覇王対峙 その2
公方様に会った翌日の朝。
勝竜寺城の一室にて、裸の女たちと共に次の日には戦場予定地である高屋城に行くかなんて考えてうとうとしていた俺に障子越しに声がかかる。
「八郎様。
殿に客人が参られていると、松永様の家人より言付けが」
起き上がるとそろそろお腹が目立つようになった果心が俺の汗を拭きながら尋ねる。
続いて有明とお蝶が目を覚まし、小少将は気持ちよさそうに失神している。
「誰かお会いになる約束をなさったので?」
「いや。
憶えがないな……
とりあえず待たせておいてくれ。
汗を拭いて出向く」
障子を開けると政千代が湯の張った桶を持ってくる。
このあたりの気配りと一線を引いているスタイルは嫌いではない。
「だろうと思いまして用意しておきました。
客人の方にも少し時を頂いております」
できる女というか元尼さんである。
そんな経歴もあって彼女は女衆の中では一番髪が短かい。
政千代は俺より年上だったりするのだが、その体は実が熟した桃という言い方が実によく合う。
なお、この表現を言ったのは有明だったりする。
そんな有明が俺の背中を手ぬぐいで拭きながら政千代に尋ねる。
「政千代はいつこの閨に入ってくるの?」
「女中としてこちらに来ましたので、入る事は無いかと」
そっけなくというよりも困惑しつつという顔で政千代は答える。
うちの奥はこのあたりフレンドリーで政千代も少しほぐれたのだろう。
まぁ、その理由を奥のボスたる有明はこう言いきっている。
「八郎を前に毎夜毎夜尻を並べて喘ぐ仲に礼儀も何も無いじゃない」
話がそれた。
「作っとくならば早い方がいいと思うけど?
入田殿期待していたでしょ?」
入田義実は有明の所にまで顔を出したらしい。
なお、彼は俺の所にも顔を出して、
「何卒!
何卒政千代にお情けを。
さすれば、我が入田一族郎党はことごとく滅ぶまで殿に忠誠を尽くしましょうぞ!!」
涙ながらに懇願されたりしている。
なお、政千代が戸次家の娘としてやってきているので戸次家を継ぐ可能性もあるのだが、そこは綺麗に忘れているのだろう。
このあたりもあって政千代自身も遠慮しているふしも無いわけではない。
「一応、私は戸次の娘としてここに来ています。
田原の次に戸次を孕ませたら、さすがに目立つでしょうに」
「だから、入田に名前変えたらって前に言ったじゃない。
数人作れば、戸次も入田も名乗れるんだから、問題ないでしょうに」
俺の着替えと同時に女たちも着替える。
もっとも肌面積を考えるとさして変わらないと言ってはいけない。
「お蝶様。
本音をおっしゃられては?」
果心に促されたお蝶があっさりとその企みをバラす。
見事に交わりきって赤くなった朱として。
「彼女だけ服を着ているのずるくない?」
こういう事を言っているが、実は一番色にドはまりしているのがこのお蝶だったりする。
何しろ、うちの女どもの中で元が一番まともだったので、見事に調教完了されたとも言う。
で、仲間が欲しくて引きずり込もうという訳だ。
「……私は女中ですので」
「だから、奥に入ってさっさとあられもない姿に」
こんな戯言を言い合える仲ならば、奥に入らずとも何とか折り合いをつけてくれるだろう。
着替え終わった俺は政千代に客人の事を尋ねる。
「で、その客人は?」
「城には入らずに、城門前で待っているとか」
俺は女たちを連れて城門の方に出向く。
ちゃんとスタイリッシュにしているのが、女たちのプライドなのだろう。
なお、小少将はおいていっている。
ちと、いやかなりスタイリッシュなもので。
城門に近づくと、うちの馬廻が警戒している。
松永家の家人たちもよく見ると警戒している。
「政千代。
客人は名乗ったか?」
「いえ。
『約束を果たしてもらいに来た』そういえば分かると」
政千代の言葉に首をかしげる。
城門が近づくと、柳生宗厳と上泉信綱が城門の方をガン睨みしているのだが。
あれ?
こんな光景どこかで見たぞ。
「お。
居た居た。
大友殿!
約束を果たしてもらいに来たぞ!!」
城門前で待っていたのは二人だった。
で、一人は見覚えがある。
岸和田城から俺の隣で珍道中をしてくれた前田慶次だ。
もう一人も見覚えがあった。悲しいことに。
「お久しぶりでございます。
敦賀で会った以来でございますな」
「覚えておったか」
つまり、アポを取ったから即座に駆けつけてきた訳だ。
織田信長は。
失礼極まりないが、顔に思わず手を当てて空を見上げながらうめくように言葉を出す。
「ここでは目立ちましょう。
かといって城に入るのもためらわれるでしょう。
そこの寺でよろしいか?」
頷く織田信長の視線が露骨に値踏みをしていて怖かった。
そもそもこの勝竜寺城の由来は、城のある近くに勝竜寺という寺があった事から来ている。
弘法大師空海縁の寺なのだが、ある時大干ばつによる大飢饉の年にその住職である千観上人の祈祷で雨が降って竜神に勝ったという意味から勝竜寺と改名された由来を持つ。
そんな寺ゆえに信仰も深く、この三好家がこの城を京の拠点にする際にこの寺を城に組み込む形で城を拡張した経緯がある。
「野点といくか。
大殿と大友殿の茶席。
実は楽しみで色々知り合いに借りてきたのよ」
勝竜寺の庭の一角に、前田慶次が朱色の大傘をぱっと開く。
その艶やかさが庭と交わって、影が自然と茶席となり筵がしかれる。
このあたり前田慶次の風流人ぶりが出る。
そして、俺が行った堺の茶会の派手さと違う事で意趣返しも忘れない辺りさすがチート傾奇者。
薪を組んで火をつけて、鍋に水を沸かす。
筵に座ったのは俺と織田信長と前田慶次のみ。
残りは遠巻きに見守ることしか出来ない。
もちろん、俺も遠巻きに見ていたいのだが。
「……」
「……」
「……」
「……」
実に気まずい。
織田信長は睨んでばかりだし、こっちは内心がバレないように平静を努めることしか出来ない。
そして、前田慶次はこっちの事なんて気にもとめておらずに、煮立った湯に水を注ぐ。
その姿を見て思わず笑みが溢れるのを織田信長は見逃さなかった。
「何故笑う?」
「前田殿の茶がうまいだろうからと」
「何故分かる?」
「煮立った湯に茶を入れると香りが飛んでしまうし、飲むには熱すぎる。
だから水を足して湯加減を程よくする訳で」
「大殿も大友殿も堅苦しいな!
せっかくの茶席だ。
茶を味わうに、地位も年もなかろうが!!」
「……それを言えるあたり、あんた大物だよ」
素で前田慶次に返事を返したことにあわてて口を押さえるが、口から出た言葉は戻らない。
そして、織田信長がようやく笑みを見せた。
「そのとおりだ。
せっかくの茶だ。
それを味わう為にここに来たのだ」
「供回りも連れずに?」
「今頃は近江を駆けているだろうよ」
かわいそうに。
今頃織田家中大混乱だろう。
そんな事を思っていたら、名もない今焼の茶碗に茶が注がれて俺の前に差し出される。
毒とかどうとか完全に頭から抜けていた。
この茶のうまさは生涯忘れることがないだろう。
「うまい」
「だろう」
俺の声に前田慶次が笑う。
それを見て織田信長の喉が鳴った。
それが何か面白くて構えていた事が全部ぶっ飛んでしまう。
「で、前田殿よ。
俺を織田殿に会わせた訳だが、満足か?」
「ああ。
俺は満足した。
大殿はどうか知らんが」
清々しいまでに自分本意なやつである。
で、そんな所が織田信長に好かれていたのだろう。
「大友殿をどうやって三好から引き抜こうか色々考えたが、結局答えは出なかった。
で、会ってみようと思った訳だ」
「で、答えは?」
「分からぬままだ。
大友殿。
お主にとって天下とは何だ?」
その問に、俺は意識もせずに本心を口にした。
「借り物」
「借り物?」
「語ろうと思えば語れるだろうよ。
だが、それは源頼朝公や足利尊氏公や足利義満公の真似事でしか無い。
そして、その真似事を俺はするつもりはない」
織田信長の視線が鋭くなる。
覇王の前で天下を語るのだ。
とはいえ、嘘をついても見破られると思ったから、俺の口は言葉を続ける。
「前田殿から和泉河内で誘われたが断ったのもそれよ。
俺に必要なのは、部屋一つと布団一つ。
で、俺を温めてくれる女ぐらいでいいのさ。
これが俺の天下さ」
「いらんのか?
大名も、天下も」
「いらんな」
「ならば何故三好を助ける!」
織田信長の怒気に周りが緊張する。
とはいえ、怖いという気は無かった。
彼が茶を飲んだ時、その茶が波を立てて震えていたから。
おそらく、俺以上に怖がっているのが織田信長だと分かっているから。
俺という存在が織田信長には理解できないから。
「さあな。
とはいえ、それでは納得しないだろう。
俺も分からんと答えたいが、恩だけはあるんだよ。三好には」
「それは、俺を敵に回しても返さねばならぬ恩か?」
それに返事をする前に俺は前田慶次に声をかける。
茶人よろしくしているのならば、遠慮なく使わせてもらおう。
「前田殿。
よければ、茶をもう一杯。
天下を茶請けに茶を楽しむなんてそうは無いからな」
「儂も頼む」
あんたもかよ。織田信長。
もちろん声に出さずに茶ができるまで、俺は己の過去を振り返る。
つくづく思うがろくでもない過去だった。
そんな俺がこんな場所にいる理由は一つしか無い。
手で有明と果心を呼び寄せる。
織田信長の怪訝な顔なんてお構いなしに、俺はまず有明を抱きしめる。
「俺がこんな所にいる理由はこいつの為さ。
こいつと一緒に逃げるために畿内にやってきたのがそもそものはじまり」
で、そのまま果心を抱き寄せる。
織田信長相手の茶席に遊女を侍らせているようにしか見えないのだから、俺も十分傾奇者だと苦笑しながら続きを口にする。
「で、その縁で三好の姫をもらった。
多分これが理由なんだろうな」
口に出して、自分自身でやっとその気持ちがすとんと心に落ちた。
父も母も知らず、身内に監視されて暮らし、心を許した幼馴染を苦界に落としてなお生き延びた果てに、三好長慶に出会ったのだ。
「今ひとたびの あふこともがな」
その一言が忘れなれない。
茶目っ気を出しながら、弟の詫びにだけ来たその懐の大きさを俺は後で知った。
何も求めなかった彼の姿は、大友宗麟の猜疑心と絶望に晒されていた俺にとってどれほど惹かれたのか。
気づいた今、彼の命の火は消えようとしている。
「あの人は、俺の義父だからな。
織田殿なら分かるだろう」
織田信長の顔が緩む。
斎藤道三を知り、彼を失った織田信長にとっては。
織田信長が欲したのは理解者だった。
俺が無意識に欲したのは、父親だった。
たとえ親兄弟一族が殺し合う戦国時代と言えども、それは理解できるはすだ。
納得できないにしても。
「分かる。
だからこそ言うぞ。
三好亜相の命、もう長くはないぞ」
案の定織田信長は知っていた。
そして、俺は寂しそうに笑う。
「知っているさ」
「ならばお前が三好を継ぐのか?」
「だったら大友の名前を名乗っていないだろうに。
畠山と織田相手に一戦やって九州に帰るさ」
「その片方の大名が目の前にいるのに首を取らんのか?」
前田慶次がそう言って俺の前に二杯目の茶を差し出す。
それを受け取ってから、俺は半分ほど飲んで織田信長に差し出す。
「三好を継ぐというのは、三好が担った天下を継ぐという事だ。
俺にそれはできんよ。
織田殿。
あんたがやればいい。
だが、あんたが考えているよりも、この天下は重いぞ」
織田信長はその茶碗を受け取って残りの茶を飲み干した。
「いいだろう。
三好の天下すら俺が飲み干してやる」
「大殿ぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
遠くから聞き覚えのある声がする。
こういう時に、近習より先に駆けつけてくる男、羽柴秀吉が俺達を見て息を切らしながら走る。
後ろに近習がいるあたり合流したのだろう。
船で琵琶湖を渡って来たのだろうが、よく見つけ出したものである。さすが未来の天下人。
「近習からはぐれたとの報告を聞いて、どれだけ家中がお探しになっているか……」
本当に全力で駆けてきたらしく息もたえだえにその場にへたり込む。
苦笑しながら俺はこの茶会の終わりを感じて、その言葉を口にして去ることにした。
「結構なお点前でございました」
一応城の名前に合わせて勝竜寺にしたけど、寺の方は調べると勝龍寺になっている模様。
どっちが本当なのだろうか……?