南宗寺会議
三好長慶の死。
それによって三好家は四つに割れた。
まずは、三好家が権威として利用していた管領細川家。
京に滞在している細川昭元と、大和守護代細川藤孝と河内守護細川藤賢が中心となって基本中立を宣言している。
次に、阿波守護三好義興が当主として振る舞う阿波三好家で、淡路守護安宅冬康や讃岐守護十河重存等の三好一族がこの勢力の下にまとまっている。
そして、山城守護代松永久秀と摂津守護代内藤宗勝の松永兄弟の勢力と、前和泉守護代の俺こと大友鎮成の勢力。
この三好家分裂という猿芝居の最後の幕が三好長慶の葬儀だった。
三好長慶の葬儀は南宗寺によって行われた。
元々三好長慶の父である三好元長の菩提を弔うべく建てられた寺なので、本人もここで葬儀をとの遺言の為だ。
場所も堺に近く、四国の三好一族が船で来やすかったというのも大きい。
で、こういう場所で起こるのが跡目争いとそれに伴う殺人である。
だからこそ、各派閥の参加者は大兵力を用意する。
管領細川家は細川藤孝の代理出席で率いた兵は二千。
阿波三好家は三好義興と安宅冬康の出席で海路率いた兵は一万。
松永兄弟は松永久秀の出席で連れてきた兵は八千。
俺は手持ちが千五百しかないのでそれで行こうとしたら、守護代淡輪隆重が気を利かせ三千五百の兵をかき集めた。
もちろん断ったのだが、押し切られたのは言うまでもない。
この手の兵力はそのまま、遺産相続会議の発言力に直結するからだ。
「お待ちしておりました。
こちらへ」
葬式において誰が力を持っているか?
これは武家社会においても会社社会においても変わらない。
喪主は当然だが、実務を握る葬儀委員長がその組織の政治的要人なのだ。
つまり、現状で言うならば葬儀を進行している松永久秀の政治的アピールの場でもある。
「松永殿が葬儀を取り仕切っているという事は、大友殿は負けたのか?」
「みたいだな。
名家大友家の出とはいえ、畿内の実情を知るには時が足りなかったのだろう。
義興様は松永殿に畿内の全てを任せるつもりらしい」
「読み間違えた。
これならば、松永殿に媚を売っておくのだった」
参列者の視線と噂話を堪能しながら、俺は三好準一門の席ではなく外様の席に座る。
その瞬間、場がざわめいて黙る。
これ以上ない、こちらの負けを見せたところで追い討ちが入る。
「大友殿。
席が違いますぞ」
「すまなんだ。
帰る身ゆえ、こちらの方が良いと気をきかせたつもりだったがいらなかったか?」
松永久秀からかけられた情けに俺は皮肉を返しながら、彼の隣に座る。
これ以上ない明確な敗北であり、手打ちを見せつけられると誰も俺を担ぎはしなくなるだろう。
これで畿内三好領は明確に松永久秀の勢力圏として三好家中に認知された。
出来レースの茶番の終焉である。
「感謝する」
「こちらこそ」
互いにしか聞こえない挨拶をした後僧侶達のお経が始まり葬儀が始まる。
適度に進んだころを見計らって中座し、別の広間に移るとそこには三好家の今後を決める要人達が集まっていた。
三好義興
安宅冬康
松永久秀
細川藤孝
そして俺。
できれば帰りたい所なのだが、全員からの希望なので末席に座ってため息をわざとらしくつく。
「どうなされた?
義弟よ?」
そうか。
果心は三好長慶の娘設定だから、俺は三好義興にとって義理の弟に当たるのかー。
その設定はまだ継続中らしい。
「茶番も終ったので、そろそろ帰ってもよろしいか?」
「九州に帰っても腹を切らされるでしょうて。
あきらめて話に加わりなされ」
ここから帰りたいを九州に帰りたいとわざと間違えた上で安宅冬康が諭す。
仕方が無いので、わざとらしく肩をすくめて話に加わる事にした。
「で、何処まで話を?」
「お屋形様について話していた所よ」
お屋形様。
つまり守護大名として三好義興は三好家を継ぐという事で、その箔付けとして屋形号を松永久秀は幕府からもらってきたらしい。
それは管領細川家からの独立を意味すると同時に、畿内政治からの撤退を意味する。
それに伴う不良債権処理は、一通り終っていた。
「安宅殿が一門衆筆頭として阿波に戻りお屋形様を支え、淡路は野口冬長殿に任せるとの事。
三好長逸殿が生きておられたら、その座にお座りになられたのだが」
松永久秀が手を合わせ、皆がそれに習う。
史実では三好三人衆の一人として松永久秀と死闘をするはずだった三好長逸は、三好長慶の死とさして時を置かずに四国の地にて穏やかに生を終えた。
息子である三好長虎が後を継いだが、世代交代ゆえに三好家中枢に入るにはもう少し時間が必要だろう。
「政康殿もお体が悪く病に臥せっている。
お元気だったら、この場に来てもらいたかったのだが」
三好三人衆最後の一人である三好政康も、安宅冬康の言葉通りなら実質的な引退宣言になる。
図らずも三好義興体制は、一門内部で世代交代が成し遂げられた形というある意味最高のスタートをきることが出来たわけだ。
そのあたりの情報を握って調整したのだろうなぁ。松永久秀は。
「評定衆には、安宅叔父上を首座に、野口叔父上と孫六郎に参加してもらう。
それに、赤沢宗伝殿、大西頼武殿、新開実綱殿には今まで通り参加してもらう予定だ」
三好義興が言いながら俺の方を見て笑う。
このあたりのシステムとメンバー選抜のアドバイスをしたのが実は俺なのだ。
ぶっちゃけると、大友家の加判衆システム。
三好義興を頂点とした、安宅冬康、野口冬長、十河重存、赤沢宗伝、大西頼武、新開実綱による集団指導体制がこの新しい三好家を動かしてゆく事になる。
大友家もそうだが、領土が大きくなると中央と地方の意思決定がずれる。
その為、中央の全体統治スタッフと地方の専属スタッフに分けられるのだが、三好家は中央政治に関わっていたので畿内に足場を作って根付こうとしていた。
それも阿波の混乱と三好長慶の死でご破算になったが、守護大名三好家は阿波を本拠地として讃岐と淡路を統治する事になる。
「これまでの三好殿の忠義に感謝を。
これからも変わらぬ友誼をとの細川右京大夫様のお言葉を預かっております」
細川藤孝の言葉は、この独立の承認と見届けという意味がある。
この歴史では既に滅んでしまったが朝倉家の位置にこれでやっと三好家は立つことになる。
「畿内については松永久秀にすべて任せる」
「細川右京大夫様も同じお言葉を松永殿に与えると」
「ありがたき幸せ」
畿内三好家は松永久秀が差配する事になるのだが、このまま三好義興の下での守護代だと畿内の戦乱に三好義興が引っ張り出される。
それを避けるために利用したのが管領細川昭元である。
畿内領国は独立の詫びという形で管領に返上して、織田からの目を避ける腹づもりである。
このため、三好長慶死後の三好領内の守護・守護代にまた人事異動が発生している。
山城国 守護 細川昭元
守護代 松永久秀
摂津国 守護 細川昭元
守護代 内藤宗勝
河内国 守護 細川藤賢
守護代 池田勝正
和泉国 守護 細川昭元
守護代 淡輪隆重
大和国 守護代 細川藤孝
淡路国 守護 三好義興
守護代 野口冬長
讃岐国 守護 三好義興
守護代 十河重存
阿波国 守護 三好義興
守護代 安宅冬康
新体制による降格人事に近いが、守護が三好家当主で守護代にその一門が座られたら文句も言えない。
なお、前任者として『前守護』『前守護代』として敬意は払われるので不満も許容範囲内で収まった。
「失礼します。
葬儀の場にて少し揉め事が」
障子越しに掛けられた三好家近習の声にこれ以上の話も無いので皆立ち上がる。
だから、俺が立ち上がる時にサラリと言った三好義興の言葉を拒否するタイミングを失ってしまう。
「義弟よ。
望めばお前にもこの場をいつでも用意してやる。
だから死ぬなよ」
固まって天井を見上げて泣くのを我慢する。
皆が去ったのにしばらく動けない。
三好長慶殿。
天に上ったか、地に潜ったか知りませぬが、聞こえているならどうか言わせてくれ。
貴方の自慢の一人息子、貴方に似て器は大きいようで。
「何。
幕府に尽力した御仁に手を合わせるのに何の問題があろうか?」
少し遅れて葬儀の場に戻ると、そんな声が聞こえてくる。
そしてその姿を見て俺も先に行った四人と同じように固まる。
何であんたがここに居る。公方様。
足利義昭よ。
「それはありがたき事。
どうか手を合わせてくだされ。
父も喜びましょうて」
全然喜んでいない顔で、三好義興が言いきる。
その度胸は認めてやる。
二万五千近い兵が屯している中で少数の供だけ連れてやって来る糞度胸だけは。
末期の足利幕府の将軍たちは飾りであることが常態化した為か、恐ろしく腰が軽い。
おまけに担ぎ出された義昭は僧としての人生の方が長いから、侍の作法に疎い所があるのだろう。
それを担いだ誰かに使われたか。
だが、元僧侶だけあって、手を合わせて経をあげるその姿は堂々としたものだった。
「揉め事などは遠慮なく申してみよ。
公方として出来る限り力になろう。
できればこれからも幕府を支えてくれると助かる」
これが言いたかったのだろうな。この来訪の目的は。
実質的に天下の座から降りる三好家にぶっとい釘を刺す為に。
「我らがどうして争いましょうか。
公方様の御威光は畿内に十分光り輝いておりますとも」
細川藤孝の弁明に足利義昭はニヤリと嘲笑う。
その顔を見て、俺は罠にかかった事を悟った。
「なるほど。
ならば、余はこのまま京に帰れるな」
武田・浅井・一向宗によって本拠岐阜から動けない織田信長を見限って、三好長慶死後の空白を突いて三好の兵を用いて京に帰るつもりだ。
そうなったら、足利将軍の悪い癖である飾りで満足できずに擁立者と対決する未来が明確なビジョンとして見えてしまう。
その時に、血を流すのは三好の兵だ。
これはまずい。
「問題ないでしょうな。
我らの手勢にてお送りしましょう」
松永久秀が先じてその要求に答える。
どっちにしろ、織田信長はまだ足利義昭という傀儡を捨てる事ができないし、管領細川家という張り子の虎も用意している。
公方に恩を売りながらも織田信長あたりにも繋ぎをつけるつもりなのだろう。
「おおっ!
助かるぞ!!」
そのまま足利義昭の目が俺の方を見る。
ぞくりと悪寒が走る。
「大友殿には一度詫びを入れねばと思っておったのだ。
信貴山城をくれたというのに、色々な手違いで駄目にしてしまったからな」
「お気になさらず。
戦なので常にうまくゆく事もありますまい」
俺の表面上の返事などお見通しとばかり、足利義昭はさらりと毒を撒く。
その毒に俺だけでなく周囲の人間も凍った。
「いずれ礼は考えておこう。
豊後国守護などどうじゃ?」
こいつは何を言っているんだ?
そうか。
俺が帰れない場合は畿内に留まることを意味する訳で、万一の対織田戦を考えた時に俺という武将が居るのと居ないのでは違うという訳だ。
そこまで考えて足利義昭の後で俺を試すように見る幕臣一色義輔こと斎藤龍興の姿を確認する。
なるほど。
こいつが仕掛け人か。
「ご冗談を。
それがしの武勇を越える徳と運を我がお屋形様は持っておりますぞ!
公方様の助けに馳せ参じる為にも、九州の戦の仲介をお願いしたく」
即座に否定してこの場を乗り切ったが、こういう事を見逃すぐらいに織田信長は追い詰められている。
それをはっきりと思い知る事になった。
結局、足利義昭の京帰還は松永久秀と細川藤孝の兵合わせて一万によって行われる事になった。
管領の方が旗印的には都合がいいという事で先頭は細川勢で足利義昭も既に寺を発っていた。
「そういえば聞きたかったんだが」
「何をだ?」
多分松永久秀と直接会うのはこれが最後になるのだろう。
だからこそ俺はその聞きたかった事を何気なしに口にした。
「あれ、よく俺に行くのを見送ったな。
喉から手が出るほど欲しかっただろうに」
あれとは三好長慶の形見分けでもらった曜変天目茶碗である。
あれだけの大名物をこの数寄者である松永久秀が譲るなんてどうしても思えなかったからだ。
「ああ。
その事か。
皆には言うなよ」
松永久秀は笑って答えをあっさりと言う。
「あれは元々四つあってな。
お主に送ったのは、一番できの悪いものよ。
一番のものは俺が抱えているという訳だ」
実に楽しそうな笑みで笑う。
それに釣られて俺も笑った。
こうして三好長慶の葬儀も終り、三好家は天下の座から堂々と降りた。
それは、俺の帰還の時が来たことを意味していた。