをもった視線のまま、雄城治景は俺に頼む。
「最後の頼みと思って聞いてくだされ。
どうか小原の家の復興を。
この娘との間にできる子の一人に小原の名を名乗らせてやってくだされ」
家とはここまで大きなものなのか。
それを俺は理解できないからこそ安請け合いしてしまう。
「ああ。
約束しよう」
その笑顔がとても美しかったから俺は見とれてしまう。
人とは、最後を綺麗に託した時、こうも美しく笑えるのかと。
「これで、黄泉路で小原殿に誇れましょうて」
雄城治景はそれから十日ほど生きて、その後旅立っていった。
彼の葬儀には出陣中の大友宗麟からも使者が来て、盛大に行われる事になる。
とはいえ、葬儀の途中でも戦は続いている訳で、その報告は予想はしていたが入ってきた時に衝撃を受ける。
「日向国木崎原で伊東家が島津家に大敗!
大将以下多く将兵を失ったという事です!!」
「大隅国国合原にて伊東家と同盟していた肝付家が島津一族の北郷家と争い大敗!
大将以下多くの将兵を失ったそうです!!」
「島津義虎が肥後国天草の制圧を進め、菊池則直の軍勢を島原に追い落としたとの事!
菊池則直の生死不明!
相良家は伊東家と肝付家の敗北を受けて島津家と和議を結ぶそうです!!」
ああ。なるほど。
俺が謀叛を起こさずに過ごすためには、次の仮想敵を島津家に誘導しないといけない訳だ。
誰か、この特大死亡フラグを回避するすべを教えてくれないだろうか?