佐田岬半島攻防戦 その4 【地図あり】
「急げ!急げ!!
敵は待ってくれぬぞ!!」
「掘は深く掘るな!
浅くて良いから多く掘れ!!」
「草を結んで足を引っ掛けさせよ!
敵兵を一回転ばせればそれだけ我らは助かると心得よ!」
飯森城と長崎城という目と鼻の先で小早川隆景と対峙している俺。
長崎城というのは堅固な城ではないので、来襲までにありとあらゆる手をつくして守りを固める必要があった。
こちらの有利な点は佐田岬半島という大兵を展開できない場所と、萩森城の一万田鑑実達の後詰三千の存在。
不利な点は飯森城に居る毛利軍の兵力は四千から五千と見られ、水軍衆の五千が背後に控えているという点。
そして、大事なのは俺が篭もる長崎城の兵が数百しか居ないという点だ。
中尾城の井上重房は再度毛利水軍がやって来る事を見越して、そのまま中尾城を守ってもらう事に。
代わりに、兵と雑兵を合わせた三百を柳生宗厳に預けて長崎城に送り出してもらった。
一方、宇和海の制海権を抑えているからこそできる手を駆使して兵を集める。
海上輸送である。
「お待たせしました!殿!
一万田様の命を受けて、小野鎮幸以下五百、殿の下で働かせて頂きます!!」
「お前が来たか。小野鎮幸。
数百対数百の国衆の戦だぞ。此度は」
欲しくてほしくてたまらなかった後詰。
五百といえども、貴重な実戦経験があり練度が高い兵達である。
俺の軽口に小野鎮幸が笑う。
「けど、相手は小早川隆景なのでしょう?
贅沢な国衆の戦いではございませぬか。
それがし、このぐらいの兵の戦は大の得意にて」
たしかに、元国衆だからこのぐらいの兵の指揮は一番得意なのだろう。
足軽大将の戦いであり、一人の侍の武勇で戦が決まる規模だ。
満面の笑みを浮かべる小野鎮幸に対して、隣りにいる男の娘はご機嫌は斜めである。
そんなふくれっつらをしている男の娘に俺は声をかけた。
「井筒女之助。
お前が見てきたことを話してくれないか?」
「ご主人。
僕を置いて合戦に出るなんてひどくない?」
かなり機嫌が悪いらしい。
大洲盆地と宇和島の往復なんて一日ではできない。
早船で八幡浜に上がりそこから大洲地蔵岳城にて仕事をして八幡浜に戻る。
翌日の早船で宇和島に戻ってみたら、俺達はもう出ていた後だから完全に俺が悪い。
仕方がないので素直に謝ってご機嫌を取ることにする。
「悪かった。
とはいえ、お前だからこうして合流できると信じて居たんだぞ」
「ほんと?
じゃあ、報告するね」
ちょろい。
井筒女之助の報告をまとめるとこうなる。
飯森城放棄の決断はやっぱりギリギリのタイミングだったらしい。
大友軍が八幡浜に後退したその夜、毛利軍は出石寺に到着しており、この軍勢が飯森城に到着したのはその日の昼過ぎだったという。
峠道の強行軍で毛利軍はさすがに疲弊して飯森城跡地にて戦力回復の休憩をせざるを得なかったが、大洲盆地から夜昼峠を越えて後詰に送られた大友軍はそれ以上に疲弊していた。
一方、黒瀬城から移動した島津忠康と桜井武蔵の兵千が八幡浜に到着し、なんとか体制を立て直した一万田鑑実は、萩森城の籠城指示を出しながら比較的消耗の少ない連中を選んで俺の所に送り出す。
それが、小野鎮幸が率いる五百の正体である。
「あと、これは大洲で会った長宗我部家の間者からの文。
殿に渡してくれって」
男の娘から受け取った文を読んでゆっくりと手を握りしめてガッツポーズを取る。
相手は長宗我部元親からで、そこに書かれていたのはこちらの想定外の勝利の報告だった。
「河野家がこちらの窮地に乗じて、長宗我部軍が占領している失った大除城を奪還に動いて合戦し負けたらしい」
後に久万川合戦と呼ばれるこの戦いは、長宗我部家が占領していた浮穴郡の大除城の城主が長浜の守備をしていた大野直昌だった事から始まっている。
毛利軍の後詰めによって伊予の道後平野に帰還した河野軍は、この地の奪還をしなければ大野直昌とその郎党が長宗我部家に走る事を恐れ、大除城の奪還を約束。
大野直昌を大将に、その率いた兵千に毛利からの後詰千を足した二千の兵で三坂峠を越える。
だが、長宗我部軍を率いる久武親信は大友家の窮状を察して、先回りして土佐に後詰を頼んでいた。
その後詰の数は二千だが、長宗我部元親自らの出陣。
河野軍と長宗我部軍の戦いは久万高原を流れる久万川を挟んで行われたが、長宗我部軍の後詰が現れると河野軍は総崩れに陥る。
標高七百メートルを超えるこの峠からの敗走などできる訳もなく、大野直昌は討死し河野軍は壊滅し、長宗我部軍はその勢いに乗って三坂峠を制圧。
河野軍は部隊壊滅だけでなく、三坂峠の守りを任されていた平岡房実がこの合戦前に老衰で死んで平岡通倚に代替わりした事でその力が発揮できず荏原城が落城。
長宗我部軍の道後平野侵入を許してしまい、伊予川こと重信川にて防衛線を張る状況に陥っていた。
「焦ったな。
いや、焦らないと大名ではないか」
「何を焦ったと言うので?」
久しぶりに喜べる報告に小野鎮幸が口を挟む。
俺は小野鎮幸と井筒女之助を前に楽しそうに説明してやる。
「河野家は毛利家に従属している形とは言え、れっきとした大名だ。
その大名家の家臣の土地が奪われて、奪還できなかったら大名として見限られる。
毛利は長宗我部と伝があったのだから、俺の敗北を確定させた上で浮穴郡の譲渡で長宗我部家と手打ちを企んでいたんだろうよ。
そうなったら、河野家は大名として終わりだ」
もっとも、水島合戦の前にやった備中国三村家みたいに河野家を滅ぼして毛利家の領地としてしまう手段が無い訳ではない。
その為には河野家内部で隠然とした力を持つ予州河野家を排除し、その予州河野家の実戦力で三好家準一門待遇である石川通昌を何とかしないといけない。
つまり、三好家が出張る訳で、その因縁は結局のところ俺に行きつく。
だったら俺を先に排除すればよくね?という思考なのだろう。
明らかに毛利の行動が雑になっている、いや、時間が惜しいのだろう。
だからこそ、長宗我部元親に付け込まれた。
「長宗我部元親がこの文をくれたという事は、俺が約束した道後平野まるごとくれてやるを履行するかどうかを確かめようとしているのさ。
伊予川を越えるのは長宗我部軍でもきつい。
この合戦に俺達が勝てば堂々と恩を売り、毛利が勝ったならば三坂峠までを返して浮穴郡を手にするって所だろう。
見事な漁夫の利だな。これは」
笑いが止まらない。
毛利水軍の中核になっている村上水軍は形式的には河野家の家臣である。
という事は、河野家の危機に際して動く必要があり、おそらく長浜に控えていた村上水軍は河野家防衛のために興居島まで後退する事になるだろう。
動向のつかめなかった水軍衆五千を構成する中核が戦場を離脱する。
どれぐらい抜けるかは分からないが、間違いなく朗報だった。
「じゃあ、ご主人、勝てるの?」
キラキラした瞳で男の娘が勝利を確信しそうなので、俺は苦笑してそれに水をさす。
ここで浮かれられるほど小早川隆景という将は甘くない。
「まだ厳しいな。
飯森城跡に居る毛利軍は四千から五千。
八幡浜に居る大友軍は三千五百。
で、現在の俺の兵力はこんな感じだ」
俺は現状の兵をまとめた紙を二人に見せる。
二人の沈黙が全てを物語っていた。
総大将 大友鎮成 (篠原長秀・上泉信綱・井筒女之助)
陣代 大鶴宗秋
馬廻 佐伯鎮忠 三百
御陣女郎 有明 (果心・お蝶) 二百 (弩・菊池槍装備 後方警備前提)
中尾城後詰 柳生宗厳 三百 (二百が地元民徴兵の雑兵)
長崎城主 得能通明 二百 (百が地元民徴兵の雑兵)
八幡浜後詰 小野鎮幸 五百
合計 千五百
「……つまり、千五百の内三分の一が当てに出来ぬと?」
「というより、小野様と佐伯様の隊が潰れたらこれ負けだよね?ご主人?」
二人の正しい現状認識を確認した上で、俺は二人に説明を続ける。
視線を佐田岬半島の尾根伝いに向ければ、兵も雑兵も地元の民も総出で空堀を掘り、木柵と盾を並べ、船から油と火薬を降ろしている。
「そのとおりだ。
だが、ここは戦場が戦場だからな。
おそらく百人並んで戦える場所は少なかろう。
誰か。紙を頼む」
「こちらに」
俺の言葉に控えていた篠原長秀が紙と筆を持ってくる。
それを受け取って佐田岬半島の断面図を二人に書いてみせた。
佐田岬半島の断面図は、基本こんな感じである。
伊予灘 宇和海
山
海海陸陸陸海海
だが、長崎城の近くは宇和海よりに陸地が広がっており、こんな感じになっている。
伊予灘 宇和海
山 城
海海陸陸陸陸海
ついでに言うと、中尾城はこれの逆である。
伊予灘 宇和海
城 山
海陸陸陸陸海海
「つまり、中央の山の尾根を抑えることができるかと、宇和海側の陸地の陣を突破されないかが勝敗の鍵となる。
今やっているのは、宇和海側の陸地の陣の強化と山の尾根に陣を作っているという訳だ。
尾根の方には柳生宗厳の隊と馬廻を置く。
ここが抜かれると籠城しか無くなるし、この城で守れるとは思えん」
俺はそこで言葉を切って小野鎮幸の方を見つめる。
彼が来たおかげで一番大事な場所に彼と彼の手勢を置くことができるからだ。
「小野鎮幸にはいちばん大事な宇和海側の陸地を守ってもらう。
責任重大だぞ」
「承知いたしました」
小野鎮幸が胸を叩いて俺の命を了承する。
それを横目で見ていた男の娘はある事に気づいた。
「あれ?
ご主人伊予灘側の陸地は守らないの?」
「兵が足りん。
後ろに回られかねんが、そうなった時は中尾城の井上重房が排除してくれる事になっている。
もっとも尾根からは丸見えだから、伊予灘側からの迂回は尾根の兵を排除するか、船で中尾城を攻撃するかとどちらかだろう。
中尾城に船で乗り付けられて身動きができなくなった時に、伊予灘側から迂回されるのが最悪だな」
おそらくその展開に小早川隆景なら持って行く。
だからこそ、罠をしかけられる。
「こっちに千五百居て、八幡浜には三千五百だ。
飯森城に居る毛利軍は四千から五千。
俺を本気で潰すなら三千は欲しい所だろうが、その三千を長崎城に向かわせたら八幡浜の大友軍が襲いかかる。
こっちに持ってこれるのは、おそらくは二千が限度。
それら中尾城を水軍衆で襲うだろうが、それも二千連れてこれるならば御の字だろうよ」
翌日。
毛利軍の姿を確認。
その数はおよそ二千で、総大将である小早川隆景の三つ巴の旗も確認。
双方数か国を持つ大大名毛利家と大友家の合戦。
伊予国に双方合わせて二万近い兵を展開させた戦のクライマックスは、せいぜい百人程度しか広がれない隘路を舞台に、双方の総大将同士の兵による殴り合いという異例極まりない展開で火蓋が切られることになった。