攻守交換
佐田岬半島の戦いは双方ともに数百の損害を出した小さな戦いだったが、戦略環境についてはこの戦いの後劇的に改善する。
飯森城及び喜木津を奪還すると同時に、八幡浜にて戦力の再編を行ったからだ。
小競り合いで疲弊した戦力の為、動けるのは三千ばかり。
毛利軍は水軍衆まで含めるとまだ八千から九千の戦力を擁しているから安心はできないが、大内義胤が九州に渡ったので九州での決戦のトリガーが既に引かれた状態。
遠からず撤退するだろうと俺は読んでいた。
そんな中、大洲地蔵岳城の大野直之から長宗我部元親の使者が来たとの報告が入る。
その使者が持っていた書状を読むと、『苦戦している大友軍へお味方し、兵を出して長浜攻めをお助けする』という勝手働きの通告だった。
「長宗我部元親という輩は、今更来て我らが得る土地を掠め取る腹積もりでしょう。
御曹司。
お断りなされ!」
敵以上に味方が信頼できない戦国の世、柴田紹安の物言いはある意味正しい。
そして、この時代の地方武将に良くある情報格差を見事なまでに体現していた。
「良きことだ。
柴田殿。
この四国、今、この時に三百でも五百でも兵が必要なのだ」
拒否して相手の機嫌を悪くするのも良くはない。
だからこういう時には別の方向に話をすっ飛ばす。
「だからこそ、その兵を持ってきてくれたお三方を賞さねばならぬ。
お受け取りくだされ」
俺が手を叩き、篠原長秀と井筒女之助が銭箱をドンと日田親永・奈多政基・柴田紹安の三将の前に置く。
目が点になる三将とは対照的に後詰の目付として控えていた田原成親は『あーまた始まった』みたいな顔をしているのがちょっと悔しいが今回は無視。
「褒美の前渡しだ。
それぞれに、三百貫ずつ。
受け取ってくれ」
「お待ちを!」
声を上げたのは奈多政基。
残りの二将は混乱しつつも奈多政基に任せるつもりらしい。
「どうした?
銭が足りぬなら、その後の働きで賞するが?」
「そうではございませぬ!
我らはまだ豊後よりこちらに着いたばかりで、戦すら行っておりませぬ!
それなのにこのような褒美を頂くいわれがございませぬ!!」
ドンと銭箱を叩き、中の銭が良い音を立てる。
その音が耳に残る内に俺は否定できない所から奈多政基を言いくるめる。
詐欺師の手法と同じなんて言ったらいけない。
「何を言っているのだ?
俺は府内に後詰を頼み、お主らが来てくれた。
ちゃんと筋は通っているだろう?」
「それはそのとおりなのですが……」
相手が頷いたのを見て、更に追い打ちをかける。
まだ御陣女郎も戦力として組み込ませているので、スタイリッシュ女武者な有明とお蝶の二人を呼んで俺の後ろに座らせる。
三将とも二人の胸をガン見しているが、だからこそ話が何処に飛ぶかわからなくなる。
田原成親が額に手を当てて『あかん。殿のペースにはまったら。あー』なんて顔で言っているのだが、彼の顔は三将には見えない。
「先の戦ではこいつらまで繰り出して、小早川隆景を追い払ったんだ。
お主らの連れてきた兵達が今の宇和島にどれほど貴重な事か。
たとえ誰が認めなくても、俺は、俺だけはその功績を忘れない!」
三将に頭を下げる。
ここからが詐欺師の本領発揮である。
持ち上げて、落とす。
その落差につけ込むのだ。
「だがな。
此度の戦は目立ってはならんのだ。
府内からこられたからある程度は知っておられるはず。
間もなく、お屋形様御自ら出陣なさる」
「……」
「……」
「……」
察した三将の為に俺は申し訳ないような顔をする。
あくまで今回の戦いは大友家の決戦であり、その栄光の全ては大名である大友宗麟の元に送られねばならない。
決戦を前に、俺が小早川隆景を討ち取る大勝利なんてものをあげて、大友宗麟以下府内の重臣連中を無駄に警戒させる必要は無いのである。
『狡兎死して走狗烹らる』。
そういうシナリオを毛利元就は用意している可能性は高く、実力的にできなかったというのもあるが、先の戦いでの追撃を止めた理由の一つだったりする。
「目立ってはならんのだ。
だからこそ、この銭を受け取ってくれ。
一応戦働きについてはお屋形様にご報告するが、良くて感状止まり。
土地など渡せるとも思えぬ。
その詫びも込めているのだ」
柴田紹安の目から涙が溢れる。
彼は柴田家の長男なのだが、『次男』で『妾の子』である柴田礼能が大友宗麟の寵臣となった事で嫉妬してお家騒動の種になっている人物である。
彼の涙は、『傍系男子』である俺が『主家を立てる』という美談として己の境遇と合わせて心を撃ち抜いた。
「なんという見事な忠義!
府内にて御曹司は三好の手先になっただの、高橋鑑種と繋がっているだの流言が派手に流れておりましたが、それが毛利が流した策略であるとこの柴田紹安は信じておりましたぞ!
たとえ誰が信じなくても、それがしは府内にて御曹司の真の姿を訴え続けましょう!!」
欲に忠実で、己の視野の先しか見えていないある意味分かりやすい人物だが、だからこそ彼らの動向には注意をする必要がある。
高橋鑑種謀叛の連座で俺の首を飛ばそうとしたのは、大友宗麟でもなく、加判衆でもない、柴田紹安みたいな府内の諸将だったのだから。
で、柴田紹安と奈多政基が銭箱を受け取って去ると、俺の前には田原成親と日田親永が残る。
両者とも俺の所に居た過去があるので、昔話をという名目で残ってもらったのだ。
もちろん、昔話をする為に残ってもらった訳ではない。
「で、高橋鑑種は俺に何か言っていなかったか?」
ぴくりと日田親永の体が震える。
高橋鑑種は表向きは商人たちの自治都市ゆえに手が出せない博多の掌握と、その中に逃げ込んだ立花家や臼杵家の郎党を追い出すために府内へ行く船便を用意し、その船に毛利の攻撃を一切認めさせなかった。
こういう寛大な処置が巡り巡って俺への繋がりを噂され、俺の首が飛びかかる羽目になったりするのだが。
「高橋様自らは何もおっしゃいませんでした。
ただ……」
日田親永は意を決したようにそれを口にする。
その決意とは別に、その言葉の意味が分かっていないからこそ、その言葉が口にできるのだ。
「北原鎮久殿が去り際に、『殿がご無事がどうかを知りたい。出来ればで良いから安否を知らせて欲しい』と」
俺の安否なんて簡単だ。
死ぬ場合、大友家への謀叛を企んだとして粛清される形になるから、大々的に触れ回す必要が出るのだ。
つまり、この場合の安否は何か別の意味があると考えるべきだろう。
考えられるとするならば、北原鎮久が保身の為に日田親永を使った俺との連絡ラインの構築。
謀叛連座の件がくすぶっているので露見すると本気でまずいが、敵側の情報は加工されているものでも価値がある。
場合によっては北原鎮久の寝返りも期待できる。
「日田親永。
お前は手勢を連れて宇和島に行き、宇和島城の警備に当たれ。
そこで柳川調信にこの事を話して判断を仰げ」
なお、日田親永の手勢が入る分、同数の城内に居た遊女達をこっちに連れてくるので数だけは同じである。
相変わらず、兵のやりくりに胃が痛くなるが、最悪期は抜けていると感じているからさほど苦しくもない。
「承知いたしました」
こう言う場合九州にパイプを作っている柳川調信の方が判断は間違えないだろう。
そして、そういう事をしていると府内に報告する必要がある。
「田原成親。
この事はきちんとお屋形様の前で報告してくれ。
必要なら、一部始終を柳川調信に直に聞いてもらって構わぬと」
「はっ」
こういう時に信頼できる目付が居ると実に助かる。
目付に睨まれてある事無い事吹き込まれて、大名に粛清された家臣の何と多い事か。
武将家業も楽ではない。
こっちの内心など知らずに、田原成親は頭を上げて本題を切り出す。
「既に戸次鑑連様が先陣として府内より出発しました」
考えてみれば、これは大友家にとっては格好のチャンスだった。
多方面にわたる戦線指揮で毛利元就は動けず、吉川元春は出雲、小早川隆景は伊予にいる現在、九州方面を統括する将が居ない。
強いて言うなら、高橋鑑種と竜造寺隆信だが、この二人がどちらかの下について戦をするとも思えない。
「そうか。
ある意味めでたいな。
ここで頑張れば頑張るほど九州での勝利は確実になる。
お屋形様にご武運をと伝えてくれ」
「それなのですが、八郎様のお知恵を拝借したく……」
田原成親の物言いに俺は怪訝な顔をする。
九州の戦はどういう展開になろうとも、博多か門司か竜造寺家本拠の村中城の三つしか目的地は無いからだ。
こっちがそういう事を考えているのを理解していた田原成親は俺に大友軍の目的地を告げた。
「戸次様の目的地は筑前国古処山城。
そこを拠点化した後、肥後衆の一部を加えた三千の兵と共に北に上がり、遠賀川上流域を占拠せよだそうです」
地図を持ってこさせ、古処山城の位置を確認する。
筑後川中流部に位置し、少し奥に外れているが日田と太宰府の中間地点に位置する。
太刀洗の合戦の後、秋月勢は高橋鑑種の勢力と合流した為に、この城には少数の高橋軍が詰めているらしい。
「お屋形様は日田まで出陣するのだったな?
戦が無事に進んだら、おそらくここに本陣を移すつもりなのだろう」
休松合戦にならなければ良いのだが。
秋月種実が死んでいるので可能性は少ないと思うが、なまじ史実を知っているだけに不安が残る。
「北に上るという事は香春岳城との連絡を強化するついでに、ここに兵を置くつもりなのかもしれん。
ここを抑えてしまえば、門司を睨みながら博多を攻めることが出来る。
悪くない策だ」
そして、疑問が浮かぶ。
このあたりは府内の誰かに聞けば、答えてくれる話のはずだ。
それをなんで俺に振る必要がある?
こちらの疑問を察した田原成親がネタバラシをする。
「実は、これをお命じになられたのは長寿丸様でして」
長寿丸、出陣前に元服して大友義統と名乗る若武者の初陣の話な訳だ。
おそらくお膳立てされた初陣について、彼が知る最も武功高い将にそのチェックを頼んだと。
もしくは、彼の名前を使ってついて行く事になるだろう田原成親が俺に聞きたかっただけかもしれんが。
「なるほど。
長寿丸様はいつ出陣なされる?」
「第三陣。
傅役の吉弘鑑理様と共に豊後衆八千を率いられます。
なお、第二陣は田北鑑重様で、筑後衆六千をまとめて竜造寺への警戒を……」
俺の横で篠原長秀が言われているわけでもないのに将の名前と兵数を紙に書き記す。
話している田原成親にもこういう時があったなとなんとなく顔を緩めたら、それを田原成親に察せられてしまう。
「懐かしい感じがするというか、何か違うという気がするような。そんな感じですな。
八郎様。
篠原長秀はお役に立っているでしょうか?」
だからいい笑顔でこう言ってやる。
かつて田原成親にも言ったように。
「ああ。
こいつは使えるよ。
きっと良い将になると思う」




