天下人の力 【系図あり】
京を始めとした畿内に突如こんな噂が流れた。
もちろん、松永久秀の仕込みである。
「おい。聞いたか?
三好家中が割れているらしいぞ?」
「どういう事だ?
この間、亀背越合戦で勝ったではないか?」
「だからこそ割れたんだよ。
勝ち戦を主導したのが西国の仁将で三好の勝ち戦を支えてきた大友主計頭様だろう?
ずっと三好権大納言様の側に居る松永弾正忠様が嫉妬したという訳だ」
「それだけじゃないらしいぞ。
今、副将軍になった織田家と東の武田家が戦をしているだろう?
武田家と一向宗が組んで近江国浅井家を寝返らせたのはいいが、まだ織田家は持ちこたえている。
四国で騒動があったとはいえ、未だ力を持つ西の大国である三好家を京に攻め込ませたいのさ」
「それがどう絡んでくるんだ?」
「四国の立て直しに三好修理大夫様をはじめ三好一族の多くが四国にお戻りになられて、留守居役として畿内を差配したのが松永様だろう?
松永様は京を焼きたくないと、織田家との和を重んじていた。
それを四国から来た大友様がぶち壊したと」
「なるほどな。
武田家や一向宗は大友様に肩入れして松永様を追い出して、三好家を織田家と戦わせたい訳だ。
で、実際どうなのだ?」
「病で倒れた三好権大納言様は松永様が詰める飯盛山城から何も言わず。
四国の三好勢も静観の構えらしい。
摂津国守護代で松永様の弟君である芥川山城主の内藤宗勝様と、丹後国守護で建部山城主の荒木村重様。
それと、和泉国蛇谷城主の相良頼貞様が松永様の側についている」
「荒木って……大友様から丹後国一国丸々譲り受けたのに松永についたのか!?」
「ああ。
あそこは幕府側で荻野直正様が居る赤井家や、織田家が従属させた若狭武田家に挟まれている。
恩はあれどその恩を取ったら滅ぼされる以上、仕方ない判断だろう」
「大友様の方はどうなのだ?」
「一向宗の本拠石山本願寺や貝塚御坊は大友様支持を鮮明にしている。
大友様と戦を共にした和泉国守護で堺に滞在している野口冬長様も大友様支持で、淡輪隆重様をはじめとした和泉国国人衆は大友様につくだろう。
管領に返り咲いたが領地の統治で手一杯な細川様とその御一門衆は動かない」
「なるほどなぁ。
事態はそこまで深刻なのか。
それで良く合戦に踏み切らないな?」
「まだ三好様が生きているかららしい。
両方とも三好様の娘をもらっている準一門という立場で、三好様への敬意がある。
割れるとしたら、三好様がお隠れになった時だろうな」
ざっとこんな感じ。
見事だ。
見事すぎるぞ。松永久秀。
絶対に敵に回したくない悪役ぶりである。
何しろリアルタイムで情報が更新されない戦国の世だから、情報の裏とりも大事だが、広がった情報を元に皆が対応をしてしまうというのが基本だ。
その為、ここまで広範囲に広がると、他の大名や商人や国人衆達もそういう意識下で行動をして嘘が本当に裏返ってしまう。
具体的に言うと、今、目の前に居る三好康長と高山友照と中川清秀の三人の事だが。
「どうなっているのかお聞かせ頂きたく」
なお、俺は未だに岸和田城城主の座に座っている。
三人が来たので喜んで渡そうとしたら断りやがった。
多分、その後に住む場所の件で、
「何、遊郭に入り浸るさ」
と冗談を言ったのがまずかったらしい。
本気と受け取ってしまいかねないジョークは時間と場所を弁えましょう。
「どうもこうも、こんな感じだがどうした?」
「どうしたではございませぬ!
このままでは、三好が割れて織田に付け込まれますぞ!!」
中川清秀が声を荒げるが、言えるわけがない。
現状の対立そのものが猿芝居なんて。
そして、そういう時にすごく便利な責任逃れの存在があるのでその方に犠牲になってもらうとしよう。
「公方様だよ」
いや本当に便利なのだ。
公方様のせいという責任逃れカードは。
それだけやらかし続けた信頼と実績がある。
だからこそ、目の前の三人が同時にため息をつきやがった。
(あっ……)
という心の声まで俺には聞こえる。
という訳で、嘘に嘘を重ねてゆく。
「今の公方様は副将軍に担がれて公方の座についた。
だが、皆も知っての通り副将軍は本拠の岐阜を離れることができず、公方様も京からお逃げになられてまだ京に帰られていない。
公方様は京に帰りたいだろうが、帰る為には目の前の三好が攻めない事が最低条件になる。
それで、勝竜寺城を押さえていた松永殿に接近したのだろう」
「本願寺や武田家あたりの話は?」
高山友照の質問には俺は堂々と嘘をつく。
この手の嘘ははったりが大事。
「俺に文が来ているのは事実だぞ。
何しろ亀背越で公方様のご家来衆や織田家とも戦ったからな。
武田がそのまま織田の背後を襲えと頼むのは定石だろう?」
「それをしなかったのは?」
三好康長がはっきりと殺気まで漂わせてこちらに問いかける。
こういう人が三好義興のそばに居るのなら、三好家はまだ安泰だろう。
「俺は三好の準一門の待遇をもらっているとはいえ、大友の名を名乗っている人間だ。
これだけの大事は四国におられる三好修理大夫様がお決めになることではござらぬか?」
こちらの即答に三好康長が殺気を消して頭を下げた。
「たしかに。
失礼な物言い平にご容赦を」
「お気になさるな。
それがしとて三好を割るつもりはござらぬ。
どうせ、九州に帰るのであとは元に戻るでしょうよ」
高山友照が三人の中で最初に気づく。
一応俺の所属先である大友家の苦境を。
俺は三人に頭を下げながら、淡々と嘘を塗り固めた。
「どうか噂に惑わされぬようにしてくだされ。
何かあったら、それがしが西に帰る事を伝えて沈静化させてくだされ」
もっとも、沈静化する訳が無いのだが。
畿内三好領の損切りと撤退は、三好長慶とその後継者三好義興の決定事項なのだから。
こっちに残っているのはこれが最後と割り切って、残っている畿内の政治力や影響力をフルに使って九州の戦に介入する。
派手に銭とコネを使ったが、その結果は良い感じに現れる。
「まさか、このような鬼手を出してこられるとは……感服いたしましたぞ」
目の前で皮肉を言ってくれるのは、京都所司代の村井貞勝。
現在戦に駆り出されている滝川一益の代わりに、わざわざ堺奉行の松井友閑を連れて岸和田に来るあたり彼らの苦境を物語っている。
「まさか途絶えた鷹司家を復興し、その当主に一条兼定卿を持ってこようとは……」
松井友閑の恨み言に近い呟きを俺は庭に出て聞き流す。
鬼手。五摂家の一つである鷹司家の復興とその当主に一条兼定を据えた事は、京だけでなく西国に激震として轟いた。
どうしてかというと、西国の公家と大名のインナーサークルは一条家を中心に動いていたからで、それを狙って大内家と大友家が鍔迫り合いをしたのは既に語ったと思う。
そのインナーサークルの頂点に居た一条兼定が五摂家の一家である鷹司兼定として従三位権中納言として公家デビューを果たしたのだ。
大友家の血縁者である鷹司兼定の公家デビューに大友家は狂喜乱舞し、毛利家で先の見えるやつはこの後の展開に真っ青になる。
何しろ俺がやろうとした事は前例があるからだ。
「朝廷は、大友宰相殿に太宰大弐をお任せになると」
村井貞勝が来た理由はこれである。
既に参議を持っている大友宗麟にとって格下の官位だが、太宰府と九州を統治するお墨付きとして大内家が得た経緯がある。
これは現在の毛利戦においてかなり大きな意味を持つ。
実は、血で見ると大友宗麟の方が毛利義元より大内家の血が濃いというか、毛利義元には大内家の血が入っていない。
それでも毛利家が大内家の後継を謳っているのは、先代毛利隆元の正室が大内義隆の養女を名乗っているのと、対尼子への結束と先代毛利隆元の人徳に依る所が大きい。
周防長門は大内家の遺児である問田亀鶴丸を担いで反乱を起こした過去があり、今でも毛利家に完全に臣従している訳ではない。
既に九州探題として九州を支配する名目を得ている大友宗麟に朝廷のお墨付きである太宰大弐はたいした飾りではない。
だが、その太宰大弐を少弐家との戦いで大内義隆が得た事を知っていると、途端に厄介な武器に化ける。
毛利家中の旧大内家臣は動揺するからだ。
もちろん、それだけではない。
「あと、尼子勝久殿への出雲権介も通りましたぞ。
お国の戦、相当厳しいみたいで」
村井貞勝の皮肉もなんのその。
従六位上の出雲権介という官位を尼子勝久に与えることで、彼を箔付けする。
また従六位上という高すぎず低すぎずという位置だから、文句も言いたくても言えないのが顔に出ている。
こんな無茶が通るのも、俺が三好家を通じて大坂湾-淀川-琵琶湖交易一元化の銭を朝廷や公家にばら撒き続けたからだ。
そんな彼らにちょっと『お願い』しただけなのだ。
とはいえ、京都所司代にとって面白い訳が無く、こうして抗議に来ているという訳で。
その後で松永久秀と繋がる前口上になる事を見越して。
何しろ、俺は三好長慶の意を受けてという形で、鷹司兼定の公家デビューに合わせて大規模な朝廷人事を要請したのだから。
具体的に言うと、
三好長慶の内大臣昇進
三好義興の権参議昇進
細川昭元の右京大夫就任
安宅冬康の権少納言就任
十河重存の讃岐権守就任
どこの平家だと笑ってしまうが、織田信長が完全に京を掌握してからだとこのあたりも貰えなくなるので、権官を使って一気に片付けた。
細川昭元は京兆家当主であり管領についたのである意味当然の処遇。
三好長慶だけは病の話が広がっていたので、遺贈の前渡みたいな形で納得してくれた。
こうして、三好家に注目を集めて本命をするりと押し通す。
相良義陽の修理大夫昇進
前々から要請があった相良義陽の修理大夫昇進をここで片付ける。
島津家のヘイトを相良家が受け持つ事で、肥後南部が大友家にとって安定化するメリットは大友宗麟とその加判衆は確実に理解するだろう。
俺の南でやんちゃをしている相良頼貞対策でもある。
長宗我部元親の土佐介就任
畿内と九州を結ぶ瀬戸内航路が毛利家の勢力圏である以上、帰還は太平洋航路を使わないと行けない訳で、ここを治める長宗我部元親の動向は俺の行動を決定的に左右する。
一条兼定の鷹司兼定へのクラスチェンジの旨味を即座に理解し、一条家への資金支援を決定したのも彼だった。
かくして鷹司兼定の支援は俺というか大友家が受け持つ事になる。
そんな彼へのささやかなお礼である。
島津家と伊東家の和議斡旋
一条兼定こと鷹司兼定と繋がっていたのは日向国伊東家も同じで、飫肥城をめぐって島津家と対峙している伊東家からの要請で和議の斡旋をしてあげていた。
もちろん島津が飲むとも思えないが、やった事に意味がある訳で島津もこちらのというか大友の意図--北でゴタゴタしているのに南で騒ぐんじゃねぇ!--ぐらいは察してくれるだろう。
「まぁ、帰る前の仕事と思って勘弁してほしい。
とはいえ、織田殿がこちらに来るならば、俺がでしゃばる事も無かったんだがな」
「……」
「……」
庭を眺めながら言った俺の皮肉に二人は何も返事ができずに帰る事になった。
これで仕込みは大体終わった。
あとは三好長慶死後の混乱を最小限にしてうまく岸和田から撤退するのみと考えていたら、後ろから声がかけられる。
「殿。
申し訳ございませぬが、客人がいらしておりますが?」
戸次政千代の声に俺は振り向く。
あいにくまだスタイリッシュ痴女ではないのだが、既に閨では堕ちているので時間の問題だろう。多分。
「誰だ?」
「松永様の使いと名乗っておりますが?」
この状況で松永久秀が使者を出すとは思えない。
少なくとも、俺と松永久秀は対立していないといけないからだ。
「まぁ。いい。
通せ」
しばらくして、若武者がいくつかの箱を持って現れる。
そして、こんな事を口にした。
「三好亜相様より、大友殿への形見分けでございます。
これは松永様もご了承頂いている事。
遠慮なさらぬようにと」
一流の風流人だった三好長慶の形見分けだからさぞ良いものがあるのだろうと箱を開ける。
三好粉吹がある。
これは、三好義興に渡してやれという事だろう。
次の箱は……っ!?
「な、何でこんなものがある……
本当に三好様と松永殿は承知なのか!?」
曜変天目茶碗。
堺の茶会で目にしたあの茶碗が今俺の目の前にある。
その箱の中に短冊が一つ入っていた。
『この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば』
後世あまりに有名になった藤原道長の名歌。
権勢絶頂の歌をこの天下人の証たる茶碗に入れた意味を悟る。
権力を操る。
その楽しさを三好長慶は問うている。
そして、その権力を操れる天下人にと誘っているように見える。
箱を持ったまま、ごくりと喉が鳴る。
蛇に睨まれた蛙のように固まった俺の呪縛を解いたのは、横からその箱の中身を見た政千代だった。
「あら。
お美しい茶碗ですわね」
「だろ?
俺はこれを持つ資格があるかだと」
政千代はこちらが驚くぐらい自然に曜変天目茶碗を手に取り、そして眺める。
その時に、彼女の口からお経が聞こえてくるのを耳にする。
「仏説摩訶般若波羅蜜……」
「般若心経か」
「ええ。
そういえば、殿も寺育ちだそうで?」
曜変天目茶碗を箱に戻して、政千代は微笑む。
さすがに俺より寺住まいが長いだけあって、尼が抜けきっていない。
「私にはこれの本当の価値はわかりませぬ。
だからこうして、触ることができました。
ですが、殿はこれの本当の価値を知っておられるから固まった。
けど、それはどちらも正しいこと。
ならば、楽な方を選んでもバチは当たらないのでは?」
当たらずとも遠からずな般若心経解釈で俺の心がほぐれる。
天井に視線をそらしてため息を一つ。
それで誘惑を箱に収めた。
「この茶碗は俺には重すぎる。
いずれ使う者に渡すからそれまで蔵にしまっておいてくれ」
「かしこまりました」
一礼した政千代が曜変天目茶碗が入った箱を持って下がる。
それを見てから、俺は未だ残っていた客人に声をかけた。
「すまなかったな。
たしかに頂いたと伝えてくれ」
「いえ。
それがこのまま大友殿の所に居ろと松永様からの仰せで」
そして、彼の名前を聞いた俺が当人目の前にして大爆笑したのは言うまでもない。
松永久秀。
絶対に敵に回したくない男の最高の贈り物は、こう俺に名乗ったのである。
「それがし、滅んだ大内義隆が遺児で今は大内義胤と名乗っておりまする」
と。