政謀クロスカウンター
周防権介という官位がある。
周防介の権官なのだが、これには別の意味がある。
多々良一族だった大内盛房の代から周防権介もしくは周防介を世襲する事で大内家が作られたと言えば、その官位の低さよりもはるかに重い価値があるのは西国の大名ならば気づくだろう。
もちろん気づいた俺は迷うこと無く銭と政治力をぶち込んで、迷い込んだ鬼札こと大内義胤にこの官位をつけさせたのは言うまでもない。
そんな事をしている間にも西国の戦況は変化している。
対毛利包囲網とそれを打破しようとする毛利の死闘は新たな局面に移っていた。
「毛利軍が九州から撤退しただと!?」
岸和田城本丸で俺の絶叫が轟くが、その報告を告げた佐伯鎮忠も父親である佐伯惟教からの情報なので間違いがないと語気を強める。
「はっ。
既に博多より兵を退き芦屋より帰っているとの事。
九州は高橋鑑種に博多を、竜造寺隆信に肥前を、門司を杉元相に任せて兵を大急ぎで返しているとの事。
お屋形様は同紋衆と話した上でこの毛利軍の追い打ちを控え、次の攻撃に備えるそうです」
「毛利の尻に火がついたからな。
しかし、この撤退早すぎる……」
俺は佐伯鎮忠を前に黙って考え込む。
数万の兵の撤兵作業なんて吉川元春や小早川隆景というチート武将を以てしても数週間はかかる仕事だ。
という事は、俺の鷹司家の復興から始まる大友宗麟太宰大弐任官や尼子勝久出雲権介に勘付いて兵を退いたか?
いや。
それでもまだ早すぎる。
多分、毛利元就が撤退を決断したのは太刀洗合戦での敗戦だろう。
それしか撤退を判断する場所がない。
「あそこで見限るかぁ……」
分からないではないのだ。
大友家の戦意未だ衰えず、内部から火をつけたからこそ一気に博多を奪えたので、これ以上の内部切り崩しの火種は無い。
兵力では有利ではあるが大友家はまだ予備兵力が存在し、決戦を行った場合博多の守備兵等を残したら互角になりかねない。
そして、九州に主力が滞在している隙を突いて、尼子残党や宇喜多直家が蠢いており、俺の領土がある伊予とて放置できる場所ではない。
だからといって太刀洗合戦での敗戦で手仕舞いをする毛利元就の堅実さに、俺は感嘆の声を出すしかない。
「佐伯鎮忠。
お前にできるか?
負けたとは言え、兵数はまだ圧倒的な状況で決戦を回避して、手仕舞いにするなんて決断。
俺は無理だな」
「殿に無理ならそれがしでも無理ですよ」
分かっていない顔で佐伯鎮忠が俺に同意する。
そうだろうな。
わかんないよな。
毛利元就のこの決断の凄さを。
俺の感嘆の意味を。
「毛利元就は尼子家を滅ぼすのに数年かけている。
尼子家は石橋を叩いて渡るような毛利元就の堅実な攻めについに滅ぼされた訳だ。
それと同じことを大友家にもしようとしている。
己の命の残りが少ないのにな」
毛利元就の没年は知ってはいるがその通りになるとは限らないし、既に歴史は派手に変わっている。
とはいえ、毛利元就は不老不死でも無い以上、彼が大友家を滅ぼすまでの数年を生きるとは考えにくい。
そこから読み取れるのは二つ。
常に己のスタイルを崩さないという堅実な打ち手と、死後も任せられる両川こと吉川元春と小早川隆景の存在があるからだろう。
ついでに言うと、毛利義元とて無能な大名ではない。
毛利元就の堅実さが、九州での蟻地獄から毛利軍を救った。
「負け戦を知っている将はやはり違うな」
「とはいえ、負け戦を味わいたくはないですが。
多くはその時に討ち死にしているので」
俺の毛利元就への皮肉にマジレスを返す佐伯鎮忠。
毛利元就自身も大内家の配下だった時に大内義隆が主導した尼子攻めに参陣して、大内軍の大敗に巻き込まれている。
それの経験がこの決断に繋がっているのだろう。
もっとも、鬼札大内義胤の存在がそれを台無しにしてしまっていたが。
「毛利軍は周防と長門にかなりの兵を残しているとの事。
九州への後詰と九州の諸将には伝えているそうですが。その実はあれなのでしょうな」
俺達の側で控えていた大鶴宗秋が苦笑する。
毛利の理由は表向きであり、それ以外にもう一つの理由である『大内家旧臣の謀叛警戒』を言わない事が毛利家の窮状を伝えていた。
だからこそ、窮鼠になった毛利は猫を噛みに来る。
「井筒女之助殿より報告です。
また間者を一人失ったと。
毛利はよほど殿を鬱陶しく思ったのでしょうな」
大内義胤の存在を暴露してから、この岸和田城に潜り込もうとする報告が爆発的に増えた。
しかもかなりの手練らしく、いまの報告を合わせて既に三人の間者の命が失われている。
大内義胤に柳生宗厳を、俺に上泉信綱をつけていなかったら殺られていた可能性が高い。
僕っ娘はお腹が大きくなった果心の代わりに、石川五右衛門と共にその対処に追われていたのである。
俺の側で控えていた上泉信綱が苦笑する。
「何でも毛利殿は『大内義胤を討ったら城一つ、大友鎮成を討ったら国一つをやる』と檄を飛ばしたそうで」
「そりゃすごい。
上泉殿。
俺の首を持って毛利殿の所に行かぬのか?」
互いに冗談だからこそのやり取り。
それは上泉信綱が望むものを毛利元就が用意できないと俺が確信しているし、彼も理解しているから。
「毛利殿に上野国は用意できないでしょうに」
「そりゃそうだ」
俺は真顔に戻って上泉信綱に尋ねる。
「このままだと、この城の守り食い破られるか?」
「おそらくは。
敵はこちらの間者を殺して警戒されるのを覚悟の上で忍びこんでくるでしょう。
毛利殿がこちらにいる間者全てを使って狙いに来たのならば、守りきれぬでしょうな。
柳生宗厳の伝が繋がれば良いのですが」
足りなくなる間者組織の拡張と石川五右衛門の赦免を求めて、柳生宗厳経由で伊賀に交渉を打診していた所だった。
その前に始まった毛利家忍者部隊の総攻撃に俺はため息をつくしかない。
「殿。
失礼します。
一万田殿より文が」
篠原長秀が文を持って俺達に声をかける。
見た限り自然に振る舞っているのは、とりあえず表向きの仮面をつけるだけの余裕ができたと見るべきか。
篠原長秀から文を受け取ってさっと読む。
そして、皆に聞かせるように声に出した。
「大野直之の帰還を理由に三千五百の兵で宇都宮領に侵攻。
宇都宮・河野連合軍二千を肱川にて撃破。
大洲地蔵岳城を包囲中だと」
さすが一万田鑑実。
こちらの意図は話していたとは言え、良い仕事をしてくれる。
合戦に勝って城を落とすのではなく、包囲する事で毛利家が後詰を送らざるを得ない状況に陥った。
これで毛利軍が抱え込む戦線は、九州・旧大内領・旧尼子領・伊予・山陽道の五つになった。
「たしか、尼子も動いているのだったな?」
「はっ。
尼子勝久殿より出雲権介の礼状と共に報告が」
俺の質問に大鶴宗秋が答える。
美作国から攻め込んだ尼子再興軍は国境の城の一つである伯耆国江美城を落とし、現在日野川にそって北上。
兵力は俺がつけた雑賀衆と根来衆を合わせた八千という結構な数で、周辺の毛利軍の戦力ではこれと合戦をする兵力が存在しないので周辺国衆が動揺しているらしい。
「殿。
九州から帰った毛利はこれを叩くのでしょうか?」
「月山富田城は堅城だ。
篭もられると、八千の兵でも攻めきれまい。
尼子も月山富田城を落とすには、後詰めに来る毛利軍を叩いて士気を下げるしか無いのは分かっているだろう。
合戦は起こるさ」
佐伯鎮忠の質問に答えた俺の後に、篠原長秀が更にもう一通書状を出す
告げた事は想定外の言葉だった。
「あとこちらは宇喜多直家様より殿への礼状となっております。
備前守護代と備前権介任官のお礼だそうで」
へ?
今、何て言った?
慌てて篠原長秀から書状をひったくり、大急ぎで読み終える。
手が震えて書状がぐちゃぐちゃになるが知ったことではない。
「やりやがった!
間者への襲撃もこれを隠すためか!!!」
「違うのですか?
この文には朝廷と所司代はてっきり殿の差配と。
宇喜多殿にも雑賀と根来の支援が行っていると書かれているではありませぬか?」
投げ捨てた書状を大鶴宗秋が拾って確認するが、俺はそんな事をした覚えはない。
やられた。
こっちに安国寺恵瓊が居たのをすっかり忘れていた。
あの外交僧にこっちの手札を晒し続けたのだから、毛利元就に筒抜けだった訳だ。
それでこっちが宇喜多直家を警戒している事に気づいて、俺の名義で官位を申請し毛利寝返りを条件にそれを渡すか。
朝廷の人事に強引に介入したから、『反毛利勢』の浦上家重臣への官位申請はたしかに俺の仕業に見えるわな。
しかも、おそらくは神屋繋がりで俺名義の銭は毛利払いという裏技で雑賀と根来衆を雇って、宇喜多直家に送ったのだからもう見事と拍手するしか無い。
宇喜多直家の礼状は俺が知った時のアリバイという訳だ。
そうなるとそろそろ来るだろうなぁ。
案の定。
その報告は数週間後にやってきた。
予想外の一撃のおまけつきで。
「備前国浦上家にて宇喜多直家が謀叛!
宇喜多直家は毛利家と手を組み、備前守護代と備前権介任官で国衆の支持を得て、浦上宗景殿は美作国に逃亡!!
出雲国に吉川元春を総大将とした毛利軍後詰到着!
その数は一万以上で、伯耆国を攻めていた尼子勝久殿は兵を返して美作を死守するとの事!!!」
「伊予国長浜に宇都宮家の後詰到着!
小早川隆景を総大将に、毛利家・河野家の兵でその数は数千以上!
一万田鑑実殿は兵を退き、夜昼峠と鳥坂峠に陣を敷くそうです!!」